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イミテーション・ダンディズム

(男らしさが贋物の時代に)

原案 八雲裕紀
作  かもライン


第四章 還るべき場所

「おはよう」
第二工場の事務所に、今や高梨徹となった佐伯聡美が出社してきた。
「よぉ、もういいのか」
「大変だったでしょう?」
「よかった。心配してたのよ」
「仕事たまってるぜ。覚悟しろよ」
行く人行く人が挨拶していく。
聡美もこの会社にいたから分かる。本当に高梨徹はこの会社で顔が広い。
聡美にとって不幸だったのは、それは徹が純男だったからと勘違いしていた事だろう。
「よぉ、もういいのか」
「わっ、痛っ!!」
安藤がバシンと背中を叩いてきた。結構な力だ。
「あ、すまん。病みあがりだったな」
高梨(佐伯)は、くるっと振り返り安藤の顔を一瞥して
「気をつけろよ」
とだけ言って、さっさと行ってしまった。
「何だ?」
その反応に安藤は首をかしげた。

その日の昼休み。
社員食堂で、山崎営業部長は昼食をとっていた。
「ここ、いいですか」
「あ、どうぞ」
安藤は、山崎の前に昼食のトレイを置いて座った。
「今日から高梨くん、出社して来ているのよね」
「はい。って、あれ?まだ部長の所へ挨拶というか報告には来てなかったですか?」
「第一・第二で分かれているからでしょう。朝、顔を合わせた時、挨拶はしたけど」
「おかしいっスよね」
「何が?」
山崎は安藤の話に耳を傾けた。
「だって今までの高梨だったら、1日風邪ひいて休んでも、工場全部所まわって休んでい
る間に何か変わった事ないか、とか休んで迷惑かけてないかって、それで大概午前中つぶ
していたんスけど…」
一生懸命なんだけど、不器用なのよね、と山崎はいつも感じている事だ。
「今回は違ったの?」
「俺は席が隣なんで見てましたら、ずっとパソコンで休みの間の状況や、その間に俺とか
他の奴とかが処理した分とかチェックし始めて、俺なんかが説明しようとしたら、レポー
トだけで充分とか言って、何か仕事はよく出来る様になったんスけど、何か人が変わった
と言うか…」
思わず山崎の箸が止まった。
「安藤くん。今何って?」
「え?高梨は仕事はよく出来るような感じになって…」
「じゃなくて、次」
「人が変わったみたいだって…」
山崎の頭の中で、何かが氷解した。
「まさか…」
山崎はすくっと立ち上がり、食べかけのランチをその場に置いたまま、立ち去った。

第二工場事務所。
昼休みと言うのに、高梨(佐伯)はもう、仕事を始めていた。
その上でプリントアウトした書類を見せながら、女子社員を怒鳴っていた。
「そんないいかげんな仕事をされちゃ困るんだ。こっちはそんな細かいところまでチェッ
ク出来ない。これは逆にミスで桁が跳ね上がっていたから気がついたけど、気がつかなか
ったらこの数字が先方さんに送られてしまうんだ。」
怒られている女子社員はシュンとしている。
とそんな時に、駆けつけた山崎部長の姿をみた。
「あれ?何ですか山崎部長。こんなところまで」
山崎は、そんな高梨の顔を見た。
確かに顔のつくりは高梨だった。
しかしその表情、人を人とも思わない見下したような目付き、自分が一番正しいといっ
た絶対的なプライド。高梨は絶対、こんな顔にはならなかった。
『なぜ、気付かなかったのだろう。朝、一度見ていたはずだったのに…』
「何ですか。すみませんが今夜は忙しくて相手できませんよ」
その言葉が終わる前に、山崎は走りだしていた。
『やっぱり、やっぱり私がついていないといけなかったのね』
「何なんだ?」
山崎部長は去っていき、高梨(佐伯)は何が何だか分からず、つぶやいた。
目の前の女子社員はそれすら聞いていなかった。ただ、どうやってこの場をのがれよう
か、ごまかそうかとかしか考えていなかったから。

山崎は物流作業所に来ていた。
目の前に、作業車仕様のミゼットZが置いてある。
近くで飯塚主任が作業している。
「この車、使える?」
山崎は飯塚に声をかける。
「使えるも何も、午後から使用しますが…」
「ごめん、別の車使って」
そう言い、山崎はその車に乗り込んで、一気に発車させた。
その様子を見ていた他の作業員が近付いてきた。
「あれ?今日、あれ使うんじゃ」
飯塚主任は、山崎が乗っていったミゼットZを見送り、ちょっと考えるポーズをとりな
がら頭を掻いた。
「急遽変更だ。もう一台、タイタンパー出して立ち上げとけ」
「ええっ!マジッスかぁ」
ぶつくさ言いながら、若い作業員は奥の倉庫に向かった。

「まだ、大丈夫よね。大丈夫よね」
山崎は、かなり乱暴に他の車を追い越しながら、北へ北へとミゼットZを走らせた。

山崎は搭載していた約25キロのパックパックを装着した。
山崎の小柄な身体で25キロはかなりきついが、小学生をおんぶしていると思えば、身
動きが取れないくらいという程ではない。
山崎はこそこそせず、むしろ堂々と入り口から入っていった。病院サイドも色々な人達
が出入りしている様だから、山崎も全然疑われる様子はなかった。
二階に上がり、かつて高梨が入院していた部屋の前に立った。
ドアノブを持って回そうとする。
鍵がかかっている。
「やはり」
山崎は、後ろ手でバックパックの電源を入れた。
低いうなり音と共に、システムが立ちあがっていった。
「乱暴だけど仕方ないわね」
バックパックに格納されていた、巨大なマニピュレーターが左右に二本、前の方にスラ
イドしてきた。そこに山崎は自分の両腕を入れ、固定する。
前から見れば、山崎から巨大な腕が生えている様に見えるだろう。
これが工事用のパワード・アーム、通称タイタンパーであった。
溶接・固定・切削・ボルト締めから、固定脚で安定させれば、1.5トンまでのものな
ら持ち上げられる。
山崎はその腕で、ドアノブを引いた。ノブがちぎれた。
その開いた隙間に、マニピュレーターを入れて、ドアをこじ開ける。ちょうつがいがひ
しゃげ、ドアごと外れてしまう。
山崎は中に入った。
予想通り中には、バーチャルダイブ覚醒時に会った時と同じ新生体の女性がいた。
彼女は何が起こったのか分らない表情であったが、山崎の顔に気付き、
「部長…」
とつぶやいた。
山崎は、その彼女が間違い無く高梨であると確信した。
思わず、彼女の元に駆け寄った。
「高梨くん…」
「部長、なぜ…」
「それは私が聞きたいわ。なぜ貴方はまだここにいるの」
そう言われて、高梨は自分の格好を見下ろした。
まだ女性のままの、患者着姿の自分の姿を。
「私はもう、高梨徹じゃありません。名前も無い実験用の新生体です。もう、日本国籍を
持った人間ですら…」
そう言いながら、高梨は顔をそむけた。
「どういう事なのか説明して」
「で、でも…」
「説明しなさい。じゃないと、何がどうなっているのかも分からないわ」
仕方なく、高梨は説明し始めた。
リグバグダに大金がかかること。自分が先物に手を出した事。全ては騙されていた事。
黙っておけばいいのに、自分が女性として犯されてしまった事、また自分もそれを受け入
れてしまった事なども、素直に話してしまった。
それら全てを山崎は聞いていた。
聞きながら、唇を噛んでいた。
「だからもう、私は…」
「帰りましょう」
山崎は高梨の声をさえぎった。
「帰るって、私にはもう」
「だったら、私の家に来なさい。あなたはもう、ここにいては駄目。あなたは人間よ。こ
んなところにいたら…」
そのころ、だんだん外が騒がしくなってきた。
ばたばたと人の走る音、人の声が聞こえる。
「しまった。気付かれたわ」
山崎は舌打ちした。
これだけ荒っぽい事をして入ってきているのだから、早々に出ていくべきだったのだ。
やがて、外が落ち着き、何人かの人達が入ってきた。
新男のガードマンと白衣の研究所員。
そして、その真ん中に、園田研究所長が。
「誰かと思ったら、部長さんだったの。佐伯が彼女を取り返しに来るかもと、鍵をかけて
おいたけど、意外な人が来たものね」
「もしこの本当の事を知ったら、来たのは私だけじゃないわ」
「純男の魅力?。でももう彼は、というより彼ですらなくなっているのかしら」
「あなたも純男に惑わされている一人ね。私は純男だから来た訳じゃない。中身が高梨く
んだから来たの」
「強がりを!」
園田は、吐きすてる様に言った。
「でももうこの娘は純男じゃないわ。今帰るのなら、見逃してあげるけど」
「冗談。帰るなら高梨くんも一緒。返してくれないなら、実力行使するわ」
山崎はタイタンパーのグリップを握った。
マニピュレーターの先がバチッと放電する。作業用だが、人を相手するとしてもかなり
脅威のシステムでもある。
「所長!」
ガードマンと研究所員が、所長をかばうように動いた。
それを園田は手で制した。
「警察を呼ぶわよ」
「呼べるものならね。全部しゃべれば、貴方にも責任は及ぶわよ」
「あれは…」
佐伯聡美が、と言おうとして黙る。
その当時、聡美はここの研究所員で、園田にとっては愛人でもあった。
それも、事を公にする為には全て話さないといけないのだろうか。
園田は自分自身が不安になった。
『あ…』
山崎の足がわずかによろけた。バックパックの重みが堪えているのだ。
持久戦になれば、彼女達の方が不利になる事は明らかだった。
でも…。
思わず園田は尋ねた。
「山崎さん。あなた、そこにいる高梨クンはもう、昔の高梨クンじゃない。それでも、そ
んなみっともない格好をしてまで、連れて行こうとしているの?」
「言ったでしょ。私は純男だから、とかそうでないからとかは関係ないって」
「愛しているの?」
園田のその問いに、一瞬山崎は言葉を失った。
しかし、落ち着きを取り戻し、山崎はきっぱり言い切った。
「ええ。私は高梨くんを愛しているわ」
「強がりは言わないで」
「強がりじゃないわ。私は本当に高梨くんを愛している。むしろ純男だった時は私自身が
釣り合わないと思って押えていたけど、逆に今の高梨くんだからこそ言えるわ」
山崎は、体格に合わないシステムを背負って、さらに足がふらついた。
園田が一言命令すれば、あっさり取り押さえられだろう。
「滑稽ね」
「試してみる?」
ある意味、すごくみっともない姿だった。
しかし、だからこそ、愛が真剣だと感じられもした。
なりふり構わない、必死な姿だと思った。
園田はふと、自分自身がそこまで人を愛せるかと感じていた。
園田としては、聡美と愛人関係にあった。でも真剣に愛していたかは、今となってはも
う自分でも分からなかった。ただ愛欲に溺れていただけかもしれない。
なぜなら園田は、去っていく佐伯を追いかけられなかったから。
男の姿になった佐伯に、愛を感じなかったから。
園田には、他人の目と自分のプライドを気にして、追いかける事も、情にすがりつくこ
とも出来なかった。
山崎と目を合わせた。
真剣な目。自らを犠牲にしても、いや自分の立場や財産全て投げ打ってでも、押し通そ
うという強い意志。
新男にならず、女のままで互いに責任あるポストについた者同士、そこにあるのは互い
の女としての意地だった。高梨と言う対象を挟んだ。
ただ違うのは、山崎は高梨を愛し、園田は高梨に、失った愛の怒りをぶつける対象とし
ているという事。
園田は感じた。
彼女は自分だ。
必死で愛を守ろうとして、でも私には守れなかった。
この悲しさを、憤りを、自分の我儘でつぶしていい筈がない。
園田は、警備員に『取り押さえなさい』と命令しかけたその手を、逆に押えた。
「今の私には、佐伯聡美をどうこう出来ない。だから高梨くんに身体を返すことは出来な
い。聡美自身が返す気になったのなら、手術はしてあげられるけど、今の聡美には…」
園田は、自分自身、何を言っているのか分からなかった。
打たれたのかもしれない。山崎の姿に、言葉に。
「そこまでは望まないわ。ただ高梨くんを普通の生活に戻したいだけ」
「それと身体とかは何とか出来ても、IDまでは用意できない。聡美のIDは聡美自身が
持っていった」
「大丈夫。高梨くんは私がずっと面倒みるから」
山崎と園田は目を合わせた。
そして、どちらからともなく、口元がゆるんだ。
同調してしまったのかもしれない。女として、仕事にしか生きがいを持てなかった者と
して。また、やっと愛に生きることに気付いた者として。
「貰っていくわよ」
山崎は高梨をかばうように歩き始めた。
その動きに、ガードマンはプラズマ特殊警棒を構えた。が、それを園田は制した。
「道をあけなさい。2人を行かせなさい。」
やがて彼女らが動くその先の人垣が、2つに割れた。その中を、山崎と高梨はゆっくり
歩いていった。
襲いかかるつもりなら、いつでも出来た。
しかし、出来なかった。
角を曲がり、見えなくなった先を追いかけようとした者をも、園田は制した。
そして、入り口・受付にも手を出さないように電話した。

駐車場のミゼットZに着き、高梨を助手席に座らせ、荷台にタイタンパーを降ろした山
崎は、運転席に戻って、手早く車を出した。

高梨には、今まで起きた急展開に、私はもう何が現実で、何がバーチャルなのかも分ら
なかった。いや、現実は現実。全ては現実だった。
現実だが、頭はそれを理解する事を拒んでいた。
部長はマンションへと直行し、私を部屋に連れて入ってくれた。
部長は独身で、一人暮らしだったが、部屋は綺麗に片付いていた。
高梨はずっと黙ったままだった。
部長は、そんな高梨をソファに座らせてくれた。
「ねぇ、どうしたの。嬉しくないの。やっぱり、嫌?。私なんかが一緒で」
「違うんです。そうじゃないんです。私なんかが、私なんかの為に、部長にも迷惑をかけ
てしまいました。そして、こんなに…こんな私を好きだって言って貰って」
私は部長に迷惑をかけている。
今回の事も、一歩間違えば警察沙汰になって、部長も今の地位を追われる事になっても
おかしくない。そんな危険を冒してまで、自分の事を…。
「高梨くんは、私の事嫌い?」
「そ、そんな。大好きです。だからこそ、だからこそ、私は部長に迷惑は…」
「迷惑だと思ってる?」
「分かりません…」
部長は、私の肩に腕を回すようにして背中を抱いてくれた。
「私は、あなたがやっと出社してくると聞いて、凄く嬉しかったわ。元はといえば、私が
あのバーチャル・ダイブに連れて行ったのが、事の始まりだったものね。責任感じたわ」
「……」
「で、出社してきたあなたが、あなたじゃないと分かった時、私は半狂乱になったわ。こ
こにいる高梨くんが高梨くんじゃないのなら、本物の高梨くんはどこ?って」
「……」
「それであなたを見つけられた。それがどれだけ嬉しかったか分かる?私、あなたが無事
なら、もう自分の生命もいらないって思ったわ」
「そんな。そんな。私なんか」
「私なんか、なに?」
部長は抱いた腕をさらに力をいれた。暖かさが心地よかった。
「私なんか、いつも部長に迷惑ばっかりかけていて、そして今回も」
「でも、私はあなたが大好き」
「……」
「許されるなら、私はあなたと結婚したいわ」
とたんに私は、我慢していた感情が噴出していくのが分かった。
涙がぼろぼろ流れていた。
部長に正面から抱きついていた。
「私だって、私だって部長と結婚したい。結婚したいけど、私には、もう私にはIDが」
IDは、人権そのもの。IDがなければ結婚も出来ない。
「そうね。あなたにはIDがない。IDがないという事は人権がないという事」
部長はやさしく抱きしめてくれた。
「だったら、あなたは私のもの」
「え?」
私は思わず顔を上げた。
部長がにっこり笑ってくれていた。
「もう絶対離さない。私だけのもの。嫌?」
「あ…」
私は背中にぞくっとするものを感じた。
私が、私が部長のもの。
聡美に言われた時は、嫌悪感しか感じなかった。
目の前が真っ暗になった。
でも、同じ事を部長に言われた時、全身がとろけそうになった。
股間の奥から、じゅん、とするものを感じた。
私は、私は部長のものなんだ…。
「そして、あなたの身体は立派な女。私はもう上がっちゃって出来ないけど、体細胞から
擬似精子は作れるわ」
「え?そ、それって…」
考えもしなかった事だった。
「あなたさえよければ、私の、いいえ、私達の子供を産んでちょうだい」
ああ。私は、私は部長の子供を産むことが出来る。
私と部長の…。ああ。
その一言で、私はもう、感極まってしまった。
気がついたら、私は部長の唇に唇を重ねていた。
吸って、吸われて、舌が絡まった。
ざらざらする舌が、それぞれの相手の口の中をさぐる様に動いていた。
濃厚な、とても濃厚な口づけだった。
唇を交し合いながら、涙が流れていくのを感じた。
「好きです。好きです。ずっと、昔から」
「私もよ。もう離さないわ。ずっと私だけのものよ」
抱き合うその手が、いつしか服の中に滑り込んでいた。
女と女ではあったが、
いや女と女であったからこそ果てしなく続いた。
この今の自分の身体で、何度も絶頂を感じ、部長をも何度もイカせた。溶けるように、
何もかも忘れるように、交わり、唇を奪い、お互いを慰めあった。
舌を絡ませてキスをして抱き合った。
抱き合って私達は眠った。
部長が私の髪をなでた。
目と目が合った。
それだけで幸せになれた。
「いつまでも、部長じゃ困るわね。私の事は、優子って呼んで」
「はい。優子さん」
そう呼ぶだけで、今までより、ずっと近くに感じた。
「あなたの事は、高梨クンじゃないし、もう徹でもないから…」
「じゃあ、真理って呼んで下さい」
「真理?」
「バーチャル・ダイブで、初めて優子さんと交わえた時の名前…」
「真理かぁ…」
優子さんは何度か口の中でつぶやき、
「真理」
と、呼んでくれた。
「はい」
私は応えた。
「愛しているわ」
「私、今までで一番幸せです」
再度、私達は抱き合った。
その時!突然、インターホンが鳴った。
絶頂まで舞い上がった感覚が、現実に引き戻された。
「あ…」
私は思わず優子さんにしがみついた。
しばらくして再度、インターホンが鳴った。
「出てくるわ、ここで待ってて」
優子さんはバスローブを羽織って立ち上がった。
「あ…あの…」
私は何を言っていいか、言葉にならなかった。しかし、
「大丈夫、何があっても、私達はずっといっしょよ」
そう言い、優子さんは玄関に向かった。

 インターホンに対し、
「あ、はい」
 徹(聡美)は面倒くさそうに立ち上がって、玄関まで歩いていった。
徹(聡美)は会社をあっさり定時で上がり、高梨徹の部屋で、過去の記録を調べていた
ところだった。
徹(聡美)はマンションのドアを開けた。
そこには会社帰りなのだろうか、スーツ姿の安藤が立っていた。
「あ、やぁ。どうしたんだ?用があるなら電話でもいいのに」
なんとなく、取りつくろうようにしゃべる徹。
そんな徹に、安藤はいきなり襟首をつかんだ。
「な、何をする」
もがいて逃れようとするが、安藤の強力に振り回されるだけだ。
「俺はバカだから、言われてやっと気がついたよ。お前はやっぱり高梨じゃねぇ」
「どどど・どういう事だ」
徹は、苦しさにジタバタする。しかし、力を入れれば入れる程、逆に首が絞まる。
「さっき山崎部長の家に行った。そこに本物の高梨がいたよ。女の子になってはいたがな。」
「あ・あ・会ったのか。彼女に…」
 とぼけようと思えば、いくらでも出来たのかもしれないが、その強引な展開に、その事
すら徹(聡美)は忘れていた。
「ああ。話は全部聞いた。もっとも他言無用と釘はさされたがね。でもあんたはこの問題
について他人じゃないからな」
「う、うぐ…あふ」
徹の首が絞まってきて、安藤は少しゆるめた。あくまでも少しだが。
「で、俺をどうするつもりだ?。俺からこの身体を取り戻せってか?」
安藤は目をつぶって首を振った。
「いや。もう、この問題には何もしないでくれと言われたよ。こんな事で今後も変な陰謀
に巻き込まれるくらいなら、男の身体なんかもういらない、って泣かれたよ。」
そう言われ、徹は少し安堵した。
少なくとも当事者から何もするなと言われて、無茶はしないだろうから。
しかし、甘かった。再度首が絞まった。
「でも、当事者のお前が生きていて、彼女達の前に現れる可能性がある。それは彼女達の
幸せをゆるがす大問題だ。だから俺は今、お前を殺そうかと思っている」
言われた瞬間、徹の顔が真っ青になった。
「大声出してもいいんだぜ。多分それで誰かが駆けつける前に、お前の首の骨ぐらい折れ
るからな。」
「ま・ま・ま・待て、俺を殺したら、お前も刑務所行きだぞ」
「構わないさ。10年・20年くさい飯を食うのも。でも、お前は確実に死ぬ。それで充
分だ」
「ま・待て、話し合おう。お、お前、純男になりたくないか。俺の今のこの身体をやる。
適齢の純男の身体は、闇ネットでも…うぐぁ」
途中まで言いかけたところで、徹は安藤に吊り上げられていた。
襟首を持ったまま、片手で、である。
「うぁ、ぐぉあ、かふっ、かふっ、あぐぅぅぅ」
徹は、酸素を求めてもがいた。
目が白黒し、顔が紫色になってきた。
やがてジタバタがなくなったのを見て、安藤は徹を床に転がした。
死にも、気絶もしてはいないが、徹は、ゼーハーゼーハーと呼吸を整えている。
そんな徹の股間を安藤は踏みつけた。
会社支給の、鋼板が仕込んである安全靴だ。
力は入れてないが、力を入れればいつでもつぶせる体勢だ。
「あ…」
徹はそれに気付き、払いのけようと両手で安藤の右足を掴んで逃れようとするが、その
程度では、びくとも動かなかった。
安藤は徹を見下ろした。
「二度と俺の前で、そんな事を言うな。高梨は俺のかけがえのない親友だ。そんな親友の
身体を俺は使えねえし、高梨以外の人間が使っているのも見たくねぇ」
「お、俺を・こ・殺すのか?」
徹はガタガタ震えながら、言葉をつづった。
「条件がある」
「え?」
徹は、最初は何を言われたのか分からなかった。が、しばらくしてそれは自分が殺され
ない為の条件だと気付き
「あ、ああ。分かった。俺に出来ることなら」
と、取り繕うようにしゃべった。
「まず、佐伯聡美のIDリングを貰おうか」
「聡美?。高梨徹の方じゃないのか?」
「高梨徹の身体が生きているのに、IDだけ貰っても、無効申請されるだけだろう。この
まま息の根を止めるのなら別だが」
「あ、ああ。分かった」
高梨は、ポケットからリングを取り出して、渡した。
安藤の声は決して冗談を言っているようには聞こえなかった。
安藤は無言で受け取り、ポケットに入れた。
「それともう一つ。外国とは言わん。どこか遠くへ去れ」
「え?」
「聞こえなかったか?」
「い、いや分かった」
今の安藤に、ヘタな事を言うと、何をするか分からない恐さがあった。
しかし、その恐さはある意味やさしさの裏返しで、(本物の)高梨の為になら、生命を
も投げ出そうとしている態度のあらわれでもあった。
それで高梨(本物)が喜ぶかどうかは定かではないが、安藤にはそれしか出来ない。
要するに、不器用なのだった。
「でも、1週間待ってくれ。退職と、転居の手続きを取りたい」
「・・・・・・・・・・・・」
謎の沈黙があった。
徹はその答を待つ間、息が出来なかった。
しかし程なくして、
「分かった」
と、安藤は短く言った。
「ただし、それ以降お前の顔を見たら殺す」
冗談ではなく、本気だろう。街で会ったりしたら追いかけられて、本当に殺されるだろ
う。それが大勢の人達が見ている所であっても。
「あ、ああ。分かった」
再度、徹は素直に返事した。
そう返事する以外に、何が出来るだろうか。
安藤はそれを聞いて、股間に当てていた足をどけた。
「邪魔したな」
くるっと回転し、玄関を出て行った。
来た時と同じく、唐突に出て行った。
出て行ってからも、たっぷり30分、徹(聡美)は動けなかった。
今の出来事が夢でない証拠に、徹の首には真っ赤な手形が痕になっていたし、ポケット
に入っていた聡美時代のIDリングは、もう手元には無かった。

エピローグ
お昼休みの、第一工場前の中庭。
先ほどから、カコーン・カコーンと心地よい金属音が響いていた。
そこには、お昼をさっさと済ませた飯塚主任が、18インチの大型配管にこびり付いた
汚れをノミとゲンノウでもってこそぎ落としているところだった。
配管の材質は、鉄・チタンの他、ニッケル・モリブデン等による無重力合金だから、こ
びりついた汚れは、通常なら強酸もしくは苛性などに漬け込んで落す。そうでなくても、
その手の洗浄方法として、砂状粉末を噴射して叩きつけるブラスター洗浄。高速反転電解
プラズマ洗浄。超音波洗浄。レーザー洗浄。低温絶対零度化洗浄。真空洗浄。グラビティ
(重力子)洗浄など、時代と共に色々な洗浄方法が確立されてきたが、それでもこの熟練
した人の手を使う方法が一番効率が良いというのも、科学の進歩が絶対ではない事を感じ
させる。
大まかな汚れの塊を落とした後は、ちゃんと低温化したり酸洗して電解にかけるにしろ、
その手間はかなり短縮はされる。
ただし、万が一にも、配管は傷つけてはいけない。
汚れだけを剥離させないといけない。
ちなみに原子力配管や、ジェットやロケットエンジンのノズルで今、それが出来るのは、
この会社では飯塚主任と定年間近の鳥飼課長(一応純男)くらいだろう。
その作業をボケーっと、安藤は見ていた。
別にその作業が面白くて見ている訳ではないらしい。
なぜならその目はうつろだから。
「おい、もう飯は食ったのか」
気になって、飯塚の方から声をかけた。
「いえ、まだッス」
「ちゃんと食っとけよ。力が出ないぞ」
「食欲が無いんス」
「恋わずらいか?」
飯塚の言葉に、思わず安藤は顔を上げた。
さらっとした風が、頬をなでていった。
とその時、向こうから声が聞こえた。
「あ〜、いた〜っ。」
その声の持ち主は、履き慣れないハイヒールでよろけながらも、こちらに走ってきた。
OLの制服を着てはいるが、まぎれもなく真理本人であった。
あの出来事の後、真理は佐伯聡美のIDから新生体への変更を届けた。同時に山崎とも
結婚し、ちょうど山崎の伯母にサトミという名前の人物がいるという理由を使って、正式
に真理へと改名したのだ。
もはや戸籍上に佐伯聡美は存在しない。
高梨の新しい名前としての、山崎真理がいるから。
山崎優子は、営業部長としての肩書きを使って、真理を営業部事務員として採用した。
真理のたっての希望と、優子としても自分の目の届くところで働かせたかったという事
でだ。
さすがに角は立つので、本当の理由を専務と人事部長には話して了解を取ってある。
また、自分のすぐ下に置くのも部下の手前良くないので、第二工場で安藤のサポートと
いう形を取っている。辞めた高梨の担当をごっそり引き継いで、大変だからという理由で
だ。当然の事ながら、高梨担当の得意先のノウハウは真理が全て知っている。
まさに適材適所であった。
安藤の気持ちを除けば…。
真理は、ようやく安藤の元にたどり着いた。
「もう、席を外すなら外すで、携帯くらい持っていて下さい。マルケン科学さん見積もり
まだかって、カンカンでしたよ」
そう言いながら、安藤のその手に携帯電話を渡し、
「連絡だけは取っといてくださいね」
と、念を押した。
安藤は目をそらしながら、
「あ、ああ」
とだけ答えた。
「じゃあお願いしますね」
と言い、真理はまた走って行ってしまった。
手に色々、書類の束やプラダンの箱等持っているところから、あちこちから頼まれた用
事の数々であろう事が分る。
「お〜い。あんまり走ってこけるなよ!」
後ろから飯塚が声をかける。
しかし、建物を曲がった直後、向こうから
「あ〜っ!!」
と、声が聞こえた。
「転んだな」
「はい…」
飯塚はノミ・ゲンノウを足元に置き、タバコを出して口に咥えた。
「しかし、いい娘じゃないか。コネ採用って言ってたけど、まあ、わしらにしてみれば仕
事が出来るとか、職場が明るくなるとか、会社にとってプラスになるかどうかの方が問題
だからなぁ」
「そうッスね」
安藤は相変わらず、気の無い返事だった。
「お前の恋の相手も彼女か?」
「その通りッス」
「いやに簡単に認めたな」
「こんな事、隠しても無駄ッスから」
飯塚は安藤の顔をのぞき込んだ。
「そんな事でウジウジしてねえで、思いきってスパッと告白しちまえよ」
飯塚としても安藤を、同じ骨のある新男として気に入っているから、助けが必要なこと
にはちゃんと力になる。安藤としても、行くあてが無くなっても、ついぶらりとここに来
てしまったという感じでもある。
「でも完全な俺の片思いッス。彼女、山崎部長のメイトですし」
新男と女なら夫と妻だが、互いが普通の女同士の結婚の場合、相手の事はバディ・パー
トナーとかメイトと呼ぶ。
「そうか。そうだったな」
「そうッス」
 安藤はあくびして、身体を大きく延びをする。
 告白って、奪って、彼女が幸せになるならいいが、既に今の状態で最高に幸せなのだか
ら、今の安藤に出来る事は、それを見守る事だけなのだ。
飯塚は、ため息つくように煙を吐き出すと、吸殻を携帯灰皿に押し込んだ。
「ところで、その彼女なんだがなぁ」
「はい」
「何か気になるんだ。そう、元気があって、結構ヘマやって、ドジで、でも笑顔が気持ち
良くて、頼んだ仕事は断りきれなくて、いつも走り回っていると言うか。何か、以前にも
そんな奴いたよなぁ」
飯塚は片手を頭にあて、どうもしっくりいかない様な感じで首をかしげた。
「さあ、どうでしたかねぇ」
安藤はスーツのまま、中庭に寝転んだ。
雲がゆっくり流れていくのが見えた。

《END》


あとがき
これは私にとって、初めて世間に発表しながらエンドマークを打った作品になります。
(良い子の代償、もうちょっと待ってね)
原作と同じような終わり方をするのなら、三章でおしまいなのですが、どうも私の性格
上、やっぱり主人公には幸せになってもらいたいし…。
幸せですよね?。
端から見たら不幸かもしれないけど。
私自身まだまだ未熟で、何をどうすれば面白くなるのか、どう表現すれば私の意図が伝
わるのか、まるで分かっていません。私の中の読者である部分は、色々文句や注文をつけ
たりしますが、かなりマニアックな人格なので、あまり参考にならないし。
出来ればこれを読んで、変だと思った部分、面白くない部分は、遠慮なしに言って下さ
い。また、逆に面白かった表現やセリフ・シーン。また好きな・嫌いな登場人物なども教
えてくれると、助かります。
そうすれば、今後少しは面白い物語を提供できると思いますので。
では、変な問題に巻き込んでしまいながらも、いろいろと骨をおってくれたり、このよ
うな拙い作品を掲載してくれたりしたPoPoさんに感謝を込めて。

2002年1月 かもライン