ハイチという国



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表題: ハイチという国
著者: 青木芳夫
出典: 『資料ラテンアメリカ』第35号(2003年1月1日)

一 はじめに

 最初から私事にわたるが、2002年6月に大村書店からC・L・R・ジェームズ『ブラック・ジャコバン−トゥサン=ルヴェルチュールとハイチ革命−』(初版、1991年)の増補新版を翻訳出版することができた。最近では品切れ状態にあったから、まさに「死んだ」本が蘇ったようなうれしさを感じた。それとともに、日本ではほとんど紹介されることのないカリブの小国ハイチについて紹介することは、今やカリブ史の古典とも言うべきこの本の翻訳者である著者の責任でもある、と考えた。本稿は、そのための最初の試みである。

  二 遠くて知られざる国から

 ハイチは、カリブ海のエスパニョーラ島の西側3分の1を占める黒人共和国である。東側3分の2は、ドミニカ共和国となっている。ハイチの国土面積は約2万8000平方キロで、日本の四国の約1.5倍である。その土地に、約700万の人々が暮らしている。ハイチは、先住民の言葉であるアラワク語で「山の多い土地」を意味する。その名前のように、国土の4分の3が山地であるが、今日では森林は約5パーセントにすぎない。

 日本からハイチへの直行便はない。いったん米国の東海岸のニューヨークかマイアミまで直行し、そこから乗り換えてハイチの首都ポルトープランスを目指すこととなる。約20時間あまりの旅である。確かに、ハイチは遠い。

 日本から地理的に遠いだけではない。私たちにとって、ハイチはそれ以上に遠い国である。ハイチについて、私たちはどれほどのことを知っているだろうか。たとえば、高校の世界史でハイチについて学ぶのは、『ブラック・ジャコバン』の主題でもある、黒人奴隷が蜂起し革命フランスから独立した世界最初の黒人共和国のところであろう。しかし、『ハイチ−目覚めたカリブの黒人共和国』(凱風社、1999年)の著者である佐藤文則は「ヴードゥー教やゾンビばかりがハイチじゃない!世界初の黒人共和国として歴史に遺る、カリブ海に浮かぶ島国はここ十数年、自立への道を模索しつづけてきた。」と、書かねばならなかった。興味本位のハイチのイメージは、まさに「ヴードゥー教とゾンビ」なのである[ハイチ友の会 http://friendsofhaiti.home.mindspring.com/「佐藤文則フォトギャラリー」を含む]。

 朝日新聞の記事を見直してみる。2001年1月から2002年5月まで、縮刷版で検索してみれば、「世界」欄の<アメリカ>の項目では、3件の記事しか発見できない。つまり、「アリスティド氏 ハイチ大統領返り咲き就任」(2001年2月8日夕)、「アリスティド政権2期目のスタート 「世界が祝福」今は昔」(2001年2月9日)と「ハイチ 大統領府に武装集団」(2001年12月19日)の3件である。ハイチだけではなく、ラテンアメリカ・カリブ諸国に関する記事は本当に少ない。<アメリカ>の項目で圧倒的に多いのは、米国に関する記事である。

 なお、あまり一般的とはいえないが、図書館等で利用できるDigital News Archivesで検索すれば[奈良大学図書館には、CD−ROM版がある]、もう少しヒットする。たとえば、「ハイチ」が見出しに出てくる記事は、2000年1月1日から最近(10月上旬)まで18件ある。2000年が8件、2001年が7件、2002年が3件である。見出しに本文を加えれば、同じ期間で122件(2000年48件、2001年40件、2002年34件)となる。それでも少ない。

 その他、上智大学イベロアメリカ研究所発行の『イベロアメリカ研究』46号(2002年)掲載の「ラテンアメリカ日誌‐2001年‐」によれば、ハイチについては、5件が収録されている。つまり、アリスティドの大統領再任(2月7日)、ニューヨークでの白人警官によるハイチ移民暴行事件(7月12日)、ハイチの経済難民(12月3日)、武装集団による大統領官邸襲撃事件(12月17日)、同首謀者のエクアドルからの国外退去処分(12月25日)、以上の3件である。あまり明るいニュースはない。

ところで、2002年は、外務省が提唱する「国際カリブ年」に当たるそうだ。そこで、インターネットで、外務省のホームページを開いてみた。残念ながら、「国際カリブ年」という文字を発見することはできなかった。ただ、2003年は外務省提唱の「日・アセアン交流年」に当たることが分かった。そのための支援事業募集の記事が出ていた。おそらく、1年前に開いていたならば、「国際カリブ年」のための支援事業募集の記事が見られただろう。それくらい、ハイチは知られざる国である。

三 ラテンアメリカ・カリブで最も貧しい国から

 かつて「カリブ海の真珠」としてヨーロッパの植民地諸国から羨望の的だったフランス領サンドマング、今日のハイチは、いまや世界の最貧国として知られる。このことを、巻頭の付表[略]を参照しながら、統計数字で確認しておこう。

 こういうとき、私はユニセフ(国連児童基金)が毎年発行している『世界子供白書』を参照する。2002年版から紹介しよう。まず、5歳未満児死亡率の順位では、ハイチは1000人中125人で192カ国中の37位である(日本は4人で187位(同率で首位)、ラテンアメリカ・カリブ諸国全体では37人、ジェームズの出身国トリニダード・トバゴは20人で129位)。

また、UNDP(国連開発計画)の定義する人間開発[人間らしい発展]指数では、2000 年版では、ハイチは0.440で174カ国中の150位で、人間開発指数低位国の1つとなっている(日本は0.924で9位)。なお、人間開発指数は、寿命(出生時平均余命)、知識(成人識字率、初等・中等・高等教育就学率)、人間らしい生活水準(調整済み1人当たり所得)を基礎に計測される。ちなみに、ハイチの場合、出生時平均余命54.0歳(日本は80.0歳)、15歳以上に占める成人識字率47.8パーセント(日本は99.0パーセント)、総就学率24パーセント(日本は85パーセント)、1人当たり国内総生産1383米ドル(日本は2万3257米ドル)である。ハイチの人間開発指数は、ラテンアメリカ・カリブ諸国全体(それぞれ、69.7歳、87.7パーセント、74パーセント、6510米ドル)やトリニダード・トバゴ(それぞれ、0.793で50位、74.0歳、93.4パーセント、66パーセント、7485米ドル)と比較してもかなり劣悪である。

また、同じく人間貧困指数というものも開発されており、その基礎となるのは、途上国の場合、寿命(出生時に40歳まで生存できないであろう人の割合)、知識(成人非識字率)、人間らしい生活水準(経済資源の剥奪状況。安全な水を利用できない人の割合、保健医療サービスを利用できない人の割合、5歳未満の低体重時の割合)である[先進諸国については基準が異なる]。ハイチは人間貧困指数が45.2パーセントで、対象となる85カ国の中の71位である。つまり、26.5パーセントの人が40歳まで生存できないであろうし、成人の52.2パーセントが読み書きが出来ない。63パーセントの人が安全な水を、55パーセントの人が保健医療サービスを、また75パーセントの人が衛生設備を、それぞれ利用できない。5歳未満の低体重児は28パーセントにのぼり、また65.0パーセントの人が貧困ライン以下の生活を強いられている。なお、トリニダード・トバゴはそれぞれ、5.1パーセントで5位、4.0パーセント、6.6パーセント、3パーセント、1パーセント、不明、7パーセント,21.0パーセントである。ハイチの数字はまさに、すさまじい。

四 バナナ・ペーパーの国へ

 2002年は、日本の外務省の提唱する国際カリブ年であった。なお、前節で触れた国際カリブ年提唱に至る過程として、2000年11月8日に東京で開催された日・カリブ閣僚レベル会議による「21世紀における日・カリコム協力のための新たな枠組み」ならびに「日本のカリコム諸国に対する協力イニシアティブ」を指摘することが出来る。特に後者の文書の「5.交流の強化」では、2002年にカリブ・ウィーク、ジャパン・ウィークの文化事業を相互開催することが明記されている。また、「2.貧困層等社会的弱者の生活の改善」の「(3)貧困層の経済的自立支援」では、バナナの樹皮を使用した製紙技術の普及支援を検討中、とある[www.mofa.go.jp/mofaj/area/latinamerica/kikan/caricom/kaigi2000.html]。

8月から9月にかけて、大阪を皮切りに、日本各地でコンサートを中心とする事業が、五月雨式に実施された。最も大きな事業は、9月上旬に3日間にわたって長野県の飯綱高原で開催された「カリブフェスタ」であり、コンサートと国際セミナーが開催された。国際セミナーは、「カリブ海地域の歴史と文化」と「バナナが地球を救う」の2部から構成さ

れていた。たまたまこのセミナーに出席した私は、ハイチがバナナ・ペーパーを最初に生んだ国となったことを知った。ただし、バナナ・ペーパーについては、その直前、ヨハネスブルクで開催された環境サミットにおいて日本側がバナナ・ペーパーを展示したということを、テレビのニュース番組で見たことがあった。

 以下では、名古屋市大の森島紘史(和紙デザイナー)を理事長とする「バナナ・ペーパー・プロジェクト国際協力の会」の活動を紹介したい[バナナ・ペーパー・プロジェクト国際協力の会 http://www.bananaproject.com/]。

1 経緯

 発端は、1998年12月、駐日エクアドル大使から森島氏に届いた1通の電子メールであった。エクアドルは日本にとってもフィリピンに次ぐバナナの輸入先であるが、これまで廃棄されてきたバナナの茎の再利用法について協力を要請してきた。これを受けた森島氏は、早速、和紙の技術を応用してバナナの廃棄物から紙を作ることに成功した。1999年には、エクアドルとハイチでバナナ紙製造セミナーが開催され、2000年9月には、政情不安なエクアドルに代わってハイチでバナナ繊維の抽出作業の指導が開始された。

 そして、2001年8月には、ハイチの2ヵ所(ハイチ大学と女性企業家連盟)に、バナナ紙すき工房が建設された。ハイチで始まったバナナ・ペーパー・プロジェクトは、カリブ海域のジャマイカにも波及し、2002年5月にはカリブ海域から12名の研修生が来日した。また、カリブ海域にとどまらず、アフリカをはじめとする他の地域にも拡大する勢いを示している。

 また、2001年2月には、学研より、バナナ・ペーパー製の絵本『ミラクルバナナ』が出版され、新聞等で取り上げられるようになり、今日では「ミラクルバナナ紙づくりセット」という工作キットも発売されている。

2 製造工程

 製造工程は、以下の通りである。

    バナナの茎を切る

    切り倒された茎の皮を剥ぐ

    茎の繊維を取り出す

    バナナの繊維をパルプにする(タタキ技法)

    パルプから紙をすく

    乾燥させる

3 可能性

 バナナ・ペーパーの可能性としては、以下のようなものが考えられる。

 第1に、これまでほとんどがゴミとして捨てられてきたバナナの茎から、紙という有用な資源を生み出すことができる。

 第2に、その結果、紙づくりのためにそれだけ木材を伐採しなくてすみ、森林が保護される。現在、紙は9割以上が森林パルプからつくられており、ケナフやサトウキビからは1割にも満たない。これに対して、バナナは129カ国で栽培されており、年産1億トンに及ぼうとしている。捨てられる茎は10億トン以上にのぼり、これをすべて再利用すれば、世界全体の紙需要の半分がバナナ・ペーパーでまかなえる、と森島氏は試算している。

 第3に、森林が保護されたなら、地球の温暖化の進行を抑制することができる。これまで、地球の温暖化の原因として指摘されてきたのが、先進諸国における温室効果ガスの排出と、低開発諸国における森林そのものの減少であった。後者においては、貧困と環境破壊の悪循環が見られる。つまり、貧困ゆえに熱帯林を伐採して焼畑を行なったり、薪炭に利用したりせざるをえないからである。しかし、森林が破壊されると、その土地は砂漠化していき、いったん砂漠化すると、降雨によって土砂が流出し、河口の海は汚染される。その結果、漁業も不振となって、さらなる貧困へと陥っていく。この悪循環は、ハイチには特にあてはまる。

 これらバナナ生産国自体にとっては以下のような可能性が考えられる。

 たとえば、ハイチは、世界全体では第30位前後のバナナ生産国である。しかし、ハイチにとって、バナナは主食の1つで、1人当たり年間22キロも消費するという。しかし、そのバナナですら、国内生産だけでは足りずに、隣国のドミニカ共和国からも輸入している状態である。

まず、バナナから紙をつくる工場が建設されると、雇用機会が創出され、それだけ都市のスラム化が防止できる。現在構想されている、伝統和紙技術と先端技術の融合による環境汚染のない無薬品バナナ紙・布の製造システムであれば、設備投資額1千万以内の小資本ですみ、バナナの茎1トンから1日20人分の労働で、A4サイズのノート紙2万4000枚が製造可能であるという。

ハイチのような国は、これまで紙は輸入せざるをえなかった。それが、バナナ・ペーパーにより自給することが可能になる。さらに輸出できるバナナ生産国も現れてくるだろう。

国産できるとなると、バナナ・ペーパーでまず教科書やノートを印刷し、児童たちに無償で、あるいは廉価で配布することもできるだろう。その結果、紙の問題が唯一の克服すべき困難ではないが、民衆の識字率の改善に貢献することにもなるだろう。

なお、森林パルプと比較した場合のバナナ・ペーパーの生産費用上の不利であるが、森島氏は、二酸化炭素を吸収するバナナの大きな葉の効用によって十分相殺できる、と説いている。つまり、先進国は、低開発諸国のバナナ・ペーパー・プロジェクトを支援しバナナの植樹に努力すれば、「クリーン開発メカニズム」に合致し、自国の削減実績に読み替えられ、したがって京都議定書の公約(2008−12年間の温室効果ガス6%削減目標)を履行できる、という[『朝日新聞』2002年4月13日夕刊]。

その点、熱帯から亜熱帯に分布するバナナ生産国129カ国のうち4分の3以上は先進諸国ではなく、低開発諸国に属するので、それだけバナナ・ペーパー・プロジェクトは温暖化防止策として可能性が大きい

五 おわりに

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の教育部門の事業のひとつに、国際理解教育がある。バナナに関連して印象にのこっている実践授業は、大津和子氏の「1本のバナナから」という試みである。フィリピンから輸入されて日本の食卓にのぼった1本のバナナから、国際貿易の現実(たとえば、「多国籍企業は巨大な資本力によって軽々と国境を超え、生産・流通過程にも進出し、価格を操作し、莫大な利益を得ることができる」こと)、発展途上国の問題(たとえば、多国籍企業との契約農家は「バナナをつくればつくるほど借金が増える」からくりや、先進国ではすでに使用禁止とされているような危険な農薬にフィリピンのバナナ労働者は日々さらされているという現実。もちろんそのような農薬の害はバナナを通してブーメランのように私たちの身体にも返ってくるのであるが)、ならびに日本人の生き方(たとえば、「バナナをつくる人々と,バナナを食べる私たちの世界は、あまりにもかけはなれてい」ること)を考え直そう、という試みであった[川端末人・多田孝志『世界に子どもをひらく』創友社、1990年]。この試みのもとになったのは、1982年に岩波新書として出版された、今は亡き鶴見良行氏の『バナナと日本人−フィリピン農園と食卓のあいだ−』であろう。

当時の言葉を援用するならば、バナナはまさに南北問題の象徴であった。このバナナの南北問題は、たとえ改善されこそすれ、今なお解消されてはいない。ただ、1982年から20年が経過した今年2002年、今度はバナナが南北交流、さらには南北共生の象徴となろうとしているというニュースに接することは、非常に愉快な経験ではないであろうか。

ここで紹介した絵本の『ミラクルバナナ』や工作キットをつうじて、日本の未来の世代がバナナ・ペーパーの生まれた国ハイチというイメージを抱けるようになるなら、これほど喜ばしいことはない。

 最後に、最初にハイチは遠くて知られざる国である、と述べた。しかし、それではまだ正確ではない。知ろうと思えば、比較的短期間に、インターネットや新聞記事をとおして、これだけのことを知ることができた。私たちがハイチを見ようとしなかったにすぎないのではないか。つまり、ハイチは「知られざる」国というよりもむしろ、「見えざる」国であった。これからは、ハイチの人々とも、またフィリピンの人々とも、「遠くの隣人」となれるように、努力していきたい。

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