※『不思議』のある話です。お嫌な人はご注意!
阿部隆也は、占いというものを信じていなかった。だから、ワイドショーの血液型占いも雑誌巻末の星座占いも聞き流し読み飛ばしだし、手相恋愛その他の占いも完全にスルーしていた。
ただ、阿部の面白いところは、かといって非科学的なものを完全に否定している訳では無いことだった。
曰く、
「最初は地動説だって"非科学的"だったんだろ。幽霊も占いも、その内証明されるかもしれねぇし」
……だそうだ。
信じるヤツは信じればいいし、信じないヤツは信じないでいい。ただ阿部自身は信じるに足るような体験をしたことがないので、今のところは信じていない、というのが実情だった。要するに、自分と野球に関わってこないならば、幽霊が居ようが明日の夕食を当てられようがどうでもいいのである。
そんな阿部が、たまたまテレビで星占いを見たのは、朝起きると雨が降っていて朝練が無くなった為だった。
普段ならかきこむ、という表現がぴったりの食べっぷりで朝飯を平らげる阿部だが、時間があるので新聞片手にゆっくりと食べている。食事中にデータ読むのやめなさい、とよく注意される阿部だ。ならば新聞ならいいのかというと、行儀という観点から言えばデータも新聞も大差はない。ただ、データと新聞では阿部の熱中度が違うので、より没頭してしまうデータに対して注意を受けることが多い、という訳だ。
ちなみに弟からは、「兄ちゃんおっさんくさい」と不評である、新聞に関しては。
卵焼きを飲み下した阿部が、ふと視線を上げた。
一面記事、テレビ欄、スポーツ欄……と読んでいた新聞を少し下にずらし、テレビに視線をやる。聞き覚えのある音楽が流れ出して、興味をひかれたのだった。
「あー……、あー……、なんだっけコレ」
男の脳は『何となく』『どこかで見たこと・聞いたことがある』という記憶を思い出すのに不向きである。もちろん個体差はあるにしろ、だ。特に阿部は、野球のデータなどは整理した状態で覚えているものだから、あやふやな記憶を思い出すのに長けていない。
うーん、うーん、と首を捻り、ようやく思い出したのは球場の光景だった。この前の大会で対戦した高校の援団が使ってた曲だ。……なんだっけ、水谷が曲名を言ってたんだけどな……。だが、曲名まで思い出すことはかなわなかった。
「まあいいか」
しばらく考えてすぐに諦めた阿部は、思い出すことがかなわなかった曲のことなど二秒で忘却の彼方に押しやり、そのまま見るとも無しに画面を眺めていた。正直な話、時間を持て余している。なんせ、朝練がないと通常登校なのだ。夏場なら5時には学校に着いているのが、通常登校だと8時半までに校門をくぐればいい。この間3時間強、この差は大きすぎる。阿部、ぼけーっとテレビを見ていた。
突然、テレビが騒がしい音を立て始めた。見るのはニュースか野球中継、の阿部には、理解しがたい騒音だ。
………星座占い。妙に高いアニメみたいな声が、「今日の1位は〜、双子座〜!」と言っている。双子座……って、何月生まれだっけ?
血液型は輸血に必要だから把握しているが、星座などは必要ないとばかりに覚えていない阿部だ。首を捻って画面に目をこらした。……5/21〜6/21、と双子の絵の下に注記してあった。へぇ、月初めから月末までのキリの良い区切りじゃないんだ………って、
「元希さん双子座なのか……」
どうでもいい新事実だった。榛名は意外とこういう占いを(信じてもいない癖に)喜ぶのである。
ちなみに、今日の双子座のラッキーカラーは『レタスグリーン』、ラッキーナンバーは『9』、ラッキーアイテムは『水』らしい。……レタスグリーンってなんだ。黄緑じゃないのか。
物はついでだ、とばかりに、阿部は占いを注視し続けた。誰がどうやってラッキーカラーなどを決めているのか、さっぱり分からない。獅子座のラッキーカラーなんか『ドドメ色』だ。一体どんな色だそれは。
ついつい、呆れの混じった視線を向けてしまう。
「残念! 今日の最下位は〜、射手座〜!」
射手座は11/22〜12/21生まれ、つまり阿部である。普段占いなどまったく見ないのに、たまたま見た日に限って最下位だというのは、確かに運が悪いのかも知れない。ちなみに、ラッキーカラーは『シャアピンク』だった。……これ、商標に触れないのだろうか。
「アンラッキーアイテムは『水』だよ! 水難に気をつけてね!」
テレビは最後にそう告げて、CMに切り替わった。阿部はため息をついた。そもそも雨が降っているという時点で、野球狂の阿部にしたら充分にアンラッキーなのだ。というか、今日は雨が降っているのだから、少なくとも埼玉在住の射手座の人はアンラッキーアイテムに関わらずにはいられない。それってどうなんだ、と思いながらも、その実占いを信じていないので、疑問だけ感じて後は聞き流している阿部だった。
しかし、朝食を終えて洗面所で顔を洗おうとしたときに、阿部はアンラッキーアイテムの意味を知ることとなった。ただし、全国の射手座さん共通の水難ではなくて、阿部限定の水難であったが。
……いったい何が起きたのか。
顔を洗おうと手に水をすくったその水面に、人の顔が映っていたのだ。それだけなら不思議はない。手にすくった程度の浅い水でも、光の加減で自分の顔が映ることぐらいあるだろう。
しかし、水面に映った目は、ツリ目だった。阿部は、自分がタレ目であることを知っている。世の中のタレ目の中でも、結構派手なタレ目であることも。間違っても、今水面に映っているようなツリ目では有り得ない。
手に水をすくい上体を洗面台の上に屈めた状態で、阿部は固まった。理解不能な現象を引き起こしている手の上の水面を凝視する。……実のところ、映ったツリ目に非常に心当たり、というか見覚えがあった。
「元希さん」
名前が、口をついて出た。すると水面の目は、声が聞こえたかのように阿部と目があった。まだ眠さを残していたツリ目が、その瞬間、パッと明るく輝く。もともと分かりやすい人だけど、目だけでこんなに雄弁だなんて。
表情が変わったことに驚いた阿部は、手のひらの水をこぼしてしまった。ビクッと身を退いて、濡れた手を恐る恐る見た。……タダの濡れた手だ。
もう一度水をすくってみれば、さっきのが幻覚かどうか分かるかも知れない、と思ったが、幻覚でもそうでなくても怖いので、いっそこのまま無かったことにしようかと思う。
取り敢えず、手で水をすくって顔を洗うのは怖かったので、タオルを濡らして丁寧に顔を拭くことにした。
居間に戻ると、携帯が鳴っていた。阿部の携帯は、本人が無頓着である割には専用着メロを設定したある人が多い。田島や水谷は初期設定の着信音がつまらないと、勝手に阿部の携帯に自分専用の着メロを設定してしまっていた。
ちなみに、榛名も専用着メロである。こちらも、阿部が席を外した間に勝手に設定してしまったのである。阿部は面倒なのでそれらをそのままにしていた。今は誰からの着信か分かるので、実は結構重宝していたりする。
そして、今鳴っているのは、榛名専用の着メロだった。出たくねぇなぁ、と思いつつも、出るまでかけ続けるであろう榛名が目に浮かぶので、阿部は仕方なく通話ボタンを押して携帯を耳から20センチほど離した位置に構えた。
『タカヤ!見たか? お前も見えたよな!? 』
……予想通りの大音量だった。携帯を耳から離していて正解だった。
榛名は、やはりさっきのはホントに目が合っていたのだろう、水面のことをまくし立てる。
『なんでタカヤが見えるんだよ』
いや、オレも知りませんよ。
『水ならどの水にも映るのかな?』
それは是非とも勘弁して欲しいです。
『でも、おもしれーよな!』
オレは面白くないですよ。
『…にしても、朝からタカヤの顔見れるなんてラッキー!』
オレはとっても不幸な気分です。
『なんてったって、今日双子座1位だからな』
残念ながらオレの射手座は最下位でしたよ……、って、あれ?
『ラッキーアイテム、水だったし。当たるんだな、あの占い』
そ れ か !
いや、信じたくないんだけど。信じてる訳でもないんだけどな、と阿部は誰も居ない空間に対して言い訳をした。
信じてる訳じゃないんだけど、今日のオレは占いによると運勢最悪でアンラッキーアイテムは水で、元希さんは運勢1位でラッキーアイテムは水で……。
いやでも、こんなことって有り得るのか? 水面のぞき込んだら、元希さんだぞ?
『なーなー、もっかい試してみよーぜ。水見てみろよ』
嫌です!
携帯を切って、まだ時間が早いにも関わらず家を飛び出した。雨でチャリはムリだから、傘さして駅まで。
ああくそ、なんだ今日は! 厄日か? 厄日なのか!? そりゃ、さすがに運勢最低のことだけあるよな。っつーか、あの占い何なんだよ。あたってんのか偶々なのかどっちだよ。そういや、やっぱり元希さん占い見てるんだな。
ばしゃばしゃ水溜まりをはね散らかして急ぎ足で駅に向かった。視線を感じて、あ、そういや水溜まり……、と足元を見ると、同じように制服着て傘さした元希さんが映ってて、笑って手を振っていた。
ああもう! アンラッキーアイテムが!