いくらキャッチャーミットが分厚いからといって、榛名元希が投げるような豪速球を受ければ、痛いものは痛いので。
リトルシニア戸田北の、"元樹専用"キャッチャー、阿部隆也の左手は、今日も今日とて痣と湿布とテーピングでボロボロだった。
そもそも野球は、道具もスペースも使うスポーツなので、準備に時間がかかる。
取り敢えずグラウンドを測ってダイヤモンドを作り、ベースを置かないといけないし、マウンドは丁寧に整備する。
ティーバッティングやフリーバッティングのとき用に、移動式のネットでゲージも作るし、ブルペンはマウンドと同様に均しておく。
ピッチングマシンなんかはべらぼうに重いが、キャスターがついてるので押して運ぶとしても、轍みたいに跡がつくからそこはトンボで均さなくてはならない。
……とまぁ、こんな風に、準備に時間がかかるので、戸田北では早く来たものから準備に入る、というようになっていた。
ちなみに、阿部隆也は早く来る内の筆頭だったのだが。
「あーもう、元希さん、ジャマ!」
手元をのぞき込まれて、バッテリーの小さい方が声を上げた。
左手の中指と薬指にテーピング。
榛名元希の球を受けるには、必須のアイテムだ。
これを指に巻くために、ここ最近は道具・グラウンドの整備にあまり参加できていない。
一方、怒鳴られたバッテリーの大きい方は、へーへー、と言いながら一歩引いて小さい方の手元に視線を落としている。
「おまえさぁ、毎回してんの、それ?」
それ、と指さされたテーピングが、ピタリと止まって、十センチばかり低い位置の頭が上を向いた。
「仕方ないでしょ、ちゃんと固めとかないと、突き指するんだから」
指用の一番細いテーピングを器用に貼り付けながら、口を尖らせてタカヤは言った。
ふくれて見せてはいるが、内心はちょっと落ち込んでいる。
ミットをしている方の指をつくってことはつまり、
(元希さんのコントロールの問題じゃなくて、オレの技術の問題なんだよな)
当たり前だがミットには指を入れる部分が5つあって、でも隆也が現在使っているのはその内の3つだけだった。
まず親指。
これはもう、親指用の穴に入れるしかない。
次に人差し指。
これは、ミットの外に出している。
中指は、端から2番目、本来は薬指を入れる所に入れて。
そして薬指と小指を、まとめて小指用の穴に突っ込む。
要するに、本来人差し指と中指を入れる用の穴は使われていない、という状況だ。
なんでそんなことをするかというと、榛名元希の球を受けるためである。
もっと汎用性を考えていうと、強い球を受けるためである。
ミットのイイ場所で受けれれば、球の衝撃は伝わっても、あんまり痛くないもんだが、変な場所で受けてしまうと、ミットがいい音をたてない上に、もの凄く、有り得ないぐらいに痛い。
ボールの威力で指が反って、その後は指が曲げられなくなる。
ので、最近マシになったとはいえ、未だキャッチング技術の追いついていない隆也は、仕方なくテーピングをした上で、指をずらしてミットを使っているのだった。
なんだかんだと元希と騒ぎながら、隆也がテーピングを巻き終えたのは、もうグラウンドがすっかり出来上がった頃だった。
グラウンド整備が比較的好きな隆也としては、こうして整備に参加しそこねる度に、
(くそー、元希さんがジャマしたせいだ!)
とか、
(すいません、オレ一年なのに。せっかく早く来てるのに)
とか考えて、グラウンドを作ってくれたチームメイト達に申し訳なく思っている。
しかし、チームメイト達としては、整備を手伝ってくれるよりも、退屈した元希が何かしでかさないように、そっちの方で引きつけといてくれた方が助かる、と思っているので、引け目を感じる必要は全くなかったりするのである。
まあ、蛇足であるが。
さて、そうまでして万全の準備をした隆也だったが、やはりテーピングしても元希の球の被害は防ぎきれるものではなく。
練習が終わる頃には、例によって体は新しくできた痣で赤くなり、治りかけだった前の痣は再び内出血して紫と黄色のまだらになり、なんだかこう、迷彩服のような模様になってしまっていた。
プロテクターごしでこの威力。
露出している腕なんかは、見るも悲惨なコトになっている。
そして、指。
ミットの下手な場所で受けた球のせいで、突き指して曲がりにくくなっていた。
(あ゙ー、痛ぇ…)
ミットをはずし、守備専用手袋をはずし、さらにその下のテーピングを剥がした。
一番痛くて曲げられない薬指の、関節部分が内出血していた。
(くっそ、こんなケガつくってるようじゃ、まだまだだ!)
はずしたばかりの手袋を握りしめた。
…と、そのとき。
「うっわ、なにソレ。そんなトコ内出血するんだ」
頭の上からノーテンキな声がして、隆也は振り仰いだ。
元希が、面白そうに隆也の手をのぞき込んでいる。
このノーコン野郎、と言ってやりたいが、左手に出来たこの内出血は、隆也のキャッチングの技術が元希の球に追いついていないから出来たわけで。
言い返せない隆也はギリリと歯を噛み締めて、次こそちゃんと捕ってやる、と呟いた。
聞こえたのか聞こえていないのか、元希はポンポンと隆也の頭を叩いて更衣室の方へ歩いていく。
あとには、いっそ誤解を受けそうなほどの強い眼差しで、その背中を見つめる隆也が残された。
練習が終わったあとには、当然ながらグラウンド整備が待っている。
無論、隆也はこのグラウンド整備は割と好きなのだが、なんというか満身創痍の彼は、整備よりもそのケガ何とかしろ!と言われて、更衣室であちこちに湿布を貼っていた。
腕やら手首やらに湿布を貼って、さて、この指関節の内出血はどうしよう、と電灯の方に左手を翳してみる。
これ、放っておいたら痛そうだしなぁ、なんて思っていると、指の内出血をおもしろがっていた元希が、細く切った湿布を持ち出して隆也の手を取った。
手当、してくれるらしい。
「元希さん、どーいう風の吹き回しっスか」
槍でも降るんじゃないかと言った表情の隆也。
一方の元希は、人のコーイは素直に受け取れよー、なんて言いながら、しげしげと指を眺めている。
「そんなに気に入ったんですか、この痣」
おー、と間延びした返事をしながら、クル、ペタ。
以外と器用に、患部からずれることなく湿布を貼った元希が、ニヤリと笑って顔を上げた。
「左手の薬指ってオマエ、コンヤクユビワみたい」
シシシ、と笑った元希に、隆也は手近にあったタオルを思いっ切り投げつけた。