BAR夜話。RosalinNight
  
ロザリン日誌に戻る
   


 
当店、rasalitaを舞台にした本当のような創作の様な不思議なショートストーリー
   ファンタジー・ホラー・バイオレンス・その他  
コンセプトは、 どれもいい感じのドキドキ
 
 どうぞ、あなたのロザリンナイトへ、ドアを開けてください
 

第1夜 闇からの視線                        
第2夜 セメント                          
    第3夜 絶壁                                

わたくしボストンシェーカーが、さっそくご案内しましよう。くれぐれもはぐれない様に



         BAR夜話・第一夜

   闇からの視線

  「いらっしゃいませ。」 
 
 訪れた若い男性客に、
マスターは手馴れた動作でグラスに入った水
 と紙ナフキンを 添える。
 
「ブレンド下さい。」 「はい。」 

 軽いやり取りが済み男は自分のカウンターの椅子の位置を座りやすいようにずらす。

 「うちの店、初めてですか。お客さん?」

 コーヒ-をドリップさせながらさりげなく 尋ねるマスターだった

 「はい。いやぁ いいえ。」 

 
 肯定とも否定ともとれる返事をし取り出した両切りタバコの火をつける。 
 
「どうぞお待ちどう様でした。」 「ありがとう。」

  煙草を吸いながら男はブラックで啜る。  


  何となく何かを言いたげなマスター。 しばらく静かな時間が流れる。

 
  「お客さん、やっぱり以前来てくれましたよね。?」  

 煙草の煙を吐きながら 
「やっぱり憶えていてくれてましたか?マスターお久しぶりです。」 

「やっぱりそうかい。山田君? なつかしいな。何年ぶりかな?」 

「もう約10年になるかな。マスターもお元気そうで。」 

「いやぃや。段々と年 をとるばかりでね。 本人も店も。」

胸のつかえが取れホッとするマスター。2人の距離がグッと近くなった。 
懐かしいしばらくの会話の後、若い男性客は 

「どう?あいつあれから今も珠に顔だします?」 

「あいつって?」

 マスターは別にとぼけてる様子でもない。 

「昔一緒に来てた娘ですよ。」 

「えーっと。」 

「憶えてるでしょ。いつも一緒に来てた。あの娘ですよ。
髪が長くて背の高い。愛ですよ、沢村愛。」 


  マスターはとぼけているのでもなければ忘れているのでもない。
もちろん知っている。あれから忘れた事など1夜もなかった。 
   
彼女は地元のブティックで働きスナックで週2,3回バイトをしていた。
ハキハキと明るくはっきりとして、一緒にいて気持ちのいい娘だった。 

だが珠に 一人で訪れた時、時々思いつめた目をしていて声を
かけるのをためらってしまう事もあった。                                
「思い出した。ごめんごめん」 
「もうマスターもまだそんな年でもないんだか ら。どうしてるのかな?
 えぇ、あのコとは色々ありまして、結婚話なんかもあったんですが。
 俺こう見えて結構やきもち焼きでして。・・・元を辿れば俺のため
 にスナックに行きだしたようなモンなのに。つい下らん事で。」
 
マスターも自分のコーヒーを啜りながら聞いている。       

 
あの頃もう何もかもがいやになりましてね。状況を変えたくて、
みんなに黙って 出て行きました。 この土地も離れました。
もう昔の話ですから。
えぇ今は九州に居ます。向こうで結婚して子供も2人目ができ、
ま、何となく平和な我が家かなって感じかな。」
 
「そうですか。それはよかった。
色々遇ったけども終わりよければすべてよしですか。」                           

 マスターは知っている。あの時の女、愛が自殺した事を。・・・

 彼女の友人から聞いた話だと同棲相手と些細な事で諍いになり相手が
 ぷいと出て行ったきり戻ってこない。 すぐ帰ってくるだろうと、
 たがをくくっていたが一向に戻る様子もなく、待てど暮らせど音沙汰なし。
 思った以上に心に傷をうけた。 
 連絡しようにも行き先が分からない。まさか突然たった独りになってしまうとは
 思ってもいなかった。もともと気丈夫な娘だっただけに落胆が痛々しい。

  周りの人間も心配していたがしばらく時間薬だろうと、
  少し距離を置きかけた頃、列車に飛び込んだそうだ。・・・             
  人生色々あるが死ぬ事もなかろう。そう思いこの何年間がすぎた。・・・


 「それが終わりでもないんですよね。」   「えぇ、」 
 
「実は10日程前になるのかな。 突然、あいつから電話がありましてね。 
何処でどう探したのやら。 びっくりしましたよ。  
どうして分かったの? 聞いてみたら あなたの事はいつも見ていたわよ。なんて・・・ 
今じゃ僕も家庭がある事だしちょっとこまるんだけども、そちらによかったら遊びに行こうかな、
なんて言いだすから僕の方から行くよ。という事なんです」         


 そんな筈はない。あの彼女はとっくに自殺した筈だ。

 違う友人からも風のうわさでも聞いていた。
 だいいち新聞にも載っていた。 考えてみれば小さな町だ。 

「実を言うと今夜ここで待ち合わせしているんですよ。」

あやうく持っていたデミタスカップを落としかけた。  

 「ここで待ち合わせ?」
 「なつかしの2人の店ですからね。」   「ふむ。だけど本当に来るかな。」 
 「来なかったらとんぼ返りで帰ります。どうせ今日は暇ですから。」  「そうかい。」 

来るわけがないじゃないか。こいつは何も知らないのか。それにしてもその電話は何だろう。    あの娘の友人か妹でも本人に成りすまして悪いいたずらでもしているのか。
 それにしても何年も前の男女の事で、今時そんな暇人もいないだろう。
 
  マスターの頭の中で色々な想いがぐるぐるかけ回っている。  

    もし来たら?そんな筈はない。・・もう夜も更けてきた。             「彼女、来ないねぇ。」 「そうですねぇ。やっぱりこんな事は・・」  
   山田が言いかけた時 突然後ろの入口のドアが開いた。 
   「久しぶり。」 と振り向きながら声をかけた声が凍っていた。 




                              次回につづく。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
   パート2

 音もなく開かれた入口に立っていたのは、懐かしいかつての恋人との再会ではなく、
  一見、目立たぬ 顔色の悪い痩せて小柄な中年男だった。
 
    「あっ、すいません。」 

  慌てて 向き直る山田だが その男のあまりの異様さに、思わず見入ったマスターだ。

妙に明るい入り口の上からの青白い蛍光灯に浮かび上がった中年男は、顔色が死人のよう    に生気が無く、眼だけが粘着性の鈍い光を放ち、一瞬にして人の心を凍りつかせる、
 たとえれば爬虫類を思わす独特な雰囲気を、体全体に漂わせていた。

    「あなた、山田さんかね?」    「そうですけど・・」
      
 かすれ気味だが、思いがけずの押しのあるとおる声だ。

    「そう、あんたが山田さんか。」

 なぜか安堵したように応え、音も無く店内に入ってくる。しかし店の奥までは行かず、山田の
 斜め後ろに立ち、カウンターの縁と椅子の背もたれに手を置くと山田の背中に
 唐突に話し始める。

   「私はね、戸田興業の戸田と言います。債権回収を、請け負っている、
  世に言う取り立て屋です。」
 

   山田の斜め後ろの首筋に顔を近づけ、低い声で話し出した。

「実は、先日、うちの事務所に奇妙な電話がありましてね・・ 
 若い女性の声で、指定した時間 と場所を言ってくる。 一体、何を言ってるのか、
 いたずらかと思い最初は半分に聞いてたんですが、・・
 後でうちの社員に裏付けを取らせば、どうやら本当の話らしい。」
       
 「一体、何を僕に言いたいんですか。初対面ですよ、あなたと僕は!」

ノラクラと一向に要点が定まらぬ戸田の話に痺れを切らした山田だった。
 マスターはカウンターの奥で黙って見ている。    

 戸田の話が続く。

 「まあ、まあ、山田さん、夜は長い。あわてなくても、そのうちあなたには理解できるはずだ  。  なにやら、この近くで、列車飛び込みの事故があったそうですな。 何年か以前・・・・。


 事故と言おうか  事件と言うか、若い女性の思いつめた挙句の自殺。 悲惨な事で・・・。     今まで私も色々立ち会って来ましたがね。飛び込みは一番きつい。
 
 あれはとても見れたモンじゃない。・・    

何事もやり過ぎ追い込み過ぎはだめだ。  人には限度てモンがあって。
あの世に逝かれたら元もこうもない。  いやぁ失礼。 それは、あたしらの話で・・・


 実は本当の話というのはここからなんですよ山田さん。 
 
 列車事故というのは鉄道会社への多額の補償がかかってくる。

 亡くなった遺族にとっては、まさに踏んだり蹴ったりだ。
  莫大な,補償金を請求される。
それで自殺する家族がいるくらいですから。 
その当時、鉄道会社が彼女の親兄弟を探したんですがね。
幸か不幸か彼女には身内がこの世には一人もいない。

      天涯孤独だったんだ彼女は。


弱りましてね、そこで本人さんのアパートを探してみたそうです。・・ 
色んなものを処分した、きちんと整理された派手なものは何一つ無い質素な部屋。

 覚悟の上だったんでしょうな。それで、そこにあったのはテーブルの上にのった
 遺書めいた書類と、あなたのアドレス。そしてメモ。

   {この人に後事は全部託しています} 

2人の実印を押した委任状、書類一切添えてありました。 
 あなた実印彼女に預けてたでしょ?
いけないなぁ。まっあつあつの同棲中だから印鑑ぐらいどうにでもなるか。

 あんたも女を踏み台にするなら、そのくらいのもの気をつけなきゃ
  
しかし肝心のあなたは何処にもいない。会社側もかなり探したらしいが、
少なくとも当時、この街にはいなかった。
ほとんどあきらめていたそうですよ鉄道会社も。稀にあるそうでこんな事が。

  で、なぜか何年も経って、あたしんとこにこの前の女の電話だ。
 
これは少し余計な話に成るんですがね。
その時の列車事故の現場処理大変だったそうですな。
なにやら、列車の先端に仏さんの長い髪が絡みついてはなれない。頭皮つきの。
よほど念が強いと見える。その時の補線係あれが原因でやめていったそうで。 

 最もあたしにはどうでもいい事ですがなんですが。 
 で、その奇妙な電話しばらく取り合わなかった・・・
  そしたら送られてきたんですよ。 
 長年廻りまわっていた不良債権の一揃いが。 何処からとも無く・・ 
 お堅い所だから間違いは無いですわ。 
 不思議な事ってあるもので、キツネにつつまれるとはこの事ですな。」

    
    「う・う・ん・ん・んんんんんん」
  
「うちの事務所もここんところ世間並みに不景気でして。
 ここは1つ 騙された と思いながらだめもとで足を運んだ次第ですよ。
 余程の念ですな。山田さん。」

山田は完全に凍り付いていた。何がどうなったかもまだ完全には理解できず、
ただ、虚ろにしかし、いつの間にか自分の知らぬ間にとんでもない状況、絶壁に立
たされている立場だけはおぼろげに理解できる。

 戸田は持ってきた趣味の悪いクロコの書類バッグの金属の角で、小刻みに震える
 山田の背中を、面白そうにトントンと小突く。

  
  「あの娘が、・・愛が、沢村愛が・・なぜ?」

  「山田さん。もう長い事、この店の前にうちの若いモン待たせてますのんや。
  あんたのこれからの身の振り方の相談、とっくり付きおうて貰おうか!」
  
   
 口調も眼つきも一瞬にして豹変した戸田。


   「分かった、分かった。あんたに付き合うよ。」 

 
山田は嘆く間もうな垂れる間も許されずノロノロと辛うじて立ち上がり、
蛇の眼 をした、戸田のぬめりのある手の平で背中をさすられながら、
先程の悪魔の使者のお迎えの時に似て、音も無く外界の暗闇の中へ
滲みこむ様に消え去っていった。
              ・・・・・・・
 それまでのやり取りが幻想のように元の静粛が店内に戻っている。           

呆然と一部始終を傍観していたマスターは、まだしばらく心の整理が出来ないまま
入り口のドアを眺め続けている。

     
   「こんな事が本当にあるのかな?」

  
先程までに比べると一層暗く重苦しく感じられる店内。
誰に言うともなく無意識に独り言を呟きかけ、店の奥の方に向き直ると.
深紅のカウンターの隅に、ワイングラスを手にした血だらけの女がこちらに
ケタケタと哂いかけていた。              
                            完
    

   

    あとがきにかえて
 
 この作品は私にとり処女作であり特別に思い出深い。なぜなら、少し以前、仲間達 と店内で 短編映画づくりをしていた時期があり、3作品ほど製作した事がある。
 もちろん私自身も出演したのだが,それぞれにストーリー一切を交代、バトンタッ チして楽しくやったものだ。 それならと私自身が、ストーリーを、考えたのがこ の作品である。 当初は本気で映画化しようと色々と準備しキャスティングまで決 まっていたのだがなんとなくお流れになってしまった。・・・
 私自身が書いた絵コンテなどもそのまま残してあり、もし興味をお持ちになられた 方は、ぜひ御一報お願いしたい。
     映画化の夢はまだ捨ててはいない。      
                    ボストンシェーカー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    BAR夜話 第2夜 セメント


 
 夜中の11時過ぎの薄暗いBARの店内だった。
 マスター一人で切り盛りしている
 こじんまりとした 小さな店。
 10人少しも入れば満席になるカウンター中心の店。


 年月とともに多少古びてきてはきているが、荒んだ様子もあまりなく清潔感
 があり、プライドを保ち続けているのを感じさせる空間だ。
 一昔前の世間の景気のいい頃は、多少活気づいた時期もあったが、
 長引く不況と度 重なる客達の気まぐれ、
 そして自分自身の夢の目減りとで最近愚痴っぽくなってきている
 のも自覚しているマスターだった。


なんとか店の灯を消すまいと、もし1度消してしまうと自分自身の人生までも消
 え入りそうで、又いつかいい時も戻るだろうと、誰に言うでもなく一人想うのはそ  んな事の夜毎だった。 
 そのくせ稀に忙しい夜が続くとそんな想いもすっかり忘れてしまっている。
 どこか楽天的な、やはり根っからの水商売の人間なんだろう。


   今夜もいつものごとく、まだ早い時間にパラパラっと少し席が埋まった程度で、
 10時以降はいつもの如くの静かな夜の続きだった。後はもう一人か2人来ればい  い方かとグラスタオルを手に、飲み手のいないカクテルグラスを磨いていた。            

ぼんやりと磨いたロックグラスを眺めていた時、カランカランと、
  ドアに取り付けられたベルの音と共に、突然客人が現れた。

      「いらっしゃいませ。」   「・・・・」


  目で会釈をし、男が、無言で店内に入ってきた。男というより、初老に近かった。


  「どうぞ。」
  奥のカウンター席を促す。椅子を引き、すっと体を馴染ませる。
  年のころは60〜70歳。小柄だが筋肉質。白髪頭にやせた顔。
  そのくせ年令なり の年寄り独特の煮締めたようなわびしさがみじんもなく、
  所帯臭さもまったく感じ させずむしろ精悍な印象すら漂わせている。  


  「bourbon, ロックで貰おうかな。」 「はい。」 

  アイスペイルのロックアイスを取り出しbourbonのオンザロックを用意し、
  今夜久しぶりの客人に差出す
。 
      
  「どうぞ。お待ちどう様。」 「うむ。有難うな。」

 1口で半分以上を飲みほすと、   

  「うぅん巧いなぁ。」
  間髪をあけず、今度は1気に飲み干してしまう。

   「マスターおかわり。」 「はい。」 


  さっそく2杯目を用意しその客に差し出す。よっぽど酒好きな強いおじさんか、   久しぶりのbourbonか。 今時珍しい飲みっぷりを見た感だ。
  改めてよく見ると色が浅黒く全体に無駄な所が、まったくない。
  労務者風にも見えなくもないが、その人間独特の卑屈な影もない。
  見た印象、一番近い雰囲気と言えば、何かの生き残り、そう戦争か大事件、
  大事故、それらの生き残りのような風情。
   
  善良な一般市民とどこか一線を引く ”何か” を感じさせる。
  アーミーの黒っぽいジャンパーに、今流行りのカーゴパンツとやらを
  穿いているが やけに、様になっている。 その年恰好の男には珍しい。 


   「マスターおかわり。」 「はい、はい。」

 わずかな時間でもう4杯目の酒を出す。あまり乱れた様子もない。
 
 「この辺りも変わったね。 もうずいぶん久しぶりなんだが。」
  
 
 「久しぶりなら そうでしょうな 。」
 「なんかこう巧く言えないんだがね。 自分でもよく判らないんだが内側から
  こう何かが突き上げてくる時があってな。
  胸騒ぎとでも言おうか、高ぶりと言おうかな。 
  そんな時はこうやって酒を飲まず に居られないんだな。」 
    
 「はぁ。そうですか、は、は、それはそれは。」

 やれやれ。やっぱり変なオヤジか。暇な時に限って変なのが飛び込んで
  くるんだ よなこれが。 当り障りなく相手しよう。
  飲み過ぎて絡まれても困るし。
  マスターは段々と腰が引き気味になってくる。


  「若い頃からの血潮がな。段々と甦ってくるんだよな。
  あー!グッとくるね。 ここんとこが。」

  ほんのりと赤くなってきた顔で自分の胸のあたりを叩いてみせる。
  変な人だ。やっぱり変な人だった。キングコングじゃないんだから・・。
  やたら力が入ってきたな。 俺の目に狂いはなかったな。変な納得をしてしまう   これから戦争体験か、昔の苦労話か。
  どちらでもいいからお手柔らかにお願いたい。・・・

    「マスター。熊好きかい?」   「へっぇ」 
 
 「マスターは熊が好き、得意かいって聞いたの。」  
 「熊ってあの動物園に居る、月の輪だの
 白がどうしたとか、プーさん何がしの?」 
 「そうそうそこまで知っているのならいいよ。 
 だからマスターは熊さんが得意?。  そう得意なんだ。」
 「いや別に得意だなんて言ってませんよ。困った人だなぁ。」
 「いいよ、いいよ。 まっ巨大な猫か丸顔の少し荒っぽい大きな犬と思えばどぉて事ねぇや
  な、コロッと横になった所なんざ愛くるしくてかわいいし。
 ちょっと白と黒のペンキで触ってやりゃ子供たちに人気のパンダちゃん。
 どおって事ないやな。」
 
   ・・・やれやれ思ったとおり。怪しい人だ。この人は。こまったもんだな。
  昔は割りと変な人も来  たもんだが、久しぶりに見たな。このタイプは。  
  頃加減で 「はいご馳走さん」と切り上げてく れると助かるんだが、 ま、適当に
  あいずちを打っておくか。極悪人でもなさそうだし。そのうち酔いつぶれて  
   「もう帰る。ぼく。」 なんて言い出すだろう。


 「3億あったら助かるかい?」  「はぁ。」
 「3億円あったら助かるかってきいたの?」
 
  お代わりを促すロックグラスをこっちに差し出しながらいきなり切り出した。
  もう10杯はいったろう。
  「3億円がどうかしたんですかね?」 
  「マスターは憶えているかな?
  もうかなり昔になるが、3億円強奪て事件があってね。・・ 
  そう白バイに化けてトンズラした。 うまくやったもんだね。 
  当時はすごかったね。1代センセイシオン、センセーおしっこ。」 
 「なにを言ってるんですか。お客さん、はいはいありましたとも、
  ジュリーか誰かドラマ化したりして、
  時効ももうとっくに過ぎたようですけども  。」 
 「そうそう よく憶えているね。モンタージュなんかも発表されたけど。
  結局逃がしちまったね 。日本の警察も優秀らしいが向こうが1枚上手か。 
  単独犯でな。 何だか妙にカッコよかったね。」
 「フンフン」
 
  何だか訳の判らん話になってきやがった。
  何を言いたいのかねこの親父さんは? 

  やっと少し静かになったと思ったらしばらく真顔になり人心地をついている。
  無理もないか。駆けつけbourbon10杯は若い奴でも堪えるだろう。
  それにしてもそれ程に乱れてもいないし、なんだか不思議な人だ。
  浮世離れが板につき、掴み所がなくそのくせ、老いぼれて呆けてもいない。

  若い時はせいぜい遊んだくちか。よく見ると優男の名残りが残っている。・・   

    もうそろそろいい時間になってきたし、クローズのタイミングでも。
 
 マスターは、そんな事を思いながら、ぼんやりと無表情で
 リラックスしている客人 の顔を無意識になんとなく見ていた 。
 
 おぼろげだったかすかな記憶が前触れもなく突然に鮮明になる瞬間があって、
 あとひとつ解けなかった謎が簡単にスッと解けていく・・・
 
 やっかいだったジグソーパズルの最後のピースがはまり込む瞬間に似て。
 
 これまでの会話のすべてのツジツマが収まる所に収まって、
 そんな感覚にハッとマスターは気が付いた。       
   
   

 確か、はるか昔、ニュースで見た事のある3億円強奪犯のモンタージュ。
 遠い昔の記憶がくっきりと鮮明になった。

 白バイのヘルメットを被りこっちを、無表情に凝視している痩せた若者。
 取り立てて特徴のない平凡と言えばそれまでだが、それゆえに何処にでも溶け込め  てしまえる、無駄のまったくない頬のそげた若い男。・・
 
      そして目の前の正体不明な痩せた老人。

 「うぅん、あぁ。・・ 別に慌てて飲んだ訳でもないんだが、少し急いで
 飲んだものだから、ちょっとマワッタかな。もう歳も歳だしな。」  

 「あのう、大丈夫ですかね。お客さん・・・・お客さん?もしかして
  人違いかも・・間違いですかね・・3億円事件の・・」
 
 「あっ気がついた? マスターわかった?」 
 「本当なんですか?お客さん。」 

 
 「ふ、ふ、この何年間、いやもう何10年か。ずうっと用心深く生きてきてね。
 すっかりとそれが自分の身に沁みついちまってな。   
 人の顔色や、心の動き、行動、それらを相手に悟られる前にすばやく読んで、
 色んな人間の頭で考える事の先に先にと反射的に追ってしまう・・・
 まるで詰め将棋の様な、
  そんな繰り返しがわしの今までの、人生だったかのう。

 それにしても、さすがあんた。なかなか鋭いね。それも商売柄かな。」 
 いやいやとんでもない。  しかしそれも無理もないでしょうな。」 
  
  点と線がやっとつながりひとまず、肩の荷が下りたマスターだが、目の前の人物  にまだ実感がわかない。それも無理もなかろう、あの大事件、かつてこの国は
 おろか全世界が注目した一大事件の張本人が目の前にいるとは!
 もちろん詳細は謎のままだが、単独犯で現金輸送車の有り金をごっそり拝借し 
 てしまったんだから、1人のけが人も目撃者もなくまさに神業。
    
 それにしても目の前のじいさんが、ほんとかね、この親父が。  
 心なしか、向こうも肩の荷を下ろし寛いだ顔をしている。
 
 グラスのbourbonのロックをカランカランと揺らせ静かな眼をし自分に語りかけ
 るように独り言のように語りだした。

「長かった。今までが本当に長かったよ。 来る日も来る日も時効の事ばかり。
 考える事といえばその事ばかりでな。自分がいる場所や周りにいる人間。
 何をしようが、何が変わろうがそれだけはずっと変わりはしない。 
 いっそあの時の白バイがタイムマシンならなんて思ったりしてね。しかし
 それだと手元の3億円の意味がない。

 でもなんだか時効が過ぎてもむなしいね。3億円と引き換えの人生ってのも
 悪くはないが良くもなかったような気がするね。けっして。」 
 
「そんなもんですかね。普通じゃないですもんね。想像つきかねますよ。
 あたしには。」  
「いやいやそんな人様に自慢出来るようなモンなんかじゃない  。
単なる犯罪者だよ。 ま、根が楽天的なのがよかったのかもね。
もう話しだ すときりがない。 今は只の老人だもの。 
金なんかあってもなかっても同じ事かも知れないよ。」 
  
確かにそんな大金パーと使い切ってこその値打ちかもしれない。
でもいくら年を とっても有るとないではちがうだろう。 
むしろ年をとってからの方が必要なはずだ。

 「実はしばらく南米に行ってたの。息を潜めてね。そしたら人の人生なんてわから んものよ。向こうで、なぜか運がついちゃってさ。こう見えてもちょっとした実業 家なんだよね。コーヒー豆の。」   「へぇ。」 
 
 「今では3億円なんかどうでも良くなったんだけど。・・・
 なんでも海外逃亡の期間は差し引かれるらしいから、
 ヤブヘビになる必要もないし  で。どうしようかって思っているのよ。」

 

 運のいい人はどこまでもいいものだ。人生色々か。それぞれ違うから面白い
 のか。 1寸先は闇か、それとも薔薇色? 

 え?こんな話を初対面の自分が聞いていいものなのか。
 ますます訳のわからない親父さんだな。

「だから、マスターは熊さんが得意かいって聞いてんだよ。熊ちゃんが?」 

「別に得意も何も。」 
「この街にお城があるだろう。そこの公園にベニーさんって熊さんがいるよね   ・・・ここ掘れ、ワンワンで3億円だよ。 いやガオー、  ガオーてか?」

取りあえず自分のグラスのBOURBONを飲み干すマスター。

 「あの当時、わしは色々な所を転々としていてね、3億円持って。
 息を潜めて、流れ流れてこの街に来たんだよ。 
 それでね。ある男の口利きでしばらくあの動物園で飼育係をすることに
 なったのよ。 
 
 作業服着て1輪車転がしてたら誰も気にも留めない。
 みんな動物か一緒に来た子供だけに目がいっちまうからな。
 文字どうりの黒子よ。何の警戒もなかったね、あそこでは。
 
 ここって南米移民した人、結構多いじゃない。それである人の紹介で手配を
 してもらってブラジルへとしばらく飛ぶ事になったんだよ。・・・

 もちろんお金も全部、持っていく予定だったんだけど、却ってそっちからやばく
 なりそうだからね。当面の費用だけ持ってとりあえず全部一旦、
 そいつに預けたわけ。」
 
「ふんふん。」 
「向こういってね。よく働いたよ、俺ってこんなに働き者だった?と思う位、
 あきれるくらい働いたもんだ。
 周りもいいやつばかりでさ。男も女も、若いのも子供も年寄りも。
 みんながみんなよく働いた。労働の後は例のサンバだ。
 熱い血が憂さを飛ばしちまう、 下らない事なんかみんな忘れてしまう。  
 我に返れば、俺は何のため危険を犯し大金盗んだんだ? 

 なんて思うこともあったがその時は働く事に生甲斐を持てたんだな。・・・
 
 そのうち、みんなのために俺が仕切ってやろうと考えた。
 それが珈琲園の始まり だったわけ。世界一、人種差別のない所だからなぁ。
 白も黒も黄色もない。
 
 マスター、おかわり作ってよ。めんどくさいからストレートでいいや。」
 
「あのう、お話の途中なんですが・・。」 

「解ってる、解ってるとも3億円だろ う?えぇーとどうだったかな? 
 そうだ,その時の、その飼育係りの奴もさ。そん な大金預かっても、
 どうすることもできなくて、あせったらしくてな。
 
 元々小心で根が真面目な男でな。毎日の動物の世話、ペリカンの面倒も
 あれで結構大変でな。 自分のアパートに無骨なケース置いていても
 どうも落ち着かない。
 いつ警察が踏み込んでくるか気が気じゃない・・・でな、思い余って夜中の誰もい  ない動物園へ持ち込んだのよ。そんな所、誰も人っ子一人いないし。
 
  どうしょうかってしばらく考え込んだらしいよ。・・

 丁度その頃、熊のベニーさんが、出張でさ。ベニーさんだけじゃなく他の動物達
 もいなくてな。 なにやら”移動動物園”てのがあってな。
 年に何回か、何処かの慰問に動物たちが施設を廻るらしくて、丁度その時期
 だったんだよね。
 
 ふと気がつくと熊の冬眠用のねぐらがいいスペースでね。
 少しぐらい狭くなってもどうってない 。相手が熊さんだから文句も言わない。        言ったところで誰もわかりっこない  
 いい場所に目をつけたもんだよな。 セメントと金の入ったトランクを持ってき
 て、夜中に1人で固めてしまったそうだ。スコップなんかの道具も揃ってるしで。
  考えたもんだよねぇ。」 

 「・・・・ゴクッ。」 
 
 「で、何日かして頃合をみて、現金を取り出そうとするんだがね。入れるは、
 やすし出すはむずかしでさ。セメントで固めた分大層がかりな話になって
 しまってね。わしも1度帰って来て見に行ったんだけどもあれは
 もうどうしょうもない。
 ガチガチに固めたセメントなんかな。 
  本人もわしも2人とももう年で持て余すばかりで・・・
 、もうこのままにしておくしかない。第一ベニーさんもびっくりするだろうし  。 のんきな話だよ。まったく。思えばわしの一世一代仕事なのに。・・・ 

 結局、最後に3億円を抱いたのは熊のベニーさんだよ。それも毎晩だ。
 あれから熊も何代か変わったが確かあの熊のブースはそのままの筈だよ。
 
    ま・そんな話だけどマスター信じる?」 

 マスター自身ももう何杯めのBOURBONかわからない。すでにボトル
 1本目はすでになくなり2本目も半分以上なくなっている。

 「そんなね。信じる?と言われてもね。突然ね。人にそんなねぇ。
   あんたねぇ。」 
  
 マスターは酔いも廻り正常な思考能力がすでにできなくなりつつあった。 

  「これから行きますか。2人で道具持って。アイスピックならあるし。」

 「なにを、マスターまでが変な人になってどうする。
 セメントと氷は一緒には行か ないよ。落ち着けってば。 
 結局お金なんかに振り回されるからこんな変な人生になってしまうんだろうな。」  
 「そうそう飲もう。飲むぞ。今夜は飲んじゃおう! どうでもいいよそんな事。
 もういい もういいって。お金なんか、欲しいけど」
 
 「わしも今日で少し気が楽になったよ。今まで誰にも言えなくてな。
  こんなアホ話。カンペイ。」 「カンペ〜イってか。」 

    2人はついに夜明けまで飲んでしまった。・・・・ 

 「マスター付き合ってくれてありがとう。 楽しくてうれしかったよ。
  今度遇う時はパラダイスでな。未来世紀ブラジルだ。」   
 「そうですね。2人共いい所で再会できそうな気がしますよ
     お体くれぐれも大事にして下さいね。」
 「きっといい所で又遇える筈じゃ。元気でな。」
    「有難うございます。お元気で。」

 フラフラと白々とした夜明けの街を老人は歩いてゆく。
何処へ行くというのだろうか? 最後まで不思議な客人だった。 
今日の所はこのまま寝ちまおう。

 店で寝るのも久しぶりか。このまま寝るのも何となくもったいない。
 もう少し、・・あともう少しいいゆめを、と思った途端死んだように
 寝こんでしまった。なんでこうもギャクギャクなのか。        

  次の日の昼下がり。動物園に行ってみる。家族連れが和むいつもの動物園。

 つい熊のブースへと足が向いてしまう。
 いつもとなんら変わらぬベニーさんが吊るしたタイヤを相手に戯れている。
 この奥に、あの奥にと目を凝らし見つめると、セメント部分のある1部が
 他のヶ所と何となく色が違う気がする。・・・

  だからどうなんだよ? 我に返ると日常のまんまの動物園とマスターだった。
                  
                      The End    
 


 絶壁

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 はじまり


 「じゃあ、今度の休みの日、本当に付き合ってもらえるんですね?」
 「えぇ、いいですよ。」


  夜更けのBARのカウンターでマスターと女性客が向き合っていた。
  女性客I嬢は店の常連で、週2・3度は顔を出していた。地元の雑誌社で
  働いているいわゆる編集記者、キャリアウーマンだ。
 
  色んな所のトピックスや新店舗の広告などの取材で精力的に毎日飛び廻っ
  ていてその合間を合い潜って来てくれている大事なお客さんだ。
  根っからの行動派で社内の信頼も厚いらしい。
  せわしい仕事はせわしい人に頼めの諺も彼女を見ていると頷ける。

今度、車でここから約2時間ほど南に走った所のH町で日帰り取材だそうだ。
 『もし何か用事がなければ』と同行を誘われた。

 別に色っぽい事ではまったくなく道中、車内が退屈なだけで深い意味は
  なさそうで隣で話し相手がいると眠くならないらしい。
 ようするに眠気覚ましだ。

 何か他に特別な用事があるわけでもなく、隣でぼぉと景色を眺めているのも
  気分転換になりそうだしH町も久し振りだし悪くない。
 全国的に有名な温泉地で年中観光客が途絶える事がない。シーズン中なら
  どこも一杯になるが真冬の今の季節は閑散としているそうだがそれもまた
 落着いた風光明媚でいい所だろう。

  独特な海岸美と自然動物園。温泉施設もいろいろと充実している。

 「もうすぐ、新しいタウン誌が出るので今から企画で大忙しなんですぅ。
  あそこは何度行っても良い所ですよね。 すみません無理言いまして。 

  ・・実は最近私の知り合いの女の子が、と言っても直接私は本人は
 知らないんですけど、少し前にH町で事故が遭って、しばらく今は1人では
 行きたくないかなって。」
 
  やはり何か訳があった。 

 「そこで何かあったんですか?」  
 「心中未遂なんです。でもまだ本人は見つかってなくて、相手の男の方だけ未遂
  で確かまだ意識不明なんだとか。」 
 「それは穏やかではないねぇ。おんなのほうは?」
 「3日間地元の潜水夫が捜索したそうなんですが結局見つからなかった・・
  相当探したらしいんですけど打ち切られました。あの変は水流が複雑で激しく
 て思いもがけない相当離れた所で忘れた頃に発見される事がしばしばあるそう
  なんです。」


 「やっぱりあそこのS壁で?」 

  S壁は、昔からの自殺の名所になっていて何度か訪れた事があるが、
 えらく高い崖っぷちでその気なら一巻の終わりだろう。
 奇景の観光スポットになっていて少し手前から参道になっている 

『早まるな。その前にここにダイヤルを。』

命の電話まであるくらいだから余程そんな自殺者が後をたたないのだろう。
 確かにあそこなら確実だ。
  人が集まる観光スポットとは裏腹の隠れた悲劇の集積場。
 何でも物事は表裏一体と変な納得がいく。

 「そうS壁みたいですよ。2人で睡眠薬を大量に飲んで女の方は先に飛び込んで
 後を追うはずの男が土壇場でためらったみたい。

 崖のうえで馬鹿みたいに寝込んでいた所を保護されたんだそうですって。
 やっぱり男って信用できないわね。」 
 
 「いや。それはちょっと違う。まあいいか。それはいつ頃?」 
 「まだ1ヶ月ぐらい前かな。仏さんがまだ見つかっていないので親御さん、
 大変そうでした。 
 私 別に霊感があるわけでもないんですが、何だか今回1人で行くのは
 どうしても気が進まなくて。・・・すみませんマスターお願いします。」  

 「僕はいいよ。 あっ後ろに誰か!」  
 「きや〜! ・・・もう変ないたずら禁止ですよ。じゃあそろそろチェック
 お願いします。まだこれから仕事残っていますので。」
 「ハイ、ハイじゃあそういう事で。今度の休みね。」
  
   
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「という訳なんだけど8ちゃん?どう思う?」
「うん、僕自身はそんな霊感めいたものはないんだけど何か今回はちょっと・・」
「なんで、なんでよ。なにが引っかかるの?」
「実はね、僕、新聞で読んだんだよ、その事件。少し何か訳ありな
 感じがするんだよね、マスター。」
 「どう訳ありなのよ?」
 
 「詳しくは知らないんだけど、殺人の疑い? あるらしくってさ。
 そのIさんは彼女と知り合いだからさ、あまり悪い事は言わないんだろうけど
 どうやら偽装心中の疑いも考えられる。 
  お邪魔になった女を・・・
 昔からよくある事じゃない、マスターにも心当たりが辺りがあるでしょ、
  又、とぼけて。
 この何年か前に突然いなくなった
 あのカウンターの隅でいつも1人で座っていた髪の長い・・・」
 
 「あぁ!そう、そうあの時ばかりは冷たいのなんのって、命からがら・・・
 こら! ないよ僕は。いつもそうやって人の話を面白く茶化すんだから。」
 「まっ軽いドライブでいいんじゃない、楽しく気分転換に行ってきたら。
 何かあったら相談にでものるから、 アマレットのお代わり貰おうかな。」
 「オッケイ。」 


   
   そんなこんなでH町行きの日がやって来た。
                 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                        
  真冬の海岸の現場 

  
 
 「今日は本当に無理を言いましてすみません。でもいい天気になって
  よかったですぅ。」

 
 「こちらこそよろしくお願いします。お仕事のお邪魔にならないようにします。」

 やはり思い切って来てみて良かった。道中の天気も景色もいい。
  真冬の海岸線も独特な味わいがある。もしこれが海風の中で何か作業を
 となれば辛いが車中でただ風景を眺めているのは実に気楽でいい。
  バイクで走るのはこんな真冬でも今までに何度もあったが車の運転席の隣で
 窓ごしに流れていくだけの海辺の田舎町をやり過ごすのは初めての経験だ。
  ドライブに誘われた女の子のような気分になり今日1日は車を運転している
 人に自分の身を任せよう、そんな大の男のT氏だった。
  
 彼女の運転も申し分がない。慣れているだけあり変な男よりよっぽど運転に
  安心感がある。目覚まし役なのに危うくウトウトとしかけてしまう。
 寒々とした冬の海岸線の風景を約2時間足らず淡々と南下した。
 
 H町の手前の町の国道沿いの小奇麗な喫茶店で一旦、珈琲休憩をとり予定通り
  昼前に目的地に到着する。

 久し振りのH町もさすがにこの季節はオフの風情がある。観光客もまばらで
  却って落ち着いてそれなりの風景を楽しめる。 
 午後から食事の後、何ヶ所かの取材、と言っても自分はただ無責任に車で
  待っているだけでT嬢はキャリアウーマンモードで慌ただしい。
 なんだが自分だけが気楽ないい休日を過ごさせてもらい申し訳がない。
 
  そんなこんなで 午後の時間も段々に経過していった。

 「じゃあ、そろそろ行きましょうか?」「そうですね。」
 
 例のS壁へと車で向かった。
  車1台も止まっていない広く取った有料駐車場に乗り入れ、一際、
 鋭い突風を受けながら、目的地へと向かう。
 この季節の海風は思いのほかキツイ。人影のまばらな土産物屋が並ぶ参道を
  過ぎると小さな目印があり左に折れて入って行くと例の絶壁に通じる
 なにやら意味ありげな木が生い茂り地道で狭い遊歩道が奥へ奥へと
  薄暗く続いているのが見える。
 道の反対側には、我、関せず然とした大きな建物が建っている。
  
 「せっかくここまで来たんだから絶壁まで少し行ってみます?」
 
 「そうですね・・」

  狭い遊歩道を2人で絶壁へと向かい風を受けながらすたすたと歩き出す。
 前方に若者グループが賑やかに歩いている。さすがこんなシーズンオフでも
  訪れる物見高い観光客がいるのだなと、つい感心してしまう。

 「大丈夫?寒いし良かったらさっきの観光センターの中で待っていてくれても
 いいですよ。僕一人で平気だし。」

 「そうですね。そしたら私は先にそちらに行って取材して待っています。」

 彼女は先ほどの建物へと走って引き返していった。

 無理も無いだろう。まだほんの一ヶ月前に左程親しくないとはいえ
  知り合いが飛び込んだ現場なのだから。

 その建物はおみやげ物産センターと何やらこの辺の詳しい案内所になってる
  ようだ。 どっちみちそこでの取材がメインなんだろう。
 自分は野次馬気分で気楽だが彼女はお仕事なんだから少し休憩も必要だ。
  いつも馴れないこんな他人が横にいると気も休まらないかもしれない。
 
 少し前を進んでいるグループは、若いカップル1組と男3人組みか。
  わいわいと無邪気にはしゃいでいる。学生達だろうか? こんな平日
 まったく関係もないのに後ろからついて行きながらぼんやりと考えていた。
 
 5分も経たず絶壁に続く岩肌の小さい広場のような所に着いた。
  ほんの数メートル先は奈落のような絶壁だ。手すりも何もない。
 
 『ここが例の現場。おそらく石畳のようなこの岩床で眠りこけた
   相手の男が保護されたのだろうか。』

 みんなキャーキャーと肝だめしがてらに先へ先へと進む。海からの突風が
  あまりにもきつく海に近づきすぎると真剣に危険だ。
 寒さと海風で全身が引き締まるが、此処でつい最近あった事件を思うと
  無条件に自然の景観をただ楽しめる気にならない。
  
 せっかく来たのだからと先まで進み、思わず地面にはいつくばって先端まで
  進み、下方の波打ち際まで覗ける所まで寄ってみた。
 
  もし後ろから誰かに背中を突かれたら?
  
  ほんの一瞬でこの現世の人間ではなくなってしまうのを実感できる。
 遥か下の波打ち際は、激しく渦を巻き巨大で強力な海のエネルギーが
  打ち寄せる海水をひっきりなしに岸壁に叩きつけている。
 こんな所に身を落としたら下に辿りつくまでに全身を嫌というほど岩盤に
  叩きつけられた挙句海中に落ちてからも激しすぎる水流に体が粉々に、
 木っ端微塵に跡形もなくバラバラに掻き回されるだろう。
  2度と浮上できないのも無理はないか。
 いずれにしてもこんな所から飛び降りるなど正気の沙汰では出来ない。

 「おおこわぁ!」
 早々に安全な位置に戻り、凍える指先を吐息で温め人心地をつく。

わいわいと無邪気にはしゃいでいる若者達を煙草をふかしながらぼんやりと
  眺めていてふと気がついた。

確か、男女のカップル2人と3人の男達であったはずなんだが?
 今、その場にいるのは私を含め男4人だけ。

  『あのカップルは何処へ?』
 
     いつの間にかいなくなっている。

まあいいか。あまりの寒さに引き返したんだろう。しかしここまでは1本道で
  他に道はないはずなんだが・・・
 そうか、多分自分が先まで行って下を除いたりしている間に引き返したのだろう。

 それからもしばらくそこで佇んでいてふと我に返ると、すでにみんな帰って
  しまっていてその場には誰もいなくなっていた。
 一人だけそこに取り残された気分になった頃まもなく又、物見高い別の
  グループがどやどやと賑やかに現われた。 

    『そろそろ自分も戻るとするか。』 

 やって来た道を今度は1人だけで戻る。T嬢も待っている事だ。
  少し早足で歩きもとの広い通りにまで戻る。目の前に先ほどの建物が見える。

 その時、なぜかかすかな胸騒ぎを覚えた。背中に何かしら感じるものがある。
  何気無く反射的に振り返ると思わず息を呑んだ。
 
 つい今歩いてきた道の中ほどに若い女が1人でじいっとこちらを見て佇んでいる。 

 いつの間にそこに立っていたのかは知らないがどうみても異様な感じがする。

虚無的な視線を無表情な顔からこちらに投げかけ、全体がうっすらと白っぽく
  影が薄く感じられ、なぜかそこだけがぼんやりと光っている印象がする。
 
   反射的に向き直り向かいの建物へと向い振り返ることはしなった。

    それはまばたきほどの一瞬の出来事だった。
      

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  洞窟  


 建物の中は、暖房が効いていてホッとする。

  「お待ちどうさま、どうですか?」

 すぐにT嬢を見つけ声を掛ける。

 「ハイ。このフロアの取材はもう終えました。後はあのエレベーターで
  下に降りるんです。波打ち際にまで行けるそうですよ。」

 「えぇ。そんな下まで行けるんですか? 早速行きましょうか。」

 入って左手にたくさんのみやげ物を展示しているフロアになっていて
  反対の右手の奥にエレベーターホールがある。
 愛想のいい制服を着たエレベーターガールが迎えてくれた。

「いらっしゃいませ。下に参ります。」 

 下しかないだろうと心の中で突っ込みながら2人で乗り込んだ。
  ことのほか古い年代物のエレベーターだ。 やたら薄暗い。
 普段、街中のエレベーターに乗り慣れてる自分としてはえらく遅く感じ
  古い病院を思い出してしまった。 ゴォーンと低く響く音を立てようやく
 下に辿り着いた。

 「お待ちどう様でした。御帰りは、前のボタンを押して下さいませ。」

  自分が言うべき事を淡々と呪文のように述べ終えると重そうなドアが
 閉まりそそくさと戻って行った。

 下へ降りると思いがけずの広さに驚いた。降りるまでは想像もしなかった
  空間が横に広がっている。自然にできたものに人工的にかなり年数を重ね
 手を加え続けられた、だだっ広い洞窟になっている。
  何やらそこの歴史は古いらしく色々ないきさつやエピソードなどを書いた
 看板が張られている。ちょんまげ姿の労働者達が岩を削っている蝋人形が
  何体も薄暗い明かりの中で展示されてある。説明書きを読む気にもならずに
 ただブラブラと歩き回る。T嬢はせわしなくあっちこっちと写真撮影や、
  それらの文章をメモったりとさすがに忙しい。
 
 1人で先へ先へとまわり込む様に進んで行くと海からの激しい波が
  目の前の岩盤にひっきりなしに打ち寄せている波打ち際に突きあたる。
 大きな水しぶきが轟音と共にえんえんとつき上げている。
  先程上から見た水流が真近に迫りまるで手のつけられない巨大な化け物が
 海中で暴れまわっているようだ。
  自分がミクロのように小さくなってしまい巨大で凶暴な洗濯機で無茶苦茶に
 かき回されている気がしてくる。
、 どこからこんな強力な海流のエネルギーがくるのか?
 間近に見るあまりの迫力に圧倒され言葉もでない。 

「こんな所に人が飛び込んだら粉々にされ絶対見つからないだろうな。」 

 何気なく先程と同じ事を再び思った自分自身にふと我に返る。


 T嬢は写真をとったりメモを控えたりと何かとせわしい。
 離れて見ていると薄明かりの中でセピア色に浮かび上がっている蝋人形達が
  いやに生々しくリアルで今にも動き出しそうだ。
 
 自分にはここはほとんど興味がないので何となく持て余してしまう。
  訳もなくあっちこっちとノロノロと歩き回るばかりだが、
 あまりここには長居すべき所でないのを本能的に段々に感じてくる。
  心なしか息苦しく感じられ一刻も早く地上に戻りたい衝動に駆られた。

  「もうそろそろ、どうですか?戻りませんか。」

「はい。そうですね。今回はこんなところでボチボチ終わりですかね。」

 心なしか彼女の顔色もあまり良くないようだ。
 2人ともつい早足になりエレベーターホールへと向かう。
 
 「では。」 ボタンを押し先程のエレベーターガールの到着を待つ。
 「どうですか?取材は無事終わりましたか。」
 「はあ・・」
 
 やはり、のろいエレベーターだ。ようやく到着のランプがつく。
 再び、にぶい音を立てゆっくりとドアが開いた。


 「・・・」 
  
   相変わらず薄暗いエレベーターボックスの奥には人の気配はするが
   なぜか無言だった。
                          

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 エレベーター                    
 
 「着きましたよ。さあ、乗りましょうか?」 
 「はい。」


 2人でドアの開いた薄暗いエレベーターボックスの中に向かう。

 T氏がまず入り、続いてT嬢が中に入り込みかけた時、突然に

 「すみません、私もう少しあちらで取材が残っていましたので。」

 そう言い残すとそそくさとそこを飛び出して再び洞窟の奥の向こう側へと
  走り去ってしまった。

 『おそらくまだ何かやり残しがあったのだろう。自分はどうしようかな?』
 一瞬考えたが自分も一諸に降りる事にする。自分だけ先に表に出て行っても
  持て余しそうな気がするしそれに・・・ 

「すみません。せっかく来てもらったんだけど、又のちほど来ても・・・」

 ボックスの奥で何も言わずにじぃっと立っている人物にそこまで言いかけた時に
  改めてそこに黙って立っている女の顔を何気無しにまじまじと初めて見て
 かけた言葉を途中でのみこんでしまった。
 降りる時の制服を着た先刻の愛想のいい健康的なエレベーターガールとは
  別人で明らかに様子が違う。

 まず制服ではなく
白っぽいワンピース。 なぜか化粧っけがまるで無く
 スッピンの素顔で無表情。 顔色がまるで無く蒼白な印象で白目だけが
 やたら充血して赤い。 さっきから話しかけているのに反応がまったくなく
 ただ黙って生気のないうつろな目でこちらをただただ凝視しているだけ。
 明らかに違和感を感じるしその場の空気がやたら重く感じる。

 『な、なんでこんな?』

 とっさに現実に戻り正直、内心むっとした。観光地でこんなエレベーター
  ガールは
ひどいのではないかと。先程の愛想のいい人と全然違う。
 しかしほんの僅かな時間で明らかにひんやりとした異様な気配を感じ
  抗議の感情より何よりここから一刻も早く離れなくてはという切羽詰まった
 異常な胸騒ぎの方がかった。

「もうしばらくまだここにいるので後でまた来てもらおうかな。」

 そう言うとその女は一瞬眉を歪めただけで相変わらず反応がない。
  ただあいかわらずの虚ろなままの視線でじぃっとこちらの顔を凝視している。
 重苦しかった空間からフロアにすばやく戻ると無言のまま音を立てドアが
  閉まりかける。ドアの隙間から女の下方の足元に何気無く目をやると
 裸足のか細い足首が見えた。
 
  なぜかホッと肩の力が抜けその場を去った連れを待つことにする。
  しかし不可解な女だったと思う間も無くT嬢が隣にやって来た。

  「すみませんでした。少しだけ残っていて、もう全部済みました。
   おまちどおさまです。」 
  「ほんの今エレベーターが戻ったところですよ、では。」

 再び、呼び寄せるボタンを押したが表示ランプを見るとまだ上にも
  到着していない。 一旦、上まで辿り着くととんぼ返りで下に向かった。  
 それにしてもどうにも遅いエレベーターだ。2人して無言で待つ。
  ようやく到着しドアが再び音を立てて開いた。 

「お客様、どうもお待ちどうさまでした。上に参ります。」  

 「・・・」

「これで今日の仕事は全部終了。やれやれですぅ。」  

 「・・・」


 その感じのいいエレベーターガールはわざわざ館内の出口まで
 見送りに来てくれた。

 「お疲れ様でした。又のお越しをお待ちしております.よろしくお願いします。
 お気をつけてお帰りくださいませ。」

 「有難う。又こちらこそよろしくお願いしますぅ。」

 深々としたお辞儀を背中に受け駐車場へと向かう。
 今日1日の仕事を終えたT嬢は開放感に浸っている。
 2人車に乗り込み帰路に発った。
 
  やって来た道と同じ海岸線が続く国道をひた走る。
 先程の真っ赤な夕焼けがいやに鮮やかだった。少し時間が過ぎると一気に
  辺りは暗くなる。 暗闇の海岸に打ち寄せる波が無数の手招きに見える。
 この時間の海岸線は少しの時間で表情が一変するもんだ。

 観光センターの館内を出てからずっと胸中で秘めていたT氏の今日1日の
  出来事のツジツマがその車窓の風景をぼんやりと眺めていて突然一致した。 


 「今日は貴重なお休みをまる1日付き合って頂きまして有難うございました.
 本当に助かりました。
 お礼にお食事でもと思いますけどマスターは家で奥さんと水入らずですもんね。」 
 「いや、こちらこそ愉しかった。又呼んでください。」

すっかり日の落ちたアスファルトの国道を照らすヘッドライトの明かりの先に
 日中遭った女の何か言いたげな暗い表情の白い顔が何度も浮かび上がる。


  断崖絶壁へと続く道でこっちをじっと凝視していた女。 
 
 谷底へと繋がる薄暗いエレベーターの奥でひっそりと佇んでいた女。

  どちらの女も今になって落着いて思い出すと全身が濡れていた。

 最初の彼女がやけに白っぽく見えたのは濡れた全身に光が反射していたからだ。
 エレベーターの女も異様に見えたのは長い髪がべったりと濡れ肩にはり付いて
 いて、それに裸足の足首が小刻みに震えていた。

   2人は同一人物だったのだ。 
        おそらく例の女だろうか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  もうすっかりと暗くなった国道をT氏とT嬢は家路に向かい先を急ぎ車をとばす。
 それぞれ今夜の夕食のメニューなどを考えながら
 
  その車の後部座席の端にはいつからか濡れた白い女が座っている。
  帰路を急ぐ前席の2人にはそれに気付くはずもなかった。

                            終