「っス!」


油を差していないのか、キッと少し音を立てて、自転車が止まった。
荷台から飛び降りる、元希。
自転車を駐輪場に停める隆也。

それは、ここのところ定番となった光景だった。











練習後の更衣室は少々手狭だし、男ばかりで正直むさ苦しい感も否めないが、中学生のオトコノコともなれば、それなりに弾む会話もあるわけで、したがって更衣室内は、うるさいとまでは言わずとも、なかなかに賑やかな雰囲気が流れていた。
通常なら、着替え終わった者からどんどん外へ出ていくのだが、今日のように寒い日は、みんな屋外へ出たがらない。
なんせ、今まで、寒風吹き荒ぶグラウンドにいたのだ。
体を動かしていたから暖かい、と言っても、露出している顔や手は、痛いほどに冷えている。
息を吹きかけたくらいじゃ暖まらない指先で、着替え終わったからといって外に出ていろと言うのは、あまりにも酷すぎるというものだ。
おかげで、普段からスペースの足りていない更衣室内は、今は芋の子を洗うような様相を呈していた。
アンダーを脱ごうと肘をあげると、隣の人の顎に入ってしまって、イテッ、だの、ゴメン! だのという言葉が飛び交っている。

そんな中、ドアから1番遠い、奥のロッカーに陣取った、大きいのと小さいのが、それぞれロッカーの方を向いて着替えていた。


「元希さん、いつもひどいコントロールが、今日はいっそう荒れてましたね」

「んだと、コラ!」

あまりにもはっきりと、ミもフタもないほどにキッパリと言い切ったちっさいほうは、阿部隆也と言って、一年生の捕手である。
ガラもよろしくなく凄んだ返事で、無駄に周りを怖がらせている大きい方は、榛名元希と言って、二年生の投手である。
この二人、現在互いの胸ぐらをつかみ合っているが、こんなでもバッテリーだったりする。
だからといって仲が悪いのかというと、実はそうでもない。

「だ・れ・の・コントロールが最悪だって?」

「そりゃもちろん、元希さんの……」

「てめ、もちょっとオブラートに包んだ言い方とか出来ねぇのかよ!?」

互いの胸ぐらをつかみ合っているバッテリーだが、十センチほどの身長差のためか、隆也が一方的に吊し上げられているように見えなくもない。
が、実際には口げんかは隆也の方が優勢なので、状況は互角、と言ったところだろうか。
そして、この二人の争いに割ってはいると、最終的にバカを見る、というのは暗黙の了解のことなので、止めに入ろうとはしないチームメイト達。
なんで止めないんだ、と聞かれたら、すかさず、あいつらアレで実は仲イイから、っと返されてしまう。
ほら、今も……


「指がかじかんで、上手くボール握れねぇんだよ!」

「指?……うわ、ホントに冷たいですね」

「だろー。オレ、末端冷え性なん」

いつの間にか、つかみ合っていた手を放して、今は元希の左手を、隆也の左手が握りしめている。
まるで、体温を分けるかのようにぎゅうっと握って、そうしてそのままで言葉を繋いでいく。

「なかなか暖まらないですね……」

「だろー?すっげ大変なのな。でもって……」

そこで一度、言葉を切って、クイッと顎で外を指して、

「今日みたいに寒い時の自転車って、手袋してても指が冷えるからイヤなんだ」

そう言った元希の顔は、本当に、心底イヤそうだった。


(そっか……、ノーコンなんて、悪いこと言ったな……。いや、実際、普段からノーコンなんだけど)

隆也は、本日の痣(三種:直撃・縫い目つき、掠った・火傷つき、跳ねた・突き指つき)をさすりながら、少しだけ、元希に悪いことをしたか、と反省した。
いくら何様オレ様元希サマでも、投手なのだから、どこかしら繊細な部分もあるだろう。あんまりノーコンノーコンと言っては、悪かったか。
しかし、彼は実際にノーコンなので致し方ない。
ここは、もっとこう、オブラートに包んだ言い方を考えるべきか……

そんなことを考えている内に、元希は着替えが終わったらしい。


「お疲れっしたー!」


そう言って、スパイクやらグラブやらを乱雑に突っ込んだために、少々いびつな形にふくらんでいるカバンを肩にかけ、人波をかき分けてドアの方へ歩いていった。
手には厚手の手袋をしているが、あの手の冷たさだ、自転車に乗ったら、また氷のように冷えてしまうのだろう。
隆也は、急いで脱いだ練習着をカバンに詰めて、人をかき分けるようにしてドアまで移動した。


「お疲れさまでした!」


おー、お疲れー、と返してくる声を背に、室内とはうってかわって冷たい空気の、夕暮れの中を走った。
一塁側のフェンスの向こうにある駐輪場で、先に出た元希に追いついた。


「元希さん!」


手袋・コートにマフラーぐるぐるの、普段より着ぶくれしたシルエットが振り向いた。


「隆也?」

「今度から、次の練習から…!」

自分はいったい何を言おうとしているのか。
こんなことまでする必要あるのか、とか、はずかしい、とか、そんないろいろで混乱して、訳が分からなくなっている。
隆也は、言葉を詰まらせて、一度下を向いた。

「次から、なんだよ?」

顔を上げた。

「次から、オレのチャリの後ろに乗って行きますか?」

「へ?」

「だから、2ケツしたら、荷台に座るだけのアンタは、手、ポケットに突っ込んだらいいから、指冷えないでしょ」

ちょっとつっかえながら言い切って、気まずそうに横を向いた隆也の、赤くなったホッペタを、呆然と眺めて、ぽかんとした間抜け面をさらしていた元希は、しばらくしてはじけるように笑い出した。

「あっはっは! タカヤお前、顔真っ赤!」

グシャグシャと、元希の手が隆也の髪の毛をかき混ぜた。
大きな、爪の整えられた、投手の手。
その左手は、やはり冷たかったけれど、妙にくすぐったい。

「そっか、乗せてくれんのか。じゃ、今度からよろしくな!」

赤い顔を隠すようにそっぽを向いた隆也は、冬の間だけですよ、と言った。
大きいのと小さいの、二つの影が、並んで駐輪場から出て行った。

















.................


冬の話。
「よっしゃあっ」の前後、隆也が元希の球捕れるようになった辺りの話です。
冬の間2ケツして、コンビニ寄れだの、鯛焼き食いたいだのと元希と寄り道する隆也。
春になって2ケツはやめても、一緒に帰るのは習慣になっていたり。