小柄な少年の立ちこぎする自転車の後ろに、至極満悦、といった表情で乗っかる、比較的に大柄な少年。
折しも路は緩やかに上り坂で、前カゴに荷物を積んで、おまけに後ろにお荷物までつんで、渾身の力でペダルを踏むその顔は、紅潮して額に汗が浮かんでいた。
「元希さん、重いっスよ!」
「がんばれタカヤ!」
いや、がんばれって言われても、と、ようやく登り切った坂の上で、額に浮いた汗を拭って、タカヤはわざとらしく大きなため息をついた。
いくらこの年頃にしては鍛えているとは言え、自分よりも大きな人間を後ろに乗せたままで坂を登るのはしんどい。
しかもここ最近暑くなったり寒くなったりの気温は、今日は暑い方だったらしくて、当社比1.5倍で汗をかいてしまった。
例えば後ろに乗っているこのお荷物がいなければ、隆也とてこれしきの坂でネをあげたりしない。
今度は緩やかに下り坂で、足も呼吸も休めながらグラウンドへ向かう最後のカーブを曲がった。
一塁側フェンス外、、ただ仕切の柵だけがある駐輪場まではあと少し。
出会った秋から冬を経て、春も盛りに、季節は日々夏に向かっていた。
そもそもは、甘やかしたのがいけなかったらしい。
すっかり2ケツで練習に行くのが決まりのようになってしまって、迎えに行かなかったら練習自体にこないのかもしれないと思うと、ついつい、毎回のように迎えに行ってしまうのだ。
実際には元希は野球第一の人だから、練習を休む事なんて無いだろう思うが。
「ったく、暖かくなったんだから、自分のチャリで行ってくださいよ…」
始まりは、冬の寒いなか、指がかじかんで、普段から宜しくないコントロールの元希が、よりいっそう暴投する率を高くしていたのを見かねて、冬の間だけ、と申し出た事だった。
ところが、元希はすっかり味をしめていたらしい。
オマエちっさすぎて風よけにならない、などと言いながらも、手袋をしたままの両手をポケットに突っ込んで、自分で漕がなくていい荷台に乗っかって、ときには、オマエお子様体温なのな、なんて言って人をカイロ代わりにして。
息を切らせている隆也を余所に、なにやら買い食いの肉まんを頬張っていたときには、さすがにカーブで振り落としてやろうかと思ったが、そのときには珍しい事に、後ろから伸びてきた手が隆也の口元に湯気を立てる肉まんを差し出して食べさせてくれたので、暴挙は思いとどまったのだったか。
そんなふうにして、元希は気まぐれのように、自分のものを分け与えてくれる事があった。
それは2ケツで帰るようになって知ったことで、そうするうちに、ちゃんと会話も成立するようになった。
最近は元希の球を捕れるようになってきたのと相まって、今ではそれなりに上手くやれているのだと思っている。
しかし、だ。
それはそうとしても、そろそろ2ケツは終わりにしたい。
隆也はそう思っている。
人の暖かさが心地よい季節なんて、とうに終わってしまって、これからはくっついているのが鬱陶しいぐらいに暑くなるのだから。
そもそも元希は、体が大きいく騒がしい分、なお暑苦しい気がする。
「元希さん、次からは自分のチャリで行ってくださいよ」
「えー、めんどい……」
「いや、そもそも冬の間だけって言ってたでしょ」
「そーだっけ?」
この男は、と隆也は顔を顰めた。
初めてあったときから、なんだこのオレサマ男は、と思っていたが、つき合いが長くなると、意外にもオレサマの方向性が違う事に気がついた。
どっちかって言うと、マウンドを降りた元希は、
(この人幾つだよ、子どもみてぇ……)
…と思うような、幼い顔を見せる。
甘やかされた子どもみたいな、そんな身勝手さだ。
「大体、これから暑くなるんだから、2ケツなんてしてたら暑苦しいですよ」
「あー、暑いのはイヤだなぁ」
でも、自分でチャリ漕ぐのも暑い気がする、と元希がイヤそうに言う。
オ レ は も っ と 暑 い ん だ よ !!――と思ったが、口に出すのはやめておいた。
その日の練習で、隆也は久しぶりに大きなケガをした。
いや、ケガとは少し違うかもしれないが、ここのところ上手い具合に捕れていた元希の球を、久しぶりにアゴの辺りに受けてしまったのだ。
それはチップだったので、不可抗力と言えばそうなのだが、当たり所が悪かったのかむち打ちみたいに首を反らせて、一瞬暗くなった視界に顔を顰めた。
意識はあるし、吐き気もしないが、さすがに痛い。
口の中を切ったみたいでくちびるの端から血をにじませながら、元希共々ベンチに下がることになった。
そのまま、帰るまでの安静を言い渡され、元希は手が空いていた内野手の一人とダウンをした。
木陰に寝ころんで、目を閉じていても、パシィッっとグラブが鳴る音で、それが元希の球だと聞き分けられる。
あと三十分ほどで、片付けも着替えも終わって帰ることになるのだけど、さてどうしよう。
寝とけって言われたけど、オレもう動いてもいいのかな。ロッカーが混む前に着替えたいんだけど。
そう思っていたら、
「タカヤ、帰るぞ」
そう言って、いつの間に来たのか、ロッカーに置いてあったはずのカバンを渡された。
「オレまだ着替えてないですよ」
「帰ってからにしろよ、そんなもん」
急いでるのかなんなのか、元希は妙に急かしてくる。
こう言うときに、2ケツって面倒だ。
そもそもアレは、オレのチャリですから。
「元希さん、待ってくださいよ!」
起きあがって、先を歩く背中を追いかけた。
と、振り向いた元希に、手を差し出される。
「? ……なんすか?」
ぎゅ、と。
意図が分からなかったので取り敢えず握ってみたら、元希はなにやらヘンな顔をして、力を入れて握りかえし、そのまま腕を引っぱられて引き寄せられた。
「バーカ、鍵出せって言ってんの!」
「へ?」
「今日はオレがオマエを乗せてやるっつーの」
けが人の運転で、オレごと転けられでもしたらイヤだからな。
そんなことを言っている元希は、そっぽを向いてはいるが、照れているのが一目で見て取れて、おかしいやら可愛らしいやらで、隆也は吹き出しそうになってしまった。
「ありがとうございます」
これ以上何か言うとへそを曲げそうだったから、それだけ言って鍵を渡した。
自分よりも大きな背中の後ろに乗ると、前が見えなくて、風もあたらなくて、すこしおかしな感じがした。
「タカヤー、坂道、けっこうキツイんだけど」
「そーですね、オレも毎回しんどかったですよ」
「こんなキツイと思わなかった。オマエ、毎回よくオレ乗せて来てたよなぁ」
「分かったなら感謝してくださいよ」
「サンキューな!」
「えっ、元希さんが素直に礼言うなんて、なんか悪いもん食べたんじゃないですか!?」
「ターカーヤー!!」
登り切った坂の上、今度は下りになった道を、蛇行しながら自転車は下っていった。
次の練習のとき、元希は自分の自転車に乗って来ていた。
2ケツで坂道、のキツさを実感して、感謝だか反省だかをしたらしい。
それでも、一緒に帰るのは変わらない。
2つの影が、坂道を上り、坂道を下っていった。