佐伯屋
意味なし芳一
スペシャル版・第2回:平成15年4月12日
子供っぽい平和主義も、大人ぶった対米従属も嫌いだ!
国防かつら理論を提唱する

本当は羞恥心を持たないといけない
 前回は、国防(国を守ること)の方法について、国軍を
地毛に、在留他国軍に頼る方法をかつらに例えて、説明してきた。日本の国防は、自衛隊という、高額のおカネをかけたかなり優秀な地毛を持っているけれども、肝心のハゲが目立つ部分については、在日米軍というかつらに依存しているのが現状である。こうして戦後の日本は、世界最強の米軍というかつらによってハゲを隠し(領土を守られて)少し前ならソ連であり、今なら中国や北朝鮮といった核兵器を保持している国々が近隣にいながらも、平和に暮らすことができた。

 しかし、かつら(在留他国軍)ありきの国防は、国家の本来の定義から言えば、異常な状態と言わざるを得ないのである。なぜなら、
かつらなしでは、平和を維持できないから、かつらの売り手国(日本の場合なら、アメリカ)の要求を飲まざるを得なくなるからだ。「かつらを売らない!」と脅されれば、明日からどうしてプライドを維持できようか。

 一国が国軍を持つのは、外国の侵略や、軍事力を傘に来た脅迫や干渉を防ぐためだが、
かつら(在留他国軍)頼みの国防は、かつらの売り手国の干渉を受け入れざるを得ない。よって、一国の独立を損なう行為として、本当は羞恥心を持たないといけないのである。

国家指導者(政治家、官僚)のベターな決断
 とはいえ、そう勇ましいことを言ってみたところで、育毛剤で
地毛を育てようにも生え揃うまでは時間がかかり、それまではハゲのままなのだから、当然その間は恥さらし状態である。

 特に隣国にいる非道徳的な独裁者が「大量破壊兵器」というオモチャを持って無邪気に遊んでいる状況を考えれば、自国の平和のためにはかつら(在留他国軍)をかぶるしかない。何をするかわからないドキュン(総合掲示板サイト『2ちゃんねる』用語で、不良の意)に戦争を仕掛けられて国内に甚大な被害を受け人が死んだり、脅迫されて高額の貢ぎ物を捧げるよりは、より理性的な国からかつらを買った方がマシ。もっと冷酷な言い方をすれば、
おカネがかからないと考えるのが、何千何万の国民の生活を背負わなければならない国家指導者(政治家、官僚)のベターな決断というものだろう。

 しかも、
かつらの買い手国の国民にしてみれば、かつら(在留他国軍)が高性能であれば、戦争が起こる心配をしなくていいから楽である。今やアメリカ軍と戦って誰も勝てると思っていないから、その傘の下にいれば、外国の侵略を未然に防ぐことができる。誰だって戦争で死にたくはないのだ。だから、日々いかに生き延びていくかを考えないといけない一般庶民がより安楽な政策を支持するのもまた当然であろう。

在留他国軍は本気で戦う覚悟があるのか
 しかし本当に、これでいいのか。というのも、
かつら国防には一つの疑念が残るからである。かつらの使用者は突然のアクシデントにビクビクしている。どんなに高級なかつらでも、ずっとズレないで耐えてくれるか不安である。それは「なにわのモーツァルト」ことキダタロー先生の心情を考えれば十分であろう。国家もまた同じなのだ。戦争という突然のアクシデントにおいて在留他国軍が最後まで本気で戦う覚悟があるのか、その確信が得られずに不安であるということである。

  とはいえ常識的に考えれば、在留他国軍に外国人のために戦う覚悟など無いと考えるべきである。とういうのも、兵士個々人が命をかけて本気になって戦うには、相当強い動機(モチベーション)が必要になってくるからだ。普通、
国軍でも兵士になって戦場で死にたいとは、本音では誰も思っていない。まず自分の命が大事なのである。

 しかし、それでも彼らは、命の危険を顧みず兵士なるのである。では、彼らを支えているモチベーションは何なのか。それは恋人であり、家族、友人、その他お世話になった人々といった、自分を取り巻く人達の安全を守るということである。そして、その大事な人々を育てたのは、その国の土地であり、歴史、文化、つまり、大きく言えば祖国である。だからこそ、自分だけが生き残りたいというエゴイズム(利己主義)を超えて、祖国のために兵士となって戦おうという気になれるのだ。

 ところが、在留他国軍の兵士達の場合、国の命令で任地に派遣されているだけである。守るべき大事な人は、多くの場合、遠く離れた祖国にいるのだ。大事な人を守るのとはあまり関係の無い外国の地で、外国人のために死ぬ気になろうとは本心から思えないのは当然ではないか。失礼の無いように補則しておくが、兵士や軍人としてのプロ意識がエゴイズムを超える場合もあるだろう。しかし、いざ戦争の時に優先順位をつけるとすれば、やはり血や情が通い合った者の命の方が上になるはずである。よって在留他国軍の兵士達のモチベーションは、結局のところ弱いと考えるべきなのだ。

アメリカは日本にカネを生み出す金の卵であり続けることを求め
 まだ、個人レベルでなら兵士としてのプロ意識を全うする者もいるだろう。だが、国家レベルではそうはいかない。国家間の関係を支えるのは、冷酷なまでのリアリズムだからである。

 例えば、日本とアメリカは、所詮は地理的にも遠く離れ、文化も人種も宗教も違う外国同士である。両国の間には、何の血縁関係も情の論理もないのだ。日米安全保障条約があるとはいえ、それを支えているのは、ただ利害だけである。アメリカは日本にカネを生み出す金の卵であり続けることを求め、日本はアメリカにカネを貢いで世界最強の米軍を迎え入れ平和を手に入れる。まさにギブ・アンド・テイクの関係である。この関係が続く限りは、同盟は機能してアメリカは日本を守ろうとするだろう。かつらが地肌にピッタリ密着して離れないだろう。

 しかし、この利害関係が崩壊した時、日米安全保障条約もまた、過去にあった数多の条約と同様、後腐れなくあっさりと放棄されてしまうに違いないのである。例えば、日本とアメリカは戦前の一時期までは政治的に友好国だった。戦費がかさんだ上、泥沼に陥りかけた日露戦争を仲裁したのはアメリカだった。また映画『風とともに去りぬ』や野球に熱狂するなど、日本国民もアメリカの文化が好きだった。それでも、中国シナ大陸の利権争いで完全に決別し、石油禁輸で追い込まれ、1941年の12月の真珠湾攻撃に至ったのは周知の通りである。このように、利害関係次第で、同盟関係も友好も簡単に途切れてしまうのだ。それはやはり、両国が血も情も通い合っていない、別の人種、国籍だからである。

 日本の国防は、これほどまでに危ういものに一縷の望みを託しているのである。つまり、
日本はアメリカに守ってもらうために散々おカネを貢ぎ、外交交渉の場で譲歩しまくった挙句の果てに、今までの恩を忘れたがごとくポイっと捨てられる危険がある!のである。

〈次回に続く〉