「オマエ、邪魔」
榛名元希は、隣を歩く十センチばかり低い位置にある頭に向かってそう言った。
たかだか腕があたっただけで、そこまで言われたくない阿部隆也は、ムッとした表情を作って、隣を歩く十センチばかり高い位置にある頭に向かって言い返した。
「元希さんがもうちょっとそっち側歩けばイイじゃないスか。オレはこれ以上左に寄ったら車道だし」
「じゃあオマエ後ろ歩けよ」
傍若無人ぶりに、はぁ、とため息をひとつ。
そのため息も白い冬の夕方、シニアの練習の帰り、駅までの道を、二人並んで歩いている。
歩道がないくせに交通量はそこそこある県道の、白線の右側、路側帯の部分。
日が落ちて薄暗い道を、車が通るたびにヘッドライトが白く浮かび上がらせる。
春から秋にかけては自転車で練習に通っているが、冬は指が悴むという理由で電車に乗りかえている。
元希が言い出したことに、隆也が付き合わされている形だ。
(ったく、この投手は…)
と思わないでもない捕手は、しかしこの寒さが投手の繊細な指先によろしくないことも分かっているので黙って付き合っている。
(しっかし、オレの後ろを歩けだなんて、オレはアンタの)
「オレはアンタの女房じゃないんだぞ」
並んでいた先ほどよりも、半歩だけ後ろを歩いている隆也が、独り言のように吐き捨てた。
きゅう、と眉根を寄せ、見るからに不機嫌そうな顔だ。
大して大きな声ではなかったが、さすがにすぐ傍を歩いている元希には聞こえたらしい。
足を止めずに首だけで振り向いて、こちらも不機嫌そうな顔で言った。
「女房だろ、オマエ、オレのキャッチなんだから」
そう言って、隆也の反応など見るでもなく、フイッと前に向き直って歩いていく。
予想外の台詞に足が止まった隆也は、呆然と遠ざかる背中をみながら、急に顔が熱くなるのを自覚して下を向いた。
(オレのキャッチ…って、オレのキャッチって)
文句の一つも言ってやろうと思っていたのに、元希の何気ない一言は、隆也に対してはこの上ない殺し文句だったようで、嬉しいやら何やらで、腹の底がムズムズしてくる。
「おせぇぞ、隆也!」
だいぶ前で漸く止まった背中が、隆也を呼んだ。
「待ってください、元希さん!」
バッと顔を上げた隆也は、前方の人影、傲慢で傍若無人で、そしてどこか憎めない豪腕投手に向かって駆け寄った。
顔がゆるんでるのは、ご愛敬、といったところ。
なんだかんだでこの投手を大切に思っている隆也は、大きな鞄をゆらしながら走って、再び元希の横に並んで歩き出した。
ちらり、隆也が右側を見上げると、元希は既に不機嫌そうな顔ではなく、いつもそうであるようにまっすぐ前を向いて歩いている。
(この人は、振りむかねぇよな)
いつもはそれが腹立たしい隆也だが、さっきの殺し文句が聞いているのか、今日はそんなことも気にならない。
十センチの身長差のせいでどうしても違ってくるコンパスの差を補うように、普段よりも歩幅を広げて駅までの道を歩いた。
トン。
「だからオマエ、後ろを歩けって!腕があたるだろーが!」
「元希さんがもうちょっと右側によってくれたらイイじゃないですか!」
腕があたって、そんなやりとりを何度か繰り返しながら、結局二人は並んだまま駅にたどり着いた。
元希は何度も腕があたったことでちょっと機嫌を損ねているが、隆也は上機嫌で、
「あ、もう電車きてますよ、走りましょう!」
なんて言って、元希を急かしている。
ばたばたと足音が響いて、二人が飛び乗った電車は、ゆっくりとホームから離れていった。