「過去と現実の柵(しがらみ) - PTSD」
他人から見れば余りある程の、
自由な時間が有る様に見えてしまう暮らしが、
本人からしてみれば、全く違う。 
まるで毎日が、「柵だらけの闘病生活」である。

周りの者に、この苦しい心の内を理解して貰いたいからと、
話してみたところで、「外見的判断」により理解され難く、

同じ様な体験者や、心理学を深く学んでおられるような方達でなければ、
全く理解等得られやしない。
へたをすると逆に、「傷口を大きくしてしまう」事すら有る。

現在(いま)はまだ、独りでは暮らせない・・・。
愛する者の為にも、時間(とき)の経過を色々な意味での準備をして、
嫌な事が有っても流されずに、マイペースで生き、
「其の時が訪れた時、即実行出来る心」を持ち、待つしか術が無い。

現在(いま)のこの暮らしから「抜け出せる答え」は、
随分前から解っている。
けれど、それを実行すれば「愛する者への犠牲」が余りにも大きい。
「愛する者を犠牲にして迄」我が身の「幸福を得たい」等という事等は、
考えてはいないのである。

幸せを手に入れるなら「愛する者と共に」・・・其の様に考えている。

生活を共にしている「言葉を持つ者」とは、
10年以上の年月を掛け、
「互いの心を理解出来れば」と努力をし頑張って過ごして来たのだが、
ほんの少し近付けたかの様に思えては、直ぐに何かが引き金となり、
脆(もろ)く崩れ去るばかりの儚(はかな)さだ。

その逆に「言葉をもたない者との絆」は、
年を重ねるにつれ、自らの命よりも大切な存在と化し、とても愛しい・・・。
それだけ、互いの心の内が「言葉無き暮らしの中」であったとしても、
「真(まこと)の心と心」とで、日々、より強く繋がっているからだ。

心の痛みを最初に理解してくれたのも、「言葉無き者」だった。
どんな時でも、何時も傍に居てくれたのは「言葉無き優しい者」だった。
苦しさと辛さの余りに荒れた時だって、「言葉無き者」がそっと心を癒してくれた。
嫌な顔一つ、見せもせずに・・・。 そっと寄り添って。

心の隙を突いて、PTSDに見舞われる。
しかし、「愛する者」が何時も直ぐ傍に居てくれたから、今日の「強い心」が持てた。
今も、これから先も「自分自身を信じ、我が人生を歩んで行ける。」この考えも、
「言葉無き愛する者」の存在があってこそのものだ。
だからこそ「言葉無き者」と、どうしても「共に幸せを掴みたい。」

「言葉無き愛する者と・・・。」独りでは無く、愛しき者と幸せを。
「過去と現実の柵(しがらみ) - PTSD」
2003/07/16.
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