船を乗り継いで東京へ (2009年9月)


   和歌山から東京へは、普通には新幹線か飛行機。ただ船で行けるルートがある。まず、南海フェリーで徳島へ、
  そこでオーシャン東九フェリーに乗り継ぎ、東京FTに通着する。途中少しはバスなんかにも乗るが、殆ど船で行く
  ことができる。ただ、その船の乗船時間は、延べ21時間に及び、これはもう立派な長距離フェリーの旅となる。


           
  5:50の南海フェリー3便に乗る。「フェリーつるぎ」、閑散とした
 船室で朝寝の夢は、はかなく破れ、車の大幅割引がある
 今日は土曜日。ほぼ満員の状態であった。
  エンジン音が少し上がり、夜明け前の和歌山港を離岸した。
 申し合わせたように、みなさんは朝食、せめてコンビにでパン
 でも買ってくればよかったと思いつつも、船内の売店も早朝便
 になので、開いてはいない。
 
 ふっーうの二等船室に横たわり、前は登山姿のオバちゃん
 グループ、左は一人旅のお姉さん、右は若い家族連れ。
  普通車は本日千円、車なしの私は二千円、なんでやねん・・。
 空腹は理性までも少しは飢餓状態にするのか。飢餓海峡を
 演じているのは私だけだけど、船は行く。

    
  紀伊水道半ばで、和歌山方向から日が昇る。
 何時もは四国方向に日没を見ている私には、少し珍しい
 光景でもある。
  南海フェリーのプロパガンダに洋式トイレ完備と言うのが
 あった。TOTOやINAXの宣伝なら分かるがとチャカスつもり
 は、私には無い。一度、時化の海で日本式トイレで用を足さ
 れると実感できる。これはもう体力勝負の修羅場でもある。
 意外とまだ日本式トイレが主流のフェリー業界にあって
 南海フェリーの決断は実に正しい。昔、ある客船で清掃直後
 のトイレに入った。船が傾く度に水がドドッと押し寄せる恐怖。
 こんな話もある。ある大型ヨットはトイレの排水コックの操作を
 誤り、あわや沈没の危機に瀕したと。

    
  定刻より少し早く、徳島港に到着。オーシャン東九フェリーは
 対岸の港に着くのだが、陸路では橋のあるところまで、ぐるーと
 と廻らねばならない。そこで南海フェリーターミナルからバスで
 徳島駅へ、そこからオーシャン東九フェリーターミナル行きの
 バスに乗り換える。徳島には徳島バスと徳島市営バスがある
 がこの路線はいずれも市営バスであった。駅前でようやく
 朝食、うどん屋に入る。釜揚げを頼めば、少し時間が掛かる
 とのとのこと、湯冷ましなら直ぐに出来るというので、それを
 注文。美味しかった。四国のうどんのレベルは高い。
  船でインスタントものばかり食べるのは、ちょっと辛いので
 コンビニで「鳥飯弁当」とか「おにぎり」も購入。
 バスはオーシャン東九フェリー行きなんだけど、行先が明確に
 写っていないのは残念。

    

  乗船する「おーしゃん さうす」は既に入港していた。ガフに揚がるRY旗の意味は不明。
 あるいは、接岸岸壁の識別かも知れないが・・。

 「おーしゃん さうす」  スタンダード船とカジュアル船とある中のカジュアル船
   全長 166.0m  型幅 25.0m  総トン数 11,114トン 航海速力 21.5ノット 
   クラスは全て二等寝台 客員定数 148名

  オーシャン東九フェリーはそのままブランド名として使用されているが、
 オーシャン東九フェリー鰍ニ王子海運鰍ニが合併して、現在の社名はオーシャントラスト
 この航路は東京ー徳島ー門司を4船が就航している。琉球海運(RKK LINE)は
 既に旅客部門から撤退しRoRo船となってしまったが、ここも物流が主力であろうが
 船旅ファンの一人としては、これからも旅客部門もあるフェリー会社であって欲しいと願う。

  実は、私、昔まだ就航して日も経たぬ「おーしゃん いーすと」に東京から徳島まで乗船
 したことがある。その頃はまだレストランもあり、確か女性のクルーも乗っていた。
  4隻とも内部仕様の違いはあるものの、同型船である。素人の感想ではあるが、船旅を
 満足させてくれる構造である。当然作業区域には入れぬが、船の周りを全て立ち入ること
 ができる。分かりやすくはデッキを一周できるのである。船首に廻りこめる船は非常に
 少ない。窓越しにしか海と接することの出来ぬ高速船なんかは、自然との触れ合いに
 おいて、趣は半減する。欠点はやや震動が大きいのでは・・と。船の揺れとは別に
 エンジンの震動が神出鬼没というか、椅子に座っていても、ベットで横たわっていても
 時々、共振現象の如くビリビリビリと震動する。タービン船のような高級感は望まぬが
 これも昔、「サンフラワー何とか丸」で経験した一晩中寝付けぬゴットンゴッサンの震動
 の次くらいのランクに思える。ただこの船、客室は全て上部構造なので、エンジンの
 直接音は小さい。昔の客船に比べどこに居てもパノラマ的な景色が楽しめる。
 運がよければ、二等寝台の船室からも、海が望めるオーシャンビューの部屋もある。


    
  最初の心配は、この接続ゲート。ターミナルビルの三階から
 船の構造では六階を結んでいる。エレベーターは無い。
 下から見るとすこぶる高いように見える。

    
  フェリーターミナルを見る限り、フェリー業界は苦境にある。
 破れた天井、雨漏り受けのバケツ。ふとフィリピンのマニラ国際
 空港を思い出した。あそこもこんな光景を見ることができる。
 もっとも最近は第3ターミナルもできて、綺麗になった。
  ただ、カウンターのスタッフは若い女性で、テキパキと発券し
 てくれた。「ボロは着てても、心の錦」と言うか「槍は錆びても
 心は錆びぬ」。予約の時の若者の応対も良かった。バスの
 時間とか場所まで伝えてくれた。
 もし、受付の彼女が剣山か石鎚山からバートでやって来る
 山姥で、「船乗りたいんけ ! 」などと言われたなら、
 私は高価な当日航空券に切り替えてでも、空路東京に
 向かったであろう・・と。
 車なしで乗り込む人は、3〜4人、すこぶる少ないが、ここで
 待つ。

    
  このフェリーは単車の若者に人気があるみたい。
 往路、瀬戸内海大橋などを経て陸路四国にやって来て
 帰路は徳島から東京へ帰る大学生のグループが沢山いる。
  珍しいのは、スーパーカブに旅行バックを付けてツーリング
 している若者、ここで自転車を分解して荷物で持ち込み、再び
 東京FTで鮮やかに組み立てていた若者グループ。 拍手 !

  周りには、トレーラーの貨物部分。メジャーは物流。
 ここは材木港の一角だそうだ。周辺にはコンビニなんかは
 何も無い。ここに来るまでに買い物を。

    
  11:30 徳島港出航。 港内でバウスラスターを使って
 回頭する。
 マニア的には結構、有名なアクションとなっている。

    
  眉山が見える。思ったより狭い航路を微速前進で港外に
 出て行く。

    
  対岸に停泊していた井本商運の「あしあ」749 G/Tが
 出航。特徴のある高いブリッジ構造の内航コンテナ船。
 徳島港には不定期に就航しているみたいだ。
 ファンネルマークを撮りたかったが、こちらの方が速いので
 併走せず断念。
 

    
  船内のキャビンには通路が二つ。私は左舷側の通路を
 通り、213号室E下段だった。デブだから下段にしてくれた
 とは思いたくはないが、出たり入ったりには助かる。
  通路の手すりは、やがてタオルなどの干し物竿となって
 しまう。この通路の先端がバウで、本来なら特等のロイヤル
 室だろうが、本船は全て二等寝台なので、サロンとなっている。
 一升瓶をドンと置いたオジサンがずーと座っていて、とうとう
 ここには座ることはなかった。ブリッジの下なので、夜間は
 航行の支障となるので、カーテンが下ろされるので、夜景は
 見られない。手前の右に洗面所とトイレがある。

    
  これが、二等寝台、今夜の寝床。長さ2m、幅80cm
 位だろうか、天井の圧迫感以外は、寝るのには充分の
 スペース。ハンガーフックはあるのだが、ご覧の通りしわなく
 吊り下げるのは不可能。小さな荷物棚もあるが、これも
 「モナカ」二つくらいしか置けぬ。でも私はこんな雰囲気が好き
 なので合格。シーツは二枚、一枚だけ使用して自分で
 ベットメイク(ここらは二等)。以前の一等室は勿論メイク済み
 だった。頭側に枕と蛍光灯とコンセント。
  二階の住民は単車のお兄ちゃんだったが、梯子をほぼ
 無音で上り下りしてくれる好青年であった。一ヶ月くらいは
 「近頃の若い者は・・」とノタマウことは止めることとした。
 若者にもマナーのいいのは居る。

    
  居住区は二階立てなので、実感的にはその二階なの
 だが、船の構造上は七階となる。ここはくつろぎ部屋、
 誰でも入ってゴロっと、そう二等和室みたいな部屋。
 ただ、二等寝台を避けて、ここで眠るグループが居住して
 いた。

    
  やはり居住区二階にあるランドリー。
 二階にはベットルームは無くって、浴室、シャワールーム
 更に奥にこのランドリーがある。九州の門司から
 二泊して、東京へ行く猛者もいますので、ランドリーも
 必要かと。

    
  ここは居住区一階のメインロビー。
 右に案内所、左に食事などを食べるテーブルと自動販売機
 がズラーと並ぶ。ここの名物は冷凍寿司なのだが、
 魚嫌いの私はパス。天ぷら蕎麦を食した。もちろん
 ただのインスタント食品。給湯、お茶、冷水、箸など結構
 心尽くしは感じられる。私の不満はドリップ式のコーヒー
 販売機が無くって、案内所でインスタントコーヒーを見つけ
 それで何とか温かいコーヒーが飲めた。価格は低く
 設定されている。ただ三食のインスタント食品は、殺伐と
 したキャンプ生活を彷彿するが、まあ酒類もアイスクリーム
 もあり。

    
  ここは、案内所。白色の肩章を付けた事務長が、何かと
 便宜を図ってくれる。オープン時間も長いし、船内の整備
 とか、安全の見回りもしてくれている。
  昔、船内サービスのすこぶる悪いことで有名な会社が
 あり、乗船30分で閉まるレストランとか、案内所はいつも
 無人とか。この船はカジュアルタイプだが、ソフト面でも
 それに相応しいサービスは期待できる。
  肩章の色だが、無地は航海士、紫は機関士、白は事務
 緑は通信士、赤は船医を示す士官で、金筋ま本数は
 船長とか二等航海士とかが分かる。(船オタク付記)


 

    
  紀伊水道を横断するように、船は潮ノ岬を目指して南下。
 21ノットは出ているが、海がおだやかなので、それほど
 高速感はない。
  船首の楽しみは「トビウオ」、船が近づくと飛び。
 結構な距離を飛ぶのもいれば、直ぐにボチャンもいる。
 この飛ぶ様をカメラに収めたいのですが、これが至難の
 技で、瞬間の出来事なので、なかなか焦点が合わない。
  夏の夜は、トビウオに代わって「夜光虫」
 紀伊水道は結構綺麗な夜光虫の神秘的な光が見られる。

    
  両舷にあるデッキ。穏やかな今は悠々と歩けるが
 ちょっと時化て来ると、手すりを持たないと歩けない。
 9月の末はまだ日差しが強く、サングラスは必要。
 でも潮風があるので、暑くはない。
 ペストは日陰だが、送風機の傍はすざましい騒音。
 結局、ブリッジの影の差す船首あたりか、ライフボートの
 傍とかが甲板のオアシス。

    
  オーシャン東九フェリーのファンネルマーク。

    
  航跡を残して、船は進む。
 二軸であることが、航跡からも分かる。
 この時は、まだ白波が立っていない。
 潮ノ岬に近づくにつれ、白波が立ち、転舵して大王埼あたり
 まで、結構揺れだした。遥か沖に熱低があって、そのウネリ
 があるみたい。

    
  船尾から船首方向。
 この船尾のベンチで本を読むもよし、潮風に吹かれている
 だけでもハッピー。
  ただ煙突の近くは、その排気が舞い降りて、熱気ときっと
 二酸化炭素、NOXとかの乱舞。この広いスペースが非常時の
 集合場所とあった。

    
    
  これは反航船で、プロムナードでタバコを吸っていたら
 突然見えたので、窓越しでシャッターを押す。
  琉球海運の「わかなつ」、2007年のベストシップに選ばれた
 RoRo船。後で調べたことだが、運行表によれば
 東京より大阪向けての航海で、その後沖縄に向かう途中。
 「わかなつおきなわ」は旅客も乗れたが、もう一般客は
 この船には乗れない。琉球海運は旅客部門から撤退して
 しまった。

    
  船のコースと現在位置のマップ。かなり大まかだが
 時々は見に来るのも旅の徒然。門司-徳島間は外洋コースと
 瀬戸内海コースがあるみたいで、多分、天候により選択されて
 いるのではと。他の船で高知沖を通ったことがあるが、これが
 外洋と思うほど揺れた。この船でも高知沖の
 船酔いの記述が他のHPでも述べられている。

    
  ハンマーシャークに似たデッキを持つカーゴベゼル。
 距離が相当あるので200mmでは、この程度しか撮れない。
 相手も揺れる、こちらも揺れるで水平線を水平に持ってくる
 には、ちょっと忍耐を要する。むしろ傾いて撮る方が
 こちらも揺れている臨場感があったかも知れない。

    
    
  潮ノ岬の変更点に達した。和歌山市を朝五時に起きて、
 昼を相当過ぎて、まだ和歌山県沖、何と時間効率の悪いこと
 これが船旅専科の醍醐味と。
  後ろに大島の空自レーダーサイトが見える。
 ここらあたりから、揺れ始める遥か南に熱低からの
 ウネリが右舷を叩く。船内歩行が真っ直ぐ歩けなくなり
 更にひどくなる前に、入浴。ちゃんと体は洗えたが
 湯船に入ると、揺れるたびに体ごと持っていかれる。
 湯船に手すりは無理だろうが、話の種に船のお風呂は
 欠かせない。中くらいのお風呂だが、それほど混む
 こともなく、24時間利用可能。(写真はありません。)

    
        
  トワイライトとなり、船尾灯が点灯。
 後続船が、増速して先行船を追い抜いた後に、何か前方に
 障害があり、減速すればかなりの確率で抜いた船に追突
 されるとか。船にストップランプは無い。
 この船尾灯が唯一、後ろを見張っている。

    
  夜のデッキはもう誰も居ない。
 今夜は半月で、それでも月光が海面に映えて、帯となって
 見える。こんな光景長い間、忘れていた。
  そういえばミルキーウェーも都会ではもう見えない。
 真っ暗な海、真っ暗な空。一昔前の夜空とか光景を
 オーバーナイトの船旅では思い起こさせてくれる。

    
  居住区二階にあるロビー。私はここで過ごす時間が
 長かった。ルールがまったく分からぬアメフトのTV見て
 後ろは、何か書き物をしている老婦人。左の端には時々
 奇声を発する酔っ払いのおっちゃん。深夜のフェリーの
 こんな一コマ。22:00に一応消灯のアナウンス。でも
 ロビーでくつろぐのは問題なし、でもすることも無いので
 寝床に戻る。カーテンを閉めれば、狭いながらも
 プライベート空間。この頃、眠る前にネットラジオでフィリピン
 のFMを聞いているので、何となくラジオで音楽でも聞きたい
 気分。鉄箱の船内、入感するかどうかは分からないが
 今度はラジオ持参しようと・・。沿岸のローカルFMを聞くのも
 楽しいかと。駿河湾沖をピッチングしながら東京へ航海中。
 11:30ごろ、寝てしまったと思う。

  首の周りが汗ビッショリで眼が覚めた。
 04:00、間もなく入港です。いつの間にか揺れも無く、船は
 東京湾を北上している。左舷に京浜地区、右舷に千葉
  千葉側にクレーン船が停泊している。
 ベットを片付け、荷物をまとめ、服装を整え05:00に下船準備
 ができました。日曜日の入港は10分遅れとありましたが
 05:30に着岸。乗客の殆どは車組なので、みなさんはカー
 デッキへ降りてしまい、僅か4名がロビー待ち。やがて
 事務長に案内されて下船。

    
  東京FTの第一歩は接続ゲート。職員に乗船券の残り
 半分を渡し、広い構内を歩いて移動。
 下船した4名以外誰も居ません。東京フェリーセンターと
 言うより、物流センターの方が相応しい。

    
  振り向いて、乗船してきた「おーしゃん さうす」にちょうど
 朝日が昇ってくる。(真ん中が朝日、右の光は窓越しに撮影
 したためのフラッシュの反射) 辛苦了 ! 到再一次,乘船。
 上海航路の「鑑真号」じゃないって。 ここは船乗り用語で
 「ご安航を」。楽しい航海だった。

    
  東京FTからは、今やオーシャン東九フェリーが唯一の
 就航となってしまった。苫小牧の表示は名残で、北海道への
 商船三井フェリーは大洗へ移っててしまった。

  東京FTからの公的交通アクセスは無い。予め船内で
 申し込む200円のワゴン車が、最寄の国際展示会場駅まで
 送り届けてくれる。(写真は東京FTの乗り場)

  06:30 国際展示会場駅に着いて私の船旅は終わる。
 りんかい線に乗って、山の手の電車に乗り継いだ頃には
 ただの出張中のサラリーマンに戻ってはいるが、非日常的
 行動こそ旅の醍醐味。


  付記

   * カジュアルフェリーの場合、二等とは言え予約を取っておいた方が良い。
      定数が少ないのと、結構繁盛している。

    * 携帯は概ね通じる。大王崎から静岡沖まで、時々状態が悪くなる。ただしこれはDocomoでのレポート。