最近馴れたんだけどね。








そう言った栄口の顔は菩薩みたいだったけど、なんだかそれが空恐ろしくも感じる。
視線の先では、左手を抑えてうずくまる阿部。
隣で泣いている三橋。

もう見えなくなったけど、さっきまでいた、榛名。




……地面に転がる、キシリトールのボトル。





阿部の不機嫌で2、3度気温が下がったように感じるなか、みんなもその内馴れるよ、といった栄口の笑顔だけがどうしようもなく場違いに思えた。

















そんな彼らの愛情表現



















練習が早上がりで、ちょっと足をのばして、スポーツ用品店に行ったら、知った顔に会ってしまった。

にしうらーぜの不幸はここから始まるのだが、詳しく説明すると、つまり、そのスポーツ用品店で榛名に会ってしまったのだ。




始まりは、些細な変化だった。
それまで上機嫌に守備用グローブ(人差し指の付け根部分に衝撃吸収剤の入った黒い手袋)をひっくり返したりはめてみたりして品定めしていた阿部が、ぴくりと小さく震えたかと思うと、急にピリピリとした空気を発し始めた。

ここで、その不吉さに気がついて店から退散していればよかったのだが、幸か不幸かその機会を逃したにしうらーぜは、阿部の不機嫌を憚りつつもそのまま店内に散らばって思い思いに商品を見て回っていた。





次に、田島が騒ぎ出した。
なんでも、ショーウィンドウの向こう側に、榛名が歩いてるのをみたらしい。
榛名だ、榛名だ! オレ打ちたい、投げてもらおー!!
そう騒ぐ田島を、泉と花井が必死で止めようとした。
何せ阿部は、"榛名"と耳にするだけで、機嫌が急降下する。
ただでさえなんか不機嫌になったのに、これ以上……

(……って、もしかして、榛名サンがくるから不機嫌だったんか!?)

ハタ、と気付くにしうらーぜ。
田島が騒ぎ出すかなり前から不機嫌だった阿部だ。
そんな頃から榛名が来るのを予測してたとしたら……、と花井が考えたところで、泉が、

「どんなエスパーだよ、まったく」

と呟いた。
考えてることは同じか。
花井は泉に限りないシンパシーを感じたが、それは他のみんなも同じだったようで、水谷やら巣山やらが頷いているのが視界の端にうつっていた。



とにかく、田島が余計なこと言って榛名に絡まない内に、阿部の機嫌がこれ以上悪くならない内に、ここから退散しよう。
素早く眼と眼で頷き合い、花井・栄口・泉・水谷は、田島係、三橋係、阿部係に分かれて、巣山は西広と沖を促して、店内を出ようとした。

……が、時既に遅く、ひとつしかない出入り口の自動ドアをくぐって、榛名が入って来たところだった。


出入り口横のレジスターに立つ店員が、やる気のない声でいらっしゃいませー、という、その声も終わらない内に、

「タカヤ!」


榛名は、(辺りを憚らない大声で)阿部の名前を呼んだ。


やっぱりそれか。

榛名の第一声に、ちょっとウンザリしつつ目をそらす西浦。
最近、阿部と榛名のせいで、シンクロ率がどんどん上がってきている気がする。
が、こんな上がり方は嬉しくない。
ちなみに、阿部は店の奥にいて、決して榛名から見える位置にはいなかったが、それに突っ込む気力のある人間は誰もいなかった。
それこそこっちも、どんなエスパーだよ、だ。



そして空気を読む気のない田島様だ。

口をふさいでいた花井の手に噛みついてふりほどき、通せんボする泉の腕をかいくぐり、一番前まで躍り出て、阿部を捜してキョロキョロする榛名に一言。

「ハルナ!本気の球投げてくれ!」


(田 島 様 !?)


田島の第一声も大概だった。
しかし問題は、

「じゃータカヤつれて来いよ。アイツだったら捕れっから」


ある意味凄い殺し文句を、臆面もなくのたまって、榛名は田島から視線をはずした。
相変わらずキョロキョロしているのは、やっぱり阿部を捜しているのか。
店内に居ると確信している榛名が怖い。
できるなら阿部は見つからないで欲しい、と花井キャプテンは思ったとか。



しかし、そうは問屋が卸さない。
とうとう、奥のキャッチミットの棚の前にいた阿部は発見され(そもそも阿部は隠れていなかった)、榛名は"タカヤ!"と名前を呼んで振りかぶった。
名前を呼ばれて、我関せずを決め込んでいた阿部が振り返る。
しなる腕が、嘘みたいにきれいに、握られていた物体を中空に放ち、それがまっすぐ、いっそひたむきなくらいにまっすぐに阿部に向かって突き刺さっていった。

バチィィッ!!


反射的に出した阿部の左手に、その物体。
当然ミットをしていない阿部は、手を押さえてうずくまり、三橋が "あ・阿部くん!"と叫んで駆け寄る。

榛名は、ひひっ、と嬉しそうに笑って、じゃーな!と手を振って店を出て行ってしまった。

(何しにきたんだ、あの人)


店内に入るなり、阿部の名前を叫んで、阿部を見つけた途端、なんかしらんが投げつけて……


「あー! オレ、打ってない!!」


マイペースに言う田島に、がっくり肩を落としてしまう。



阿部は。


「あんの、クソピッチがぁ!!」




なんて叫んで、投げつけられた物体を握りつぶしているが、そもそもそれはなんなんだ?


それは、じゃらりと音を立ててひしゃげたそれは、キシリトールのボトルだった。
握りつぶしたキシリのボトルを床にたたきつけて、赤く晴れ上がった左手を押さえうずくまる阿部。

どうしようかとオロオロする店員。

完全に泣きの入っている三橋。


ホント、どーにかしてほしいのはこっちの方だよ、と、思っていたら、場違いににこにこしていた栄口が爆弾を投下した。





「あれって、榛名サンの愛情表現だよねー」


どうにかして欲しいとは思ったが、誰もそんな問題発言とかは望んでねぇから。
泉が聞きたくないとばかりに耳を塞いだが、そんなことにはお構いなしの栄口。


「なんかね、阿部を見たら取り敢えずなにか投げないでいられないみたいだよ」


だからって、こんなところで投球モーションにはいるか、普通!?……と突っ込みたい水谷。


「こないだも図書館でフデバコ投げてたし」


図書館で暴れちゃ駄目だよー、と、意外と大物かも知れない西広。


「阿部が自分の投げるの、ちゃんと捕れるのが嬉しいんだろーね」


その台詞に、今まで泣いてたのに、三橋がガバッと顔を上げて、阿部くんにはオレが投げる! と叫んだ。
田島が、おお!阿部は三橋のキャッチャーだもんな! といっているが、正直それどころじゃないにしうらーぜ。


「最近馴れたんだけどね」


そう言った栄口は、それはもう、慈愛に満ちた表情で、最後にイヤな一言を付け加えた。















「みんなもその内馴れるよ」

馴れた方が精神的にらくだしね。









いや、馴れたくなんてねぇから。

そう呟いた花井に、みんなのうなずきがシンクロした。























.................


TPOを考えましょう第2弾。
「また捕れなくなってる」と言いつつも、阿部が捕れないとイヤ、な榛名さんと、クセで捕ってしまう阿部。
栄口くんは頻繁に巻き込まれて、悟りを開いてしまいましたとさ。