「あ……」
整理ダンスを開けたら、積んであったものが雪崩をうって落ちてきた。
何かの空き箱、大会の賞状、ボロボロになるまで使い込んだグローブ。
一拍遅れて、一番上に、パサリと軽い音を立てて落ちてきたもの。
戸田北の、帽子。
オレのじゃない、タカヤのだ。
...
ッス、と頭を下げて、グラウンドに足を踏み入れた。
オレは、来るのは結構早いほう。
綺麗に白線を引かれたダイヤモンドの中には、グラ整している人影かいくつか見える。
中でも、一番高い場所、マウンドに、トンボを手に立っているのがタカヤだ。
オレも早いが、タカヤも早い。
あのひとつ下の、生意気でサルみたいで、キャッチの技術もおいついてねーくせに色々注文付けてくる可愛くない、でも決してオレの球から逃げないチビの捕手は、グラウンド整備が好きらしい。
マウンドを均すのは、始まる前も終わってからも、いつもあいつの役目だ。
しっかり整備しとけよ、オレが投げるんだから。
そう言ってやろうとした。
でも、なんか言いにくかったから、やめておいた。
トンボ片手に持った土に視線を注ぐ姿に、ちょっと違和感。
……なんでだろ?
集合!って声がかかって、まあ最初は挨拶からってことで、監督の立ってる辺りに駆け寄った。
こーいうの、どこのクラブでもそうだろーけど、一言二言監督が喋って、主将の号令でお願いします!って挨拶する。
戸田北は大きくも小さくもない。一学年につき15〜20人くらい。
受験やらなんやらで途中でやめてくヤツもいるから、学年があがるほど人数は少なくなっている。
ま、それでもこの人数だ。
それが一個の円になってるところを想像してみろ。んな離れてたら、監督の声も聞こえねぇって。
聞こえねぇもんだからつい、眠くなってあくびとかが出てしまう。
オレの隣で、くそ真面目なタカヤがちろりと顔を顰めるのが見えた。
あ ぁ 、ま た だ 。
タカヤに、違和感。
なんだろう、なんでだろう?
アップのランニングの間も、体操の間も、その違和感は消えなかった。
なんかこう、なんかこうモヤモヤして、タカヤを見るとイライラする。
いつも決まってタカヤと組む柔軟・キャッチボールを、だからオレは別のヤツ(一応先輩。タクミさんってんだけど、名字は知らない)と組んでやった。
「な、お前らケンカでもしてんの?」
「べつにー」
だってお前らが組んでねぇのって珍しいし。
そう言われて、オレはそんなにいつもあのチビと一緒だったかと思い返してみる。
………他のヤツとキャッチボールした記憶が、ねぇんだけど……。
覚えてる限り、オレはタカヤと組んでいる。
投球練習がある分、バッテリーの練習は他とは隔離されがちだけど、思い返せばそれ以外も、何となく一緒にいる気がする。
まず第一に、帰りが一緒だ。
オレらが遅くなるから、ってのもあんだけど。
さらに、集合とかしても、何となく隣にいる。
そういやさっきも隣にいたっけ。
で、その延長で、並んでランニングして、そのまま体操して、またまた隣にいるからってキャッチボールして、で、その次は投球練習で………
…って、オレ、殆どタカヤとセットじゃねぇか!?
「なんだ、今頃気付いたんかー?」
背中合わせになった頭の後ろから、笑い声がする。
柔軟が終わって立ち上がって、ほら、タカヤんトコ行ってこいよ。オレ、シンジとキャッチボールするからさ。そう言われて、ポンと背中を叩かれた。
見ると、向こうもなんか同じような状況らしくて、タカヤがシンジさんと何か話して、こっちを見た。
一・二度何か頷いて、シンジさんがこっちに歩いてくる。
すれ違いざま、タカヤ気にしてたぜー、って言われて、なんか妙な気分だった。
結局、キャッチボール中も違和感は消えなかった。
イライラするなぁ。
それが顔に出てたのか、ボールに出てたのか、タカヤも変な顔している。
キャッチボールの合間にちょこちょこ寄ってきて、きっかり50センチのところで止まって、オレを見上げて言った。
「どうしたんスか?」
「どーもしてねぇよ」
そういっても納得してないような顔つきで、ジロジロとオレを見て、別にいーですけど、と言う。
「別にいーですけど、投球練習んときに、集中を欠いてオレにぶつけないでくださいね。」
小憎らしーこと言いやがる。
また塁間くらいの距離まで離れている隆也の、前後ろに被った帽子が揺れる小さな頭を、何となく眺めながら思った。
イライラする。ワケ分かんねぇ。
ブルペンに入って足場馴らしながら、自分の眉間にしわが寄ってるのが分かる。
ホント、なんなんだよ、今日のオレは。むしろタカヤは。
タカヤはいっつもあんな生意気で可愛くなくてサルみたいなチビだろ。いつもと何が違う?
ガツガツ、苛立ちのままに足下の土を蹴った。
「まだなんか苛ついてんですか」
カッチャカッチャ、歩くたびに鳴るレガースの音。
タカヤが、オレの捕手が、レガース付けて、プロテクター付けて、メットとマスクと抱えてブルペンに入ってくる。
18.44メートルのところでしゃがんで、まえうしろに被ったままだった帽子を脱いで、メットとマスクを被って。
「お願いします!」
ミットをパンッと叩いて言った。
腹の底から、フツフツと湧きあがってくるものがあった。
ピリピリするような、ゾクゾクするような、そんな感覚。
今日も投げるぞ、と思い、18.44メートル先を見て、今日も投げれるぞ、と思った。
タカヤがあそこで構えている。
オレはアレに向かって投げるだけだ。
あいつが捕れようが捕れまいが、全力で投げるだけだ。
(だってあいつ、怖がらないし)
全体的に白い練習着が、プロテクターとマスクでがらりと印象を変えた。
今のタカヤは、誰がどこからどう見ても捕手にしか見えなくて、それが妙に心地よかった。
やっぱり、ユニフォームに前後ろの帽子より、プロテクターとマスクのが似合ってる。
徐々に肩をつくって、本気で投げた。
バシィィ……ッ!! と、ミットが重たい音をたてる。
気がつけば、違和感もイライラも無くなっていた。
...
あれって、結局、キャッチャーの格好じゃないアイツに違和感があったんだよなー。
今にして思えば、シニアにいた頃の自分は、今と同じぐらい恵まれていたと思う。
なんせ、本気で投げた球を捕ってくれる捕手がいたんだから。
今の高校の野球部も好きなんだけど、本気で投げて捕れるヤツがいないってのがなぁ……。
あの小生意気で、絶対に逃げないひとつ年下のキャッチャーがふいに浮かんだ。
タカヤと野球がしたくて、タカヤに投げ込みたくて堪らなくなった。
「……にしても、なんでキャッチって帽子忘れんのかな。秋丸も、マスク被るときに脱いだままにしてよく忘れてるし……」
シニアの最後の日にタカヤが忘れていった帽子は、捨てることが出来なくて今でもタンスの中に収まっている。
.................
キャッチャーはマスク被るために帽子を脱ぐと、そのまま忘れるんじゃないか、そしてそれをピッチが持っててくれてる、という妄想。
だって他のポジションじゃ、帽子脱ぐこともないけど、捕手は脱いだり被ったりしますからね。
元希さんの中では、タカヤ=捕手 なんで、帽子被ってるよりもメットとマスクの方が好きなんだ、と言うお話。