殺してやる、と思った。
もし、そうなったならば、必ずオレが殺してやるんだ、と。絶対に、他の誰が許したとしても、このオレが許さない、と。










[ 予告殺人 ]










最近この人まるくなったよなぁ。
買い物から帰ってきたら、フローリングに敷いた毛足の長いラグの上に、元希さんが丸まっていた。
ちょうど南向きに切り取られた窓から差し込む光で、心地良く暖まっている。
体に巻き付けている抹茶色の布は、テレビの正面に置かれたソファーのカバーだろう。横着しないで、部屋から掛布を取ってくるか押入からタオルケットなりなんなりを出せばいいのに。
そう思うけど、こういういい加減さが元希さんで、だからこそ自分がいるのだ、と思うと、細かいことはどうでもいいように思えてくるから不思議だ。
ふと視線を転じると、ローテーブルの下にテレビのリモコンが転がっていた。ローテーブルは天板がガラスで出来ているので、床が透けて見える。そこに、無造作にひっくり返って転がっている。おそらく、ソファーのカバーを引っ剥がす時に引っかかって落ちたのだろう。気付かない訳はないのだから、モトの場所に戻すとかすればいいのに、と思う。まあ、何度注意してもすぐに忘れるのだろうけど。
呆れた目で見下ろした元希さんは、んー、とうなって、まるくなっていた体を仰向けに伸ばした。元々丸まっていても大きいこの人が、仰向けに手足を伸ばしたりしたら、ほんとスペースを取って仕様がない。長々と寝そべったら、抹茶色のカバーから手足がはみ出て、だから横着なんだ、とため息が出てしまった。
そもそも、なんで床で寝てるんだこの人は。ラグの上とはいえ板張りの床なのだ。そんな固いところで寝て、筋でも痛めたらどうするつもりなんだか。
お姫様みたく抱きかかえて、起こさないようにベッドへ運んでやるのが、おそらく一番優しい方法なのだろうが、あいにくと元希さんはプチマッチョなので結構重い。とてもじゃないが運べないので、選択肢は起こしてベッドへ行かせる、このまま寝かせておく、の2つにしぼられる。いや、もう一つ。そもそもこんな時間に寝ていたら不規則だから、起こす、というのも有りなのだけど。
……うん、起こそうか。
結局そう判断した。だって元希さん、夜起きてるとろくなコトがない。昼寝したせいで夜に目が冴えてたりしたら、この人張り切るに決まってるじゃないか。オレは明日の朝が早いし、それはちょっと御免被りたいからなぁ。
「元希さん、元希さん!」
仰向けだから髪の毛が横に流れてあらわになった額を、ぺしぺしと叩いてやる。んん、と唸って、嫌がるように横を向く大きなからだ。一緒に住むようになってからは毎朝オレが起こしてるんだけど、それまでこの人どうしてたんだろ? おばさんに起こしてもらってたとか。
「元希さん!」
今度は背中を向けるように横向きになったその肩にそっと手を掛けて揺すった。
元希さんは左肩を下にすることは絶対にない。横向きに寝ころぶときは、必ず右肩が下で、左肩が上。
だから、手を掛けたのは、左肩だ。
「…あと5分……」
大事な大事な左肩に触れても怒らないで、それどころか寝ぼけたままでそんなことを言う。昔は怖くてさわれなかったそれに、決して触れさそうとしなかったそれに、触れることを許されている。どうせこの人はそんなの意識してないだろうけど、それがどれだけ嬉しかったかなんて。
……恥ずかしいから、一生言ってやるものか、と思っているのだけれど。

5分ほど粘って、結局元希さんは起きた。ご飯食べないんですか、って言ってやったら、漫画みたいにパチリと目をあけたので、思わず大笑いしてしまった。悟空みたいだ。
やっぱり固い床で寝ていたせいで筋が固まったのか、首やら肩やらを回してゴキゴキならしている。シャツの襟ぐりからキレイに浮き上がった筋肉の線が撓むのが見えて、良い体だな、と思った。ホントは、改めて見なくてもそんなことは知っているけど、ふとしたときに再確認して、自分のコトみたいに誇らしくなるのだ。
飯は? もうすぐですよ。そんな他愛ない遣り取りもしっくり馴染んでいる。家事はオレがやる。料理も掃除も洗濯も。それで、アンタは野球に集中しててください。そう言ったのはもうずいぶん前のことで、それ以来、二人三脚とまでは言えないけど、オレはこの人の為に出来ることは全部やろうと決めたのだった。オレがあの腕を守るのだ、とも。

さしあたっては、料理だった。男の2人暮らしとは思えないほどに片づいていて、尚かつ使い込まれているキッチンは、オレの努力のたまものだ。システムキッチンとまではいかないけど、実は結構新しいタイプの設計で、普通の台所よりシンクの高さが高いので使いやすかった。高校に入ってあんまり伸びなかったオレだけど、それでも175センチはあるから、普通の高さだと前屈みになって腰がつらい。そんなトコまで考えてこの部屋を選んだ、とも思えないんだけどな、元希さんだし。
ただまあ、椅子に載らないと届かない高さの収納もある訳で、その辺はやたらとでかい元希さんが手伝ってくれたりも……
「届かねーんだったら、取ってやるけど」
――手伝ってくれたりもするんだけど、身長差が開いてしまったオレとしてはちょっと癪だったり。
「大丈夫、です。なんとか届きそう……」
爪先立って、上の収納の買い置きしてあった塩の袋に手を伸ばした。指先が引っかかって、ちょっとずつ塩の袋が前にせり出してくる。もうちょっと、もうちょっとで……
――ズル、ドサドサ!
あ、やっちまった。そう思ったときにはすでに後の祭りで、塩と一緒に収納内のいろんなものまで一緒に落ちてきてしまって、まあ軽いものばかりだから、よっぽど当たり所が悪いとかじゃない限りは怪我とかしないだろう、と目を閉じた。そしたら。
いつまで経っても覚悟した衝撃は訪れなくて、訝しんで目をあけたら、頭の上にあったのは元希さんの手だった。鍛えられた、左手。
「ちょ、アンタなにしてんですか! 腕! 腕、大丈夫ですか!?」
「ダイジョーブだって。軽かったし」
「なんでよりによって左手で!」
「いや、咄嗟に。つかお前、気をつけろよ」
何でもない、と左手を振って見せ、それよりオレは腹が減った、と笑った元希さんを見て、オレは有ることに気が付いてしまった。

この人は、その大切な左手で、オレを庇うのか、と。
いつも万難を排して守っているその左手で、オレを守ろうとするのか、と。
そんなこと、誰にもしないクセに、オレにはそうするのか。

……元希さんに、大切にされていることは知っていた。それはいとしいとかそういう感情で、オレが元希さんのことをそう思うように、この人もオレのことをそう思っていることを知っていた。
嬉しい、と思っていた。でも、本当は喜んではいけないことだったのだ。
大切な左腕で咄嗟にオレを庇うほどに、オレが大切だったなんて。
左腕に触れることを許されている、と喜んでいる場合ではなかった。
あの左腕を傷つけるものがあるとしたら、それはオレなんだ、と気が付いた。
あの人が大切に思ってくれるオレこそが、あの人の左腕を傷つける可能性がある。
あの腕が傷付くぐらいなら、いっそオレを切り捨ててくれればいい。そう思うのに、きっと元希さんがそれをやめないであろうことも分かってしまった。
そんなことって!




あの人の左腕を傷つける者は、絶対に許さない、と決めていた。その言葉は、自分自身に跳ね返って虚しく響いた。
もし、オレを庇ってあの腕が傷付くことがあったなら、オレはオレを許せない。
他の誰が許しても、このオレ自身が。

殺してやる、と誓った。