第1回・平成13年11月25日


最近、私は大学で教職課程を取っている身であり世間の教育問題に関しては敏感になっている。それにしてもだ。なぜ教育学者とか教育界は「個性」という言葉に対してあれほどまでに無邪気になれるのか。教職課程の科目や講習で「教育学者」とか「教育専門家」の肩書きを持つ講師に「生徒の個性は尊重しなければならない」だとか「個性伸長教育」だとかを聞かされるたびに最近どうも脱力させられるのだ。私とて中学の頃に「個性の伸長」とか知ったときにはすぐに感化されて、純粋まっすぐに何て「スバラシイ」言葉なんだと恥ずかしながら興奮していたものだったが。でも、どうして今、私はこうなってしまったのか。

アイドルタレントには商品価値がある。ブレイク時はテレビや雑誌に引く手数多だ。イベントに少し顔見せするだけで人が群がり、「そっくりさん」や「裏モノ」といった便乗商法も成立する。ところが若さを売りのアイドルタレントは年齢とともに人気は下落していく。そこでアイドル自身にグラビア撮影以外に特技があれば歌手デビューやバラエティ番組、ドラマ出演で人気を保てるが、そうでなければ最終的にはヘアヌードということになる。それでも必ずしも売れるとは限らないし多くのアイドル写真集は古本屋で定価の半値がついているものだ。
言葉も同様である。流行中は水戸黄門の印籠のごとく周囲を平伏させ、それについて書けば本も売れるが、やがて反論も出るようになり言葉自体が疑われ始める。中には批判に耐えられる言葉もあるが。そうでなければ今「社会主義」がまともには通用しなくなって「人権」とか「地球市民」に看板を塗り替えて商売しているように、まだ世間で通用しそうな違う言葉で覆い隠して延命をはからなければならない。 私の中では、「個性」が未だブレイク中の教育界とは違い、ケチをつける段階に来ているのだ。

「個性」とは辞書を紐解けば「その人の持つ違いや特質」と書いてある。確かに人それぞれ姿・形違えば性格や考え方も違う。しかし「違い」や「特質」を常に維持できる一貫した個人がいるかと言えば、それはいないだろう。多くの場合、人は所属する集団や人間関係によって振る舞い方・態度を変えているはずなのだ。家では親に対して傲慢になったり、友達関係では携帯電話やメールを欠かさずマメだったり・・・。私なら大学の体育授業のバスケットならスターであるが、母校のクラブのOB会となればおとなしいものだ。学生時代に茶髪・金髪で自分は個性的と思っている奴でも就職シーズンになれば皆、黒に戻してしまう。なぜなら、その場で浮いてしまうことぐらいわかっているからだ。それが普通ではないか。

「個性の伸長」教育とは、私が教育課程の授業を受けている範囲では、人間誰にも得意なことがあるはずで教師は生徒の特性を見抜き伸ばしていかなければならないということのようだ。例えば絵の得意な子には不得意科目はもういいから絵を描かせ、歌を唱いたければ唱えばいいという。皆が画一的に進学に向かうのではなく自分に適した道を進めばいいと。文部官僚の寺脇研氏あたりが推進している「ゆとり教育」も「ゆとり」は生徒がそれぞれ好きなことをやれるようにするための時間だという(現実的には内容が薄くなった学校の授業をカバーするために塾通い・予備校通いにあてられるのだろうが)。
しかし多くの場合、教師が発見する生徒の個性は、あくまで教室とか学校という範囲での個性であって、教室や学校では際立って見えるかもしれないが、各教室・学校の同じような個性が集まる次のステージに上がってみたときに通用するかはわからないものだ。そこでは、ともすれば受験以上の過当競争が待っており、自らの才能で食べていける人はほんの一握りである。血を吐くような努力をしても通用しないかもしれないし、やむを得ず趣味で終わらせたり、現実生活に負けて封印しなければならなくなるのがほとんどだ。その時、挫折したときのことも考えて前もって準備をしていた子は現実生活にも対応できるが、そうでない子はプライドを肥大化させたまま、あるいは挫折のショックを引きずったまま「難民」として路頭を迷うことになるだろう。
教育界は現在まで高校・大学受験の過当競争を批判し是正しようとしてきたが、「個性の伸長」教育の内実は受験戦争の緩和ではなく、先に指摘したように受験よりもっと厳しい生存競争を生徒に強いることである。また教育界は戦中の軍国教育を非難し二度とそれに陥らないよう注意してきたはずだが、個性を貫くことの現実を生徒に言わずに「個性の伸長」教育をすることは、過酷な戦場や軍隊生活の現実を生徒に教えずに「日本は無敵の神国である」と言って戦争に駆り立てた戦中の教師達と同じである。つまり「個性の伸長」教育とは教育界が現在まで否定してきたことを自分達で再びやろうとしていることである。

さて私が教師で生徒の進路指導をするなら、生徒が自分で得意だと思っていることはやらせない。生徒がアイドル、歌手、ダンサー、マンガ家、イラストレーター、作家、料理人、スポーツ選手・・・になりたいなどと言ってきたら、私は「普通に就職しなさい」と答える。別にそれで生徒に嫌われても構わない。もし、そいつに本当にやる気と才能があるなら、そもそも一教師の言うことなど耳を貸さないはずである。一教師の言葉を聞いて夢を諦めるヤツは元々才能が無いのであって、平凡な道に進んだ方がいいのである。「出る杭は打たれる」ということわざがあるが、更に付け加えるなら「出る杭は打たれても出てくる」のである。


