欧州旅行記
これは1998年12月はじめに義朝がいった初の海外旅行、ベルギー・フランス7日間の旅での珍道中です。
ちなみに義朝の英語の成績は高校から赤点すれすれ。当然フランス語なんて話せません。
欧州旅行記
その1
その2
その3
その4
番外編
欧州旅行記 <1>
案内人、1998年12月に欧州を旅してきました。
・・・と、言うと聞こえが良いが、現実はただの学校の研修旅行。しかし、一体どこが研修だったのか、出発し、帰国して数ヶ月が経過した今でも疑問である。
ま、とりあえずそういうことで(どういうことだ)その旅のよもやま話でも・・・。
案内人、実は海外旅行は初である。
「いや、四国と北海道に行ったことはある」などと本人はほざいているが、この際無視しておく。
利用する空港は関西新空港。そこに行くまでのバスに乗るため、京都駅に向かう。大阪の人間なのにいったん反対方向の京都に向かっているのは学校が京都の学校だからである。
早朝、まだ夜も明けぬ暗闇の中、トランクの車輪がごろごろ言う騒音を気にしながら家を出る。
空港に着くと、ヤケに広い。こんなに広さを取る必要があるのだろうかなどとよけいなことを考える田舎者の案内人。何故か空港の中のローソンで麻婆春雨まんを食す。
時間が来、飛行機に乗り込む。当然座席はエコノミー。あまりの狭さに愕然とする。足も伸ばせない。しかし、各座席にTVがついているのでちょっとご機嫌。余裕があるのはここまでである。
離陸。飛行機が動き出すとともに、「こんな大きな鉄のかたまりがどうして飛ぶんだ。」などと先人の使い古されたセリフを吐き、恐怖におののく。が、この時はまだ恐怖のみ。
飛行機の中で、退屈なので連続で映画を見続ける。『アルマゲドン』、『卓球温泉』、『ラブ・レター』。しかし、まだ目的地には着かない。改めて世界の大きさを思う。
13時間後、フランスに到着。飛行機が高度を下げるにしたがって、案内人左顔面に激痛。こめかみのあたりから首筋に至るまでいたくてしょうがない。周りの人間は平気な顔をしている。何故自分だけが。後に友人に聞いたところ、はじめて飛行機に乗ったときは結構頭痛を起こす人はいるらしい。しかし、頭痛どころではない状態だったが。
顔色真っ青(鼻血まで出した)、ふらふらの状態で飛行機を降りる。
「もう二度と飛行機には乗りたくない」などとじゃあお前はどうやって帰国するんだ、とつっこみたくなるようなことをつぶやいているが、この日の宿はフランスではない。もう一度飛行機に乗らねばならないのだ。
今度の飛行機は先ほどのジャンボジェットとは違い、小さい。隣国のベルギーに向かうこの飛行機に乗り込む。すでに意識朦朧。無理矢理寝たふりをして離陸、着陸を乗り切ろうとする。が、予想に反して今度は頭痛も何も起きなかった。(体調不良は置いといて)
そんなこんなでベルギー・ブリュッセル到着。風呂にも入らずそのままベッドに倒れ込み、寝る。
(こんな状態なのにフロントの黒人のお兄さんが格好良い人だったことはちゃんと覚えていた。)
<2>に続く。
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欧州旅行記 <2>
翌日。昨日が嘘のように健康的に起床。とりあえず風呂にはいる。
先ほどから風呂、といっているが、欧州のバスルームなので当然シャワー等のためにできており、日本の風呂とは様式が違う。この日は朝であったこともあり、シャワーを浴びただけだが、後日、この白人サイズの、しかも泡風呂またはシャワー用の風呂で和風に入浴しようとし、連日苦労することとなる。
なぜなら、まず、浴槽が縦長である。これによって、黄色人種の中でもミニサイズの案内人などは足を延ばすとそのまま浴槽内に沈んでしまう。しかも、端が角ではなく非常に緩やかな曲線なので、すべる。おかげで案内人、何度も湯船に使っている最中、すべって頭から湯の中につっこむ羽目となる。
閑話休題。
この日はブリュッセル観光である。バスに乗ってあちこちまわるのだが、路駐の多さに驚愕。大阪とタメがはれるのではないか。
町並みが国によって保存されているだけあり、絵画のように美しい、まるで本の中のような景色が並ぶ。寒いお国柄のため、家々は隣同士壁がくっついている。これは、壁に沿って暖炉を置いた場合、壁に暖かさが伝わって両家暖かい思いができるからとか。ちなみに地中も暖かいのか、だいたいの家には半地下室がある。
この日まわった場所の中で、もっとも印象に残っているのはチョコレート工場。たった3人で経営している、小さな工場だが、今も手作業でチョコレートを作っている由緒ある工場である。中にはいるとまず目に入ったのはチョコレート細工の「タンタン」絵本で有名な、あれである。何故か案内人の周辺には彼を知らない人が圧倒的多数だった。寂しい。
そして実際にチョコレートを作るところを見学。トリュフなどは体験させても頂いた。この時作業をしていた台、はじめはお菓子細工に適していると言われる大理石であろうと軽く思っていたが、何か変。大きく割れ目が入っていたり、なにやら文字や数字も掘ってある。実はこの石、墓石だったのだ。老朽化した墓石を交換するときに、譲ってもらって使用するとか。「勝手に掘り起こしてもってきたわけではないので、ご安心下さい」・・・まあ、そうでしょうね。
ここでは非常においしいチョコレートをたらふく食べさせていただいた上に、おみやげまでいただいた。「小さいけど結構良いところだねえ」とこの時はそれだけだったのだが、後日、実はこの工場世界的に有名なチョコレートメーカーだったことが判明。日本にも輸出しており、世界的な大会で何度も優勝しているとか。恐るべし。
バスはブリュッセルを出、アントワープへ。
日本人にとってのアントワープといえばただ一つ、『フランダースの犬』だ。(と、言っても案内人はこの旅行に行くまでこの話の舞台がベルギーであるということすら知らなかった。)
あのネロが死ぬ間際にまで見たがった絵の作者、ルーベンスは史上稀に見る幸せな画家といわれ、生前から名画家として名を馳せ、富と名誉も手にしていたそうな。ネロが行った教会に向かう。ここにルーベンスの絵は、実は二枚でなく四枚ある。そのうち二枚が観音開きの状態で、当時は通常閉めていたそうです。この教会、予想していたより広い。「ネロ、瀕死の状態でもここまで来るとは結構元気だったのか?」などとまたよけいなことを考える。
ルーベンスの絵は聖堂の中央にまずイエス誕生の絵が、そして向かって左側に磔にされるイエス、右側にイエスの死体をおろす人々の絵が描かれている。ネロが見たかったのはこの左右の絵。そして、真ん中の絵と右側の絵のあいだにある通路を通り、また右側を見ると、ここに四枚目の絵、イエスの復活の絵がある。
こんな風に宗教画がたくさんあるのは昔の教会の特徴で、当時特権階級の者しか通常字を読み書きすることができなかったので、聖書の読めない人のために聖書の内容を絵に示したのである。こういう物はこの後もたくさんありました。絵だけでなく、タペストリー、彫刻・・・。
ルーベンスの絵、持参したカメラで撮ったものの、どうも自信がない。そこで教会内にあった土産物屋で絵はがきを購入。案内人大英断。やはりというか何というか写真はピンぼけであった。ここのレジのお兄さん、片言の日本語で対応してくれた。土産物の中には日本語表記されたものも。「フランダースの犬」は日本でのみもてはやされた物語ですからねぇ。そういえば、現在あちらで実写版フランダースの犬を制作中とか。日本に刺激されたな。
アントワープを通過し、ブリュージュへ。この日はここまで。
<3>に続く。
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欧州旅行記 <3>
ブリュージュ。この街は現実感のない街である。
赤い煉瓦。壁も、地面も、屋根も。そして建ち並ぶ教会、店。すべてに現実味を感じられないのである。当然ここで暮らしている人もいるのだが、この街自体河で囲まれていることもあってか、なにやらテーマパークにいるような気がしてならない。それほど完成された街なのだ。(ちなみにこの感想は、実際にテーマパーク、ユーロディズニーに行ったことによって覆された。あれほど安っぽくはない)
この街にある教会にはキリストの聖血を保管しているという。この聖血伝説というのはキリスト教国家のあちこちにある。仏教国家の仏舎利のようなものだ。教会にはいると(何故か二階だった)、窓、ステンドグラスにこの町の人が聖血を手に入れるまでの物語が描かれている。ヨーロッパの教会には実にステンドグラスが多い。ちなみに、このように観光客が入っていってはいるが、これらの教会はすべて現役で使用されており、信者の方々が熱心にお祈りをしてる姿も見られる。
教会を出て、すぐ右側の建物は市庁舎。しかし、現在は使用していない。ここも中は相当華麗で壁には当時の役員(?)の家柄をあらわす紋章が描かれている。現在修復中で壁には足場のようなものが設けられ、その足場に座って一人の若い女の人が修復作業を続けていた。そう言えばベルギーの移動に使用したバスの運転手も女性であった。
ここは貸し出しもしており、結婚式にも使われるとか。日本人もすでに何組かここで式を挙げたそう。
この街には小さな泉がある。「恋人の泉」と呼ばれているこの泉にカップルで二人いっしょにコインを後ろ向きに投げ込むと幸せになるという。コインを投げ込むカップルを寂しく見守る独り者の案内人。
寂しいので話を変えよう。
この街の中心部の方にサンクト広場、と呼ばれる広場がある。先ほど紹介した教会、市庁舎の前に広がっている。と、行ってもそれほど広くはないが。ここが週一回市場を開く。この日は所狭しと店が建ち並び、活気にあふれている。案内人も行ってみた。主に果物屋が多く、肉屋等も並んでいる。オレンジを食べたが、おいしかった。安いし。(しかし案内人が買ったわけではない。人が買ったのをもらった。)あと、面白かったのが中華料理のお総菜の店があった。なにやらそこだけ雰囲気が違っていた。
では、次はフランスだ。
ブルージュからバスでひたすら走る。国境を越えて、フランスに到着。
ブルージュをでたのは昼だったのにもう夜である。コンコルド広場を通り抜け、セーヌ川に沿ってホテルへとバスは走る。コンコルド広場はイルミネーションが美しく輝いている。「電力量は一体いかほど・・・」などとまたよけいなことばかり考える案内人。
先ほどの隣国ベルギーと這うって変わってネオンが煌めき、ビルなどもある。治安もかなり悪い。ちなみに、突然話は変わるがメートル法を作り出したのはフランスだとか。
翌日、エッフェル塔を見に行く。エッフェル塔は中にはいるよりもセーヌ川をはさんで向こう側の建物(名は忘れてしまったが、エッフェル塔と同じく19世紀の万博のときに作られたもの)から見ると、美しくはっきりと見える。エッフェル塔に21世紀までの日数のカウントが表示されている。そして、ここから見ると塔のちょうど真下に陸軍士官学校が見える。かのナポレオンの母校でもある。そして、視線を左側に移すと金ドームの建物、アンバリット宮殿が見える。そこにナポレオンの墓があるそうだ。
昨夜見たコンコルド広場を再び通り抜ける。美しい広場となっているが、この広場はかつてフランス革命の折にギロチンを設置していたその名も「革命広場」である。この広場はフランス革命前、革命中、革命後と名前が変わっている。革命前は国王の像が設置されていたそうだ。
セーヌ川に沿ってバスは走っていく。この川に架かる橋は新旧あわせて現在33架かっている。
川のすぐ横に立っているノートルダム大聖堂に到着。ここには美しいステンドグラスの通称「バラ窓」がある。しかし、実際見てみたところ日本人の感性ではバラというより菊である。ここも当時表側は修復作業中でよく見れなかった。が、この教会は修復をしていようがしていまいが裏側の方が美しいと評判なのだ。だから良し。
ちなみにノートルダム教会、というものは世界の各地にある。このノートルダム、というのは地名等ではないのだ。「ノートル」は「我らの」、「ダム」は「女性」という意味。すなわち聖母マリアを祀っている教会全般の呼び名なのだ。
次はいよいよルーブル美術館だ。
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欧州旅行記 <4>
ルーブル美術館、ここは広い。もの凄く広い。まともに全部見ようとすれば一週間はかかるという。これをたった二時間でまわってしまおうというのだから涙が出てくる。
まあ、とにかくルーブルだ。気を取り直そう。
ここに入場するとき、大きな鞄を持っている人は荷物を預けなければならない。小さな鞄の人も空港のように荷物チェックをされる。これもすべて防犯のためだ。
ここは美術館として存在していたのではなく、かつては宮殿であった。だから、美術品も美しいが、視線を天井などに移すとそこにも黄金の美しい装飾が施されていたりする。フランス人は金色が好きなんだそうだ。
何億もの金をかけて東京に持ち込んだドラクロワの絵もまだあった。結構大きかった。この絵の中心で国旗を掲げている自由の女神は作者の想像した人物であるが、その横でピストルを空に向けている少年は、実際に当時フランスの自由のために戦い、死んだ少年をモデルにしている。そして右側で猟銃を持っているシルクハットの男が作者自身だと一般に言われているが、実際はよく分からない。
と、絵の説明を延々としていたのではどこまでも長くなってしまうので、涙をのんで省略する。ほかにもサモトラケのニケ(首と両腕のない翼のある女性の像)などもあるが、この像のちょっと離れたところに、ガラスケースに入った右手が展示されている。右手だけは別に見つかっているそうだ。
この美術館の最大の目玉としては、何と行っても「モナリザの微笑み」であろう。レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作といわれるこの絵はどこから見てもこちらを見ているように見えるという。この絵だけは特別展示ケースに入れて飾ってある。こういう有名な絵の周りには人だかりができる。そして、その人だかりの中では仕事がしやすいと、スリも入場料を払って仕事をしに来るらしい。
ナポレオン戴冠式の絵もある。この絵は、実際には出席しなかったナポレオンの母の絵が描かれている。ほかにも色々仕掛けがあったりするのだが、ここでは省く。
後ろ髪を引かれながら美術館をでると、館内に土産物屋がある。美術館内の絵(それ以外にも彫刻等についても)について説明してくれているパンフレットのようなものもある。どうせフランス語だから読めない、と思ったそこのあなた。このパンフレット、仏、独、英、中、伊、日、その他全八カ国語(ひょっとしたらもっとあるかも)に訳されて売っているので外国の人でも全然オッケーなのである。
この後ユーロディズニーへ行ったりしたのだが、別に特筆すべき事はない。問題はその後だ・・・。
案内人はフランスの切手を買うよう頼まれていたのだ。ホテルのフロントのお兄さんに聞いてみたが、売ってないという。
ブルージュのホテルでは少数ながら売っていたというのに、と、文句を付けながら仕方なく案内人は郵便局へ行くことにした。が、郵便局がどこにあるのか分からない。
ホテルのそばにあるとフランスに行ったことのある知人に聞いていたので、ホテルの部屋にあった周辺地図を見る。あった。しかし、ごちゃごちゃとしていてよく分からない。案内人は地図読みとり能力が限りなく低いのだ。とりあえず周辺に向かって歩いていく。
「フランスの郵便局はPTTと書いてあるからすぐ分かるよ」という先ほどの知人の助言を頼りに歩き回るが、そんなものはない。いっしょについてきてもらっている友人とともにあきらめモードに入りかけたその時、案内人の目の前に泊まった施設がある。・・・・・・警察だ。
しかし、フランス語などほとんど分からない。英語だって危うい。はたして説明してもらっても分かるだろうか。しかも、日本でもほとんど警察にお世話になったことはないのに、フランスで警察の世話になるのか?・・・などとしばらく悩んだ結果、案内人は警察に行くことを選んだ。
「えくすきゅーずみー」
必死の形相をしていたのか、一瞬警官がびくっとなっていた(笑)。片言の英語で郵便局を訪ねると、「Go left」左に行けという。左に行くだけでいいのか? と半信半疑ながら「めるしー」と左に進むと、10メートルほど先に郵便局はあった・・・私の苦労は・・・。
ちなみに郵便局でも記念切手とポストカードセットが欲しいが為に筆記と片言のフランス語(一部英語混じり)、身振り手振りで郵便局員と会話をする羽目となる。(しかもすごく欲しかった三銃士のポストカードセットは売り切れだった)これにより、案内人は「ほとんど言葉がしゃべれなくても何とかなる」という間違った自信をつけたのであった・・・。
そうこうするうちに最終日、郵便局で買った星の王子様の記念切手を他人に自慢しつつ帰る準備を進める。この時上機嫌の案内人には再び13時間の飛行機が待ちかまえているのであった・・・・・・。
ちなみにこの郵便局が見つからなかった理由の一つに「PTT」という表記がなかったという(「la poste」という表記であった)オチがある。・・・だまされた・・・。
普通はPTTなんだそうな。
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欧州旅行記 番外編
欧州での一番の心配は「食事」であった。
まずくて量も果てしなく多いという。はたして大丈夫か? と。
一番はじめのフランス航空の飛行機内での機内食によってその不安はいきなり現実となった。サラダが凍っていたのだ。しかし、これは私の分だけであった・・・。
ベルギー、フランスともに朝食はバイキング形式である。これがなかなか豪華である(とくにベルギーでは)。必ずヨーグルトがあり、果物もごろごろとある。パンも5.6種類は当然のようにそろっているし、飲料もジュースから最低でも6種類はあった。
では、昼食夕食じゃどうだったかというと、これもそれほど悪くなかった。前菜、メイン、デザート、この三皿ででてくるのがパターンで、それにフランスパンが添えられている。このパン、非常においしかったのだが、ほとんど食べられなかった。先の三皿を残さず食べるためにはパンの許容値がなかったのだ。そして、デザートはたいていチョコレート系。しかも、でかい。ちなみに前菜もこの名がそぐわないほどでかい。メイン、メイン、デザート、といった方が適切かも知れない。
食事は残さない、をモットーにしている私だが、一度ローストビーフに添えられていた山のようなマッシュポテトだけはどうしても食べることができなかった。だって、本当に「山」だったんだもの・・・。
こんな食事の中で、一番印象に残った食事がブリュッセルの「レオン」での昼食である。この店、かなり有名な店で、ムール貝が売り物だという。席に座って、でてきたのは直系18cm、高さ12cmはあろうかという鍋。そこに山のようにはいっているムール貝。これが、一人につき一つ来るのだ。そしてそれにフライドポテト。塩味のスープでゆでられたムール貝は、確かにおいしかった。一つ目を食べ終えるとその残った貝殻をはさみのように使って実を取り除いていくのだ。この作業が途中から機械的になっていく。ただひたすらに貝の実を取り、口に入れ、貝殻を捨ててまた貝をとる。それが全部食べきるまで続いた。当分貝は食べたくないと思いましたね。でも確かに名店だけあっておいしかったけど。また行きたい気もするけど。その時は絶対にここに行ったことのない人を連れていく(笑)。
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