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 人形。それを見ていると、なんだか不思議な感じがしませんか?
 いろいろな人形がありますが、人形には、なんだか神秘的なものを感じませんか?
 これは、そんな人形が原因で、僕に降りかかった不思議な1日の話です・・・。

 



僕のひな祭り

 

作 :逃げ馬



 僕は、高木正範。高校2年生の17歳。
 その日も僕は、いつもと変わりない一日を終えて学校から帰ろうとしていた。
 「正範くん!」
 後ろから聞こえた声に僕は後ろを振り返った。セーラー服姿の幼馴染の佐藤和恵が長い髪を靡かせながら廊下を走ってきた。
 「今日はクラブに行かないの?」
 僕の横に並ぶと、和恵は一緒に廊下を歩き始めた。
 「うん・・・今週はクラブは休みだよ」
 僕は前を見たまま答えた。
 僕たちは校庭に出ると門に向かって歩いて行く。周りでは、授業を終えた生徒たちが友人と一緒に歩きながら、あるいは自転車に乗って家に帰っていく。
 「ねぇ、明日はわたしの家に遊びに来ない?」
 和恵が僕の顔を覗き込みながら微笑んだ。
 「明日?」
 「うん・・・明日はひな祭りでしょう。うちもお雛様を出したの・・・正範くんも、子供の頃にはよく家に来てくれたけど、最近はクラブで忙しくてなかなか来てくれなかったし・・・」
 和恵がちょっと拗ねたように頬を膨らませている。そんな顔を見ていると、僕も自然に笑みが出てきた。
 「わかった・・・明日は遊びに行かせてもらうよ」
 「本当? 絶対よ!!」
 和恵の喜ぶ顔を見ていると、僕は自然に頷いていた。
 僕は子供の頃から和恵の家には良く遊びに行っていた・・・しかし、最初は僕一人だけではなかったのだが・・・。

 「ただいま!」
 家に帰り玄関を開けると、
 「おかえり! 晩御飯、ちょっと待ってね!」
 和室の方から母の声がした。
 「え〜?! お腹がすいているんだけど・・・」
 和室のふすまを開けると、母が雛人形を出していた。
 「・・・どうしたんだよ・・・」
 僕は驚いて母を見つめていた。母は僕を振り返ると、
 「これは私がこの家にお嫁に来たときに持ってきた人形でしょう。範子が生きていたときには・・・いつも出していたけど、あの娘が亡くなってからは・・・たまにはね。お雛様も外に出てみたいだろうし」
 母が苦しそうに笑った。そんな母を見て、僕も頷いていた。
 「そうだね・・・」
 「あの娘が・・・生きていればねぇ・・・」
 母は、遠くを見るような目をして呟いた。
 僕はふすまを閉めると2階の自分の部屋に向かった。
 範子は、僕の双子の姉。子供の頃、僕や和恵と3人でよく遊んでいた。それが5歳のとき、3人でボール遊びをしていたときに、道路に転がったボールを取りに行って車に跳ねられて亡くなってしまったのだった。
 「ふ〜う・・・」
 僕はかばんから教科書を出すと、今日の授業の復習を始めた。しかし、さっきの母の姿が頭に残ってなかなか集中できない。
 『・・・やっぱり・・・辛いんだなあ・・・』
 ボ〜ッとそんなことを考えていると、
 「御飯よ!」
 階段の下から母の呼ぶ声がした。リビングに降りていくと父が既に座っていた。テーブルに料理が並んでいる。
 「さあ、食べましょう」
 母が微笑む。
 食事を終えて、風呂に入ると僕はブルーと白のストライプのパジャマに着替えた。バスタオルで頭を乱暴に拭きながらリビングに戻ってきた。和室に目をやると雛人形が綺麗に飾られていた。僕はしばらく雛人形を見つめていた。なぜだかわからない・・・人形が僕に何かを言っているように感じていた。
 「正範、ちょっと手伝ってくれ」
 父の声が聞こえて我に帰った。
 「ハイ!」
 僕は静かに和室のふすまを閉めた・・・。


 翌日、
 その日も僕は、窓の外から聞こえるすずめの声で目がさめた。
 「う〜ん・・・」
 僕はベッドの上で伸びをすると勢い良く起き上がった。
 「・・・?」
 何かおかしい・・・しかし、一体何が・・・?
 髪が耳にかかっている。僕は手で髪をかきあげた。
 「えっ・・・?」
 髪が耳に・・・? 僕の髪はそんなに長くは・・・それに視線を下に落とすと・・・。
 「・・・?」
 僕の胸には膨らみがあった。ふっくらと膨らんだ膨らみが僕の着ているピンクと白のストライプのパジャマを下から押し上げていた。そっと自分の手で胸を押さえる。それは見慣れた自分の手ではなかった。白く細い腕、そして細く綺麗な指が僕の意思に従ってパジャマの上から僕の胸を掴んだ。
 「あっ・・・」
 胸からの感覚に僕の口から声が漏れた。しかし、それは聞きなれた声ではない。胸からは触られた・・・そして細い指からは柔らかい感触が伝わっていた。
 「なんなんだよ・・・これは・・・?」
 思わず呟いた。しかし、それは女の子のような高く澄んだ声。
 「範子、起きなさい!」
 階段の下から母の声がする。僕は焦った。もし、こんな状態を見られたら・・・。
 突然、部屋のドアが開いた。
 「範子、いいかげんに・・・」
 母がこちらを見つめている。僕は、背中に冷たい物を感じた。
 『見られた!』
 そう思ったのだが・・・。
 「母さん、僕は・・・」
 ようやく呟く僕に、
 「もう! 起きているのなら返事くらいしなさい!」
 そう言うと母はさっさと部屋を出て行ってしまった。
 「早く降りてきなさい! 朝御飯が出来ているわよ」
 母の声を聞きながら、僕は呆然としてしまった。
 「おかしいと・・・思わないのかよ・・・」
 僕はもう一度変わり果てた体を見下ろすと、大きくため息をついた。そして、ベッドを降りて立ち上がると、部屋を出て階段を下りてリビングに向かった。
 リビングでは、既に父がスーツに着替えてトーストを齧っていた。
 「おはよう・・・」
 僕はか細い声で言うと、父の向かい側の椅子に座った。テーブルには、トーストとコーヒー、そしてベーコンエッグが並んでいる。
 「もう少し・・・早くおきるようにしないとな・・・」
 父が新聞を読みながら言った。僕をチラッと見ると。
 「オホン・・・さて、会社に行くか・・・」
 椅子の横に置いてあったアタッシュケースを持つと玄関に向かって歩いて行った。
 「行って来る」
 父の声が玄関から聞こえた。
 「行ってらっしゃい・・・今日は早く帰ってきてくださいね」
 「ああ・・・わかっている」
 母は玄関で父を見送るとリビングに戻ってきた。
 「あら・・・まだ食べているの? 大丈夫なの? 早くしないと遅刻するわよ!」
 
 食事を終えた僕は、自分の部屋に戻ってきた。
 今の僕は、少し時間が経った事もあって気分は落ち着き、さっきと違って今は冷静に周りや自分の様子が観察できる。
 まず、ドアの扉には、可愛らしいプレートが細いチェーンで付けられていた。
 『のりこの部屋』
 「のりこ・・・そういえば、さっき母さんは僕のことを”範子"って言っていたな・・・』
 ドアを開けて部屋の中に入ると、さっきは気が付かなかったが、僕の見慣れた部屋の雰囲気とは全く違っていた。
 「なんなんだよ・・・これは・・・」
 窓にはパステルカラーのカーテンが掛かり、ベッドにはピンク色のシーツがかけられている。枕もとには可愛らしいクマのぬいぐるみが置かれて、モノトーンの家具は、木目調の家具に変わっていた。
 「これじゃあ、女の子の部屋だよ・・・」
 僕はため息をつくとクローゼットの扉を開けた。中に掛かっていたのは・・・。
 「そんな・・・馬鹿な・・・」
 クローゼットの中には、女の子の服がずらりと掛かっていた。僕は制服を手に取った。グレーのブレザーと紺色のチェックのプリーツスカート・・・白いブラウスと紺色のリボン・・・。僕の学校の女子の制服だった。
 「ハ〜ッ・・・とにかく学校に行くには、これを着ないとしょうがないな・・・」
 僕はパジャマを脱ぐと姿見の前に立った。鏡を見た瞬間、僕は動けなくなってしまった。
 そこに映っていたのは、僕と同世代の可愛らしい女の子だった。丸みを帯びた顔とセミロングのサラサラの髪。男の頃は太かった眉は、細く綺麗に弧を描いている。大きな瞳はキラキラ輝いている。ふっくらして小さく可愛らしい唇。細い首。男の頃は広かったはずの肩幅は狭くなっていた。そして胸には豊かな膨らみがあり、それを薄いピンク色のブラジャーが覆っていた。そこからウエストがキュッと引き締まり、股間には男だった痕跡はまるでない・・・ブラジャーとおそろいの薄いピンク色のショーツが何もないペッタンコの股間を強調している。ヒップは丸く大きくなっていた。そして太ももから細く引き締まった足首へ続くライン・・・モデルも真っ青のプロポーションだった。
 「クシュン」
 可愛らしいくしゃみが部屋に響く。
 「早く着替えないと!」
 僕は慌てて制服を着ると、足に紺色のソックスをはいて、机の上に置いてあったかばんを手に持って部屋を出た。
 「行ってきます!」
 「行ってらっしゃい! 範子、今日は早く帰ってくるのよ」
 母の声を背中で聞きながら、僕は"女の子"として学校に向かった。
 
 僕はいつものように学校に向かった。しかし、いつもとは大きく違う。何しろ僕は女の子になってしまっているのだから・・・。
 「・・・学校に行くと・・どうなるんだろう・・・」
 僕は俯いて呟いていた。
 俯くと視線の先で紺色のチェック模様のプリーツスカートがふわふわと波打っている。そして何よりもいつものズボンと違って足同士が直接触れる感覚は、なんだか頼りない気がしていた。
 「帰ろうかなあ・・・お腹が痛いとか言って・・その方が・・・」
 そう思った瞬間、
 「範子! おはよう!!」
 誰かが後ろから僕の肩をポンと叩いた。
 「ワッ!」
 僕は大きな声を出して飛び上がらんばかりに驚いた。
 「キャッ!」
 声をかけた相手も驚いたようだ。僕は後ろを振り返った。
 「・・・なんだ・・・和恵か、脅かすなよ・・・」
 「こっちこそびっくりしたわよ・・・いきなり大声を出すんだもの・・・」
 和恵が笑った。僕は小さくため息をつくと、俯きながら学校に向かって歩いて行く。和恵もすぐに横に並んで一緒に歩いて行く。
 「高木さん、おはよう!」
 「範子、おはよう!」
 クラスメイト、男子も女子もニコニコしながら女の子の姿の僕に声をかけてくる。
 「おはよう・・・」
 僕も笑顔を作って答えていたが、しだいに憂鬱になっていった。だんだん俯いていく僕に、
 「どうしたの?」
 和恵が僕の顔を心配そうに覗き込む。
 「なんでもないよ・・・」
 僕は力なく首を振った。
 僕は考え込んでしまっていた。僕が女の子の姿になって歩いていても、誰も疑問を感じない。それどころかいつもと同じように声をかけてくる。幼馴染の和恵でさえも・・・それも”範子"という亡くなった姉の名前で呼ばれている。どういうことなのか、僕にはまるで想像がつかなかった。
 
 学校の教室に入って、僕は自分の席に座った。机の上にかばんを置くと、今までの自分のものとは感覚がまるで違う細く白い綺麗な指で、1時間目の授業の教科書を机の上に出していく。
 「高木、おはよう!」
 クラスの男子たちが僕の机の周りに集まってくる。
 『やばい・・・何か言われるのか・・・?』
 僕は、少し強張った顔で、
 「おはよう・・・」
 みんなの顔を見つめながら答えた。
 しかし、僕の予想に反してみんなは、
 「高木さん、ケーキの美味しい店を見つけたんだ。今日の帰りに一緒に食べに行かない?」
 「そうそう・・・俺たちと一緒にさ」
 見慣れた顔の男子たちが僕に声をかける。
 「エッ・・・? 僕と?」
 「もちろん!!」
 僕の顔は強張ってしまった。
 『そんな・・・こんなカッコをしていても、男とケーキなんか食べにいけるかよ・・・』
 困り果てて俯いていると、
 「あなたたち!」
 突然後ろから女の子の声がした。
 「あっ・・・佐藤!」
 男子生徒たちが『困ったな』と言う表情を見せる。
 「範子が困っているじゃない・・・もう授業が始まるわよ!」
 教室の扉が開き先生が入ってきた。男子生徒たちが渋々席に戻って行く。和恵が僕の肩をポンと叩いた。
 「ありがとう!」
 僕は自然に和恵に笑いながら御礼が言えた。
 「起立!」
 教室に声が響く。今日もいつもと変わらない一日が始まった。

 「範子、何をしているの?」
 和恵がボーっとしている僕に声をかけた。
 「エッ・・・?」
 「2時間目は体育でしょう。更衣室に行くわよ!」
 和恵は僕の細くなってしまった腕を掴むと廊下を引っ張って行く。
 「そんな・・・僕は・・・」
 「もたもたしないの!」
 僕は腕を引かれたまま女子更衣室に入っていった・・・。
 更衣室の中では、女の子たちが制服を脱いで体操服に着替えていた。
 「何しているのよ・・・・授業が始まっちゃうわよ!」
 和恵の言葉を聞いて、僕は俯いていた顔を上げた。
 「・・・!」
 目の前で和恵が制服を脱いで着替えている。白い肌。小振りだが形の良い胸を白いブラジャーが包んでる。子供の頃には着替えを見たというか、一緒に着替えをしたこともあるが・・・。
 「早く!」
 「うん・・・」
 僕はなるべくみんなの方を見ないで、制服を脱いで着替えていく。しかし、
 「こんなの履くのか・・・」
 僕の右手には紺色のブルマが握られていた。
 「範子!」
 和恵の声に急かされて、
 「くそ!」
 女の子らしくない言葉を吐いて、僕は目を瞑ってそれを履いた。



 「ハ〜〜ッ・・・」
 今日も学校の授業が終わった。僕は今まで経験したことのない一日を過ごして、すっかり疲れきっていた。
 「“あなたの知らない世界”だな・・・これじゃあ・・・」
 僕は呟きながら校門に向かって歩いて行く。
 「高木さ〜ん・・・」
 校舎の方からクラスの男子生徒たちが走ってくる。
 「やばい!」
 逃げようと思っても男の子の足の速さにはかなわない。僕はたちまちのうちに、みんなに囲まれてしまった。
 「高木さん、ケーキを食べに行こうよ!」
 「いいだろう!」
 男の子たちが僕に迫る。
 「え・・・だけど・・・僕は・・・」
 突然、誰かが僕の腕を引っ張って男子の輪の中から引っ張り出した。和恵だ。
 「残念でした。今日、範子はわたしの家にお雛様を見に来ることになっているの!」
 「佐藤! 邪魔するなよ!」
 「そうだよ!」
 男子たちが口々に言うが、
 「ごめんあそばせ!」
 和恵が笑う。僕は自然に男の子たちに微笑むと、ぺこりと頭を下げて和恵の後を追った。

 僕は、和恵の家でお雛様を見ていた。
 「ハイ! お待たせ!!」
 トレーナーとデニム地のスカートに着替えた和恵がケーキを持ってきた。
 「ありがとう!」
 僕と和恵は、お雛様を見ながらケーキを食べていた。なぜだろう。男の子の時より美味しく感じていた。
 「綺麗な雛人形だね・・・」
 僕は雛人形を見ながら言った。
 「そうでしょう・・・家のおばあちゃんの頃からあるお雛様なのよ」
 突然、
 「ねぇ、うちのお雛様、見に来ない?」
 僕の口が自然に動いていた。僕は、慌てて右手を口に当てた。
 『なんなんだ?!』
 僕は心の中で叫んでいた。和恵が僕を見つめている。
 「範子の家のお雛様を?」
 「うん・・・私の家も飾っているから・・・」
 「見たい見たい! 私、範子の家のお雛様を見るの、子供のとき以来だよ!」
 「じゃあ、これから来る?」
 「うん!」
 『何やってんだよ! 僕は女言葉なんて話したくないのに!』
 僕は心の中であまりの恥ずかしさに悲鳴をあげていた。
 「アッ・・・ちょっと待ってね!」
 和恵は母親を呼んでくると、僕をお雛様の前に座らせた。自分も横に座ると、
 「記念だからね!」
 『パシャッ!』
 写真を一枚とった。



 「ただいま〜」
 「こんにちは!」
 「おかえりなさい! あら、和恵ちゃん、いらっしゃい!」
 母が玄関まで迎えに来た。僕の方を見ると、
 「着替えていらっしゃい、晩御飯の準備が出来ているから。和恵ちゃんも一緒に食べていきなさいね」
 「ご馳走になります」
 和恵がぺこりと頭を下げた。
 「じゃあ、私は着替えてくるね」
 僕の意思に関係なく、体は勝手に和恵に声をかけると、僕は自分の部屋に着替えに行った。
 僕は慣れた手つきで制服を脱いでハンガーにかけると、クローゼットの引出しからトレーナーとジーンズを取り出して着替えた。鏡を見て髪を整えると階段を下りてリビングに向かった。
 「さあ、これで揃ったな」
 父が笑う。テーブルにはご馳走が並んでいた。
 「さあ、いただきましょう」
 母が言うと、父がビールの栓を抜こうとした。
 「あっ・・・お父さん!」
 僕は自分の意志に関係なく、父に声をかけていた。
 「範子・・・どうしたんだ?」
 「今日はひな祭り・・・」
 僕はビールの栓を抜くと、ニッコリ笑って、
 「ハイ・・・どうぞ・・・」
 父のグラスにビールを注いだ。
 「おっ・・・悪いね」
 父が上機嫌になる。
 「いいとこあるね、範子!」
 和恵がおすしを頬張りながら笑う。
 「まあね!」
 僕も自然に笑っていた。こうして楽しい時間が過ぎていった・・・。

 食事が終わった。
 「さあ、お雛様の前で写真を撮りましょう。でも、範子・・・もう少し女の子らしい格好をしていらっしゃい!」
 「はーい!」
 僕は、自分の部屋に行くと、クローゼットを開けた。迷った末に手に取ったのは、ピンク色のセーターと白い膝丈のフレアースカートだった。部屋を出てひな飾りの前に行くと、父がカメラを三脚にセットしていた。
 「よし・・・撮ろうか・・・」
 父が笑う。僕が真ん中に座って、横に和恵が座った。二人が微笑む。
 『パシャッ!』
 ストロボが光りシャッターが下りた・・・。



 翌日、
 
 「チュン、チュン」
 すずめの鳴き声で僕は目を覚ました。
 「う〜ん・・・」
 僕は伸びをすると跳ね起きた。
 「まさか!」
 僕は胸に手をやった。
 「あれ?!」
 昨日はあったはずの豊かな膨らみは綺麗に無くなっていた。股間に手をやる。そこにもいつもあるものが・・・。
 「・・・」
 部屋を見回す。そこは見慣れた僕の部屋だった。
 「どういうことなんだ・・・」
 僕は呆然として動くことが出来なかった。やがて、階段の下から母の声が聞こえてきた。
 「正範・・・起きているの?!」


 その日は、いつもの・・・男の僕の一日だった。それだけに、僕は昨日、自分の身に起きたかもしれないことが信じられなかった。しかし、昨日は僕が女の子だったということは、確かめることが出来なかった。和恵も、昨日は僕に言い寄ったクラスの男子も、みんなが僕は男だったと言って笑っていた。
 「どういうことなんだ・・・」
 呟きながら歩いていると、
 「正範くん!」
 後ろから和恵が髪を靡かせながら走ってきた。
 「昨日はご馳走様!」
 「えっ・・・?」
 「昨日、正則君の家で晩御飯をご馳走になったでしょう?」
 「アッ・・・そうだったね」
 僕も笑う。
 「そうそう、昨日、うちで撮った写真、出来ているよ! 一緒に写真屋さんに取りに行こう!」
 僕は、和恵に手を引かれて写真屋さんに行った。
 写真を受け取ると、和恵は中の一枚を僕に見せた。
 「ほらね! ”男の子”の正範くんが写っているでしょう?」
 確かに、その写真には、雛人形の前に和恵と一緒に座る僕が写っていた。
 「本当だ・・・」
 「もう・・・変なことを言わないでよね!」
 和恵が楽しそうに笑った。僕たちは店を出て行く。
 「あれは・・・夢だったのかな・・・それにしても・・・」
 僕は自分の胸に手をやった。
 『昨日は・・・・確かに・・・ここに・・・』
 「アッ?!」
 僕は立ち止まった。和恵も気がついて立ち止まった。
 「どうしたの?」
 「ごめん、先に帰っていて。僕も写真を現像に出していたのを忘れてた」
 僕は急いで写真屋さんに走っていった。
 

 「ただいま!」
 「おかえりなさい!」
 和室から母の声がした。襖を開けると昨日まで飾られていた雛人形を、母が片付けているところだった。もう、大部分の人形や飾りは箱にしまわれていた。もう、残っているのは内裏雛とお雛様だけだった。
 「すぐに支度するからね」
 母は台所に歩いて行った。僕は小さくため息をつくと畳の上に座り込んで雛人形を見つめていた。思い出したように、さっき受け取った写真を袋から出すと、一枚一枚見ていた。そして・・・。
 「これは?!」
 僕は体が震えだした。たくさんの写真の中で一枚だけ・・・この雛人形の前で写した写真には、あの、僕の変身した姿が写っていた。僕は、じっと写真を見つめていた。
 「・・・そうか・・・そうだったんだ・・・」
 僕は自然に笑みが出てきた。
 『昨日は、亡くなった姉が僕の体を借りてひな祭りにやってきたんだ・・・青春時代を経験することなく亡くなった姉が・・・家族や和恵と楽しい時間を過ごすために・・・』
 僕は、写真から雛人形に視線を移した。
 「・・・楽しかったかい? 姉さん。 僕も、普段出来ないような経験をさせてもらったよ。ありがとう!」
 声に出して呟いていた。
 「正範、ご飯よ!」
 「はーい!」
 台所から母が呼ぶ声に答えると、僕は写真を制服のポケットにしまって立ち上がった。この写真は、姉と僕の思い出にずっと持っているつもりだ・・・そして、もう一人の僕の存在した思い出としても・・・。
 和室を出る前に、僕はもう一度雛人形を見ると、静かにふすまを閉めた。
 僕には雛人形が、僕に向かって優しく微笑んだように見えた・・・。






 こんにちは! 逃げ馬です。
 久しぶりの投稿になりますね。
 3月はひな祭り、女の子の節句。それをテーマに書いてみたいと思って久しぶりに書いてみました。いかがでしたか?
 正範君と、亡くなったお姉さんの範子さん、正範君は、お姉さんの思いを受け止めていたようですね(^^)
 
 今回も、最後までお付き合いいただいて、どうもありがとうございました。また、機会があれば作品の中でお会いしましょう!

 2002年3月3日 逃げ馬