第7回インド仏跡参拝 尊足山(鷄足山)参詣と霊鷲山清掃の旅
2012(平成24)年1月2~8日
住職の文
『高野山時報』平成24年2月21号、4月11日号
「尊足山入定中 摩訶迦葉尊者 嘆徳ノ文」
活動がインドの新聞に取り上げられました。
英語版 ヒンドゥー語版
日本語訳(トラベルサライ上田氏訳)
※上記に係るカラー写真
『高野山時報』平成24年2月21号
『高野山時報』平成24年4月11日号
「尊足山入定中 摩訶迦葉尊者 嘆徳ノ文」
竊に惟みれば、尼蓮禅河の浄水は連綿としてその流れを断たず。拘尸那の月は、一度その影を西山に没すと雖も、再び現われて無明の俗世を照らすなり。即ち大覚世尊は、金軀を以って遷流無常の掟を示すと雖も、不滅の妙身をば霊山の大空は泛ばしむ。
ここに釈尊の弟子第一、摩訶迦葉尊者といっぱ、少欲知足にて常に頭陀を行じ、教団の上首として大衆を教化す。在りし日の世尊曰く、迦葉の所得は、仏所得の殊勝広大の功徳に等し、と。『大槃涅槃経』に曰く、「仏はあらゆる無上の正法を以って悉く迦葉に付嘱せり」と。また尊者の旭日の如き仏業といっぱ、仏入滅の後、五百羅漢を七葉窟に集会せしめ、経と律を結集す。その後、仏滅廿年、仏より授かりし糞掃衣を纏い、鉢を持して摩掲陀国の鶏足山に登り、三岳の間に草を敷きて入定す。而して三岳、為に合してその定身を覆えり。即ち尊者、五十六億七千万年の後、弥勒菩薩出現に当り、伝持の衣を菩薩に渡して遂に無余涅槃に入ると。ああ大いなる哉、尊者の誓願、まさに弘法大師入定留身の源泉たり。
現在は尊者入定より凡そ二千五百数十年、ここに東国日本の緇素、尊足の高風を敬慕して入定所に至り、微供を奠げて尊者の仏徳を偲ぶ。仰ぎ願わくは、尊者、甚だ稀有なる定力を以って更に無余の有情を抜済し、末世に仏法の紹隆を齎さんことを。
重ねて乞う
迦葉尊者 倍増法楽 尊足静謐 定力無尽
仏法紹隆 三会円満 参詣諸衆 獲得菩提
乃至法界 平等利益
平成廿四(二〇一二)年一月六日
日本国高野山真言宗 龍象寺住職
光明の会参拝団(十八名)代表
密乗末資 證善 敬白
インドの新聞
英語版 ヒンドゥー語版
日本語訳(トラベルサライ上田氏訳)