自分の目で、物事を見る事が出来る。
自分の耳で、命有るものの声を聞き、沈黙しているかの様に思えるものの音を、聞く事が出来る。
自分の鼻で、様々な香りと出合い、魅了される事も有れば、幻滅する事さえもある。
自分の声で、感じて思った事を、語る事が出来る。
自分の手で、色々な物に、触れる事が出来る。
自分の足で、何処までも、歩いて行ける。
自分の心で、己の心を見つめ、他人の心に共鳴したり、否定したりする事が出来る。
自分の頭で、自由な発想を、思い描く事が出来る。

これらの事を、当然の様に考えてはいけない。

とても幸せな事なのだと、何時も忘れずに、これからもそう思い、生きて行く。
そして嬉しいと思える事や、哀しいと思える事、
憤りを覚える出来事であったり、感動した出来事など全てを、
生きているからこそ、様々な体験が出来るのだと、「有り難い事」なのだと、そう信じたい。

この世に「誕生」し、例え其の後「辛い出来事」と遭遇したとしても、
何れその「辛い出来事」は「幸せ」へと導いてくれる「伏線」なのだと、そう信じ生きる。
その「自分を信じる心」が、又より一層、「自分自身を強くしていく」のだと思う。

自分の目・耳・鼻・声・手・足・心・頭という、「自身を信じる」事から、
人間は「自信」というものを、身に付けて行く。

何事に対しても、
もっともっと人は、「貪欲であれ。」

貪欲に知識を、吸収していこうではないか!
感じる知識・・・心の知識に、常に貪欲であれ。
そうして、「愛しいと思える心」を育んでいこう。
「愛するという心」についても、
「他人(ひと)を思いやる心」についても、
人はもっと貪欲に考えていかなければならない。

つまり、「慈しむ心」について、
現代人はもっと貪欲に考え、生きて行かなければならない。

自身の為にも、
そして周りの者の為にも。

それがやがて「社会をも動かす」。

「荒廃しきった社会」から「心温かい社会」へと、そう信じて・・・。
「慈(いつく)しむ心」
「慈しむ心」 2003/08/15.
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