勝海舟のお父さん、勝小吉の自伝。
これがまあすごいんですわ。このオヤジやりたい放題。
14歳で江戸を出奔して乞食のなりまでして三ヶ月ほどさまよったり、帰ってきても悪行三昧どころか21歳でまた出奔。
今度帰ってきたときには父親に檻に入れられたりもしている。
やりたい放題。我慢なんて全然しない。自分の信念だけを貫き通しているなこいつ、という感じが文章中に見え隠れ・・・というか丸見え。
しかもこの自伝を作った理由が
男たるものは、決して俺が真似をばしないがいい。
孫や曾孫ができたらば、よくよくこの書物を見せて、身の戒めにするがいい。
というんだからいかしている。
しかし、なんだかんだ言ってもこの親子結構似てるところあるよ。うん。
司馬遼太郎著 新潮文庫 上中下、全3巻
「名前は知ってるけど何した人?」もしくは「誰?」という(←失礼)幕末の士、大村益次郎こと村田蔵六の半生記。
周防の村医から一転倒幕軍の総司令官という異例の出世(…なのかなぁ)をしたこの人物の物語は予想外に面白かったです。
無愛想で無口で偏屈、酒の肴にいつも豆腐を食べ、誰かに「暑いですねぇ」といわれると「夏に暑いのは当たり前です」と答えるような人。
(後にこの変人さが災いして敵を増やし、結果殺されることになるのだが)
緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだことをきっかけに村医から予想外の方向へ歩んでいくのだが本人はずーっと同じ調子(笑)。
異国の知識と軍学を生かし、新式の銃を仕入れて戦闘をしかける反面、攘夷論者だったりと矛盾が生じているのではないかというようなところもあるが、それがこの人だとちっとも不思議じゃない。
シーボルトの落とし胤、イネとの関係も恋愛というにはあまりに朴訥。
あまりの朴念仁ぶりにいらいらするイネが可愛いです(しかし村田には奥さんがすでにいたのだが)。
「医師というものはあまりに変人であってはいけない。世間に対し衆人の好意を得なければ、たとえ学術卓絶し言行厳格なる医師であっても病者の心を得ることができず、従ってその得をほどこすことができない」
というくだりになったとき、蔵六はふと、
「この一項に限って、わたしは医たる者にむいておりません」
と、小さくつぶやいた。
自覚があったようです(笑)。
実際問題彼は医者としてはあまりはやらなかった様です。
戻る