全く散らかってはいないが、さりとて特に掃除した痕跡もない部屋。お邪魔するなり、一通り部屋を見渡して、榛名は首を傾げた。
(タカヤにしては珍しい)
正直なところ、その一言に尽きる。
阿部隆也という彼の後輩(…にして、特別な存在)は、お前ホントに二十歳前の男かよ、と思うくらいに家事を好くした。料理だってうまいし、掃除はもちろん、普段から散らかさない上にものが少ないので常に片付いてもいる。洗濯は、というと、これはまあ自動なので得手不得手は無いかも知れないが、少なくとも洗濯物を溜め込んだりはしないのである。……付いたあだ名は、良妻くん、だ。ちなみに名付けは秋丸によるものだが。
そんな阿部の、春から始めたばかりの一人暮らしの部屋が、散らかってはいなかった。当たり前だ。しかし、取り立てて掃除をしたという訳でもなさそうだ。
普段なら全く問題ないのだが、本日は12月31日、つまり大晦日である。榛名としては、要領の良い阿部が大掃除に手が回らなかった、とか、そういう事態は想像しにくいのだが、どうやら阿部の部屋は大掃除されていなかった。
(最近こいつ忙しくしてたっけ?オレ、最近はなんもしてねーぞ)
べつに阿部の忙しくなる要因が榛名のみという訳ではないのだが、結構な割合で阿部に厄介をかけているのは分かっているので、榛名はここ最近の素行を振り返ってみた。……とくになにも思い当たらないのだが、阿部の逆鱗はちょっと分かりづらい所にあるので、意外なことで起こらせたりしている。実際の所、自分のせいなのかは分からない。
「元希さん、アホの子みたいに突っ立ってないで、これ運んでください」
湯気を立てる器を両手に持って、阿部が榛名の足を蹴った。大きめの鉢には、透き通った出汁で炊きこまれた野菜と肉が。生姜の匂いが立ち上って、榛名の腹の虫が、ぐぅ、と鳴いた。相変わらず美味そうだ。
素直に鉢を受け取って、テーブルに並べる。既にお互いの定位置となったそれぞれの場所に座って、次々と運ばれてくる夕食に鼻をひくつかせる。
阿部の家は、既に榛名にとって我が家に等しくくつろげるほど慣れ親しんだ場所だった。いや、くつろげるのは阿部がいる場所が、なのかも知れない。
阿部の手によってどんどん配膳がなされるのを見守りながら、やっぱりおかしいよな、と呟いた。
なので、コップやら箸やらをどんどん並べ、最後にガッツリ炊飯器ごと飯を持ってきた阿部が、じゃあ食べますか、と座ったのに合わせて、取り敢えず疑問をぶつけてみることにした。
「なータカヤ、お前、大掃除しなかったん?」
「してませんよ」
「忙しくて暇が無かったとか?」
「いや、そもそも、大掃除をする意味が分からなかったので」
(……大掃除の意味って。意味って言っても、年末には掃除して新年を迎えるもんだろう?)
榛名は声には出さずにそう考えた。しかし、阿部は違う意見の持ち主らしい。
阿部曰く、
「そもそも新年っつっても、ただの"明日"じゃないですか。べつに普段から掃除してんだし。大体、このくそ寒い時期に、なんで網戸洗ったり窓拭いたりするのか分からないですよ。水冷たいし、そもそも年末ってなんか忙しいし。それだったら、秋とかそれぐらいの良い季候の時期に洗えばいいじゃん。網戸だって秋の半ばでもう使わなくなるんだし。どーせ年に一回の大掃除なら、暇で暖かい時にやりゃいいのに」
いやまあ、ごもっともなんだけど。つーかタカヤ、お前、晦日も元旦も、タダの今日でタダの明日なワケ?いやオレだってこの寒いのにカウントダウン行こうとかは思わないけど(でもタカヤと一緒に行くのは有りだな、とは思ってるけど)、それでもなんかこう、盛り上がりとかあるだろ。確かに真冬に網戸洗うとか、手ぇかじかんで、マジで勘弁って感じだけども。うん、どうせなら秋に洗った方が楽だよな。いや、でも、でもな。
「元希さん、おかわり要ります?」
「あ、おお……」
炊飯器から山盛りの白米をよそう阿部が、てしてしと盛った飯のてっぺんをしゃもじで叩いているのを見ながら、榛名はああ、と息をついた。そうだよ、タカヤってこーいうヤツだったよ。
―――つまり。
阿部隆也という人間に欠けているのは、季節感というか情緒というか。
「元希さん?」
「ああ、いや、うん」
べつに構わないのだけれど。構わないのだけれど、ちょっと寂しい。
阿部が淡白だというのは周知の事実だが、ここまでとは、と改めて思った榛名だった。