この行事に参加した約70名の内、戦前の教育を受けた人の多くは、過去と現在の歴史感とのギャップに衝撃を受け辻本一男氏(初代会長、当時75才)が多くの方々の賛同を得、高橋、小野氏と共に瀬川先生と相談を重ね、遂に昭和50年(1975)4月より「枚方歴史研修会」誕生の運びになりました。
その趣意書の内容は
「昭和49年枚方市教育委員会社会教育課及び枚方市市民憲章を推進する会主催の歴史関係の講演会は募集人員に限りがありましたが、男女・年齢に関係なく聴講者は等しく眼を輝かし始終実に熱心にお話しの中に没入しておられましたこと、それに両後援会の聴講者が殆ど同じ顔ぶれであったこと等から市民の中に歴史に深い関心を有せられる人の多いことが判明しました。
戦後あらゆる分野の研究発展は驚異に値するものがあり、史学・考古学の分野においても同様であります。
明治・大正・昭和初期の教育を受けた者は、
特に我が国古代史を現在の小・中・高校の社会科の歴史書を読むとき、子供や孫との歴史的知識の深い断層に愕然とします。私たちの肇国は神話的なものから、子供や孫は最新の史学・学説からの所産からです。私達は此の断層を埋め、対話に共通性を持たせることに努めねばならぬと共に、定説となっている古代史ならびにそれらに伴う諸説等をも併せて権威ある先生方からご教示により研修を楽しみ、同好の方々と共々想を古きに馳せ、そしてよってもって現在を改めて考えることも亦肝要と思うものであります。これら研究の中で愛する枚方市の歴史も必然的に登場する次第であります。
真の同好の方々を結集して、その数はたとえ少なくとも細く永く、そのためには必要経費も出来るだけ少額にして運営発展させたいと念願するものであります。」
なお、同じ思いを持った流れが当誌「まんだ」の創刊の計画に結びつき、昭和52年(1977)8月創刊号が発行されたと聞いています。
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