セイレン

白いレースの闇から出てきたんですよ

ええ、白いレースの闇ですよ

何かおかしなことを云いましたかね
そいつは、こう白い両の手を
差し出しましてね
まるで こちらに来いとでも云いたげにね


声?

いやあ、聞こえませんでした
聞こえるも何も、驚くほうが勝っちまって
そんな余裕無かったですよ
でも、聞えなかった方が良かったと思います
あんな白い魔の声なんぞ聞いちまってたら
私は今ここに居ないと思うんですよ
そいつは震えて立ち尽くす私に興味が無くなったのか、だらりと腕を下げました
いえ、それでも目だけはこちらを見てるんです
私も怖くて目を逸らせませんでした
背中にじっとりと嫌な汗をかきました

それから、2・3度瞬きしている間に
フッと消えちまいました
気がつきゃ、見覚えのある森の入り口に立ってました

ありゃ、なんだったんですかね
はあ、『セイレン』?
水の中から無理矢理陸に連れてこられた?
なんですか?それ?
よく分からんですが、声を聞かなかったのが良かったんですね

でもね、たまに思うんですよ
あの白い手を握ってたら、どうなってたのかなって。

おや、そんな顔しないでください
思っただけであれから森には近づいてやしませんよ

さあ、もっと飲んで下さい
こんな冷える夜は人恋しくなりましてね
年寄りのたわごとの相手をしてくだすってありがとうございます

ゆっくり召し上がってください

おお、今晩は風がよく啼きますね

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