「………で、練習前にはちゃんとあったはずのボールが、ひとつ足りないんだ。
シートバッティングもしてないから、ボールって無くならないじゃん。ノックで後逸しても、それって覚えてて後で取りに行くんだし」

蝋燭代わりの懐中電灯の光の下で、誰かがごくりとつばを飲み込んだ。

「でも、誰も心当たりがないんだよ。なのに、ボールが減ってるんだ」

そこで一度言葉を切って、ぐるり、頭を付き合わせたチームメイトを見た。
隙間無く敷き詰められた布団にもぐり、頭だけつきだした状態で、懐中電灯に照らされて顔の陰影が怖い。

「聞いたところによると、軟式時代に無くなったボールを捜して、練習後も一人でグラウンドに残っていた部員が、何かの事件に巻き込まれて亡くなって、それから練習中にボールが無くなるようになったらしい」

「えー、オレそんな話聞いた事ないぞ」

「オレも」

なーんだ、作り話か、と何人かが息をついたとき、横から別の声があがった。

「でもさぁ、練習後にボールが足りなくなってるのは、ホントだよね」

「……………。」

心なしか体感温度が下がったような気がした。
おふざけで始めた怪談は、作り話だと思いたいのに、一部事実が含まれていたせいでひどく身に迫って感じた。







件の怪談のあと、練習中は集中している為に気にならないのだが、練習が終わって用具を片づける段になると、部内に妙な緊張が漂うようになった。
薄暗い夕と夜の間、10人しかいない部員とマネジは、慣れた手際の良さでそれぞれ分担して片付けや整備をしている。
ボールを拾っているのは、今日は水谷と泉だった。

「な、こないだの怪談さ、ホントかなぁ?」

「作り話に決まってんだろ」

「だといいんだけど……」

言いながらも、拾い集めたボールを、いつもボールを入れている黒いザックに収める。
フリーバッティングに使うマシン用のとは別のボールだから、痛みが激しくて変形している物はあまり無かった。
そして。

「……やっぱり、ボール、減ってない?」

慎重に球数を数えながらボールを片づけていたから気付いてしまった、このボールの少なさ。
減っている。確かに、減っている。

「えーと、えーと、」

「い、いや、気にすんなって! どっかに拾い忘れたボールがあるんだって!」

「だ、だよねー!」

そうは言ってみるものの、寒い空気は一向に暖まる気配もない。
不意に冷たい風が首元を嘗めて吹き抜けていったのを切っ掛けに、2人はボールバッグを手に、急いでチームメイトの方へと駆け寄っていった。



次の日も、やっぱりボールは減っていた。
数が減っていたので、新しいのを何球か卸してあったはずなのに、それがない。

「練習前には、確かにあったよな……?」

そう、確かにあったのだ。
しかし、練習後の現在、その新球はどこにも見当たらない。
原因が分からない。
ここまでくれば、作り話だと思ったあの怪談も、立派なホラーだった。

「な、どうするよ」

「どうって……」

「オレは幽霊なんて信じないから、やっぱりどこかで無くしてるんだと思う」

「つーか、ぜひともそうであって欲しいよな」

「練習中、ちょっと気を付けて見てたら分かるんじゃないかな」

しかし、他の事を考えていられるほど甘い練習でないのも事実だ。
なんてったって、モモカンだし。
彼女の組む練習メニューは、楽しいくせにしんどくて、体力精神力の限界を試されているような気がする。
よそ見してるヒマも余裕もねぇし。
まさしく心は一致団結だ。

「じゃあさ、しのーかに見ててもらったら?」

「それいい!」

と、洗い終えたコップを抱えて、篠岡が通りかかった。

「何のはなし?」

かくかくしかじか、と代表して花井が事情を説明する。

「うん、いいよ!」

頼もしい事に全く怖がっていない腹の据わった篠岡マネジは、まかせて、と言ってにこりと笑ったのだった。



更に次の日。
練習も佳境に入ろうかという頃、グラウンドでは10人の部員が、汗だくになって走り回っていた。
モモカンはノックが上手いので、捕れるか捕れないかぎりぎりの所に打ってくれる。
そのへんはまあ、ありがたいと言えばありがたいのだ。上達もするし。
が、そのしんどさといったら、他のノッカーの比ではない。
本日のボール見張り番は篠岡マネジに頼んである為か、はたまた覚えていても気にかける余裕がないのか、みんな必死にボールを追っている。

「給水休憩、5分間!」

モモカンの声が響いて、もう駆け寄る元気もないのか、へろへろとみんなベンチの方へ歩いてくる。
蜂蜜とレモンを溶いたドリンクを受け取って、思い思いに座り込んで水分を補給する。
……と、そのとき、篠岡は視界の端に気になる光景を捉えた。
三橋が、なにやら白くて新しいボールを手の上で転がしている。

(あれ、今日卸した新球じゃないかなぁ)

「しのーか、お代わりある?」

「あ、うん。ちょっとまってね!」

名前を呼ばれて、三橋に向けた注意は逸れて、視線を戻した時には彼はすでにボールを持ってなかったのだけど。

(三橋くん、なんでボール持ってたんだろ…?)



練習後にボールを片づけたのは、今日は西広と花井だった。
何となく、内野は先にベースを持ってベンチにあがって、すぐにトンボを持って整備を始めるのが暗黙の流れのようになっている。
とりわけボールの善し悪し状態にうるさい阿部は、三橋のダウンに付き合ってフェンス横にいた。

「な、やっぱり新球無くなってんだけど……」

今日も、卸したばかりの新球が無い。
ボール代だってバカにならないのだ。
この際、犯人はお化けでも何でもいいから、ボールを返して欲しい。
もしくは、弁償して欲しい。

「しのーか、なんか気付いたことない?」

「えーとね、最後の給水休憩の時に三橋くんが新球持ってたのをみかけたんだけど……」

「三橋?なんで三橋?」

「さあ…。おかわり入れて振り向いたら、もう持ってなかったよ」

ちなみに三橋は、いつものようにビクビクオドオド、しかし嬉しそうに阿部にボールを投げていた。
たとえダウンであろうと、嬉しいものは嬉しいらしい。

「みはしー、あのさぁ、今日卸した新球知らない?」

そう尋ねると、う、だの あ、だのと、例によってどもりだした。
明らかに挙動不審なのだが、普段からそんな様子なので、知っているのか知らないのか分からない。
隣で阿部が、どもったままで一向に話の進まないのにイライラしている。
……と、阿部が急に目を大きく見開いた。
元々垂れた大きな目の彼がそんな表情をすると、普段の小憎たらしい様子も影を潜めて、ひどく幼く見える。
しかし、一瞬の後に、眉間にしわを寄せて、きゅっと眉尻を跳ね上げて、

「三橋、カバン見せてみろ」

そう言った。
え、う、とどもるのに、はやく!と急かす阿部。
むしろ自分で言った方がはやいと、ベンチに駆け寄って、三橋のカバン(といっても、部室からグラウンドまでグラブやタオルを入れてくる袋だが)をガバッと勢いよく開いた。


「…………」

そこには―――
出るわ出るわ、今まで無くなったボールたちが詰め込まれていて、事情動機は分からないなりに、あるひとつの事実を確実な真実として知らしめていた。
すなわち、ボール紛失事件(第一の容疑者、軟式時代の幽霊)の真犯人は、この三橋であるという事を。

「みーはーしー?」

ズゴゴゴゴ…、となにやら背後に炎でも立ち上らせているような様子で、花井がゆっくりと名前を呼んだ。
1歩近付いた分、三橋は2歩後ずさる。

「えっ、う、あ…、あの……ッ」

いつもは庇ってくれる栄口も、今回の怪談には多少ビビらされていた為に擁護に回ってくれない。
あの、あのっ、と必死の形相の三橋。
三橋後の通訳と言えば田島(様)だが、今度ばかりは要点を得ないらしい。

「ボールがどうしたって?」

「滑ら、なくって……!」

ボールが滑らない。
なるほど、確かに新球だから、くたびれてツルッツル、ということは無いだろう。
しかし、滑らなければなんなのか。
そこで、おもむろに、唐突に、阿部が口を開いた。

「つまり、新球で滑らなくて良いボールだから、投球練習用に確保しとこうと思ったんだな?」

「う、うんっ」

「それが毎回続いて、ボールが溜まったんだな?」

「う、ん」

阿部が、はぁ、と息をついた。
投げることにこだわりのある投手らしいというか、投げることに貪欲すぎて周りが見えていないというか……。

「ったく、お前は光り物を巣に集めるカラスかよ」

ほら、とボールの入った三橋のカバンを差し出して、

「いくらなんでも取りすぎだろ。いい球3つ選んだら、後のは返しとけよ」

「うん」

「その3つは、1番滑らなくて投げやすいいい球を選んでいいからな」

「うんっ!」


良い球は投手優先、と、投手大事の阿部捕手は軽く笑った。
三橋はそれを見てひどく嬉しそうだったが、釈然としないのは他のチームメイトたちだ。

「や、投手優先ってのは分かるんだけど……」

「なんつーか、オレらの心配を返して欲しい……」



怪談の結末は意外と平和で、一遍に力の抜けた西浦ナインだった。