ふと気が付くと、阿部がいなかった。
これが田島だったら、また本能の赴くままに動き回りやがって、と思うだろうし、三橋だったら、迷子になってんのか、とか、どっかで柄のよろしくないのに絡まれてるんじゃ、とか心配するところだったけど、いなくなったのが阿部であるなら、特に心配もする必要はないだろう。
なんせヤツは、オレらには横柄な態度をとるが、基本的には礼儀正しく常識の中で生きている男だ。
投手が絡まない限りは、という但し書きが付くにしてもだ。
とにかく、用があればケータイにかければ連絡は取れるだろうし、特にもめ事の心配もなさそうだったから安心して放っておいた。
……正直な話、田島と三橋の世話で精一杯だった、というのもあるけれど。
そしたら、だ。
自販に飲み物を買いに行ったら、妙に騒がしくて人だかりが出来てて、あれ?ってつま先立ちになって人だかりの向こう透かして見たら、頭ひとつ飛び抜けて見えるあの顔は、……榛名サン?
うわー、こんなところでもめ事って、なんつーか大胆な人だな。っつーか、大胆なのは、フェンス越しにタカヤタカヤ叫んでた前回ので分かってたけど……。
すげーな注目集めまくり、っつか、自販の横でもめるなよジュース買えねぇじゃん。どこのヤツだよ相手は、こっちも大した度胸だぜまったく……
って、阿部!?
心から見間違いを願い、今のが幻覚で、なかったことにしてもらえるなら、視力が落ちて眼鏡の度が進んでもイイ、なんて思いながら、一度目を閉じて再び見直したそこには、なんというか、幻覚オチなんかじゃなくて、やっぱり阿部がいた。
いや、確かに、榛名サンと言い争うヤツがいたなら、阿部の確立が一番高いんだろーけど、でも、でもな、なんつーか、こう、……そう、あれだ。勘弁してくれ、ってやつだ。
痛み出した頭を両手で抱えて、オレは派手に激しく言い争ってる阿部(と榛名サン)を見た。
そりゃもう、周りのギャラリーを全く気にすることもなく、まなじりをつり上げて怒鳴りあっている。
榛名サンはつり目だからあんまり違和感ないけど、タレ眼の阿部が眼ぇつり上げると、タレ眼なのは相変わらずだけどなんかハクリョクがまして、阿部じゃないみたいだ。
普段無愛想だったり、怒ったりした顔をよく見るけど、それとは全然違う顔だ。
……普段のは、怒ってる内には入らねぇんじゃないかってくらい、火みたいな眼をしてる。
アタマ痛いなぁ。これ、オレが仲裁しなきゃなんねぇのかな。武蔵野の控えキャッチ、なんてったっけ、あの眼鏡の人。その辺にいて、コレなんとかしてくれねぇかなぁ。
相変わらず、周りを全く気にしないでなにやら言い争っている二人を見て、泣きたくなってしまった。
…………はぁ。
仕方ないなぁ。
「そこまで。阿部、榛名サン、もうちょっと場所考えてくれ」
人垣をかき分けて当事者二人の所に辿り着き、そういって止めようとしたら
「うっせぇよ!」
「すいません、キャプテン!」
…と、振り向きもせずに、二人同時に言った。
キャプテンてなんだ、阿部。
確かにオレは西浦の主将だが、オマエ普段花井って呼ぶだろ。しかも、すいませんてなに。
と思っていたら、阿部がやっと振り向いた。
「なんだ、花井かよ。シニアのキャプテンと間違えてた」
なるほど。しかしお前ら、シニアじゃそんなに頻繁に言い争ってたのか。
……とは、怖くて聞けなかったが、とにかく。
「すっげー悪目立ちしてる。高校球児にもめ事は御法度だぜ。どうしてもやるなら、もうちょっと場所考えてくれ。人気のない所にいくとか」
「だれオマエ」
って、榛名サン、聞いちゃいねぇよ。
「なあタカヤ、だれこいつ」
「花井です。西浦の主将」
「オマエんとこのってことは、一年か」
「そりゃま、ウチは新設ですから」
「で、なんだって?」
こ い つ ら は 〜
人の話全然聞いてない二人にちょっとばかり青筋が立ちそうになったけど、この二人みたいに心臓に毛の生えていないオレは、この場を離れたくて仕方なかったから我慢することにした。
「だから、こんな場所でもめ事起こすなっていってんの!」
そういうと、元バッテリーのこの二人は、不意をつかれたような顔をして一通り周りを見渡して、ウチの双子みたくきれいに声をハモらせて、
「「それもそうか」」
と言った。
取り敢えずオレは、頭痛と疲労感の中で、この二人を殴ってやりたいと思った。
所変わって、球場三塁側の城外、人気の全くと言っていいほどない、奥まった場所で。
あれから、場所を変えてくれたのはイイが(寧ろお開きにして欲しかった)、どういう訳か巻き込まれてオレまで一緒にいたりするのが釈然としない現在の状況。
オレの前、1.5メートルくらいのところで、胸ぐらを掴みあげんばかりに喚きあっている。
ハタで聞いているオレにはいまいち理解不能なんだけど、なんか、なんで来なかったんだ!とか、団体行動が、とか、それじゃねー、とか、そんなことでもう延々と言い争いを続けている。
たまに、人の話を聞けだの、後輩にたかるのはやめろだの、その手ぇ早いのなんとかしろだの、論点のずれたコトも言ってるみたいだけど。
あぁ、帰りてぇなぁ。
なんでオレこんな所にいるんだろう……
もう、今日何度目になるか分からないほどついた、我が身を嘆いたため息の向こうで、突然阿部の背が伸びて、オレは吐こうとしていた息と、驚いて吸った息が喉の奥でぶつかってひどくむせてしまった。
ぅげほごほごほ!
むせて涙でにじんだ視界の中で、阿部が榛名サンに襟首捕まれてつるし上げられている。
なるほど、それで背が伸びたように感じたのか……って、ダメじゃん!
ダメだダメだ、この状況はダメだ!
言い争いじゃ済まないレベルだって!
ほら、阿部も何とか言えって!
「手を、放してください」
つるされたままの阿部が、つま先立ちになって、怒りのにじむ声音で言った。
「あぁ?」
「手を放してくださいって言ってんです!」
そうそう、その調子だ阿部…
「アンタの左手は、んなコトするためにあるんじゃねぇだろ!」
ア レ ?
「オレだって50キロ以上あんだぞ、投手は利き手に重いモンなんか持つな!」
あのー、もしもし、阿部さーん?
「分かったら手ぇ放してください」
「放しても逃げねぇ?」
「逃げやしませんよ。放すのイヤなら、せめて右手に持ち替えろ」
いや、だからな、それってなんかおかしいぞ。
と思っていたら、なんか納得したような表情の榛名サンが、つるし上げてた手を右に持ち替えて、よし、これでどーだ!って顔をしたから、思わず吹き出しそうになった。
それでまた、さっきの言い合いの続きするんだ。なんかおかしくね?
つか、阿部も、さあ続きをどうぞ、なんて言ってる場合じゃねぇだろ。
なんかもう、ホントにホントに疲れたんだけど、帰っていいか?
結局の所、この二人って仲良かったんだ、と、とてつもない疲労感におそわれたかわいそうなオレは、こっそりその場を後にしながら、自分のチームの捕手の、投手へのこだわりの強さを再確認して一人ごちた。
言い争ってる最中にも投手の利き腕を気にするなんて、そりゃオマエ、
「捕手の鏡だよ」
ちょっと方向性が間違ってる気がしたのは、言わないでおくことにした。