そーいや、バレンタインって、何した人だっけ?

そんな疑問を誰かがポツリと言ったことで、男だらけのムサい更衣室の中は、間近に迫ったバレンタインの話題一色になった。
去年幾つもらった? オレ六つ! オレのが多い! オ・オレ、ひとつ…… なんて、オトコノコの会話に花が咲く。
誰が1番もらったんだ、ってレースの、一番手は花井か田島か、水谷も強敵だ、と盛り上がる中、一人とてつもなく暗い男がいた。
阿部だ。
1番端のロッカーを好んで使っている阿部は、話に入ってこない以前に、とんでもなく暗い、この世の不幸を一身に背負ったみたいな顔をしていた。

「なーに、阿部くんたら、もしかしてもらったことないのー?」

水谷が、そう言って茶化すのも躊躇うくらいに、それは底なしに暗い顔だった。
ちなみに、栄口のリークによると、不言実行と有言実行を兼ね備えた男・阿部隆也は、中学でそれなりにもてたらしい。
あんまり気安い男ではないので、義理チョコをもらったりはしなかったみたいだが。

(あー、なるほど。確かに、阿部にチョコあげる子って、本命ぽいよね)
(うん、すごい思い詰めた顔で渡してるの見たことあるよ)
(阿部って冗談通じなさそうだしね)
(で、なんで阿部はあんな悲愴な顔してんの?)

周囲が声を掛けるのも躊躇ってしまうような表情の阿部。
彼の頭の中では、過去の最低のバレンタインの記憶が再生されていた。












......














その日は、バレンタインデーというヤツで、見た目だけはよろしい為におモテになる榛名元希さん目当ての女の子が、フェンスの向こうに何人かいて、それで他の先輩達が、くっそー、なんでモトキばっかり……と、唸っていたのだが。
元希が怖いので、隆也に言付けを頼む女の子もいる、という事態に辟易しながらも、彼自身はこのイベントにイマイチ関心を持てないために、割と飄々としてトンボ片手にグラウンドを歩いていた。
わりーと淡泊なタチの、言ってしまえば今は野球が1番、の隆也は、そんなだから、クラスの比較的可愛く、しかも本命ぽい女の子のチョコもスルーしてシニアの練習に来てしまったのだが、元希がなんだかモテているのを見ると、女の子達に老婆心から言ってやりたくなってしまう。
その人は、顔はいいかも知れないけど、中身は我が儘でオレ様で、てんで子供の、手に負えない男なんだぞ、と。
更に言うなら、恐らく元希も野球第一の人間なので、チョコをもらって悪い気はしなくとも、告白されても付き合ったりはしないんじゃないだろうか。
いや、仮に付き合ったとしても、絶対に長続きしないタイプだから。
そんな失礼で本質を突いた事を考えながら、整備を終えて、またまたトンボ片手に歩いていく隆也。
冬の空はもうすっかり夜色で、更衣室の灯りがひどく暖かく見える。
シニアは部活みたく上下関係は厳しくないけれど、何となく学年順に着替えるのがお約束で。
先に着替える二年を待って、一年がその辺りでたむろっているのを見ながら、スパイクをぬいで、スタッドの間に詰まった土をはたき落とし、っつれーしまーす、とドアを開けて、彼は更衣室の中に入っていった。
隆也は元希と組んでいるためか、どちらかというとその立ち位置は二年寄りだった。
練習が、そっち側に組み込まれてしまっているせいで、と言うのもあるし、元希の相手をしているということで、一目置かれていると言うのもある。
しかし、先輩ばかりの更衣室に混じって着替える理由の大きな所は、何故か元希と一緒に帰るので、他の一年と一緒に着替えていると、待たされた元希が怒りだすからだった。
それなら先に帰れよ、と思わないでもない隆也だったが、猛獣・榛名元希を世に解き放つことに危機感を覚えた先輩と同級と監督・コーチが、是非とも一緒に帰ってください、と隆也を更衣室に放り込んだので、それ以来彼は、整備が終わった後、遠慮せずに更衣室を使わせてもらうことにしていた。

さて、その、先輩だらけの更衣室の中は、やっぱりというか、バレンタインの話題一色だった。
学校でもらってきたのか、カバンからラッピングの端っこを覗かせている者もいる。
すでに元希が帰り支度を終えているので、隆也も着替える手を速めた。
待たせるとうるさいこの我が儘な投手も、制カバンから赤い箱を覗かせている。

(学校でもらったんかな)

そう思ったが、やはり、送り主の女の子に同情しただけで、その箱のことも次の瞬間には忘れていた。
それよりも、帰りに待ちかまえている元希目当ての女の子の方が重大な問題だ。
なぜなら、

(チョコが増えた分だけ、オレが荷物持たされるんだし)

重い荷物を持つのが極端に嫌いな元希のことだ。
被害が隆也に降りかかることは、火を見るより明らかな事実だった。

だから、出来るだけさっさと、しかも目立たないように帰りたい隆也だったが、元希に関わって、そう穏やかにコトが進むわけがない。
そのジンクスは、隆也にとっては予想外の、そして悪夢といって差し支えない形で実現してしまった。


「終わりましたよ、元希さん」

帰り支度を終えて、カバンを肩に、くりっと振り向いた隆也は、ベンチに、およそ中学生とは思えないほどにえらそうな座り方をしている元希に向かってそう言った。
元希の足下のカバンがいびつな形にふくらんでいる。
いつも通り、脱いだ練習着を適当に突っ込んでいるからだろう。
そして、いつも通りなら、ここで元希は、"おっせーよ!"なんて言いながら立ち上がって、それで二人して帰途につくのが普通だ。
だが、この日。
2月14日、この、キリスト教の聖人(実在したかは不確からしい)の記念日は、およそ誰もが予想しなかった、驚くべきコトが起きてしまった。

隆也の声に、立ち上がって帰るかと思われた元希が、カバンから取り出した赤い箱(どう見てもチョコだ)を、隆也に差し出したのだ。
だが、この時点では、更衣室にいた誰もが、事態を正しく把握してはいなかった。

(おい、元希のヤツ、もらったチョコまで隆也に持たせる気かよ)
(くっそー、ちょっともてるからって……!)
(隆也も可哀想に)

先輩達は、そう囁きあっていた。
一方隆也は、

(チョコなんて大して重くもないんだし、自分で持てばいいのに)

と思っていた。
概ね、この元希感は間違ってはいなかった。
普段の元希の言動と、比較的甘やかしがちな隆也とのやりとりを見ていたら、誰でもそう思うのが普通だ。
しかし、この日の元希は、その予想を軽くぶっちぎったのだ。

「やるっつってんだよ!」

そう言って、グイッと隆也に箱を押しつける元希。
高速回転する年下捕手の頭の中では、

(あれ、元希さんて甘いの嫌いだっけ?いやいや、この人、けっこうお子様味覚……。じゃあ、箱がアレなだけで、中身はチョコじゃないとか?いや、それにしたって、この人からなんかくれるとか有り得ない)

このように、何とかしてこの事態に対する説明を見つけようとしていた。
ちなみに、この時点で、更衣室内は凍り付いていた。

なかなか受け取らない隆也に、とうとうしびれを切らしてた元希は、こんな時でも見惚れるくらいにきれいなフォームでもって、その箱を投げつけるという暴挙に出た。

バチィィッ!

軽そうな箱のくせに、それでも痛そうな音が響いたのは、さすがはエースと言ったところか。
投げる元希も元希なら、振りかぶった投手を前にした瞬間、一瞬で捕手の顔にかわって、しっかり受け止めてしまう隆也も隆也だったが、そういう乱暴な手段であるにせよ、その赤い箱は、元希から隆也の手に渡ったのだった。
そして。

「さっさと受け取れっての。それ買うの、どんだけ恥ずかしかったと思ってんだよ!」

…………。

………………………………。

……えーと、あの、ですね。
こちらにいらっしゃる榛名元希さんは、今、このチョコは自分が買ったと、そうおっしゃいましたか……?

確認を取りたいのだが、口が動かない、という、恐怖のプチ金縛り。
原因は霊とかじゃなくて、目の前の男。
そんな、人災によって突然異空間になってしまった更衣室。
どれくらい経っただろうか。

「コレ、オレにですか……?」

元希さんから……?と、やっとの事でそう聞いた隆也に、うん、と頷いてみせる元希。
その瞬間、

「ええぇぇ!?ちょっ、ま、マジ!?」

響く叫び声。
やっと金縛りが解けたのか、飛び出そうなくらいに目を見開いて、でもって元希と隆也を指さして、

「お前等、いくら投手と捕手は夫婦に喩えられるからって!」
「隆也、道踏み外したらダメだぞ!」
「いやでも、元希の相手につき合えるのなんか、きっと隆也だけだぜ」
「そりゃそうだけど……」

みんな口々に叫ぶ。
その声に、外にいた一年も更衣室に顔を突っ込んで、でもって中の状況を見て、これまた同じく絶叫が。
別にフツー通りの元希と、完全に真っ白な顔のままで固まった隆也を取り囲んで、あーだこーだと叫び合う不思議空間は、最終的に、テンションがおかしくなった戸田北メンバーが、、元希と隆也を全員で祝福しているところで、カギ当番のコーチに踏み込まれて幕引きと相成った。
そして、そのおかしなテンションを引きずったままだったので、未だに真っ白の隆也が、元希に引きずられて帰っていった時にも、盛大な拍手が巻き起こり……

「まさか、元希と隆也がなぁ……」
とか、
「幸せになれよ……」
とか、涙を指先で拭いつつ、花道をつくって見送る、どこか見当はずれな光景が見られた。















後日、道で元希の姉とばったり出会った隆也は、弟とよく似た顔の彼女に、

「隆也、元希からちゃんとチョコもらった?元希ってば、普段あれだけ隆也に世話になってんだから、チョコくらいあげなさいよ、っていっておいたんだけど」

と言われて、先日の恐怖体験の元ネタが分かって、ホッと胸をなで下ろした。
そーだよな、元希さんがオレにチョコくれるとか、明らかにおかしいもんな、と、やっと腑に落ちた隆也は、あれ、でも、この場合、オレはホワイトデーにはなんか返すべきなのか、という新たな疑問にぶつかってしまったという。
しかし、それにしても、姉に言われたからといって、本当にチョコをくれる元希はいったいどうなのか。
それ以前に、なんだかとてつもない誤解をしているらしいチームメイトを、どうしたらいいのか。
疑問が氷解しても、厄介な悩み事ばかりの隆也は、ホワイトデーには藁人形でもくれてやる!と拳を握りしめたという。
















.......














さて、話は現在に戻る。
一通り記憶を再生し終わって、はぁー、と重たいため息をついた阿部は、ふと自分に集中するにしうらーぜの視線に気がついて顔を上げた。
阿部、大丈夫?
みんな、そんな表情で阿部を窺っている。
よっぽどひどい顔をしていたのか。

「いや、大丈夫……」

阿部はそう答えはしたが、やっぱり憂鬱そうな顔をしている。

間近に迫ったバレンタインデー。
最初に、律儀にも藁人形じゃなくて、ちゃんとしたモノをホワイトデーに返してしまったのに味をしめたのか。
それ以来2月14日は、榛名に、チョコレートを渾身のストレート(きれいにバックスピンしている)で投げつけられる日になってしまっていた。
ちなみに、2年目からは、どこで見つけてきたのか、野球ボール形のチョコレートだったと言うことを付け足しておく。



























.................

シニアでは誤解されたままですが、このハルアベはできてません。
チョコをあげて三倍返しのエビ鯛を狙うという、ちょっと知能指数の高い榛名サンですが、その結果誤解がつきまとう、と言うところまでは頭が回らない、ということで。