<歴史小説>



と言うわけで(どういうわけだ)ここでは私のお薦めの時代小説なんぞをご紹介しましょう。
しかし、現在入手不可能のものやら不明のものやらもありますのであしからず。
(題名の下に書いてあるのは義朝が読んだ本の出版社です。その他から出ている物もございます)

炎立つ
夏草の賦
伊達政宗
菜の花の沖
世に棲む日々
夢粋独言
花神

炎立つ

高橋克彦著 講談社文庫全五巻


 題名見れば分かると思いますが、大河ドラマの原作。
 しかし、大河ドラマのを見てこの小説の内容を理解した気になってもらっては困る。実は私、大河で「炎立つ」をやっていたとき、「あまり面白くない」と思って途中からあまり見ていなかったのだ。
 それが、日本史のテスト勉強をしていた私に「その時代の話だ」と、父がわざわざ本棚から持ってきたので、むげに戻すのもなんだと思って読み始めたら、「・・・面白いじゃぁないか」と、こういうわけで。
 東北地方独特の歴史背景が話に深みを与えています。
 この話を読むと、ああ、かつて東北より北は外国だったんだ、といったことがよく分かります。
 歴史物特有の泥臭さのようなものがあまりなく、全体的にすがすがしい印象を与えられたような作品です。 


夏草の賦

司馬遼太郎著 文春文庫上下巻


 戦国大名の一人、四国の長宗我部元親の話。
 「そういやぁそんな人戦国時代にいたっけなぁ」と言う程度の認識しかなかった、実際あまりメジャーではない武将です。
 しかし、「こんな人主人公でほんとに成り立つのか?」と言う私の(非常に失礼な)懸念を見事に吹き飛ばしてくれ、読み終わる頃には
 「ああ、長宗我部カッコイイ・・・」
 と、豹変している自分がいました。
 確かに全国的には目立ったことをしたわけではなく、徳川政権の頃にはお家自体がなくなっているような大名です。しかし、平穏な四国において野心を持ち、四国をへいどんはしたものの天下に号令ができるほどの運と実力がなく、結局は豊臣に膝を屈することになってしまう元親には哀愁と悲劇が漂っている。
 もし自分が本州にいれば、と自分の境遇を嘆き、あと少しで四国統一、と言ったところで豊臣によってもとの領地分に戻らされたときには
 「俺の人生は無駄であった・・・!」と泣く。
 勝者ではなく敗者のロマンがここにはあります。
 こういう物語の視点で歴史を見ると、今まで教科書等で培った知識とはまた違った感覚で歴史を見ることができて感覚が一新されますね。


伊達政宗

山岡荘八著 光文社時代小説文庫全六巻

 ご存じ独眼流政宗。
 何年か前に(何年も、か?)NHK大河ドラマになったので知っている方も多いと思います。これはその原作。
 この政宗、知謀に優れているだけでなく、伊達衆の言葉を作り出した派手な男でもある。領地の砂、と言って砂金をばらまいたりはお手の物。南蛮人の側室までいる。秀吉の元に嫌疑を晴らしにいくときに巨大な金の磔台を持参したのは有名な話。
 よく言われる「伊達政宗はあと10年生まれるのが早ければ天下を取っていたかも知れない。」というのがありますが、確かに彼が生まれたのは戦国時代の終わり頃。初陣の一年後に本能寺の変がおきた、と言えばこの年代の差が分かっていただけるでしょうか。
 そういうわけでよくある戦国武将ものとは少々趣が異なる。戦のシーンがあまりないのだ。と、いうわけで自然と彼の活躍は知能的なものとなっていく。いかにうまくピンチを乗り切ることができるか。これがまた、戦国時代が終わっても政宗には絶体絶命といった危機がつきまとう。秀吉への反逆の嫌疑、からはじまり、朝鮮出兵や関ヶ原の戦い、等々、色々ある。これらのうちにはイエスかノーかで答えられる部類のものはほとんどなく、策略と陰謀、裏工作などが渦巻いている。
 秀吉時代には秀吉よりも政宗の方が幾分勝っているか、と言う感じがあるが、徳川時代になると、家康の前ではまだ政宗は人生経験の足りない若造になってしまう。裏をかいて策略を練ったつもりが、家康にはバレばれで結局手のひらの上で踊らされていただけ、と言うことも何度もある。しかし、最終的には政宗は戦国時代から江戸時代にかけて領地を没収されることなく生き残り、8人の息子達も路頭に迷うことなく前途洋々のまま死を迎えることとなる。その点、子宝に恵まれなかった秀吉、息子の一人を幽閉せざるをえない事態にまで追い込んでしまった家康に比べると、勝者と言えないだろうか。



 
菜の花の沖

司馬遼太郎著 文春文庫全六巻


 江戸時代に北前船で松前(北海道と認識してくれ)と神戸に店を持ち財を築いた男、高田屋嘉兵衛の物語。
 誰やねん、それ。といういつものフレーズを口にしながら読みましたが、これが面白いんですよ、また。
 舞台は江戸中期。その時代に、淡路島の小さな村で生まれ育った男が神戸に店を構え、それだけでなく北海道まで乗り出し、仕舞いには(自分の意志ではないにしろ)ロシアまで行ってしまうのだ。江戸時代にこれほど広い世界で活躍した人間は数いないであろう。
 淡路では隣村で働いていたので差別され、おまけにその隣村の名士の娘とできてしまいいのちからがら神戸までにげてくる。
 少し変わったその男は船に乗ると確実にしかも迅速に荷を運び、高田屋のものならば大丈夫、との信頼も世間に抱かせるようになる。
 裸一貫から財を築いていく姿は読んでいて痛快である。財を築くばかりでもない。当時差別されていたアイヌの民の保護にも乗り出していたりもする。ロシアに連れ去られたときには使用人の少年からロシア語を習い、少年には逆に日本語を教え、意志疎通を図る。
 どんな状態にあってもくじけす、はい上がっていくその姿は現代では失われつつあるものなのだろうか。
 しかし、このページ、司馬作品が圧倒的に多いですね。




 
世に棲む日々

司馬遼太郎著 文春文庫全四巻


 幕末の時代の二人の革命者、吉田松陰と高杉晋作の生涯。
 この二人も私名前は知っているけど・・・程度だったんですが。(しかしこの二人は一発で変換できた。長宗我部は・・・)
 基本的に高杉メインの話ですが、二人ともかっこいい。しかも、話の内容が、私に学がないだけかも知れないが日本史とは思えなくて「こんな事があったのか・・・」の連続。長州征伐は知っていたけれど、藩内で高杉がクーデターを起こしていたことなど露ほども知らなかった。
 高杉晋作は昔彼の大ファンという人物にあったことがあり、「そんな地味な人物が好きだなんて変わったやつ」という見解を持っていた当時の私。今は全く反対の見解を持つに至った。地味どころか。
 この話を読んでいるといかにして幕府の権威が失われていったかがありありと分かる。ちなみに私のお気に入りは井上聞多。いい味だしてますよ。



 
夢粋独言

勝小吉著 勝部真長訳編 角川文庫全一巻


 勝海舟のお父さん、勝小吉の自伝。
 これがまあすごいんですわ。このオヤジやりたい放題。
 14歳で江戸を出奔して乞食のなりまでして三ヶ月ほどさまよったり、帰ってきても悪行三昧どころか21歳でまた出奔。
 今度帰ってきたときには父親に檻に入れられたりもしている。
 やりたい放題。我慢なんて全然しない。自分の信念だけを貫き通しているなこいつ、という感じが文章中に見え隠れ・・・というか丸見え。
 しかもこの自伝を作った理由が

 男たるものは、決して俺が真似をばしないがいい。
 孫や曾孫ができたらば、よくよくこの書物を見せて、身の戒めにするがいい。

 というんだからいかしている。
 しかし、なんだかんだ言ってもこの親子結構似てるところあるよ。うん。



 
花神

司馬遼太郎著 新潮文庫 上中下、全3巻


 「名前は知ってるけど何した人?」もしくは「誰?」という(←失礼)幕末の士、大村益次郎こと村田蔵六の半生記。
 周防の村医から一転倒幕軍の総司令官という異例の出世(…なのかなぁ)をしたこの人物の物語は予想外に面白かったです。
 無愛想で無口で偏屈、酒の肴にいつも豆腐を食べ、誰かに「暑いですねぇ」といわれると「夏に暑いのは当たり前です」と答えるような人。
 (後にこの変人さが災いして敵を増やし、結果殺されることになるのだが)
 緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだことをきっかけに村医から予想外の方向へ歩んでいくのだが本人はずーっと同じ調子(笑)。
 異国の知識と軍学を生かし、新式の銃を仕入れて戦闘をしかける反面、攘夷論者だったりと矛盾が生じているのではないかというようなところもあるが、それがこの人だとちっとも不思議じゃない。
 シーボルトの落とし胤、イネとの関係も恋愛というにはあまりに朴訥。
 あまりの朴念仁ぶりにいらいらするイネが可愛いです(しかし村田には奥さんがすでにいたのだが)。

  「医師というものはあまりに変人であってはいけない。世間に対し衆人の好意を得なければ、たとえ学術卓絶し言行厳格なる医師であっても病者の心を得ることができず、従ってその得をほどこすことができない」
 というくだりになったとき、蔵六はふと、
「この一項に限って、わたしは医たる者にむいておりません」
 と、小さくつぶやいた。

 自覚があったようです(笑)。
 実際問題彼は医者としてはあまりはやらなかった様です。



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