榛名単純だから、ホワイトデーにはマシュマロだ!……と思い込んでいた。実際には、ホワイトデーに何を返すか、それぞれ意味があるらしいが、榛名はそんなことは知らない上に、地域によって諸説あるので、何が正しいか分かっている人間など居ないに違いない。
 とにかく榛名は、マシュマロデーっていうくらいだから、やっぱりマシュマロだろ、と思い込んでいたのだ。
 余談だが、甘いものを食べたいときにマシュマロという選択をする人は、あまり居ないのではないかと思う。

 さて、マシュマロである。これはかなり安価な駄菓子であり、コンビニやスーパーマーケットなどで購入することが出来る。普段はそうでもないが、ホワイトデーが近いこともあってか、デパ地下、もしくは催事場などでも見つけられる時期であった。
 この中で榛名が選択したのは、コンビニである。榛名の金銭感覚は庶民的で、かつマシュマロという砂糖菓子に味の違いがあるとは思えなかったのだ。……単に榛名が味音痴なだけかも知れないが。
 さらに、榛名は購入したマシュマロを普通に渡すつもりなど無かった。バレンタインには、彼は恋人にチョコを貰えたのか定かでは無かったのだ。 可愛くて可愛くない恋人の言動と、夕食のメニューから推測して、多分アレにチョコが入っていたのだろう、と希望的観測を持っているだけだ。

 バレンタイン当日、榛名は恋人が作ってくれたカレーを食べた。

 榛名が試験前もかくや、という真剣さでもって図書室で調べたところに拠ると、カレーの隠し味にチョコを入れるというのはわりとポピュラーなレシピらしい。
 これだ!とレシピ本を掲げて立ち上がった榛名は、チョコinカレーという可能性に全てを賭けてホワイトデーのお返しをすることにした。勘違いだったら目も当てられないので、恋人に倣って然り気無く……、そう、なにかにマシュマロを混入するのだ。

 見てろよタカヤ……!

 不気味な含み笑いを洩らす榛名は当初の目的を忘れつつあった。
 彼の頭は、如何にタカヤを出し抜くか、ということでいっぱいだった。


 その夜、榛名は恋人を家に呼んだ。阿部家ほどではないが、榛名家もけっこう放任主義である。
 ただし、榛名家の場合は条件がある。榛名元希が放任されるのは、阿部隆也か秋丸恭平に関わるときだけであった。
 要するに、信頼できる同行者――つまりは保護者である――が居るときに限られるのだ。放任というより丸投げである。
 その辺りの事実に榛名は気付いていなかったが……まあ隆也と二人きりになれるならオールオッケーなのである。

 ピンポーン、と軽快なチャイムが鳴って、阿部隆也が榛名家に到着した。
 榛名としては合鍵でも渡したいところだが、家族と同居している現在、さすがにそれはマズイだろうと思い止まったのだ。
 ドライな阿部と違って恋人同士を楽しみたい榛名は、遅くに帰ったら合鍵で入った恋人がご飯作ってくれていた、的なシチュエーションに憧れがあったのだ。

 っス、と小さく頭を下げた阿部が、居間に入ってきた。

 心なしか殺気だっているが……恐らく4月の新入生勧誘活動に関する会議があったからだろう。
 会議における阿部は、疑う余地もなく敏腕……というか、むしろ辣腕だった。創部時の一年生であり、上級生に混じって会議に出るのは不利な筈なのにしっかり予算をぶんどってくる阿部は、適職は官僚なのかもしれない。
 まさしく、榛名には持ち合わせのない才能であった。

 榛名は、上機嫌で阿部を迎え入れた。普段は甲斐甲斐しいのは阿部の方だったが、今日ばかりは榛名は甲斐甲斐しい。なんせ、マシュマロ作戦があるのだ!

 珍しく、まあ座れよ、なんて言ったものだから阿部に不審がられながら、榛名はマグカップに牛乳を注いで電子レンジに入れた。マグカップ2つだから、ホットミルクのボタンを二度押して……その間にインスタントコーヒーの瓶を取り出す。砂糖壷の中には既にマシュマロを隠してあるから、準備は万全だ。

 チン!と古典的な音をたてたレンジからマグを取りだし、インスタントコーヒーとマシュマロを入れて混ぜた。カフェオレの完成である。
 ほら、と阿部に手渡し――阿部は思いっきり不審な顔をしていた――自分はマシュマロが入っていない方に口をつけた。
 ドキドキしながら、チラッと阿部を窺い見ると……眉を寄せながらも、素直に口をつけている。

 っしゃあ!

 榛名は心の中で拳を振り上げた―――その瞬間。
 
 突如耳まで真っ赤に染めた阿部が、全力でクッションを投げつけてきた。軽く柔らかい物とは言え、高校球児の全力である。かなり痛い。

 な、なんだ!?と榛名が恋人を見ると、彼は哀れなほどに真っ赤になっていた。赤を通り越してどす黒いくらいである。
 クッションをぶつけられたのは榛名なのに、あまりの顔色に心配になって、思わず謝ってしまった。


 ど、どーしたんだ?なんかわからねぇけど悪かったよ、と。



 バレンタインデー当日のことである。

 阿部は、田島に「ハルナにチョコをあげるのか?」と訊かれたときに、オレはやったぜ!とばかりに笑った。
 阿部は、ちゃんと榛名にチョコをあげていたのである。

 榛名がチョコを楽しみにしていたのは一目瞭然で、だから阿部は、わりと早い段階でチョコをあげることを決めていた。
 だが、現物を渡したのでは、榛名のテンションは騰がりすぎてヤバイことになるに違いない。オマケに―――これが重要な点だが、阿部はどんな顔でチョコを渡せばいいのか解らなかったのだ。真顔でいいのか、照れればいいのか。

 だから阿部は、一計を案じた。チョコをそのまま渡すのではなく、食事に混入して然り気無く渡すのだ。

 この時点で、既に“渡す”とは言えないのかもしれない。榛名がチョコを楽しみにしている事を考えると、気付かれないように混入するのでは意味がないのではないだろうか?
 しかし、阿部の中では、如何に榛名に気付かれずに混ぜ込んだチョコを食べさせるか、と言うのが第一の目的になってしまっていた。

 
 そこで、阿部が選んだのは、隠し味にチョコが定番のカレー……ではなく、実は朝食のカフェオレであった。

 熱々に温めた牛乳に、インスタントコーヒーとチョコを溶かすと、甘めのカフェオレの出来上がりである。普段は甘みにチョコではなくハチミツを入れるこのカフェオレは、シニアの頃、榛名が遊びに来たときに飲ませて以来、榛名のお気に入りである。

 榛名も、まさかこれにチョコが入っているとは思うまい!

 阿部はとてつもなく性格の悪い配球を組み立てたときのように、ニィ、と笑うと、未だ夢の中の榛名を起こすべく二階の自室へと向かった。


 ちなみに、榛名は大層寝汚いので、いつも起こすのに苦労するのだが、今朝は舌にワサビでも塗ってやろうかと考えていた。それなら一発で目が覚めるだろうし、なにより、舌が痺れてチョコの味がよりバレにくくなるに違いない。

 チョコ入りのカフェオレを飲んでも気付かない榛名を想像すると阿部は楽しくなってきた。


 ―――というのが、バレンタインデーの真相だった。
 以来1ヶ月、なにやら必死になっている榛名を見て、阿部は楽しんでいた。恋人が自分のことで悩んで必死になっているのは、なかなか嬉しいものである。
 得意満面、余裕綽々。 悩んで悩んでホワイトデーにお返しをくれたりしたら、正解を教えてやろうかな、なんて考えていたのだ。

 ところが、ホワイトデーに呼ばれて榛名の家に行ってみれば、当の本人は妙に上機嫌で、そして不自然にも差し出されたカフェオレに、嫌な予感をひしひしと感じつつ口をつければ―――舌先に、微かに柔らかい感触。カフェオレの熱でトロトロに溶けているけれど、塊の中心は少しばかり弾力が残っていて、どこかしら懐かしい甘味を感じる。
 そう、これは―――マシュマロだ。

 そう気付いた瞬間、死にそうなほどの羞恥で顔が熱くなった。

 バレてたのか!?

 絶対に気付かれないと思って、得意満面になっていたのに。
 正解を教えてやろうかな、なんて思っていたのに。
 なのに、バレてただなんて……!

 そう思った瞬間、阿部は脊椎反射のようにクッションを全力投球していた。
 目の前のノーコン投手のお株を奪う暴投ぶりである。

 ビックリしたのか、なぜか榛名が謝っているが、それどころではない。


 うあああああぁぁっっ!!……と奇声をあげた阿部は、もうひとつクッションを投げつけてその場を逃げ出した。
 我にかえった榛名が追いかけてくるが、間一髪、部屋に逃げ込んで内鍵をかける。


 逃げ込んだ部屋―――榛名の自室である―――に籠城したまま、阿部は羞恥にのたうち回っていた。



 カレーにチョコが入っていたと勘違いしたままで、なのに阿部に大ダメージを与えてしまった榛名は、自分の部屋なのに締め出しをくらって、廊下でひとりいじけていたという。