ハワイ旅行記
欧州旅行記よりかなり長い。日数は短いはずだが。


1999年10月13日から17日まで、私はこの案内人こと義朝は三泊五日のハワイ旅行に行ってきました。
これはその愛と涙の記録である・・・(ウソ。ただのへっぽこ旅行記)

ハワイ旅行記
一日目の記録
二日目の記録
三日目の記録
四日目の記録
後日




一日目の記録

出発は3時すぎくらいである。当然午後。
しかも家まで車でお迎えが来るとあってのんびりと「幻想水滸伝」をぎりぎりの時間までやっている案内人。
今回もまた団体旅行である。総勢40人弱。そのほとんどがおばさん御婦人である。夫婦できているのが二組。あと若いお姉ちゃんの二人連れがいるがこの二人は旅行中ほとんど姿を見ることがなかった(単独行動が多かったため)。
基本的に案内人個人行動を愛するので他の人がどうだろうとあんまり気にしない。少なくともこの時点ではそうだった。
添乗員の松原さんというお姉ちゃんに従って空港で諸処の手続きを済ませる。いきなり金属探知器にひっかかってしまったのもまたご愛敬(ヘアバンドがひっかかった)。
搭乗までの時間、待合いロビーで歌の大辞典を見る。搭乗の放送がかかり、皆ならび始めているが、長蛇の列でもあり、どうせ指定席だから、と列が短くなるまでテレビを見続ける。
いよいよ飛行機に乗り込む。当然エコノミー。格安の旅行なのにエコノミーでないはずがない。
ハワイ行きだからか、スチュワーデスのお姉ちゃんの制服はアロハ模様である。いきなり南国気分。
飛行機が動き出す。案内人は飛行機が大の苦手である。前回ヒドイ目にあった(欧州旅行記参照)こともあるし、未だにこの鉄のかたまりが空を飛ぶことが納得いかないらしい。
飛行機に乗っている時間は7時間強。ゆっくり眠れる、と思っていたあたり案内人間まだ飛行機での旅行というものを分かっていない。
飲み物、食事、その後しばらく寝たと思いきやまた食事、もう到着。結局3時間も眠れなかった。前回13時間も飛行機に乗っていたため慌ただしく感じてしょうがない。ともかく、ホノルル空港に飛行機は着陸した。
今回は(それほど)体調不良を起こすことなく飛行機を降りる。
空港で全員が集合するまで待っていたが、奥様方、すでに買い物をはじめていらっしゃる。何でも1ドルでバッグを売っていたとかなんとか・・・。

バスに乗り込んでまずついたところがアロハタワー。
よく分からないがとりあえず観光地らしい。ここで昼食。中華料理店へ行く。ハズレ。
化学調味料の味がきつくて何ともはや・・・。
と、とにかく、昼食後バスに乗って数時間観光。運転手さんが色々説明してくれる。
「ここはオワフ島で一番ガラの悪い中学校。ここの生徒は銃持ってたりヤクやってたりする。彼らも卒業すると空港やホテルで働いたりする。バスの運転手になったりもする」などというセリフを吐く。
そもそもこの運転手ことあるごとに自分が運転が下手であると公言する。怖いよう(実際は下手ではなかったが)。
まずバスで連れて行かれた場所がパンチボウル。火口あとである。中にはいるとみわたすかぎり芝生。よく見ると、その芝生の上、二メートルおきに平べったい長方形の石がはめ込んである。そう、ここは墓場なのである。
第一次大戦、第二次大戦などで戦死した二万人にもおよぶ兵士の霊を奉る国立墓地である。日本人初の宇宙飛行士(あれ・・・誰だったっけかな)もここに葬られている。
墓の形状は同じだが、添えられている花が民族によって違う。カラフルな花をたくさん飾っているものもあれば、日本の仏花もある。造花を飾る人も多いそうだ。日本では信じられないような話である。
ここ、ハワイは日本人移住者が多いので、日本人の外人墓地もある(注・すでにパンチボウルは離れております)。京都を模したらしいお寺のそばには見慣れたお墓が。これらの墓は皆、帰りたくても帰れなかった移民の思いを込めて母国の方向を向いている。
バスは山道をぐんぐんとあがっていく。
両脇の道にはいろいろな宗教の寺院などがある。日本で信仰されている宗教のほとんどはここハワイにもあるらしい。
そうこうするうちにたどり着いたのがヌアヌ・パリ。
ここは「風の名所」とされるほど風の強い場所である。ここからの展望は何とも素晴らしいものであったが、確かに名所といわれるだけあって帽子などかぶっていれば瞬く間に飛んでいってしまうだろうという風の強さ。
しかし、バスの運ちゃんによれば「今日は全然風がない」という。
本当ならば普通に歩くことさえ困難なほどの風が吹いているのだという。それはすごい。そこの竹を見て見ろ、といわれて横を見ると、風に強いはずの竹がおれてしまっている。それほどの風圧なのだという。
ちなみにここ、かなり高いので自殺の名所でもあるそうなのだが、この強い風ゆえに助かってしまった人もいるらしい。
バスは再び市街へと入っていく。かの有名なカメハメハ大王の像があるイオラニ宮殿の横を通り抜ける。ここにある時計は「365日いつでも狂っている」らしい。何ともハワイ的。
ホテル到着前に免税店の場所の案内。
「今回は場所確認だけですので買い物はせずにすぐに帰ってきて下さい」との添乗員の言葉もなんのその。
おばちゃん達買い物しまくって集合時間にいたのは義朝一人(笑)。

夕食。
ホテルから歩いてすぐの所にある「田中オブ東京」へ。ハワイにあるのに東京とはこれいかに。
ステーキの店である。
コックのお兄さんがパフォーマンスをしながら肉を焼いてくれるのだが、まだ若いせいかいまいち失敗が多くほほえましい。
味は良し。添乗員のお姉さんが
「しばらくぶりに美味しいものを食べた」といっていたのが印象的である。と、言うことは添乗員さんも昼の中華に関しては・・・。
食事を楽しんでいるとえらそうな店員さんがやってきて私の箸袋を取り上げた。何をするのかと思いきや瞬く間に箸袋で犬(ライオンとの説もあり)を作り上げてしまった。隣の添乗員さんは薔薇を作っていただいている。
日本人でさえできないような小技を・・・あなどれんな。
どうでもよい話だがステーキを焼いていくれているお兄ちゃんが若くて可愛かったのでおばちゃん達に色々下品な呼びかけをされていた。日本語があんまりよく分からなくて良かったね。
この日はここまで。
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二日目の記録

今日はあれである。
ホテルのあるオワフ島(どうも相撲を連想してしまうのは私だけか)から脱出してカウアイ島の観光である。
・・・飛行機か・・・(案内人義朝は飛行機が嫌い)。
ガイドさんはムームーなんぞ来てらっしゃる。
ハワイではアロハとムームーが公式で着る服となるらしい。会社に行く時も、結婚式も、葬式までアロハとムームー(笑)。
ここの観光でのキーワードは「7年前の台風」である。
7年前にハワイ諸島を襲った大型台風の爪痕が今もなお色濃く残っているのだ。
まずシダの洞窟へ。
かつて王族が結婚式島の儀式に利用したという聖地である。
岩肌から垂れ下がるシダが何とも言えない風情を醸しだし、日本の芸能人とかもここで挙式した人がいるらしい。
が、肝心のシダが今ひとつ短い。ガイドブックに載っている写真とはえらい違い。
台風で吹っ飛んでしまい、やっとここまで再生したのだとガイドさんは言う。
ハワイアンの方がここで結婚式の歌(らしきもの)を歌って演奏してくださった。
次は潮吹き谷(鯨のように潮を吹く岩だ)を経過し、ワイメア渓谷へ。
バスに乗っているのだが、窓から見える光景は一面のサトウキビ畑。地平線が見えるのではないかと言うくらいに延々と続くサトウキビ畑。
しかも驚くべき事にこれらの畑はほとんど一人の人の所有とのこと。
このカウアイ島は6分の1がロビンスンという方の土地なのだ。
カウアイ島のとなりに小さな島、ニイハウ島というのもあるのだが、これもまるまるロビンスンさんのもの。
途中、ロビンスン邸を通過したが、敷地自体があまりに広すぎて建物が見えない(笑)。
この金持ちの話はまたあとで。
とりあえずワイメア峡谷到着。
ワイメア峡谷と言うよりも「リトル・グランドキャニオン」の名の方が皆様にはしっくりくるかも知れない。
私、グランドキャニオンは見たことがございませんでしたが、ワイメア峡谷の景観は見事でございました。
・・・途中で雨までふってきましたが。
またバスで移動。周囲の木々は台風の影響で無惨な有様。
7年という歳月は失ったものを取り戻すにはまだまだ短いらしい。海岸沿いにもかつては別荘が建ち並んでいたそうだが、台風で根こそぎ倒壊、現在でも半数が土台しか残っていないという有様のままである。
で、いきなり話題を変え土産物の話。
ここでの名産は赤土で染めたTシャツ、カウアイクッキー(マカダミアナッツとチョコが入っている)、黒珊瑚、そしてニイハウ貝のアクセサリーである。
ニイハウ島が大金持ちロビンスンさんの所有というのは前述したとおり。
この島の住民はガスも電気もない昔ながらの暮らしを固持して暮らしている。
そしてその島でしかとれない貴重な貝、それがニイハウ貝。
種類によって異なるが、そのすべてが砂浜にとけ込んでしまうような小さな小さな貝。
彼らはそれを集め、つないでレイを作るのだ。
レイって、フラダンスとか踊っている姉ちゃんが首にしている首飾り? あれ。
その細かい貝の細工は見事なもので、また、原料の貝もこの島でしかとれない。そしてつくる人もこの島にしかいない。
と、言うわけで値段は「貝殻細工」とは思えないほど高い。実際、アメリカでは唯一宝石商が取り扱う貝とのこと。
小さくて可愛いその貝。当然レイなどは使わないし値段は0が多いしで義朝は小さなイヤリングを購入いたしました。
その富を一手にするロビンスンさん、現在は4代目で初代、この巨万の富を築いた方はなんと60代の老婦人だったそうな。

おっと、書き忘れていた。
この島での観光の時に昼御飯をとったところ。これがまたすごいのだ。
ゴルフ場の中にあるバイキングのレストランだったのだが、ゴルフ場を含む周辺には彫刻、彫刻、彫刻。
それだけなら「風雅な」だけですんでしまうのだが、
まず入り口には狛犬。少しはいると中国風の魚の彫刻。そこから見える湖にはやはり魚の、しかし近代的彫刻。レストランの入り口はドーリア風の柱が立っており、レストランの中庭には仏像。
食後に散歩をしてみるとゴルフ場の入り口にはギリシャ風の彫刻が・・・・・・。
私、ここまで荒唐無稽な光景を目にしたのは生まれて初めてでした。・・・え? そこの味はどうだったのかって?・・・。さあ、じゃあ次いってみようか!
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三日目の記録。

今日は自由行動である。
ホテル内のレストラン、オーシャナリウムで朝食。
ここはガイドブックにも載っているちょっと変わり種のレストラン。何が変わっているかというと3階まで吹き抜けの巨大水槽があるのだ。
その中では熱帯魚やエイなどが舞い踊っている。それを見ながらの朝食は結構贅沢な気分。
食事中、隣の席の老夫婦が話しかけてきた(英語だ!)。
あやふやに話していたが、
「一人できたの?」
「あー、・・・・・・(一人では来たがツアーだし同室の人もいるしでも今は一人で食事しているわけだし・・・)」
と、(イエスといっておけばいいのに)思い悩んでいると、気の毒に思ったのか解放してくれた。なにやらすまない。

今日はお買い物をするのだ。
と、言うわけでトロリーバスに乗り込む。誰でも利用できる有料のものもあるが、JTBで参加した観光客専用の無料のものが出ているのでそちらを利用。
ルートが違うものにのってしまい目当ての場所に停まってくれない。仕方なく終点まで乗りまた同じバス(!)に乗り込む。無料で良かった。
ワードセンターという専門店街へ。「各種そろったレストランが自慢」などとガイドブックには載っているがそんなものには見向きもせずに本屋へ直行。
二階建ての本屋の隅々まで(英語もわからんくせに)見て回ってゲーム雑誌を一冊購入。絵本も欲しかったが持ち合わせの関係で断念。どうせ読めないから良いか(じゃあゲーム雑誌は読めるとでも言うのか)。
ここでもポケモン系のものが数多く見られる。恐るべしポケモン。
そこからアラモアナセンターというショッピングモールへ。少々おなかが空いたのでマクドナルドへ。「世界中のどこへ行っても同じ味」が本当かどうか試したかったのだが、とりあえず値段はこちらの方が格安であった。
ビッグマックセットを注文。ポテトが・・・多い。多すぎる。日本のSサイズで充分なのに。そしてオレンジジュースを飲む。・・・・・・訂正。「オレンジ風味の水」を飲む。
結局ジュース(の風味の水)とポテトは残す羽目に。ビッグマックは同じ味かどうかよく分からなかった。同じといえば同じような、違うと言えば少々違うような・・・(わざわざ食べに行った意味は?)。
モールの中の本屋やオモチャ屋をのぞきながらモールの中にあるスーパーへ。
義朝は世界各地で変わった銘柄の缶紅茶があったら買ってくるようにとの指令を受けているのだ。変な収集癖を持っている家族を持つと苦労する。
しかし、また馬鹿正直に従っている義朝はここで大きな失敗を犯すのであった。
缶ジュース売り場に行くと、義朝はめまいを覚えた。缶紅茶缶紅茶缶紅茶。一つの棚のすべてが缶紅茶だったのだ(もっとも、同じ銘柄が並んでいたせいもあるが)。フランスベルギーではほとんど見つけることができなかっただけにたかをくくっていた義朝は困った。そしてさらに馬鹿なことにそのすべてを購入したのだ(別に一つ残らず買ってこいと言われていたわけでもないのに)。
そしてその重い重い(5,6本はゆうにあった)紅茶を抱えながら二階へ。ドラッグストアへ向かう。
ビタミン剤を買おうと思っていたのだが、思ったほど安くないので断念。変わりに義朝の目に入ったものは・・・・・・缶紅茶である(爆)。
下のあったのとまた違う銘柄のものがそろっている。あ、下のあったのと同じものもある。なにぃっ! ここの方が安い! と、言うことは重い缶紅茶を下げてここまで移動してきた義朝の労力は・・・。

下におりる(すでに缶紅茶は10本近くになっている)。
ここにある郵便局で切手を買うのだ。そういえば切手を渡す相手も缶紅茶を渡す相手も同じ人物だ。何だか出張に来たという錯覚がしてきたぞ(目一杯遊んでいるくせに何を)。
郵便局がまた混んでいたのだがそれはさておき。
義朝は記念切手が欲しかったので、
「Please show me some stamps.」
であっていると思ったのだが、発音が悪かったのか、はたまた文法が間違っているのか、
「ワカリマセーン」と日本語で返されてしまった。屈辱エベレスト級。
その後開き直り片言の英語でなんとか意志疎通を図り、記念切手をゲット。
ホテルに帰る。
まだ日は高い。というわけでワイキキビーチで泳ぐことにする。ホテルの目の前にビーチというのはいいがまわり日本人ばっかり。
確かに海水が奇麗だった。良く透けている。せっかくだから貝殻拾ってみたりして。

明日帰国するので今日はツアーのさよならパーティーとやら(実際はただの夕食であるが)がある。
原則浴衣着用なのでホテルで浴衣を着込み、いざ出発。
浴衣のおばちゃん達の集団というのは結構異様である。日本でも浴衣のおばちゃんが30人近くいたら異様であろう。
しかもおばちゃん達至る所で記念撮影しているから進まないのなんのって。
ま、それはそれ。疲れたのでここまで。
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四日目の記録

さあ、今日は帰国する日である。
朝食を食べてすぐ、義朝は買い残したものを購入するために街に繰り出す。
まずはリップ。
外国でリップクリームを買うというのは私の趣味。フルーツの香りのものとアロエ成分配合のものとを購入。噂によるとピーチの香りのものがあるそうで、それが欲しかったが残念ながら見つからず。
ハワイだからかリップクリームにSPF値がついている。う〜ん。
そして本命購入のために免税店へ!
ここで義朝がほしがったもの・・・それは非常にくだらないものである。なんせ同室の(ブランドもの買いまくりの)奥さんに「そんな馬鹿なもの買うんじゃありません」と止められたくらい。
何かというと、商品名なんだったかな。とりあえず用途を説明しましょう。
まず、それに向かって歌、話し等をします。そしてその先端についている飴を口に入れて再生ボタンを押すと、なんと先ほどの声が流れ出すのだ!・・・・・・はい、馬鹿グッズです。
でも早送りもスローもできるんだよう。面白そうだったんだよう。
ちなみに、飴をなめていなければ音が聞こえないと言うこともありませんが、なめていると振動みたいにしてよりよく聞こえて面白いんであります。このためだけにチュッパチャップスを購入しています私(帰国してからの話ですよ、念のため)。
ま、そういう馬鹿はほっといて帰りましょうか・・・・・・。
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後日

日本を出たときには異常気象で秋とは思えぬ暑さだったのに、帰国するとすっかり寒くなっていてショックを覚える。
しかもあなた、関空からの帰りのバスは大渋滞で動かないったら。
そうこうするうちにバスが枚方市内に到着。
そこから迎えに来てくれた人にトランクを渡す。
笑顔で受け取った迎えの人、トランクを何気なく持ち、凍り付く。
そうだろうなあ、見かけの倍はあるんじゃないかなあ、あのトランク。
なんせ紅茶缶11本(増えてるし)入っているからなあ。
「いやあ、いっぱいおみやげ買ったんでしょうねえ」というその方に心の中で「いや、普通土産物買ったってこんなに重いもの買わないだろうよ」とつぶやく義朝であった。
リップクリーム、これを書いている現時点でアロエの方は開けていません。フルーツの方は・・・・・・これがまた何とも外国チックな甘い香りで。でも最近は慣れたので普通に使用しています。
帰国して一番の後悔といえばカウアイ島の怪しい彫刻郡を写真に残さなかったことでしょうかね。
お後がよろしいようで。

今回の旅行で食べ物は結構当たりが多かった。
やはり日本人が多くいるから食事もそれに合わせたものが多いのであろうか。それともただ単に運の問題なのであろうか。
しかしいただけなかったのは菓子。特にカップケーキ最悪。
どうしてカップケーキをまずく作ることができるかなあ。
ハワイで美味しいと思えた菓子系統はアイスクリームとパンプディング、ホットケーキ(ホットケーキは主食か?)。
土産物で当たりだったのは干しマンゴ(そんな日本にもあるようなものを)。
カウアイクッキーは少々甘かった。美味しかったけどね。
缶紅茶は・・・・・・あれ紅茶? 
そういえば外国ではミルクティーの缶をほとんど見ることがない。ハワイでも唯一例外ブルックボンドの外国バージョン(美味しかった)に見られたのみ。
アメリカではミルクティーは飲まないのでしょうか(牛乳は入れないときいたが)。
変わりに多いのがフレーバーティー。
ラズベリー、シトロン、ピーチ等々。とにかく多い。そして紅茶の風味がまるで消し飛ぶほど臭いと味がきつい。はたして紅茶の意味があるのか。
あと多いのがティーソーダ。炭酸の紅茶。普通の紅茶と思って買ったのがこれだったの言うのは実に多い。日本にはほとんどないぞ(全くない、ではないのだ。ちゃんと存在するんだよ)。
どういうことなんでしょうね。
(ああ、しまった食べ物の話題の半分近く缶紅茶の考察になってしまった。汚染されている・・・)


旅行中の1コマ
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