犬と猫の奇矯な関係−1 【 歳は、ネコだ 】
『輪違屋〜、音羽太夫、蓬莱屋まで道中まかりこしまする〜』
つけっぱなしだったテレビから、間延びした様な声が流れ出て、栄口はふと顔をあげた。練習時間が長いせいか、最近は家族と食事の時間が合わないことが多い。一人で食べるにはリビングは少し寂しい。だからついテレビを付けっぱなしにしてしまう。
画面の映像はどう見ても時代劇で、美しいけれど重そうな着物を纏った女性が、高下駄(……ぽっくり?)でゆっくり、ゆっくり歩いていた。あの着物、もしかしたら女なら一度は着てみたい、と思う様な姿なのかも知れないけど、栄口は男なのでそのような感想は抱かなかった。……が、もし彼女が出来たりしたら、一度はああした格好を見てみたいと思わないでもない。
―――と、荒々しい男達が、太夫の道中とやらを踏み荒らして争っている。チャンチャンバラバラ、これぞ時代劇だろ、と思っていたら、そのシーンに被さる様にしてナレーションが入ったので、ようやくどの時代の話かが分かった。
土方、といえば、幕末だ。
栄口が土方歳三なる人物について知っていることと言えば、大河ドラマや小説からの知識が殆どで、だからもしかすると史実と違うのかもしれなかった。なんせ、沖田総司の池田屋大喀血も、昨今では史実で無いというのが通説らしい。
しかし、小説が史実を伝えていないからと言って、その小説の価値が下がる訳ではあるまい、というのが栄口の考えだ。要は面白いかそうでないかだろう。国語系が得意な栄口の読解力は、主に読書によって培われている。つまり、読書家だ、ということだった。
画面の中の土方は、すこし蓬髪ぎみで、イメージとしては坂本龍馬と言われたほうがしっくりくる。そして近藤勇は沈毅に過ぎて、やはり少々そぐわない気がした。それにしても獅堂は、どうして最近こういう役が多いんだろう、と芹沢鴨を見て首を捻る。新撰組に関しては、『燃えよ剣』と姉の持ってる少女漫画を読んでいたので、どうしてもイメージが栄口の中にあって、それが違和感を感じさせるのだろう。
土方が、おおっぴらに糸里といい仲になっているのを見て、その違和感はいっそう大きくなった。あれ? と栄口は首を捻る。そも、自分の中の土方像とは、どういうものなのだろうか。少なくとも、誰かに対する好意をおおっぴらにはしそうにないように思える。彼女ができても、絶対に隠すタイプだ。
『トシは、猫だ。』
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。何だろうコレ、としばらく記憶を浚って、あぁ、と思い至った。燃えよ剣の、最初の辺りの一節だ。確かに『トシは猫だから自分の情事を隠したがる』というような部分が有った気がする。なるほど、それが土方像の大本か。
納得がいったところで、今度は別のことが気にかかった。友人にしてチームメイトの、阿部隆也だ。
西浦のチームメイトの面々を思い浮かべて、犬系か猫系かに当て嵌めると、まず三橋と田島は犬だろう。花井と巣山は利口で吼えない大型犬、泉、沖も犬だろうか。西広は猫かも知れない。水谷は、表面上は犬っぽくとも本質は猫だろうか。
そして阿部は、多分多くの人が猫だと言うだろうけど、実は犬なのだと思った。犬は隠さず、猫は隠す。……とすると、阿部は確実に猫ではない。
阿部は、あれで開けっぴろげなのだ。表情や抑揚が伴わないから分かりにくいだけで。
犬と猫の奇矯な関係−2 【 3+7=21 】
阿部と武蔵野第一の榛名が付き合っている、というのは、驚くほどに周知の事実だった。少なくとも西浦と武蔵野では、という事では有るが、だ。普通に考えれば、男同士なのだから隠しそうなものだが、阿部はその辺りには頓着しないらしい。
……といっても、色惚けて惚気る訳ではない。むしろ阿部の態度が平坦すぎるので、喧嘩でもしたのかそれとも別れたのかと思うところだ。しかし、態度は平坦であっても、会話の端々に、ああ二人は付き合ってるんだな、と分かる言葉が出てくるのだ。
それに、聞かれると普通に答える。好きなのかと聞くと、じゃなきゃ付き合わねーよ、と返される。ここで頬でも染めようもんなら、(薄ら寒いことだが)可愛らしいと思えるのに、だからそれがなに? といった様子でごく平然と答えられると、もうどういう反応をしていいのか分からない。
阿部に、西浦ではそれでいいけど、余所ではおおっぴらに男同士で付き合っているってこと言わない方がいいぞ、と忠告してやりたいところなのだが、阿部が男同士を問題に思っていないらしいので、果たしてその忠告が聞き入れられるかは謎だった。
阿部は、いったいどう考えているのだろう。
一つ、推測がある。
魂、なんてことを言うと、無宗教が一般的な日本においては、宗教かなにかかと思われるかも知れないが、もし魂というものがあるのなら、それに性別なんてないんじゃなかろうか。例えば生まれ変わり、などを扱った創作物には、違う性別に生まれ変わるという話がまま見られる。それはつまり、本質的には魂に性別は無いと日本人は考えているのかも知れない。
だとしたら、男だから、女だから好き、と言うのはナンセンスである。不美人でも人柄に惚れて一緒になる、と言うのが有り得るなら、同性でも人柄に惚れて一緒になる、というのも有り得るだろう。少なくとも、自分の意志で子孫を残さない一生を選択しうる人間という種類の生き物であれば。
つまり阿部は、榛名という人間に惚れているのであって、決して男が好きな訳でもなんでもないのだ。好きになった人間が偶々男だっただけ、とは言い訳じみた言葉だが、阿部の場合はそれだけでは終わらない。
多分阿部は、女と付き合っても、態度を変えることは無いのだと思う。阿部が榛名に(もしくは他人に)見せる平坦で開けっぴろげな態度は、相手が榛名であろうが女であろうが変わることはない恋人への扱いなのだ。
犬と猫の奇矯な関係−3 【 昏いという字が含まれている 】
「あれ、阿部どこいくの?」
やっと練習が終わって、既に日もとっくに暮れた頃、普段とは違う方向に自転車を向けた阿部に水谷が聞いた。この馬鹿聞くなよそんなこと! って顔している花井が面白い。栄口も花井に同感で、どうしてこう空気を読まない質問をするかな水谷は、などと考えていた。水谷自身は、重大な場面で空気を読み間違うことは無いくせに、普段はどうも抜けていて困る。
「元希さんち」
阿部は簡潔に、これ以上ないほど分かりやすく答えた。平坦な態度に変わらない表情。擬音にするなら「しれっと」だ、きっと。
その答えを聞いて、水谷はあちゃー、という顔をした。態度からは分かりにくいが、阿部と榛名は付き合っているのだ。こんな時間から行くのだから、今日は多分泊まってくるのだろうが、正直なところそんなことは知りたくなかった。これで明日(土曜、グラウンドの関係で午後練だ)の阿部がビミョーな雰囲気を漂わせていたら目の毒だが、救いは阿部の態度に多分なんの変化もないことだろう。
それにしても、阿部はわりと頻繁に榛名と会っているようだった。中学が違うとは言え同じシニアチームに属していたのだから家が遠い訳ではない。しかしクソ忙しい練習の合間をぬって会うのは容易いことではない。なのに頻繁に会っているのは、やはり好きで付き合っているからなのだろうか。デートもやぶさかでない辺り、阿部の恋人に対する真摯さが窺える気がする。もっとも、二人で出かけたからと言って阿部は阿部なので、あの平坦な態度に変わりはないのだろうけど。
じゃーな、と言っていつもと違う角を曲がって行った阿部の背中を見送って、栄口と花井と水谷は顔を見合わせた。脱力した様な、なんだか生ぬるい心持ちになってくる。
阿部が、愛しの恋人に会いに夜道を自転車で走っているのだ。なのに阿部の態度は全く普通で、でも足繁く通うのはやっぱり熱愛中だからで、聞けば普通に答えるし内容的には惚気と言ってもいいはずなのにちっともそんな雰囲気でない。相手の榛名は表情豊かな方なので、それが妙にちぐはぐで、三人顔を見合わせたまま、誰からともなしに吹きだした。
明日阿部に聞いてみよう。榛名さんとキスしたか? って。そしたら阿部は眉一つ動かさないで、したよ、フツーするだろ。なんて答えるんだ。それが何かおかしいのか、って顔をして。なんてからかい甲斐のなくて、なんて真摯な!
熱くて平坦でなにものにも恥じない、そして偉大だ。それが阿部隆也という人間だった。