土俵際の攻防、ではないが、それに似たものが行われているのは、なんの変哲もない一戸建ての二階の、ある一室だった。
部屋の主は阿部隆也といって、驚くほどに野球が好きな事を除けば、まあ普通の高校生だと、本人は思っていた。
まあ、それはいい。
しかし彼は、今日日の男子高校生にしては、少々世話好きに過ぎた。
シニアチームで組んでいる投手に、素晴らしい球に傾倒して、そして野球以外はてんで駄目なその投手の世話を何くれと焼いていた。
そしたら、だ。
我が儘で傲慢なくせに、どこか大型犬めいていて憎めないその投手が、驚くほどに隆也に懐いたのだ。
隆也自身は、それを、ちょっとはバッテリーらしくなってきたか? と喜んでいたのだが、第三者の目から見ると、どうも違ったらしい。
おま、それ、懐かれてるって言うか、食べられそうだぞ。
気を付けろよー、と。
そんな風にシニアの先輩方からは忠告を受けたのだったが、そのとき隆也は、そんなバカな、と笑い飛ばしていた。
それが、一月ほど前の話だった。
で、現状はというと、だ。
阿部家は隆也の自室、二階の西側に面するその部屋で、今まさに決死の攻防が展開されていた。
男子高校生の部屋にしては片づいているその部屋の、窓際に鎮座ましますベッド、の上で、隆也は必至で両腕を突っ張っているところで。
なぜ両腕を突っ張っているのかというと、それはすなわち、上に重たいモノがのっかってっているからであって、そしてその重たいモノとは、彼の傾倒する大型犬ピッチャー、榛名元希に他ならなかった。
「も、元希さん…、重いんですけど、どいてもらえませんか…っ!」
「どくワケねーだろ」
ぐぎぎぎぎ……! と、押し合う隆也と元希。
最近は互いの部屋に出入りするのも珍しくないほどになって、互いに部活はやっていない為に、シニアの練習がない日には、なにかと一緒にいる気がする。
でもって本日は、隆也が帰宅すると、おっせーよ、とすでに門前に元希が立っていて、アンタなんでこんなトコにいるんすか、そこオレんちですよ、と言いつつもまあ、仕方がないなぁ、と部屋にあげたのだった。
そのあと、飲みのもを持って部屋へあがって、野球の話もするし、他愛のない学校の話もする、いつもと同じ時間が流れていたのだが。
それまで勝手にベッドを占領して長々と寝そべっていた元希がトイレに立ったスキに、自分のベッドを取り戻して寝ころんだ隆也は、どういうワケか戻ってきた元希にのし掛かられている、という状況である。
ベッドを取り替えされたのが気にくわないのかと、オレ、どきますから、と言ってみても、元希は首を振るばかりで、いっこうにラチがあかない。
そのまませめぎ合う事数分、元々体格差のある2人で、しかも元希の方が上にいるのなら、どうしたって隆也は不利である。
少しずつ、少しずつだが、のし掛かった元希が隆也に近づいてくる。
「だいったい! なんだってオレはアンタに乗っかかられてんですか!?」
「さあ、なんでだろーな?」
ぐぐぐ、と重みに負けて、元希が近くなる。
それでも踏ん張って、痺れだした両腕で何とか元希を押し返そうとしていたら、そのままの体勢で首だけ伸ばした元希が、ぺろり、と隆也の額を舐めて。
「え…、うわ!?」
動転した拍子に、くたっと腕を折ってしまい、本格的に元希に覆い被さられてしまった隆也は、
「ちょ、なにすんですか!?」
乗っかられて、他人の体温が暖かいなか、動揺、混乱、その他いろんなモノが一挙に飛来して、どうしようもなくパニックに陥って、赤くなったり青くなったり、リトマス試験紙みたいな顔色の隆也。
元希は体重を余所に逃がすでもなく全力でのし掛かってくるし、彼の行動は意味不明だし、なんだか息は苦しいし。
くたりと力の抜けた腕でもって、もう一度元希を押し返そうとするのだけれど、どうにも上手くいかなくて、なんだか悪あがきみたいで気持ちが悪い。
「元希さん、もときさん!」
んー? と、隆也の頭上に、ひどく機嫌のよろしい元希の顔。
鼻がくっつきそうなくらいに至近距離からのぞき込まれて、あ、ヤバイ、と思った瞬間に、もう一度、今度はホッペタをぺろりと嘗められて。
今度こそ再起不能なくらいに力の抜けてしまった腕をお手上げみたく放り出して、隆也はゆっくりと目を閉じた。
ところで。
(結局元希さん、なんでこんなコトしてんのか言ってくれてないんだけど………)
のし掛かられたままで、首筋に鼻先をうめた元希の、暖かい息を感じながら、この人の行動がワケ分からないのはいつもの事だ、とため息をついた。