「人間」という生き物は、
つい「自分という物差し」で周りの人間の事をも測る傾向に有る。
例えば、「物事が上手くいっている時」には、
不幸を背負っている者に対して「優しい心」で接する事が出来るのだが、
「自らが不幸で有る。」と、
一度(ひとたび)思い込んだ途端に、
まるで「不幸を背負っている者は、この世で自分独り。」だと
思い込んでしまうので有る。
そして、どの様な経緯で自身の「現在(いま)」が有るのかさえも、
理解出来ずに、
「何故、自分だけがこの様な不幸な目に合わなければならないのか!」
と考え出し、
挙句の果てには愚かにも、
「周りの者の、幸せそうに見えている姿」を目にしては、
妬(ねた)んだり、僻(ひが)んだりするので有る。
しかし現実は、
「幸せそうに見えていた」としても、
それを見ている者の視点でしか無く、
実際のところは当事者にしか、真実は見えないもので有る。
「他人(ひと)の不幸は蜜の味。」と云う言葉を、耳にした事が有る。
この言葉は、ある意味「不幸だと思い込んでいる者」にとっては、
「秘薬」にも成り得る。
「自分は不幸だ」と思っている者が、
或る日、自身よりも不幸な者の姿を目にしたとする。
あら不思議。 それ迄「自分だけが悲劇の主人公」だった筈が、
何時の間にやら「その人物よりも幸せな人」に、
なっているでは有りませんか。
何事にも全て、「原因と結果」が有り、
そして「原因」を作った責任は、「多少なりとも、自らにも有る」という事を、
人は忘れてはならない。
その上で、「自らが作った不幸の原因の分だけ」は、自身で責任を取り、
どの様な経緯で現在(いま)の「結果」を招いてしまったのかを、
「主観と客観視」で見据え、後に、「自らの心の宝」に出来れば良い。
焦る事は無い。
「絶対に自分の心にだけは、負けたく無い。」という信念を抱いていれば、
必ず自らの力で、幸せを勝ち得る事が出来るのだから。
どんなに辛くても、どんなに口惜しくとも、
「自信を持って生き、自らに与えられた人生の試練」から逃げずに、
立ち向かって行く事が「幸せを掴む一番の近道」でも有るのだから・・・。
[B] それぞれの幸せ
[それぞれの幸せ]
2002/12/28.