意外にも、阿部隆也という人間は、人付き合いを如才なくこなすらしい。
本当に意外にも、だ。
コトの発端は、花井が一回戦から桐青を引いたことだった。
花井本人は、阿部が縁起の悪いことを言ったせいだと思いたいらしいが、全く持って花井個人の運の悪さに因るものだ。
一年しかいない西浦高校、キャプテン選びは重要だし、花井が一番適任だというのも事実だが、主将がクジを引くのは決まりきった事実なので、くじ運の悪い(らしい)花井が、これからの三年間、ずっとクジを引き続けるというのはけっこう深刻な事態かもしれない。
で、みんな真っ青、夏の一回戦負けを覚悟した中、我らが4番、天才田島様は、「勝てねぇかな」なんて言い出した。
もしかしたら、彼にはホントに何か見えてるのかもしれないが、もっと凄いのは、投手至上主義のキャッチャー、阿部隆也だった。
彼の持論はこうだ。
桐青はビデオやらなんやらでデータとって分析すれば、三橋の必殺9分割で抑えれる。
ちゃんと打順組んで、塁に出て田島に回せば勝つことだって出来る、と。
(……その論で行くと阿部、お前は桐青でラッキーだって思ってるのか?)
もしかしたら桐青を引いちゃったのは阿部の怨念のせいかと思ってしまった花井主将だった。
蛇足までに。
で、そうと決まれば行動のはやい阿部だ。
早速携帯を取り出して、何処へやら電話をかけている。
水谷が、誰に電話してんのー? と質問したのも、うるせぇだまれクソレフト、の一言で瞬殺して、携帯と反対側の耳に手を当てて周りの雑音をカットして、そのまましばらく。
プッ、と小さな音がして、どこかの誰かさんに電話がつながった瞬間、にしうらーぜ(除く田島)の皆さんは、恐るべき光景を目にした。いや、耳にした。
「シンジさん、お久しぶりッス」
という阿部の言葉から始まり、たまに笑い声を交えつつ、なんだか愛想もよろしく、阿部が誰かと電話で喋っている!
(そんなこと無いスよー、ハハ……っじゃねぇー!誰だお前、阿部の偽物か!?)
…と、凍り付いたように動けないでいるみんなは、心の中でツッコミやら驚愕やら、挙げ句に多少の恐怖やらの入り交じったことを思い浮かべていたが、取り敢えずそれを口に出来た者は一人もいなかった。
三分ほど会話が続いて、阿部の、それじゃ失礼します。という声がするまで、県立西浦高校一同(除く田島)は、ひたすらかたまり続けていたという。
「なにその間抜けヅラ」
ピ、と携帯を切った阿部は、開口一番そう言い放った。
「いや、お前のせいだから!!」
ふーん、とよく分かってないような、しかも、どーでもよさそうな顔で、言った阿部に、あのとき確かに殺意を感じた、とあとで泉は言っていたが、とにかく話が進まないので、みんなを代表して花井が、阿部に質問をぶつけることになった。
「さっきの電話、誰に?」
「シニアんときの先輩」
「なんでいきなりシニアの先輩に……」
すると阿部は、そんなこともわからないのか、と言うように肩をすくめてみせた。
「春大で桐青とあたった学校のスタメンなんだよ、その人。今きいてみたら、データくれるってさ」
おお〜、阿部、すげー!
……と感心はするものの、阿部を手放しで褒められないにしうらーぜ。
そもそも、だ。
「あんな愛想よく話す阿部なんか、阿部じゃないだろ」
正直キモかった。
それが、感想らしい。
「は? 何いってんの。オレは礼儀正しくてカワイー後輩だったぜ?」
ヴィィィィ…、ヴィィィィ…、ヴィ、ピッ
「もしもし、タクミさん?お久しぶりッス。ええ、そーなんスよ。一回から桐青で……。いや、それはいろいろと……、モトキさんの話は……。練習試合?桐青とやったんスか?ええ、是非!えーと、オレ部活終わってからだと10時くらいになるんスけど……あ、水曜なら!……はい、はい、…はい。えっ、マジすか!?ありがとうございます!はいっ失礼します!」
ピ。
「シニアんときの先輩が、最近桐青と当たった他の先輩にもきいてくれるって。多分3.4試合分はあるだろーから、十分なデータがとれるぜ?」
ニヤリ、笑った阿部の顔は、どう考えても可愛いとは形容できないし、普段の阿部を見てると、どう考えても先輩に可愛がられるタイプとは思えないが。
さっきまで電話で話していた阿部は、なんというか、確かにこんな後輩がいたらかわいいだろーな、と思わせるような後輩ぶりだった。
(まさか、こーいう事態を想定して、先輩にはいい顔してたとか!?)
(阿部、恐ろしい子っ!!)
「何してんだよ、早く帰って練習しよーぜ」
「あ、あぁ……!」
埼玉大会抽選会は、花井キャプテンのくじ運の悪さと共に、阿部の新たな一面が、恐怖と共ににしうらーぜたちに刻み込まれた日となった。
後日、シニアの先輩だったという人は、
「タカヤはカワイー後輩だったよ。礼儀正しいし、練習熱心だし。新設に行かないで、上の奴らがいるところに入ってりゃ、また可愛がられただろーに、なんでわざわざ新設にいくかなぁ」
……と言っていた。
あまりにも自分たちの知る阿部像とかけ離れているために、「はあ……」としか言えない一同だが。
「あ、でも、モトキにだけはふてぶてしい態度だったっけか。タカヤの性格がヒネタんなら、絶対モトキのせいだぜ」
………原因はアンタでしたか、榛名サン。
そのころ武蔵野の部室で、噂の豪腕ピッチャーはくしゃみをしたとかしないとか。
.................
三巻のタカヤはえらいカワイらしかったので、きっとシニアじゃ可愛がられてたんだろーと。
で、モトキさん限定で可愛くない後輩タカヤ。
シニアの頃の榛名は一番凶暴だった時期なので、みんなタカヤの味方でした、と。
タイトルは、中国古典、孫武の兵法書の「孫子」から。
その極意は "敵を知り己を知らば百戦危うからず" だそうな。
先輩方の名前は即興で決めました。