「さかえぐちー」
阿部にしては珍しく間延びした調子で、なんか困ったような顔をして窓から教室をのぞき込んでるのをみて、あ、またきたな、って思った。
前の席の椅子を後ろ前に坐って弁当食べてた巣山が、あれ、阿部?って顔をしている。
阿部は普段、語尾まできっちりと発音して、その話し方はハキハキしていて、こんなふうに間延びした話し方なんてしないから、巣山がヘンに思ったのも分かる。だって、普段の阿部って、水谷の語尾を伸ばす話し方に対して「水谷、うぜぇ」の一言で切って捨ててるし。そのあと水谷がいくら「阿部ってばひどい!ね、花井もそー思うでしょー!?」なんて言ってるのも、「うっさい黙れ」の一言だし。
それでも阿部と水谷はわりと一緒に行動してること多いみたいだから、あの二人もわかんないなぁって思ったりもするんだけど、どんなもんなんだろう?
取り敢えず、あの阿部の毒舌にも構わずに一緒にいる水谷はMってことでよろしく。
……脱線してる場合じゃないか。
まあとにかく、普段はポルノグラフティの歌みたいにハキハキ話す阿部が、あんな風に間延びした声を出す時ってのは凄く限られてて、巣山は多分初めて聞いたからヘンな顔をしたんだろうけど、オレはその声を知ってるから、ああ、なんか困ったことあったんだなって、すぐにわかったんだ。
……で、窓から顔を出して動こうとしない阿部に、ちょっと待ってって身振りで示して、食べかけの弁当を置いて、急いで口の中の物を飲み込んだ。巣山に、ちょっとって断って、阿部の居る廊下へと出る。
阿部は多分、巣山には聞かれたくないんだろうから。
「飯食ってんのに、ごめんな」
「いいよ、大丈夫」
「えーと、あのな、悪いんだけど、今日…」
「泊まり?いいよ、帰りに直接来る?」
「うん。」
悪いな、ううん。手を振って、阿部はオレの肩越しに巣山にもちょっと手を挙げて、そして七組の方に戻っていった。
その背中が見えなくなるまで見守って、それでオレも席に戻る。
「阿部、なんかあったの?」
巣山が、これ聞いてもいいのかなぁって様子で聞いてきた。その辺の距離感って言うのかな、遠慮って言うか、そういうのが巣山はちゃんと出来てて、これが水谷とかだったらねーねーって聞いてくるんだろうな、巣山は大人だなぁって思ったんだけど。
「ああ、阿部ね。今日オレんちに泊まるって」
「へー。わりとよく泊まってるの?」
「んー、そんなに頻繁じゃないんだけど、家近いしね」
「阿部が泊まるって、意外なような、そうじゃ無いような……」
そんなに意外でもないと思うんだけど。ほら、阿部って、アレで外向きの礼儀とかはちゃんとしてるし、使った食器とかって自分で片づけるし、散らかした物も片づけてから帰るし。んで、わりと遠慮しすぎると逆に気を遣わせるって分かってんのかな、けっこう初めての場所でもくつろいでたりするんだよね。手がかからなくて気を遣わないでいい客っていうか。
まあ、オレんちはもう阿部も慣れてるし阿部に慣れてるし、別に阿部が来るからって掃除するとかないし、楽って言えば楽だよなぁ。
「……それ、オレが聞いても良かったのかなぁ」
「いいんじゃない。阿部はなんとなくきまりが悪かっただけで、別に知られたくないとかは思ってないよ」
「そんなもん?」
「そんなもん」
阿部はねぇ、なんていうか、トモダチの垣根は高いけど、いったんその中に入れちゃうと、なんでもゆるすからなぁ。オレなんて、アイツのチャリのナンバーロックから通帳の暗証番号まで知ってるよ。野球部のみんなだったら、機会があれば平然と教えたりすると思うんだけどなぁ。
あ、ちなみに、オレが阿部の通帳の暗証番号を知ってるのは、買い物してて金足りなかったときに阿部に貸してって言ったら、カード渡されて「****だから降ろしてこい」って言われたんだよね。阿部、防犯意識って知ってる?って聞いたら、栄口相手に防犯意識とか要らないだろって返されて、うわ、信用されてんだって。でもまあ、これが花井でも巣山でも、阿部は同じ事すると思うけどね。田島はどうかなぁ?アイツはなんかこう、弟みたいなポジションだから、カードとか大金とか持たせるのは良くないって思ってたりして。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お帰り。あ、阿部君、いらっしゃい」
そんなこんなで、練習が終わったあと直接阿部はオレんちに来て、でも既に姉ちゃんも慣れたもんで、タオルは脱衣所に出しておくからね、なんて言ってる。
なんか、馴染んでるなぁ。
ちなみに飯は、食って来ました。オレ、阿部と外で食べるの、わりと好き。阿部って、味音痴じゃないけど、食べれればいいって思ってるフシがあるし、それに家ではデータ読みながら食べてたりするみたいなんだよね。でも外で食べると、食べるか話すかしかないから、ちゃんと味わって食べるの。おいしいと顔にすぐ出るから、見てて気持ちいいし。
ちなみに阿部は、あっさりした和食が好き。焼き魚をあんなにキレイに食べる男子高校生って、そうは居ないと思うよ。洋食も嫌いじゃないけど、焼き肉はポン酢と大根おろしの方が好きとか、そーいう好みみたい。オレは、ハンバーグとかスパゲッティーとか洋食のが好きかも。ソースとかトマトとか。
まあ、ファミレスで食べるからあんまり問題ないんだけど、ね。
「阿部、寝る?」
「ん。…あ、明日何時に起きたらいい?」
「オレの目覚ましセットしとくよ」
「頼むな」
おやすみー、って言って、電気を消す。普段はマメ球を点けて寝るけど、阿部は真っ暗の方がイイって言ってたから、今日は全部消して。なんだろ、オレもマメだね。
でもまあ、普段は野球しか頭になくて、それで態度も声もでかい阿部が、しんどいことがあるとオレんちに泊まりに来るってのも、気分がいいっていうか。ほら、人慣れない孤高の野良猫が懐いてくれた、みたいな。まあ、こういう阿部が見れるのは、野球部んなかでも家が近いっていう特権だね。こーいうの、三橋にも見せてけば、もっとうまくやっていけると思うのに。
……あ、阿部ってばもう寝てる。寝付きいいなぁ。枕変わると、とかないのかな、ないだろうな。
オレも寝よ……。
……と思っていたら。
うん、なんていうか、誤算? そう、嬉しい誤算、っていうのかな。
とにかく、ちょっと予想外で、でもってそれが嫌じゃないんだけど、阿部がオレんちに泊まりに来るのって、オレんちが近いからだと思ってたんだけど、意外とそうじゃなかったみたいで。
大学に入って学校バラバラになって、オレも阿部も学生マンションで独り暮らししてんだけど、未だに阿部が泊まりに来るんだよね。阿部の所からオレの所までに、花井とか水谷とかの部屋もあるのに。確かこないだ終電逃した時には花井の部屋に転がり込んだらしいけど、そーいうの以外は、どうもオレの所に来てばかりらしい。
水谷が「えー、なにそれ、もしかしてラブラブ?」となんとか訳の分からないこと言ってたけど、まあそういうのでは無いにしても、近いからって理由で来てるんじゃないんだよね、こうなるとさすがに。
それはそれで、投手以外には泣きたくなるくらい公平な阿部が、お前らに秘密作るの気分悪いからってわりと何でも話す阿部が、わざわざオレんとこに来るのかって思うと、悪くないっていうか。うん。
ま、オレの部屋は今でも、マメ球消して寝る日が結構あるんですよって事ですよ。