電化製品だって、日頃人間に酷使されていたら嫌気がさすのか、たまーに反乱を起こすことがある。
ただ、真冬に暖房がストライキ起こすなんてのは、勘弁して欲しい。
だって命に関わるし。
……そんなよく分からない説明とともに、榛名元希は、阿部家の玄関先にいた。
突然運転を停止した暖房器具に、家中が冷凍庫の中みたいになり、耐えきれなくなって余所様のお家に避難してきたわけだ。
ここで、阿部家長男、阿部隆也としては、一言いいたい。
(なんでオレんちなんだよ)
と。
そもそも、榛名と阿部は中学が違う。
つまり、校区が違うということは、家もそんなに近くないわけである。
チャリなら比較的すぐに着く距離だけれど、それにしたって、阿部家にくるまでの間に、同中の友人の家くらいあるだろう。
出来れば、そっちに行ってください、というのが阿部の心中だった。
ちなみに、榛名家からの距離は、阿部家よりも秋丸家の方が近いのだが、どういう思考の過程を経たのか、本日の押し掛け先は、めでたく(もなく)阿部家に決定されたのだった。
榛名元希という人はジャイアニズムを地でいく人間なので、この決定に当の阿部の都合は考慮されていない。
「さみー、早く中入れろー!」
玄関先で、ドアを開けてしまったことと、開ける前に誰か確認しなかった事を後悔している阿部に、横暴にも"寒い、中入れろ"を連呼する榛名。
(ああもう、オレのバカヤロ、なんで開けちゃったんだよ。っつーか、ウチに画面・音声付きのインターホンがないからこんな事になるんだよ。大体今時、音が鳴るだけのチャイムってなに?この人だって分かってたら開けなかったのに。って、それ以前に、なんでこんな時間にっつーか、そもそもなんでオレんちにくんの。あー、どーやって追い返そう、人の話きかねぇからなー)
玄関の段差のせいで、ちょっと縮まったように見える身長差。
寒い寒いといいながら、コートとグルグル巻にしたマフラーの中で身を竦めている。
確かに寒い。
雲がないから雪は降ってはいないけど、その分、昼間に暖められた空気が、遮るもの無く空に逃げていく。
放射冷却、っていうんだっけ?
そんな、どうでも良いことばかりが頭の中をよぎる。
本当は。
言ってやりたいことは色々あった。
例えば、こんな時間に押し掛けて来るなんて、とか。
例えば、予め連絡するとか、都合聞くとかしろよ、とか。
オレは、アンタを許してなんかいないんだ、とか。
でも。
暖房が壊れたんだと言って、夜中に押し掛けてきた、どうしようもない榛名をみて、
(肩、冷えちまうな…)
そう思ってしまった時点で、阿部は負けていた。
結局、榛名はその日、阿部家に泊まることになった。
"なんか飲みますか?"
そんな問いは、今更必要なかった。
正の数を割り込んだ気温の中にいた榛名は、まだ寒いのか、こまかく震えている。
大事な指先だって冷えているだろう。
鍛えられた体は、皮下脂肪が無いから寒いのかも知れない。
居間のストーブの前に張り付いた榛名に、インスタントのコーンスープを溶いて渡してやる。
コレが嫌いでないことは、阿部は知っていた。
「ん」
と、阿部がカップを差し出す。
「ん」
と、榛名がカップを受け取る。
会話とも言えない、サイズで言うと全角2文字、たった4バイトのやりとり。
シニアの頃の、試合中にタイムを取ってマウンドまで駆け寄った阿部が、ユニフォームの裾で拭ったボールを差し出した時にそうしたように、ん、と軽く顎を引くだけの返事。
懐かしいのか、そうでないのか。
このまま、そのカップを白球の代わりに投げつけるのではないかと思うくらいに、自然だった。
(もう、二年もたつのに……)
阿部が榛名のボールを取らなくなってから、すでに3度目の冬だ。
あの試合の後、最初の冬は憎しみやら悲しみやらでいっぱいだった。
2度目の冬は、忘れようと必死だった。
3度目の冬は。
どういうワケか、いま榛名が家にいる。
居間は、心地よく暖められて、一度冷えた体も溶けるように熱が沁みる。
まるでシニアの頃の続きのように、唐突に、日常の中に榛名がいて、それがひどく可笑しい。いや、オカシクない。
オカシクないのがオカシイ?
本当に、カップを両手で持って指を暖めながらコーンスープを啜る榛名は、阿部がオカシク感じないくらいに自然にそこにいて、その状況はオカシイはずなのに、そう感じない阿部がいた。
そのうえ、どういうワケか来客用の布団を引っ張り出している現在の状況はどうなのか。
幸せそうにストーブに手を翳している榛名を見て、ため息ひとつ、部屋に布団を敷きに行った。
阿部は、基本的には、投手が最優先の人間だった。
練習でも試合でも、投手のことを1番に考える。
それが、日常生活においても投手を優先させるのは、身に染みついたクセなのか、日常生活から切り離せないほどに、野球漬けの生活をしているからなのか。
どっちかわからない。
どうしてこんな事をしてやるんだ、と思いながら布団を敷き、オレはまだアンタを許してないんだ、と思いながらタオルを出してやって榛名を風呂に追い立てた。
本当に、どうして榛名を泊める事にしたのかも分からない。
榛名が風呂に行っている間に、一人部屋で敷いたばかりの布団を眺めていた。
シニアの頃、よくこうして布団を敷いた。
いつも後に風呂に入る阿部があがってきたら、榛名が勝手にベッドで寝ていて、たいてい部屋の主である阿部の方が布団で寝る羽目になった。
言っても無駄だ、自分のペースで生きている男だ。
だから。
榛名と入れ替わりで風呂に入った阿部が、濡れた髪を拭きながら自室に戻ってきた時に、榛名が起きていて、下に敷いた布団の上に座っていたのには驚いた。
高校球児にしては長めの髪の毛が、濡れてペタリと張り付いている。
「明日も練習あるし、もう寝るか」
そう言った榛名をみて、あぁ、この人は少し変わったんだな、と阿部は思った。
夏大の時にも、試合を見てそう思った。
チームの中で、ちゃんと野球をやっていた。
あのころ榛名は、マウンドから投げているだけで、アレは決して野球なんかじゃなかったのに。
じわり、なんだか涙が出そうになって、阿部は慌てて下を向いた。
「どした?」
のぞき込む榛名。
(今なら、今なら、言えるかもしれない)
シニアの時のことも、あの試合のことも。
……サイテーの理由も。
泣き言も恨み言も、全部言える気がした。
言ってもいい気がした。
顔を上げたとき、遠いと感じたはずの榛名が、思いがけず近くにいることに気がついて、すこし可笑しくなった。