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2010年 初夢



作:逃げ馬






2009年の暮れ。
街は折からの経済危機で活気がない。
テレビのニュースや一年を振り返る番組は、経済状態の悪化が何度も繰り返し伝えている。
政治では政権交代が行われたが、“まともな政治家”は払底してしまったのだろうか?
経済政策も、外交も不手際ばかりが目立ち、人々の心を冷やし、結果的に“財布のひも”を固く閉めさせ、社会に回るお金を少なくさせていた。

夜の都心を乗客をたっぷり詰め込んだ電車が走っていく。
私は小さくため息をつくと、新聞を畳んでブリーフケースに入れた。
私は小杉竜也。大手電機メーカー東西電機の貿易部に勤務している。
私が社会に出たのは世間で言うところの“バブル経済”の時代。
いわば入社をしたころが“最も景気の良かった時期”とも言えるだろう。
新入社員から中堅社員。そして今は課長となり周りの人たちは順調に出世をしたと言ってくれている。
しかし、それはすさまじいストレスと背中合わせだった。

バブルが弾け、景気が一気に冷え込むと、わが社もご多分に漏れず“リストラ”という言葉で大幅な人員削減を行った。
ある先輩社員が机の整理をしながら言った。
「リストラクチャリングと言うのはな、本来の意味は『事業の再構築』だ・・・力を整理して得意分野に集中するんだ。決して『首切り』の意味じゃないぞ」
そう言うと、この海外勤務経験も多い先輩社員はニヤッと笑った。
「まあ、日本人は暴行事件を『いじめ』と言ったり、事実から目を背ける言い換えが得意だがな・・・」
この先輩は、“リストラ”で会社を去り、今ではライバル企業の重役になっている。
残された私は、まだ経験も浅いのに“若い社員”を引っ張っていく役目をすることになった。

その後は長い経済の低迷と“構造改革”による社会の変化。
それは、会社のスタッフの変化にも表れた。
そう、派遣社員の増加だ。
私は正社員のスタッフと同様に接していたつもりだ。しかし、社会がそれを許さなかった。
あの“リーマンショック”以後、わが社も派遣社員の契約期間が終わると、契約を更新せずスタッフたちの多くが職場を去った。

電車が駅に着いた。ドアが開きホームに中に乗った乗客たちを吐き出した。
私もネクタイを締め直すと、乗客の流れに乗って歩いて行く。改札口を出ると、自宅のマンションに向かって歩いて行った。

ドアの鍵を開けると壁のスイッチを押した。冷え冷えとした暗い部屋に明かりが灯る。
帰り道のコンビニで買った弁当をテーブルに置くと、お湯を沸かしてお茶を入れた。
私は一人で暮らしている。なぜかこの年まで結婚をしなかった。
もちろん、付き合った女性もいたし、友人や知人の世話で魅力的な女性とのお見合いもあったが、なぜか心が動かなかった。
私は弁当を食べ終わると、流し台で容器を洗いゴミ箱に入れた。それと同時に給湯機から電子音が流れてきた。風呂が沸いたようだ。
僕は脱衣室で服を脱ぐと洗濯機に放り込んだ。ドアを開けると浴室に入った。
「フウ〜〜・・・」
温かい湯船の中で大きく息をつく。
いつもいつも、まるで“判で押したような“生活。その上、仕事のストレスも多い。
私は体を念入りに洗い浴室を出ると、寝室に向かった。
寝室に入ると、クローゼットが二つある。
一つは仕事や普段に着る服を入れているクローゼット。もうひとつは、私の“趣味”のクローゼットだ。
私は“趣味”のクローゼットを開けた。
ワンピースやスカート、色鮮やかな女性の服が揺れている。
引出しを開けると、まるでお花畑のように色鮮やかなブラジャーやショーツが収まっている。
私は上下お揃いのブラジャーとショーツを身につけ、ミニスカートを履き、カットソーを着た。ウイッグを被り、脛毛のたっぷり生えた足をニーソックスで包んだ。
女性の服を身につけると、わたしはホッとした。
そう、私は子供のころから女性を恋愛対象として見ることはできなかった。むしろ、“あこがれ”の存在だった。
しかし、鏡を見る気にはならない。
メタボ体型の体に女性の服を着て、脛毛たっぷりの男の足。
“痛い男の姿”を見るのは嫌だった。
しかし、私は女装をすることで“もう一人別の自分”を作りだし、一日のストレスを発散し“心のスイッチ”を切ることができた。
私はスカートの裾を揺らしながら机の前に歩いて行くと、パソコンを立ち上げた。これから持ち帰った会社の仕事をするのだ。
“もう一人の自分”に変わったことで、気持ちが切り替わり仕事も捗った。
男の私は、本当の私ではない・・・本当の私は・・・?


2010年 元旦

いつものように窓から朝の光が差し込んできた。
私はいつものようにベッドから起きると、初詣に出かけるために身支度を始めた。
パジャマを脱ぎトレーナーに袖を通し、ジーンズを履いた。
その間にトースターでは餅が焼きあがり、ポットのお湯が沸いている。
インスタントのお吸い物の素を入れた椀にお湯を入れ、トースターで焼いた餅を入れると“独り住まい雑煮”の完成だ。
慌ただしく朝食を済ませると、私はダウンジャケットを羽織って部屋を出た。
元旦の神社には人があふれている。
僕の目の前をおしゃれな女の子が歩いて行く。
彼女はチラッと私を見た。「この人だれ?」 という目だ。
私は目礼をして歩いて行く。
確かに私は、彼女を見た。
しかし、彼女に対する普通の男性と私の見方は、間違いなく違うだろう。
私が女性を見る時には、『どうしてあんなに可愛いのだろう?』とか、『あの服は似合っているなあ・・・』とか、『あの服はどこで買ったのかな?』とか・・・“普通の男性”とは、やはり違う。

神社の本殿まで来ると、大勢の参拝者と一緒に賽銭箱に100円玉を入れると、柏手を打って祈った。
参拝を終えた人たちの流れに乗って、一緒に歩いて行く。
参道の両脇には、たくさんの露店が並んでいる。
参拝者たちが、たこ焼きやタイ焼き、綿菓子などを次々に買っていく。
そのたびに人の流れが止まり、なかなか前には進めない。
私はわき道に抜けて帰ることにした。
わき道にも露店が並んでいるが、その数は参道に比べるとぐっと少ない。
早く家に帰ってリラックスしたい・・・私はそう思っていた。
ふと、一軒の露天が目に止まった。
骨董品屋だろうか? 古い皿や壺、掛け軸などが並んでいるかと思えば、なぜか西洋甲冑が立っていたりする。
商品の並んでいる台の奥には、白い髭を蓄えた老人が座っていた。
「いらっしゃいませ」
老人が微笑みながら言った。
「どうも・・・」
さっさと帰ろう・・・・そう思っていたのだが・・・・。
「フムフム・・・」
老人は私の目を覗き込むように見ていたが、
「あんたにピッタリのものがあるぞ・・・」
その顔に微笑みを浮かべると、台の下から箱を取り出した。
「はい、これ」
「これは?」
「枕じゃ・・・」
「枕って・・・あの、眠るときに使う?」
「そうじゃ・・・他にあるか?」
私は、なんだか馬鹿にされているようで、少し腹が立ってきた。
表情に出たのだろうか? 老人が小さく笑った。
「この枕を使って初夢を見るとな、願いがかなうんじゃよ?」
「・・・」
「信じていない顔じゃな・・・」
老人は肯きながら、
「じゃあ、この枕を持って帰りなさい」
そう言うと老人は箱を私に渡そうとした。
「いや・・・私は・・・」
「まあ、持って帰りなさい・・・代金は、後でもいいよ・・・」
老人は笑った。
「効果がないなら、明日にでも返してくれればいいですよ」





私は風呂からあがると、寝室にやってきた。
「結局、持って帰ってきてしまったな」
私は苦笑いしながら箱を開けた。
ありふれた形の枕がコロンと転がり出てきた。
箱の底には、紙が一枚張り付いていた。手に取って読んでみると、
『眠る前に、願いを念じながらこの枕で眠る。  願いを書いた紙や写真をこの枕の下に置き眠ると尚良し。云々』


「フム・・・」
私はちょっと悪戯心が芽生えてきた。
あの老人の言葉を信じたわけではない。 しかし、私には叶えて欲しい願いがある・・・・その願いがもし叶うのならば・・・?
私はベッドの上に枕を置くと、机の上に置いていた雑誌を手にした。
中を開くと気に入っていた女優のグラビアページをカッターナイフで切り取ると、枕の下に置いた。
興奮をしているのだろうか?胸がドキドキする。
ビールを飲むと、私はベッドに入り眠りに落ちた。



『・・・ちゃん、・・・ちゃん・・・・』
『・・・ちゃん、入学おめでとう・・・』
私は満足そうに笑っている。

私は自分の体の変化に、不安そうな表情を浮かべている。
『・・・ちゃん、心配をしなくていいのよ・・・大人になっただけだから』
私は母の微笑みを見てうなずいていた。

胸が膨らみ始め、ウエストが細くなり、ヒップが紺色のブルマを膨らませている。
そのブルマから延びる健康的な足が、グランドを蹴る。
白い鉢巻を締めて、黒く長い髪を靡かせ、リレーのバトンを手にトラックを走る。
先頭でゴールテープを切ると、クラスメイト達が駆け寄ってきた。
『すごいじゃない・・・』
『さすがね・・・・』
私は友人たちと抱き合って喜んでいた。

『・・・東西電機に就職が決まったんだそうだな・・・』
リクルートスーツに身を包んだ私が、お辞儀をすると、
『君のように美しく頭脳明晰な生徒を手放すのは惜しいがな・・・会社でも頑張ってくれ給え・・・』



私はベッドから起き上がった。
寝汗をたっぷりかいている。ベッドから降りると、引き出しからタオルを出した。
パジャマを脱いで、乱暴に汗を拭った。
「いてっ・・・」
タオルで汗を拭いた体の色は思いなしか、いつもより白く見えた。
それだけではない、ベッドの上には足にびっしり生えていたはずの脛毛が落ちていた。
汗が気になる・・・私は立ち上がり、シャワーを浴びようと浴室に向かって歩き出した。
なぜだろう・・・見慣れた部屋が大きく見える? いや、違う! 私の身長が縮んでいるのだ。
私の胸が高鳴る。小走りに浴室に向かうその脚は、内股になっていた。
バスルームの折戸を開けると、正面には大きな鏡がある。
そこに映っていたのは、中学一年生くらいに見える少年とも少女ともつかない人・・・それは紛れもない今の自分の姿だった。
「どうして・・・」
口から出た自分の声は、まるで少女のそれのようだ。
ともかく、この汗臭い体をきれいにしたい。
私はボディーソープを泡立てると、体を洗った。 ボディーソープの香りが心地よい。
温かいお湯が体に付いた泡を洗い流していく。
泡が流れていくと、その下からは白く透き通った肌が現れた。そして胸のあたりは思春期の少女のように膨らみ始め、その頂上には、ピンク色の乳輪がのっている。
股間に目を落とすと、私の象徴も小さくなっている。
『この枕を使って初夢を見るとな、願いがかなうんじゃよ・・・』
あの老人の言葉が甦る。
私は悟った。そう、私は自分の望む姿に変わろうとしているのだ。私の本当の姿に・・・。
私は“まるで女の子のように“バスタオルを体に巻いて寝室に戻ってきた。
“趣味”のクローゼットを開けて下着を身につけようかと思ったが、なぜだか体がムズムズする。
恐る恐る体に巻いていたバスタオルを取ると、浴室で見たときよりも胸が膨らんでいる。その上、さっきは無かった括れのようなものができ始め、ヒップも少し大きくなっている。
「成長を・・・しているのか・・・」
股間を見ると、私の“象徴”もさらに小さくなっている。
それから私は、いつもは見ない鏡の前に座っていた。
鏡に映る私は、見るたびに“女性”に変化している。
胸はCカップほどに膨らみ、括れがはっきりしてウエストの位置は男性だった時よりもずっと高くなった。
中年のメタボ腹は、その痕跡が全くなくなり、美しいラインを作っている。
そして大きく膨らんだヒップ。 そして何よりも、とうとう“象徴”が無くなり、その後には溝ができている。

夜が明け始め、朝日がカーテンの隙間から差し込んできた。
鏡に映る私は、20歳くらいの若い女性・・・そう、あの枕の下に置いた写真の女優に似ていた。 よく見ると、男性だったころの私の面影もあるようだ。
私は引出しを開けた。 今の私の体に合う、カラフルな下着が詰まっていた。
下着を身につけると、私は鏡に視線を移した。 男性だった時とは違う、美しい体に下着を身に着けた女性が映っている。
私はクローゼットを開けると、クリーム色のセーターを着て、グレーのプリーツスカートを履いた。
ニーソックスが、美しい足をひきたてる。
鏡には、どんな男性でも振り返らずにはいられないような、魅力的な女性が映っていた。
不安そうに見つめていた“鏡の女性”は、やがて満足そうな微笑みを浮かべた。 それは、私自身なのだ。
バッグに財布を入れようとすると、ブランド物の財布がテーブルの上に置いてあった。
その横には、「小杉亜沙美」と名前の書かれた免許証と会社のIDカードが置いてある。
澄ました顔の写真のIDカードを手にした。
私は“男性だった時”の半分・・・23歳の女性になってしまったのだ。

私はブーツを履くと、昨日の神社に向かった。
あの老人に会うためだ。
しかし、昨日はあったはずのあの露店はなくなっていた。
『もうあの老人に会うことはない・・・』それは、心のどこかで感じていたことだった。
「ありがとう・・・」
私は小さく呟くと、ブーツの音を響かせ、石畳の道を歩いて行った。



雑踏の中で、老人が亜沙美の後姿を見つめている。
満足そうに微笑みを浮かべながら肯くと、淡い光の輝きの中に、その姿を消して行った。



2010年 初夢
(おわり)

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