京都と私

JR京都駅最近こそあまりモーターサイクルを繰り出して遠出をすることがなくなったが、かつては日帰りツーリングとなると、決まって京都へ出かけたものだ。
それほど京都へ足が向くのは、京都が私にとって思い入れの多い土地だからである。

京都に初めて長逗留したのは、高校2年と3年の夏である。どちらも市内の予備校の夏期講習に通っていた。
2年生の時は南区の久世という所の親類に約1ヶ月世話になり、そこから京阪三条の予備校までバスで通った。なにしろ初めて親元を離れ、それまで顔も合わせたことのなかった親類の家に泊まるのであるから、それは緊張の連続であった。

そこの親類では、昼飯以外は一応食べさせてくれていた。夏場であるから風呂も沸かしてくれた。しかし、水を節約して交換しないためであろうか、風呂の湯の表面はいつも油の塗膜が浮いているようであった。居候の身であるから文句も言えない。
部屋は2階があてがわれていた。夏の2階の部屋は想像に難くない。もちろんエアコンなどない。予備校が休みの時などは、参考書を持って近くの喫茶店に逃げ込み、2,3時間も冷コーで粘っていたものだ。

殺伐とした予備校の授業と下宿先での生活が続く中、独り身の気軽さから新京極や河原町を散策したり、三条の映画館に潜り込むのが娯楽であった。射的でタバコを取り、下宿先の小父さんにあげたこともあった。

竜安寺石庭2年目の高校3年生の時は、上賀茂神社の近くのこれまた親類の家に世話になった。
ところが、この下宿では出戻りのこぶ付きの嫁にずいぶんいけずをくらったものだ。
寝泊まりは、離れの物置のような部屋。食事は外食、風呂も銭湯、用足しだけは使わせてもらっていたが、そのトイレがまた異常なのだ。貯め込み式のトイレなのだが、いったいいつになったら汲み取りに来てもらうのかと思うほど、糞便が尻に触れるかと思うほど富士山のように山盛りになっているのである。まあ、お釣りが来るような液状ではないだけましか…

もちろんクーラーなどなく、日中は蒸し風呂のような環境である。ただ、ラジオの番組がFMから民放までたくさんあって、深夜放送が唯一の娯楽であった。

この下宿からは息が詰まるような日々を打開しようと、当時密かに思いを寄せていたひとにレターを出したことがあった。しかし虚しくも返事は来なかった。傷心を抱きつつ、この下宿は1年目より早く出払い実家に舞い戻ってしまった。

竜安寺石庭京都は盆地なため、関西でもひときわ暑いと言われる。この暑い夏に、親類とはいえ他人同然の家に世話になり、辛く過酷な一夏を過ごした訳だが、振り返ると貴重な人生経験を送ることができた。他人の飯を食うというカルチャーショックとでも言えよう。辛く過酷な時を送っていたが、それだけに余計京都への親しみが湧き、それが今日まで京都へ足を向けるのであろう。

このページの写真は、この京都への思い入れとはほとんど関係ないが、一応説明しておくと、上段はJR京都駅、中段と下段は龍安寺の枯山水である。1999年に訪れた際のものだが、龍安寺の石庭前は内外の観光客でにぎやかであった。ミーハーのような感覚で枯山水を眺めても、なんの響きも返ってこないのは私だけであろうか。

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