「おおぉー」

……と声をあげて数人がのぞき込むのは、所謂ところのエロ本、というヤツである。ただし、そこ此処に修正の入った、それなりに合法的な物ではあったが。
しかしそこは思春期真っ盛りの中学生である。雑誌のグラビアアイドルの水着にも興奮を覚えるのだから、さらに露出の激しいこの手の本を見たときの反応は、推して測るべし。

「おー、すげー」

ひとりが本を開き、それを数人で取り囲んで一緒に見ている、という状況。鼻の下が伸びる、とはよく言ったもので、後ろから伸び上がってのぞき込むようにしている少年の顔は、どうにもしまりのないものになっていた。
その人の輪が、徐々に位置を下げてゆく。初めは普通に立っている高さだったのが、徐々にしゃがむような体勢になる。それと同時に、上からのぞき込む者も増えてゆく。
前屈み。人の輪を作る少年達の頭に、嫌な言葉が思い浮かぶ。こんな集団では、うっかりもよおした際に、いったいどのようにして切り抜けたらよいのだろうか。エロ本って、集団で見るもんじゃないよなぁ。つくづく、そう思った。
人の輪の真ん中、未だ見開かれたままのそのページの、半分以上を占める肌色。少年達の、興奮の源であるそれは、悩ましげなポーズをとる女性が写っている。胸は、それなりに大きい。いやまあ、エロ本なのに胸が小さかったら、ちょっと特殊なジャンルの本に分類されそうで嫌なものがあるが。

「うわー……」

又ひとり、この集団に加わって感嘆の声をあげる者が増えた。今し方部屋に入ってきたばかりの少年は、猫みたいなつり目を大きくして、高い位置から本を見下ろしている。その後ろから、なにやってんですか、と呆れたような声がして、本を見ていた少年達は、咄嗟に本を閉じた。
入ってきたのは榛名元希と阿部隆也。
ここは、戸田北シニアの更衣室である。











時刻は、いい加減に夕方も終わりか、といった頃合いだった。窓から差し込む茜色は弱まり、蛍光灯を反射して、窓ガラスが鏡のように室内を映し出す。外は電灯がまばらで、夜の藍色が浸食してくるみたいに広がっている。

戸田北シニアは、本日の練習を終えてしばらく時間が経っていた。
一度に全員が入れるほどの広さはない更衣室で、普段は三年から順に着替えるのだが、来週の練習試合に向けてレギュラー&控え陣(つまり、ベンチ入りしているメンバー)のミーティングがあった為に、今日は例外的に一二年が先に着替えを済ましていた。意外と長引いてしまったミーティングを終え、ようやっと着替えに来た次第である。
そして、その中でも、投手の元希と捕手の隆也は、サインの確認だかリードに従ってくれと言う説教だかで、一際遅くまで残って話し合っていた。……というか、隆也が元希に詰め寄っていた。元希と隆也が更衣室に入ってきたときには、すでに殆どの者が更衣を終えており、前述の通り寄って集ってエロ本を見ていた、という次第である。

さて、二人の入室に慌てて本を閉じたのは、ファーストを守る少年である。この少年、声が大きく野次りが絶妙で、なんというか、チームのムードメーカーののような位置にあった。本を持ち込んだのはこの少年で、なんでも兄にもらったのだという。この辺り、男兄弟が居ると、こういう物に不自由しないでいいな、と思ったり思わなかったりであるが。
この少年が、「ちゃらりらりら〜♪」とオリーブの首飾りを口ずさみながら取り出したのがこの本だったのだが、見ている内に、時間が経つのを忘れてしまっていたらしい。気が付けば日は暮れ、遅まきながらバッテリーも更衣室に入ってきていた、という訳である。

「へー、けっこうでかいな」

元希は、既に閉じられた本の中身を思い出しながら、そう呟いた。ちらりと見ただけだが、なかなかに魅力的なプロポーションだったと記憶している。

「でかいって元希、誰と較べてだよ」

「オレのねーちゃん、貧乳でさぁ」

少年達の何人かが、うわっ、と顔を赤らめた。元希のお姉さんは、前々回の練習試合の時にチラリと見たのだが、元希と似た顔の、それよりちょっと雰囲気を柔らかくしたような美人だった。顔が思い浮かぶ女性のことを貧乳だなどと言われては、脳裡に浮かんでしまって仕様がない。

「どったの?」

「いや、べつに……」

あーヤバかった、と呟く少年に、元希が訝しげに訊ねた。姉がいればまだしも、男兄弟だったり妹だったりした場合、この年頃の少年はあまり女性の裸に縁がないものだ。ちなみに、母親は女性にカウントしない。確かに母にだって胸はあるが、アレはなんというか、子どもにとっては性別を超越しちゃっているのである。
いいなあ、美人の姉ちゃんがいて。何人かは、元希をそんな目で見ていた。
……と、奥から声がかけられる。

「はやく着替えないと、ここ閉められますよ」

更衣室内で唯一の年下の、隆也だった。我関せずとばかりに着替えの手を止めない。
みんな、ああ、おう、と返事をして、そそくさと本を仕舞って散らばった練習着などを集め出した。なんとなく、弟みたいに可愛がっている隆也なので、こういういかがわしいモノを見せたくない、という意識があるらしい。それに隆也も、まだまだ野球ばかりで、あまりこういう話には興味を示さないのだ。まだまだお子ちゃまだよなぁ、と微笑ましく思う。

(―――って、アレ?)

ふと、本を持ってきた少年が気が付いた。

「元希、なんでエロ本見たんだ?」

実は元希は、隆也のことが恋愛対象として好きなのである。これは、戸田北シニアのメンバーは、隆也本人を除いて全員が知っている、いわゆる「公然の秘密」だった。……というのも、あるとき元希が、みんなの前でそう宣言したからである。
言うまでもないが、隆也はれっきとした男だ。声変わりもまだだし、背も高くないし、くりくりした目が大きくて、あんまり男男していない。しかし、元希の凶悪豪速球を体を張って止めるような根性の持ち主でもある。つまるところ、隆也は男以外の何者でもなかった。
その隆也のことを、元希は好きなのだ、と言った。ライクではなくラブの意味で。なのに。

(隆也が好きなのに、女の裸は見たいのか?)

奥で着替えている隆也に聞こえないように、耳元で声を潜めて訊ねると、

(うん。つーか、それとこれとは別だろ)

……と元希が答えた。

(なあ元希、お前……)
「隆也、お家から電話だ」

突然、更衣室のドアが開いて、監督が顔を出した。そして、更衣の進んでいない室内を見て、さっさと着替えて帰りなさい、と言って顔を引っ込める。隆也は、首を捻りながらもはいと返事をして、カバンを置いたままで更衣室を出て行った。

「……で、元希。前も訊いたけど、隆也のこと、本気なんだよな?」

「きまってるだろ」

「でもエロ本とかには興味あんの?」

「うん。つーか、興味なかったらホモじゃん」

「いや、隆也が好きだって言ってる時点でホモだろお前」

えー、ちがうって。元希は顔を顰めて首を傾けて見せた。心底嫌そうな顔をしている。

「オレはタカヤが好きなんであって、男は好きじゃねーの。タカヤが特別なんだって」

「うーん、分かんなくもない……」

ファーストの彼は、考え込むよう曖昧な返事をした。

――つまり元希は、隆也が特別なのであって、決して男が好きな訳ではないのだ。だから、年頃のオトコノコらしく、女の裸に反応するし、ヤローの裸なんか見たくない、とも思っている。ただ、隆也のみは、なんというか性別を超えたところに位置づけされていたりする。
そうであるから、チームメイトが持ち込んだエロ本に興味も示すのだ。

そこまで考えて、ふと危険な考えが頭によぎった。元希は、フツーに女が好きだけど隆也は特別な訳で、んでもって隆也のことはラブの意味で好きな訳で。そうすると……

「えーっと、元希。お前、もしかして、隆也の裸で興奮したり……するのか?」

恐る恐る、といった様子で訊ねる。うわぁ、訊いちゃったよ、と、周囲からは勇気を讃える目で見られる。元希は、ちょっと考えてから、首を振って答えた。

「いや、だってタカヤ、まだオコサマじゃん」

笑いながら、胸おっきい女の方がコーフンするな、オレ巨乳好きだし。なんて言っている。
ホッとしたような、複雑なような気持ちで訊いてみた。

「じゃあ、隆也に対する好きって、ラブじゃなくてライクの好きじゃないのか?」

「ラブだけど」

元希は即答。知ってはいるのだけれど、何度聞いても、うわぁ、となってしまう戸田北メイツ。隆也が電話で出ているのが幸いだ。
しかし、隆也より女(巨乳)の方が興奮する、なんて言っているわりに、隆也に対してラブである、という事には即答するなんて、元希のことが理解できない。どんなんだそのへんは!?

「……あー、元希、いっこ質問」

「ん?」

それまで黙っていたショートでキャプテンの少年が、重い口調で訊ねた。

「美人で巨乳の女と隆也と、どっちか好きにしていいって言われたら、どっち選ぶ?」

「タカヤ」

うわぁ。
またしても即答の元希に、一同は揃って顔を顰めた。好きってのは偉大なことで、巨乳好きの元希に真っ平らの隆也を選ばせるほどに、隆也の重要度は高いらしい。つーか、元希にとっては、まず隆也ありき、なんだな。
うん、元希、お前の気持ちは本物だよ。愛の力って偉大だな。



ガチャ。

「鍵閉めるから早く出ろって………なにやってんすか?」

隆也が戻ってきた。知らぬは隆也ばかりなり、の隆也は、更衣室の微妙な雰囲気に首を傾げている。しかし、特に気にはせずに上がり込み、自分のカバンに練習着を詰め込んでいる。

「タカヤー、電話、なんだった?」

「なんか弟が熱出したとかで、病院に連れてくから、弁当でも買って晩飯済ませろって………あれ、鍵がない…」

隆也は、カバンの前ポケットを探り、ズボン、上着のポケットを探り、盛大に顔を顰めた。

「なに、鍵ないのか?」

「はい。なんか家に忘れてきたみたいで………どうしよう」

「オレんち来るか?」

「いいんすか?」

「いいって」

「んじゃ、お邪魔します」

ガチャガチャとカバンの金具を鳴らして、元希と隆也が更衣室を出て行く。お疲れ様でした、と折り目正しい隆也の声。ーっした、と半端に略された元希の声。

「なんだかなぁ……」

隆也お前、なにもわざわざ狼の巣に行かなくても、と思ったが、一応秘密なので、言うに言えぬ戸田北の面々。まあ、今んトコは元希もなんもしないだろうけど、将来的にはわかんないんだぜ、という忠告は、声にならずに消えていった。

「なあ」

「なんだよ」

「その本、隆也に見せた方が良かったんじゃないか?元希の毒牙にかかる前に、隆也に彼女を作らせる為にも」

「あー、なるほど。……どっちにしても、元希が隆也を逃がすとは思えないけどな」


「あぁ……」



窓の外から、「元希さん、オレ腹減った」という声が聞こえてきて、一同揃って重いため息をついてしまった。