佐伯屋
海外コンプレックス
第3回・平成13年12月28日
チャンピオンシップ頃の風物詩企画
Jリーグ2ステージ制を考える
セルジオ越後氏の嘆きの声
 
 第1ステージ王者・ジュビロ磐田対第2ステージ王者・鹿島アントラーズの間で行われた2001年J1リーグ・チャンピオンシップは小笠原の芸術的フリーキックによる劇的なVゴールで幕を閉じ、鹿島が3回目のチャンピオンシップ制覇を成し遂げた。
  この時期になると、いつもチャンピオンシップについての批判の声が聞こえてくる。『週刊サッカーダイジェスト』誌の名物コラム『天国と地獄』の解説者・セルジオ越後氏の嘆きは毎年聞かれる。もはや風物詩だ。今年もきっとイラストは怒った顔になっているはずだ。
  チャンピオンシップの批判とは何かと言えば、年間最多勝チームが優勝チームではないということである。今回のチャンピオンシップで言えば磐田が第1で優勝、第2で2位とチャンピオンにふさわしい成績であり、もし磐田が勝っていれば皆が納得できて万々歳のはずだった。ところが勝ったのは第1で11位と低迷し第2で持ち直した鹿島だった。磐田に同情が集まるのは当然である。そしてチャンピオンシップ批判の本質は2ステージ制批判である。1ステージが世界の主流(アルゼンチンリーグは2ステージ)なのに、なぜJリーグは2ステージなのかと。今回はチャンピオンシップの正否と、どうしてJリーグが1ステージ制にできないか、それを考えていきたい。

第1ステージ優勝チームはチャンピオンシップに不利

1993年 鹿島アントラーズ 0-2
ヴェルディ川崎 第1戦公式記録
1-1 第2戦公式記録
1994年 サンフレッチェ広島 0-1
ヴェルディ川崎 第1戦公式記録

0-1

第2戦公式記録
1995年 横浜マリノス 1-0
ヴェルディ川崎 第1戦公式記録
1-0 第2戦公式記録
1996年 1シーズン制のため、開催なし
1997年 鹿島アントラーズ 2-3
(延長Vゴール)
ジュビロ磐田 第1戦公式記録
0-1 第2戦公式記録
1998年 ジュビロ磐田 1-2
(延長Vゴール)
鹿島アントラーズ 第1戦公式記録
1-2 第2戦公式記録
1999年 ジュビロ磐田 2-1
(延長Vゴール)
清水エスパルス 第1戦公式記録
1-2
(延長Vゴール)
第2戦公式記録
4 PK 2
2000年 横浜F・マリノス 0-0
鹿島アントラーズ 第1戦公式記録
0-3 第2戦公式記録
2001年 ジュビロ磐田 2-2
鹿島アントラーズ  
0-0
0-1
(引用元:『Jリーグ公式サイト』

  データを見れば一目瞭然ではあるが、チャンピオンシップでは第2ステージ優勝チームが8回のうち6回優勝と圧倒的に優勢である。それもそのはずだ。第2ステージ優勝チームは勢いそのままにチャンピオンシップに乗り込むことができる一方、第1ステージ優勝チームは今季の磐田のように例外もあるが、チャンピオンシップ進出が決まっている安心感から第2ステージを戦う上でのモチベーションを維持することがどうしても難しいからだ。

第1ステージ優勝チームは目標設定に苦しむ
  選手が第1ステージ優勝祝賀会後のインタビューで必ず「完全制覇を狙います」と言っているが、やはりモチベーション足り得てない。チームとしても目標設定に苦心している。例えば1994年に第1ステージ(当時サントリーシリーズ)で優勝したサンフレッチェ広島は第2ステージをチャンピオンシップ制覇のためのテストに使うとしてわざわざ戦術変更を行ったのだ。スコットランド人のスチュアート・バクスター率いる当時の広島はダブルラインでゾーンディフェンスの4−4−2システムだった。GKは日本代表の前川。DFは右からファルカン・ジャパンに選ばれていた森山、後に加茂・ジャパンに選ばれることになる柳本に、佐藤、片野坂。MFは2枚のディフェンシブハーフに日本代表で危機察知能力の高い森保とベテランのテクニシャン風間。この二人を第1ステージ優勝の影の立役者と評価する者が多かった。サイドハーフには、右にスピードがあって運動量豊富な廬廷潤とパワフルな突破が売りのチェルニー。FWにはアジアの大砲高木、そして優勝の立役者ハシェック。ヴェルディ川崎のラモス瑠偉や横浜マリノスのラモン・ディアスのような突出した選手こそいないが、組織力で勝ち取った優勝だった。
  ところが、第2ステージでは一転して3−5−2のマンツーマンディフェンスに変更し、ノルウェー人の長身DFトーレを加入させてリベロに据え、左ウインガーのチェルニーを外した。しかし、この戦術変更は奏功せずチームは中位に落ちた。そしてV川崎とのチャンピオンシップには、3−5−2で行くかそれとも本来の4−4−2に戻すか、迷いながら臨むことになってしまった。結果は上の表の通り広島は2戦目でラモスのループシュートによってトドメを刺されてしまったことは記憶に残っている方も多いことだろう。今から思えばこの戦術変更は余計だったと言わざるを得ない。第1ステージ優勝チームはチャンピオンシップに不利である。

年間最多勝点チームがチャンピオンシップに出られない不思議
  もう一つ挙げておかなければならない側面がある。第1ステージ優勝チームは真のチャンピオン(実力ナンバー1もしくは年間最多勝チームとでも定義しておこうか)ではないことがあることだ。というのは第1ステージ序盤戦は仕上がり具合にバラツキがあり、優勝候補筆頭の強豪チームでも躓くことがある。だから、実力は並のチームでも仕上がりが早く、なおかつ対戦相手に恵まれれば、序盤戦の勝利によって勢いづき、短期決戦だけに一気に優勝戦線へ殴り込みをかけられるということがある。94年の広島もやはりそう言えるし、95年の横浜Mは短期決戦でなかったら、元サウジアラビア代表監督ソラーリの前線のメディナベージョに頼り切るあの人海戦術では優勝できなかっただろう。
  逆に年間最多勝チームがチャンピオンシップに出られなかったりする不思議もある。2000年の柏レイソルがその唯一の例である。この年、柏は第1で4位に第2で2位と安定した成績を残し、横浜Mが第2で5位、鹿島は第1で8位というように優勝チームより総合勝ち点は多かった。なのに出ることはできない。極端な話、現状のシステムではどちらかのステージで優勝すれば、もう一方のステージでは最下位でもいいのだ。

一度だけ1ステージ制が採られた96シーズン
  どうして、このように問題のある2ステージ制はなくらないのか。これを考える前に一度だけ1ステージ制が採られた96シーズンを振り返ってみたい。このルール変更には当時の私も日本サッカーは代わりつつあるのだなと感心したものだ。背景としてこの年には現在と同じJリーグ所属チームがこの年に加わった福岡を含め15チームに膨れ上がったことが挙げられる。これまで通りの2ステージで、しかもホームアンドアウェーでは試合数が多すぎるというわけである。ただし、このルール変更によってリーグ自体は優勝戦線にいるチーム以外は盛り上がりに欠けたかもしれない。当時はまだ優勝争いよりドラマチックで盛り上がる2部降格システムも無かったし、ヨーロッパのUEFAカップ(各国リーグの優勝チーム以外が出るヨーロッパカップ戦)にあたる大会がアジアには無いから優勝戦線から脱落すると、チームとしてのモチベーションを失ってしまうのは確かだ。そういうことが原因で再び2ステージに戻ってしまったのだろう。
  それよりも私が注目したいのは1ステージ制になってもなおチャンピオンシップが行われたことである。1ステージ制なのにどことやるのか疑問に思うかもしれないが、実はナビスコカップ王者と戦ったのである。大会名は忘れてしまったが、ここでは「Jリーグ・ナビスコカップ統一チャンピオンシップ」(以下「統一チャンピオンシップ」)とでも言っておこう。しかし、やはりおかしな大会であった。Jリーグ王者と統一チャンピオンシップ王者のどちらに価値があるのかわからなかったし、そもそもJリーグ王者とナビスコカップ王者を同列に置いていいのかという疑問もあった。観客の側もそれを感じ取っており、真剣勝負かプレマッチか判断できず、スタジアムも満員には遠かった。フジテレビの『ハンマープライス』でゴール時にスタジアムのDJとして「ゴール!!」の絶叫ができる権利というのがオークションにかけられていて10万円程度で落札されたのを今でも思い出す。

Jリーグは私企業、川淵チェアマンはその社長
  2ステージか1ステージかという議論になった時、2ステージ肯定論者はこのシーズンを例に出して反論するのだろう。しかし今や時代は変わり、アジア版「UEFAカップ」こそないが、2部降格システムはできた。そろそろ1ステージ制に移行してもいい頃だが、毎年批判されている割にはその動きは全くない。 なぜ1ステージにならないか。その最大の理由はチャンピオンシップにある。チャンピオンシップがなくならない理由は簡単。サントリーからのスポンサー収入があるからだ。サントリーとの契約が切れ、そこから得ているチャンピオンシップ・スポンサー収入の代わりとなる財源を見つけない限りはチャンピオンシップは無くならない。よって1ステージ制になることもない。チームにしてもチャンピオンシップは美味しいはずだ。普段のリーグやナビスコ・カップなどの入場者収入よりも多く見込めるだろう。
  こうした商業優先主義に「選手を食い物にしている」と感情的な反発を抱く方はいるだろうがやむを得ない。Jリーグとてただ日本サッカー強化のための機関であるだけでなく、プロサッカーというエンターテイメントをプロデュースすることによって収入を得ている私企業(プライベートカンパニー)であり、川淵三郎チェアマンはその株式会社社長なのだ。私企業が商業主義、利益優先なのは当然である。それに儲からなければリーグは成立しないし、日本サッカー強化の大義も立たなくなる。だから今季の磐田などを見て同情し「選手が可哀想」というような感情的な議論では現実は変えられないのだ。

J1リーグ・1ステージ制改革私案
  そこで私が2ステージ制問題解決案を提示する。私の案のコンセプトは1ステージ制にしたうえ、チャンピオンシップもやるというものだ。「えー!」と思うかもしれない。チャンピオンシップは誰と誰がやるのかと。先に見たとおり96年のような統一チャンピオンシップでは盛り上がりに欠けるのは目に見えている。
  私の案ではどうするかというと、まずリーグを東西に分ける。来シーズンなら北からコンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、鹿島アントラーズ、浦和レッズ、ジェフ市原、柏レイソル、東京ヴェルディ、FC東京を「東日本カンファレンス」、横浜Fマリノス、清水エスパルス、ジュビロ磐田、名古屋グランパス、京都サンガ、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸、サンフレッチェ広島を「西日本カンファレンス」とする。 別に東日本と西日本に分割したと言っても、日本のプロ野球のセ・リーグ、パ・リーグのようにリーグ別にずっと試合するわけではない。試合日程はこれまで通りだ。ただし順位はカンファレンスごとで付ける。例えば東日本カンファレンス1位鹿島、2位浦和、3位柏・・・、西日本カンファレンス1位磐田、2位名古屋、3位大阪・・・というように。そして両カンファレンスの1位、2位がプレーオフに進出権を得るというわけだ。
  J2降格とJ1昇格は、まず降格は東西両カンファレンスを含めた勝ち点の低いチームから2チームが自動的に降格し、またJ2のJ1昇格チームもこれまでとルールは変わらない。そして次の年には昇格チームも含めて、また北から8チームが東日本カンファレンス、それ以外が西日本カンファレンスというようにカンファレンスのチーム構成は新たに組み直される。J1リーグのオールスターゲームでJーEASTとJーWESTのチーム構成がJ2降格制度によって毎年変化しているのと同じと思えばいい。清水エスパルスが97年にはJーWESTにいたのに98年にはJーWESTにいるように。
  プレーオフ(チャンピオンシップ)は東西両カンファレンスの1位、2位のチームによって行う。セミファイナルはホームアンドアウェーの2戦の総得点を争い、ファイナルは中立地での1発勝負を行う。これによってJ1リーグの覇者は決まる。

見本はヨーロッパのみならず
  ちなみにこの私案のネタ元は「カンファレンス」という言葉にピンと来た人はわかっているだろうが、実はNBA(アメリカ・プロバスケットボールリーグ)である。降・昇格システムと私案の整合性の問題やチャンピオンシップについては自ら考案した。川淵チェアマンはJリーグをドイツのブンデスリーガのようにしたかったようで、首都のチームを認めなかったり(ドイツ・ブンデスリーガ1部には90年代後半にヘルタ・ベルリンが登場するまで首都のチームは無かった)、スポンサー名の排除にこだわって、ヴェルディをJリーグ版・巨人軍にしたかった読売新聞の渡邊恒雄社長と対立したわけだが、何も見本はヨーロッパのサッカー先進国にだけ求めることはないのだ。
  この案は2ステージ制の矛盾を解決し、より公平な形でチャンピオンシップを戦わそうというものだが問題もある。というのも、ここ数年NBAも同じ問題に悩んでいるのだが、東高西低もしくは西高東低になる可能性を持っていることだ。片方に強豪ばかりが集まって、もう一方は並の成績でもプレーオフに出れてしまうという事態に陥るかもしれない。
  とはいえ、少なくともサンプルは提示したつもりである。異論は多々あるだろうが、これを叩き台にして皆で議論していじってもらってもかまわない。

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