上橋菜穂子さんは、私の最も敬愛する児童文学作家です。
上橋さんの書く物語は、どれも皆読み応えのある作品ばかりですが、
中でも「獣の奏者」は、私にすばらしい感動を残してくれた物語です。
主人公の少女エリンの身の上には、大人であっても受け止めきれないような
厳しい現実が次々と降りかかります。
少数民族(霧の民)であるがゆえの、いわれのない差別。
エリンの目の前での、母のあまりにも壮絶な最期。
信頼関係で結ばれたと思っていたリラン(王獣)に、危うく命を絶たれそうになったこと。
自らが学んで得た王獣を操る術が、過去にとてつもない災いを世にもたらしたために、
戒めや規範として、封じられていたという事実。
そして、王獣を意のままに動かせるという事が、政治や軍の兵器として、いやおうなく
利用されていくこと。
人が人を、人が獣をコントロールする事への嫌悪感。
またしても、繰り返されるであろう惨劇への恐怖とその災いの種となる事への罪悪感。
それでも、エリンはそれらの現実を一つ一つ受け止め、ただ運命に流されることなく、
今自分にできうる事を懸命にやり抜こうとします。
もう一つのすばらしさは、エリンが二つの眼(物の見方)を持っているという点です。
一つは、自らを対象物から切り離して、物事を客観的に観察することができる眼です。
もう一つは自らと対象物を重ねあわせて共感し、物事を見ることができる主観的な眼です。
どちらか片方の眼だけでは、偏った方向しか見えず、真に向かうべき所へ向かえません。
真王や大公、霧の民しかりです。
しかし、エリンは常に二つの眼で物事をとらえようとします。
その結果、エリンはリランと信頼を結ぶ事ができます。
また彼女は、あれかこれかという二分法ではなく、そのどちらかを善と判断することなく、
その対立のなかに身を投じつつ第三の道を探し出そうとします。
しかし「第三の道」は常に容易ではなく、それが実現されるためには、
天地人すべてにわたる適切な配置と、「とき」が熟することが必要であるということが、
物語を佳境へと導きます。
(太字部分は河合隼雄氏の著書「子どもの本を読む」から抜粋しています。)
エリンが第三の道にたどりつけたかどうかは、物語の結末には
明らかにはされていません。
しかし、物語の最後の場面の魂をゆさぶるような感動と
彼女が生と死の狭間で得た決意は、まるで第三の道への序章で
あるかのように、読む者の心を打ちます。
ぜひ、手にとっていただきたい、すばらしい物語です。