2000年勤めていた職場で陶芸教室があり、以前からやりたくてしかたがなかった陶芸をする機会にめぐり合いました。左の写真のラグビーボール型の花器をつくりました。この作り方は、側面に4枚と底1枚を中に新聞を詰めながら接合して作りました。
 何も深く考えないで模型のように作ったのに、わりと良い出来上がりで、革の感じがでていてビックリしました。
 その時、陶芸についての概念が変化していきました。
その頃、わたしは以前にボランティアの協力で、八幡市で開催した英国文化祭で知り合った京都五条の『紅茶倶楽部』というお店ののマスター倉重さんに紅茶の世界の素晴らしさを教えていただいていた時期で、薄い紅茶のティーカップがなんとか作れないかと考えていた時期でした。
 肉厚の薄い作品を作るのに、手びねりでは作りにくいし、今からロクロの技術を習得するのは大変そうだったので、何か良い方法はないかと試行錯誤を繰り返し、ビニールの間で粘土をピザ生地のように薄くのばし、切り目を入れ、それを素焼きの型の上にのせて作れないかと思い何度も試してみました。
 最初は、重なる部分を切り取って接合していましたが、いつしか重なっていてもいいじゃないか、反対に重なりを利用して表現できるものがあるように思い、椿の花びらの茶碗やティーカップを作り始めましたのが始まりです。

 その後、出来るだけ曲線の美しさを強調して、流れるような形と模様を追求するうちに、流れ橋から見る水面をイメージして陶芸に表現してみたく思い『流橋焼』と名づけました。
 現在は、京都府八幡市を流れる木津川付近のお茶の葉や葦・竹・松などの植物から川や山の自然をイメージするような釉薬づくりに取り組んでいます

 今、生まれたばかりの流橋焼が多くの人たちの創作によって成長、発展して行き、陶芸の世界の新しい文化を築いていって欲しいと考えます。
流橋焼のルーツ