[ タカヤのドキドキノーアウト1塁 ]
ドスッ、と重たい音がして、腹に衝撃がはしった。
ホームベースの手前でワン・バウンドのワイルドピッチは、幸いというかなんというか、バウンドした割に横方向に軌道を変えなかったので、体を覆い被せるようにして押さえ込むことができた。
……って、カウント1−3の5球目、ノーアウトランナー無しの場面だったから、後逸してもランナーに走られることもないし、どっちにしろバッターは四球だしで、オレって当たり損?
素直に避けときゃ痛い思いしないで済んだのに、って思わないでもないけど、そのへんはまあ、なんていうか、避けたら負け、みたいな変な意地が邪魔をして避けることができなかった。
つーか。キャッチが避けてどーすんだ、オレ。
……で、四球でランナーが出て、ノーアウトランナー1塁、ネクストは……って、元希さんの球だと、強打者とかなんとこそういうのはあんまり関係ないんだけど。ああでも、速い上にノーコンなもんだから、ワイルドピッチとか後逸とか狙って走ってくるかな。
対ノーコンピッチ用に種類を少なくしたサインで、一球牽制のサインを出した。
―――元希さんは、サインを見て振りかぶった。
……振りかぶった!?
え、ちょ、牽制は!?
このオレサマ投手、往々にしてサインに反応を見せないことがあるんだけど(頷かないし首も振らない)、それは配球だけの事で、牽制とかそう言うオレ以外のポジションも関係のあるサインを無視するとか、それって一体どうなんですか。
そりゃまあ、配球無視されるぐらいなら、オレが頑張って止めりゃいいけど(いや良くないか)、ファーストベースに入ってもらってんだから。
ああ、走馬燈ってこんな感じなのかな、と思うほどに無意識に考えが頭の中を走っていったが、咄嗟のことでもちゃんと体が動いた自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
サイン無視の挙げ句投げられた豪速球は、日頃のノーコンはどうしたことか内角低め、打者の膝元に突き刺さり、それをオレはどうにか捕ることが出来た。
ホッと息をつき胸を撫で下ろすオレ(……とスタメン野手陣と監督コーチと控え)。唯一マウンドの王様だけは、なんだか楽しそうでニヤニヤしている。
ただの牽制でこんだけ周りをびびらせるってどういう事だよこのクソ馬鹿エース。
ああもう、ドキドキが止まんねぇよ!
[ タカヤのドキドキワンナウト2塁 ]
塁を埋めた方が守りやすいんだけどなぁ、と思ったけど、それは榛名元希というノーコンエースがマウンドにあがっている状況ではあまりに危険なのでやめておいた。
なんせこの人、四球と死球がすごく多い。おまけにワイルドピッチもお手の物だから、ランナー溜めると一発が怖い……ってんじゃなくて、溜めようとしなくてもランナーが溜まるから、わざわざ歩かせることもない、ってのが実情だ。
つーか、外せってサイン出しても、気分次第で無視するんだろーな、この人の場合。
だから、仕方なくストレートを外角寄りに、っていうアバウトなサインを出して、元希さんが頷いたのを見てミットを構えた。
……結果から言えば、そのストレートは、外角じゃなくて内角寄りに入ってきた。もっと制球力のある投手だったら、右方向に打たせたいとか左方向に打たせたいとか、打ち上げさせて、とか楽しい配球が出来るんだけど、不幸なことに元希さんはノーコンだったから、そんな細かいこと受け付ける訳がない。ただ幸いにして球威球速ともにピカ一だから、甘いコースに球が入っても打たれたりしないのが助かっている。正直な話、この人へのサインは、今のところストライクかボールかだけでいいんじゃないか、とも思ってしまう。
どっちにしろ、ストライクゾーンに入ってくれさえすれば三振がとれるんだから。
オレは、当てるな外すな手を抜くな、と唱えながら、1−0からの2球目を、ストライクゾーンにストレート、っていうさっきよりもアバウトなサインにした。なんだったらど真ん中でもいいですよ、アンタのまっすぐ打てるヤツ、このレベルのチームには居ないんだから。
なんだかハイリスクハイリターンの危ない投資に手を出してるような気分で、オレはミットを構えた。
[ タカヤのドキドキワンナウト1,3塁 ]
死球は本日三つ目で、四球は既に六つ目だ。
こ の ノ ー コ ン !
ワザとか? ワザとなのか!?
ちくしょ、とても途中から登板したと思えないぞ、その四死球。
一回スポッチャでストラックアウトをさせてみたい、と本気で思った。ちなみにオレは七枚まで当てたけど、所詮は捕手の球だからなぁ。
……で、現在の状況だ。
ワンナウト1,3塁。点差は2点で戸田北が勝ってるけど、押し出し押し出しとかになったら笑えないから、ここは確実にアウトを取っておきたい。満塁策なんて、元希さんじゃ怖すぎる。
バッターボックスの打者は一番で、今日は三振と死球だった。別に第三打席だからって、すぐに目が慣れるような球じゃない。その点では、前打席のデータが役に立たないよな、元希さんの場合。
つまり、打つのは望み薄だから、スクイズの可能性があるってことだ。ちらっと監督の方をみると、うんうんと頷いている。……いい人なんだけど、選手を信頼してるのか丸投げなのかどっちだろう。
スクイズ警戒、と内野にサインを出して、頼みますよ、とオレは元希さんをみた。
元希さんへのサインは、ストレートを高めに。頼むからちゃんと入れてくださいよ、と念じながら、オレはミットを構えた。
―――ドクンドクンと、心臓の音が耳の奥で鳴り響く。
のぼせたみたいに、急激に熱くなる頭。緊張が体を強張らせそうで、オレは打者に気付かれないように息を吐いた。
サインを出し終わった後は、オレの時間だ。オレが覚悟する時間だ。
ランナーがサードにいると、オレはとても緊張する。オレの後逸一つが、直接相手の点に結びつくから。
絶対、絶対に捕ってやる、と思うのと、元希さん、頼むからストライクゾーンに投げてくれ、って思うのが半々で、この緊張の一瞬にオレの血管は血圧に耐えきれなくて切れちまうんじゃないかと心配になるくらいだ。
そんなオレを、元希さんは面白がっているらしい。ベンチに戻った後、「なにあのオモロイ顔!」って笑われることがある。
……元希さんはオレほど勝ち負けに拘っては無いみたいだった。
息を吐いて覚悟を決めた頃、元希さんがゆっくりとした動作で振りかぶる。ランナーが居るのに、そういえばランナーを気にするそぶりを見たことがない。バッターと勝負するのが投手の仕事で、ランナーに関しては領分じゃないと思ってるんじゃなかろうか、この人。
ストレートはいつもと変わらない大きなフォームから投げられて、幸いな事にストライクゾーン目掛けて飛んできた。
バッターは予想通りバントの構えで、ランナーは1塁3塁共に飛び出している。スクイズだ。
対してこっちも、サードファーストが構えと同時に前に出ているから、バスターでもない限りは大丈夫だろう。
よし! と思った、その時。
バントの構えのバッターが、妙に震えているのに気が付いた。そういやこの打者、さっきの打席は死球だったな。そりゃ怖いだろ、この人の球は。
そしてオレは、ああ、まずったな、と思いながら、さっきとは違う種類の覚悟を決めた。
怖がって腰が引けてるヤツがバントすると、打ち上げるならまだしも、チップとかしやがるんだよな。アレ、目の前50センチくらいのところで軌道が変わるから、反応しようがないんだけど。
……頭さえ守っとけば大丈夫かな。
オレは、チップを喰らう覚悟を決めて、耐えるように腹に力を入れた。
チッと小さく音がして軌道が逸れた球は辛うじてオレには当たらなかったけど、後ろの主審に直撃したらしくて、肩を押さえて痛そうにしているのが見えた。心なしか、コールの声も震えている。
オレには当たらなくてホントに良かったけど、でも。
なんか野球以外の命に関わる真剣勝負をしてる見たいな緊張感なんですが、そのへんどうなんですか、元凶の元希さん。
吊り橋効果じゃないけど、なんかドキドキが激しすぎてオレはもうどうにかなってしまいそうだった。