ロザリン日誌に戻る

  

  その1 Bar "Rの店内にて
  その2 再びBar "Rの店内にて
  その3 新米バーテン
  その4 ホストのジョー
  その5 ジゴロと・・
  その6 別世界
  その7 上質のドライブ
   その8  門出
   
その9 再会 
   その10 告白
   第11話 苦悩
   
第12話 憔悴
  第13話 活路

   第14話 試練
   第15話 女達 
   第16話 破滅
   第17話  歓楽街
   第18話 末路

   

    

   


  
 
その1  Bar ”Rの店内にて

店内に『物陰の男』こと8氏が1人でカウンターに座りマスターのT氏と
  いつもどおりの四方山話で和んでいる。
 他に誰も来ないのをいい事にいつも通りの夜のBar時間での事だ。

「いつものアマレットのソーダ割りでいいの?。」

 「それで。あっそれと今日はビターズをワンダッシュお願いしようかな。」

「オッケイ。」

 マスターのT氏はさっそくアイストングスで適当な氷を無骨なタンブラーに
 2・3個入れバック棚から、イタリアのあんずの核を原料にしたリキュール
 の茶色の角ばったボトルをとり出した。

  メジャーカップでシングルとダブルの中間を量りタンブラーに注ぎソーダで
 満たし、ビターズボトルの数ダッシュで仕上げ軽くステアし8氏に差し出す。

 「はい、どうぞ。」

  「ありがとう。」

  おいしそうに一口飲むと生気が甦ったように8氏の顔に赤みがさす。
 続けてもう一口、あおって人心地がついたようだ。


 「やっぱり今の俺にはこれだな。独得な甘ったるさがデカダンでさ。」

「そう、今の8ちゃんにはぴったりだね。」

「最近なんだね、スクリーンやテレビにしても存在感のある男がいなく
 なったねぇ。 昔はけっこういたもんだけど。普段の日常にもさ。
 そこら辺に。」


 「まぁわれわれがまだ子供だったから余計大人に見えてたんだろうけども
 ・・・ それを差し引いても内外含めていなくなったもんだな。
 個性ほとばしる味のあるキャラクターが。」

 

 「昔のアランドロンなんて禁じ手くらい格好よかったね。
 あんな目で見つめられた日にゃあもう仕方ないよ。
 どうにでもしてって男でも思っちやう。

  隙のないポーフェクトな美しい風貌に見え隠れする悪魔性。
   日本人にはめったにいないね。」

 「フランス人でもそういないよ、だから一世を風靡したスターなんだろう
 ね。あの人は本当にジゴロが様になる。JPベルモントのほうが本国では
 人気あるそうだけど
ベルモントには毒と言おうか悪魔性がないね。
 ドロンのあの濃厚な毒にまいってしまうんだろうな、世のご婦人方は。」

「日本人ではそんなジゴロが様になって似合う人って少ないねぇ。
 やたら暴力や脅しで女を押さえつけて、独特な貧乏臭い不幸で悲劇な
 イメージになってしまう。

そうじゃなくってもって生まれた優雅さと冷たさの両面を合わせ持った
 貴族性。
 こっちが黙って放ってはおけないオーラを放ち、一緒にいるとヒリヒリし
 どこまでも堕ちていってしまいそうなんだけど自分から絡め捕られる様に
 いってしまう・・

 やっぱりいないか、そんな人。」

 「・・・憶えてるかな? 今はもうかなりの御年になってるんだけど
  池部良。 この人はいい感じだったよ。」

 「あぁ、かすかに知ってるかな。確かやくざ映画で高倉健が最後に殴り込み
 をかける時、必ず

 『あんた、一人では行かせませんよ。』

 と池の近くで合流する人。 だから池部っていうの?」

「ギャグはいいから。そう、そう。しんさい刈りで着流しがやたら似合いその
 後姿の背中がなんともいえない哀愁がある。
 その昔、松本清張が原作の「けものみち」って映画があった。
 今までにもう何度も
 映画化やドラマ化されたんだけどその最初の作品だったと思うんだ。 

表向きは1流ホテルの支配人。蝶ネクタイにタキシードで隙がまったくない
 紳士然としている。 ところが裏に廻ればこいつが又、政界の黒幕に若い女
 を斡旋しているとんでもない悪党の役だったんだよ。

その役がなぜか彼にもうピッタリのはまり役。それこそ人畜無害な善人と
 稀代の悪党とが同居している。 まさにジキルとハイドだ。
 この人はこういう人だったのかと観た時に変な感動をした事を憶えている
 よ。機会があればもう1度あの映画、ゆっくり観たいんだけど。

  あんな雰囲気の人そういないねぇ。」

「やっぱりタキシード着た宝田明あたりをもってこいってか。」

「ほんと、ほんと。ディックミネさんとか。」

「うわぁアソコでかそう。」

「そうとまた違うんだけどぉ まあいいか。」


 そんな会話を8氏としているうちにある一人の人物に思い当たった。

  
  あれはもう何年ほど以前になるのか・・・

   


 

その2 再び Bar”Rの店内にて


 
 遡る事、7〜8年前の "Rの店内。
 その日の夜もいつもの
 カウンターに、客人が7割程度埋まっている。
 常連客どうしでそこそこに盛り上がっているいつものBAR”Rだ.

 マスターは今夜もほとんど聞き役で、それぞれの客人どうしの
 会話が弾み、店側としては、ベストな状態である。
 そこそこに会話が弾み、お代わりもスムーズに進む。
 和やかな時間がまったりと流れていた。

 夜もだんだんと深まり、10時を少しまわった頃、
 ドアに取り付けられたベルがカラン、カランと鳴った。

 「いらっしゃいませ。」 
 中年カップルが静かに店内に入り、カウンターの隅に自分たちの
 場所を確保する。マスターは
 冷たい水と灰皿を、2人分、用意し何気なく男性客の顔を見た。                                    

「ジョーさん?」  「Tちゃん、いやマスター。久しぶりだね。」 

 お互いの顔が、思わず微笑んでしまい、連れの女性客も
 つられた様に静かな笑みを、たたえている。

 「ワインでも抜いて貰おうかな。」 「はい。」

 今まで自分達で話しこんでいた常連客たちも、好奇心と気を
 利かせ少し声のトーンを落とす。 


 それからも、そこそこに時間が流れ、粘っていた客たちも
 段々に引き上げていき、後から訪れたカップルの女性客の方は、
 男が呼んだタクシーで先に1人で帰っていった。

 すっかり静かになった店内には、その男性客とマスターの
 2人だけになった、最後まで残っていたジョージと呼ばれた初老の男は
 マスターと2人だけで話ができるのを、待っていた様子だ。

 「マスターどお? 元気だったかい。」
 「ジョーさん、やめてくださいよ。2人の時は、昔のようにTで
  いいですよ。」   
 「いや、いや、店内でのけじめは大事だからね。ここではマスターと
  呼ばせてもらうよ。さぁ、昔から大好きだった
  Bourbouロックで飲んで、飲んで。」  
 「では、遠慮なく頂きましょうかね。」  

 自分専用の無骨なロックグラスを、バック棚の隅の方から取り出し、
 癖のあるBourbonのオンザロックを用意した。

  「再会に。」 「乾杯!」 

 中年男2人の真夜中の乾杯と共にこれからの長い夜。
 本当のBar時間が始まった・・・

 Tとジョージとの最初の関わりは、もうかれこれ20数年ほど
 さかのぼる事になるだろうか。
 Tが
、まだ二十歳そこそこの頃。都会の歓楽街のど真ん中で、
 バーテンの昼とは正反対の夜の世界に踏み入れてまだ間もない頃。

 ほんのはずみとでも言おうか、きっかけは自分から進んでではなく
 偶然、モトをただせば、友人と入れ替わったようなモンだった。
 軽い好奇心程度はあったがこの時点ではこれからの自分の一生の
 仕事になるなど思ってもみなかった。

 今でこそこの夜の世界も市民権を得て、例えば、昨日まで平凡な
 サラリーマンだった普通の男がある日、突然に脱サラして気軽に
 Barのマスターに変身している昨今だ。
 しかし、その当時、夜の稼業などは昼の一般社会とはどちらも
 が1せんを引いた。判りやすく言うと簡単に誰もかれもが、
 踏み入れられない独特な陰な世界が息づいていた時代であった。
 若い身空で、わざわざこの陰世界に足を踏み入れるのは何か事情が
 ある流れ者か、裏社会と行ったり来たりしているチンピラ上がりの
 連中か、もしくはよっぽどの変わり者かだ。

 
 この頃はバブルはるか以前の、社会が右肩上がりで、すさまじい
 高度成長期でこの国が今では考えられないくらいのパワーがあった。
 戦後の混沌期が過ぎ去りオイルショックを乗り切って本格的な発展に
 国全体が猛ダッシュを始めた時期だ。
 
 企業戦士と呼ばれ、各個人の迷いなど一切入り込む余地などなく
 ドブネズミと呼ばれながらも、満員電車であろうが、異国の僻地で
 あろうが辞令ひとつでただがむしゃらに突き進む会社員達。
 
 売れる、売れると、次々に目新しい商品をさばく商売人達と
 期待に十分応えてくれる新しい物好きのお客達。
 
 雇っても雇っても慢性的に人手不足の大小の工場群や商店。
 
 便乗値上げだと文句を言いながらも次から次へと新しいものに
 目がくらむ女性達。
 
 こんな物がいい、あんな物があったらなどと次から次へと新しい
 カルチャーが登場し使い棄て文化が豊かさの美徳と根付きだした。
 
 どこへ行ってもヒット中の歌謡曲が流れ、レコード大賞はだれだ?
 紅白はどっちが勝ったなどとどうでもいい事に大人たちが真剣に
 目の色を変えていた。
 
 ようするに昭和の時代、真っ盛り。新しいものと古いもののせめぎ合い。 

 今、振り返ればアナーキーだが、まともで当たり前な活気が
 街中に溢れ、その分、陽と陰との世界がはっきりと色分けされていた。
 昼の人間と夜の人間の接点は客とお客で成立しそれ以上のお互いの
 干渉は必要も、関心もなかった。どちらも生きるのに精一杯だったのだ。

 紫のオーラを放っている夜の世界も独特な文化を形成し、隠花植物の
 如くの匂いを夜な夜な撒き散らしていた・・・
 そんな頃のT氏とジョージだった。
 

 



 その3 新米バーテン

  当時、今のBAR”TのマスターのT氏が、まだこの世界に
 飛び込んだばかりの、新米バーテンの頃に話になる。
  初めは右も左も何も分からずにただバタバタと、ほかのスタッフの
 邪魔にならない様な下働き。掃除だのビール瓶をせっせと運んだり、
 おしぼりを丸めたりの毎日だ。カウンター内から外回りと、営業中
 は店内を小間使いのように飛び回る。

  それからしばらくし、段々と落ち着いて自分の仕事を少しこなせる
 ようになった頃、最初に飛びこんだ店から今の、バーテン5人だけで
 切り盛りする色気のない店に何となく廻された。
 その中でもまだ1番の新入りだ。
  当初はお客、経営者、先輩、等、顔を覚えるだけでも大変だった。
 独得で複雑な、人間関係の位置がまだ若いので把握し辛い。
 いらぬ気を使いながらも、『まだ若いモン』という事で廻りの
 大人達に随分ホローされながら、ようやくみんなと馴染んできていた。
 
  その世界には,訳ありで癖の強い人間が周りに多く、いい距離間を
 置いて付き合う独特な勘が必要だ。気が着けば、 とんでもない
 事件に自分が巻き込まれていたり、知らぬ間に疎外されていたりする。
 まだ若いのも幸いし周りからも、外のお客達にも割合い可愛がられ
 重宝されていた。

  その店は、早い時間、サラリーマン客がほとんどで、出勤前のホステス、
 近くの商店主、暇なご隠居さまなど様々な客層だが、みんな1・2杯
 飲むとさっと引き上げて行く。 その後、ずっと経過した遅い時間に
 店がはねたホステス達とできあがったその客連中で本格的に賑わう。
  むしろ明け方近くの朝方の方が、メインになるかつての歓楽街の
 飲み屋そのものだった。店の電気を消し帰る頃には新聞や牛乳配達人と
 バトンタッチの毎日だった。目に見えない疲労感があるが、まだ若さが
 勝って、アパートに帰ると一気に爆睡する。 昼過ぎにゴソゴソと起き
 出して、有り合わせで腹ごなしをすませ銭湯に行くとそろそろ、
 出勤の準備だ。 
  昼と夜がまるっきり正反対の生活もすぐに慣れるものだし
 最初は戸惑った酔客の相手も慣れればどおって事がない。
 むしろ、しらふのままで目の前にずっと座り続けるお客のほうが
 やりにくい。
  
 滅多にはないがトラブルも珠にはある。

「だいたいなぁ、あんたらみたいなのには分からないんだよな。
 俺達の苦労がさ。 1人で大きくなったような顔しやがってよ。」
  自分の親かもう少し上くらいの客だ。

「そんな蝶ネクタイなんかして、いい若者だったらちゃんとした所で
 働いたらどうだね。どうせろくな事なんかしてないんだろう!」

 「働いていますよ。今もこれが仕事だし。」
 
「へぇ〜それが仕事?馬鹿言うんじゃないよ、仕事というのはお天道様
 の下で額に汗流すのが仕事なんだ。あんたらのバーテンなんザ、
 ただの遊び半分の極楽商売って言うんだよ。そんなのが仕事だなんて
 おこがましくて聞いてられねぇな。
 わしらが若いころはな、そりゃあ・・・
     大体、軍隊経験のない奴とは話が出来ないな。」
 
 「軍隊って言われても・・」
 「親御さんが見たら泣くぞ、五体満足で生んでもらってそんな事じゃあ。」
 「なんだとぉ・・」
 
 「すみません、ちょっと来い。いいから、こっちに来い。お客さん
  こいつまだ新人ですから、とっくりと言い聞かせますんで。
  こっちに来い!」
 先輩がすっと分け入ってくれる。カウンターの奥に連れて行くと
 耳元に口を近づけて小声で話した。
 
 「お前、ばかだなぁ。あんな酔っ払い親父のたわ言なんかにマジになって
 どうすんだ。適当に交わすんだよ。キツネか狸だと思って聴いてる
 振りして ハーハーホーホー言っておきゃあ好いんだよ。いいか、
 まともに相手になんかするんじゃねぇぞ。馬鹿の相手をするのも馬鹿の
 ふりをするのも俺達の仕事なんだぜ。」
 
 元に戻ると打って変わって
 「お客さん、どうもすみません。俺がこいつにきっちり言って聞かせ
 ました。 さあ、お代わりどうぞ。作りましたんで。」
 憮然とした顔で先輩の作った飲み物をゴクリと飲む。
 「チンピラ上がりのバーテンなんかまともに相手にしたわしが
 馬鹿だった。 もう帰る!」
 そう言うと勘定をカウンターに叩きつけとプイと帰っていった。
 
 しかしそんな客に限って翌日、手土産を持ってすまなさそうに現れる。
 
 「いやぁ、この前はすまなかった。短気をおこしちまったよ。
 酔っ払って自分が何を言ったかほとんど覚えていないんだ。
 あんたを見ていたら、ついうちの息子とダブってしまってな、
 悪気はないんだよ。まあ、いっぱい飲んでくれ。 仲直りのしるしだ。」
 
 昨日とは打って変わって機嫌がいい。しかしものの1時間もすると

 「だから、今時の若者は何にも判っていないんだよな!
  第一こんな所で若い美空で・・・」

  結局同じ事の繰り返しが続く。


  

 そんなある夜。
  その日の1回目の慌ただしい時間が過ぎ、2回目のピークにはまだ
 しばらく時間がある、エアポケットのような時間だった。


   女性客3〜4人を引き連れた、若い男性客が賑やかに入ってきた。
 見るからに、華か
なグループで、最初は芸能人か何かと思った程だ。
 しかし、会話からホストクラブのお兄さんとその取り巻き連中らしい。
 それまでも結構色々な客達には、慣れてはいたが、こんなに垢抜けた
 男性客は、初めてだった。接客も少し緊張しがちになる。
  珍しく新米のTの前にズラッと場所をとった。

 「お兄さん、こちらにはブランディのロック。
   私達にはアメリカーノね。」

 「はい。」 

 隅に寄り先輩のバーテンに小声で、

 「先輩、アメリカーノってアメリカンじゃないですよね。」
 「あぁ、アメリカンってのは珈琲だろ。じゃなくって
 カクテルのアメリカーノとはチンザノの赤とカンパリを半々にして、
 ソーダとレモンで仕上げるんだ。
 確か進駐軍のアメリカ兵がイタリアで
地元にあるリキュールで
 自分達用に造らせたカクテルだって神戸の友達に聞いた事がある。
 へぇさすがカッコいいの飲むじゃん。さっやってみろ。」

 たどたどしく作ったドリンク4を客人達に差し出す。

  「おまちどお様です。」 「は〜い。かんぱ〜い。」


 女性たちは、何処かのホステス仲間らしいが、男性は、明らかに
 他とは毛色が違っていた。雄ライオンに群がる雌ライオンという
 より雌狸かキツネ達。 女性達がどうのじゃなくて男性の格が
 他と違い過ぎるのだろうか。

 それにしても男性の目から見ても、この人は尋常じゃないほどに
 格好が良すぎる。 何か知らない不思議なオーラの様なものを感じられ
 何もなくても、つい眼がそちらに向けられてしまうほどだ。
 これでは同性同士の、嫉妬もなにもあったモンじゃない。
 かえって気が楽になるくらいだ。
  なぜか意味もなく高揚している自分に時おり我に返った・・・・

  

  30分程、ひとしきり騒いだ後、さっと引き上げた。
 これからまだお仕事の続きか。同じ水商売の人間でも天と地ほどの
 差が感じられた。祭りの後の静けさとキツイ香水の匂いが残る。

 「先輩、今のお客さん、格好よかったですね。」

 「あぁ、あれが噂のジョーさんだな。」「ジョーさん?」

 その時が初めてのT氏とジョーさん との出会いであった。

 



 ホストのジョー

「えらく格好いい人でしたね。ジョーさんって。」
  
「あぁジョーさんだろう。ベテランで名うてのホストだからな。
 といっても短命なこの世界ではもう長いらしいがな
、噂では随分聞いていたが、俺も初めてまじまじと見たよ。
 やっぱりなんだか違うなぁ 俺達とは。」

 話を聞いていたチーフが割ってはいる。

「本当だな。ま、いいんじゃないのか。動物園には、
 トラも居りゃ猿も居る。 さしずめ俺達は、なんだろうな?」

「そうですね。中途半端な日本猿ってとこですかね。狭い世界で、
 陣地の取り合いなんかして。ちょこまかと噂好きで。」

 「上手いこと言うな。 かすかにむかつくけど。」

「そういう事で、おいT君!レモンスライスもっと用意しておいてくれ。」

「はい。」

 それからも、ジョーさんは何度か店に訪れた。たいていは女性連れ。
 いかにもお金持ち風なのが、共通しているが、若いのから
 中年の有閑マダムまで。 
 みんな一様に、夢見るように目を潤ませてるのも共通だ。


 一向にお代わりが、進まないので

「あのぉ お代わりはいかがですか?」

 その声で我に返った女性客の顔が、まったくの別人のように変わった。      ジョーさんとたまに連れ立ってくる女性客が、1人でポツンと
 何度か訪れる。もしかして自分に気があるのかもと、その気になり、
 期待して接客していたT氏だった。
 先程から思い悩んでる様子で氷の溶けきったグラスを傾けている。
 何か切り出したいのにきっかけがつかめないのかもと、
 こちらから、気を利かせたつもりだった。

「じゃあ、お願い。 ところで、他の事なんかどうでもいいんだけど、
 ジョーちゃん、私の事、なにか言ってる?」

「えっいや別になにも。どうぞ、お代わりお作りしました。」

「あぁ、ありがとう。 本当に? まっあまり他人になんでもかんでも
 言う人じゃないし。 いいわ。彼と私の2人だけが思っていれば
 いい事なんだから。 私の中にはいつも彼がいるんだし。」

 「はあ。・・」

 再び、虚ろな眼に女性は戻る。グッと体が重くなった。
 世の中、そんな事の連続である。      
 
 ある日、珍しくジョーさんが一人でやってきた。
 時間待ちか何かだろうか。
 
「いつものブランディ、今日はサワーにしてもらおうかな。」

「かしこまりました。」

 最近は訪れるとなぜかTの前に座る。まだ初々しいTの事が何となく
 海千山千のジョーは、気に入ったようだ。
 ドリンクの準備をしてコースターと共にブランディサワーを差しだす。      

「お兄さん、今度飯でも行かないかい。ところで名前は?」 

 「はい。Tっていいます。」 

 「そお、たまには僕に付き合ってくれてもいいだろう。ご不満かな?」

 「いや、でも僕で良いんですか?」 

 「もちろん.ろばた焼きでいいかな。じゃ今度の休み、まちがいなく。」


     思いがけなくジョーさんに食事を誘われたT氏だった。
                       
 

  第5話 ジゴロと・・

      

「じゃ今度の休み、まちがいなく。」「は、はい。」


「で・・そのジョーさんって一体何者なの?」

「なんていうかなぁ、今では考えられない 言ってみれば当時の
 われらが身近な輝くスターかな。」

「あぁ判った。庶民の憧れの、輝く星、下町の玉三郎みたいな存在?」

「違う、違う。全然そんなんじゃないよ。」
 
 それまで、じっと聞いていた8氏から久々の質問に戸惑う。
 かつてのいい頃の思い出話に自分で酔っていたT氏は、いつもの8氏の
 茶化しに、我に帰らされた格好だ。

 グラスの自分のドリンクを一口あおり、少し話の区切りをつける。
 店内には2〜3人程、別の客人がいたが、取り立てて神経を向けるほど
 でもなく、むしろそっとしておいてあげる方が良さそうなカップル客だ。

「何て言ったらいいかなぁ 何でこんな人が今ここにいるの?って感じ
 当時の映画俳優やテレビに出ている歌手達と冷静に誰と比べても
 ジョーさんの方が勝っているんだもの、男っぷりが。
 普通、身近にどんな格好いい人がいても、芸能人には、やっぱり
 劣ってしまうだろ?
 それがまったく逆なんだから 
 最近オーラがどうしたとよく言うけど、やっぱりあるんだなって思うよ。」

「ふうん、よっぽどなんだね、そのジョーさんて人。何者かな。
 ただのホストでもないの?」

「はっきり聞いたわけでもないんだけど、向こうの血が多少混ざって
 いるらしい。
 本人もその辺はあまり言いたがらないしね。そう言われてみれば明らかに
 そんな感じがするよ。見た目だけじゃなくってね。 
 何かありそうな 雰囲気なんだよ。
 何もなくてもドラマチックにこっちが勝手に思えてしまう。
 そんな人なんだ ジョーさんは。」
 
 「ふぅ〜ん、で、どうしたの?マスターそれから、一緒に行ったの。」

 「それからねぇ ある意味自分にとっても分岐点だったな あの頃は・・」


   思いがけなくジョーに食事を誘われてしまったTだ。
 男同士なのになぜかまだ何日もあるのに緊張してしまう。 
 仕事が手につかなく常にそわそわして、へまばかり繰り返し先輩連中に
 しかられた。しかし、誰にも言わずに黙っていた。もし誰かに言ったら
 途たんにみんなの顔色が変りそうな気がする。良いか悪いかどちらか
 だろうが、どっちにしても面倒事は避けたほうがいい。
 
 前の夜、なにを着ていったら良いのか、何を注文したら良いのか、
 どんな風に振舞えばよいのか。

 鏡の前でボーとし、気が着けばいつの間にか乙女のように心が
 甘く染まっている自分に、笑ってしまう。
 結局なにをしてもジョーさんには、かなわないのだからと思えば
 気が楽になり、ようやく眠りに落ちた。


   繁華街のメインストリートから一筋横に入った所に、穴場のような
 ビルがあり、そこの半地下にある思いがけずガラス張りのシャープな店に
 促される。自分では絶対行かない店だし気付きもしない所だ。

「いらっしゃいませ。あっジョーさんいつも御ひいきで。どうぞ、奥へ。」

蝶ネクタイの支配人らしき小太りで酒焼けした男が迎える。
 いらない事はしゃべらなさそうな狡猾でたけた感じの中年男だ。

「有難う。今日は男2人なんだ。いつもの適当に、それから飲み物は、
 ビールで良いかな? お兄さんじゃなくT君。」 

 「は はい。」 
 
 「源氏名じゃなく本名はなんていうの?」

「僕らなんか源氏名なんてないすよ。ただのTです。」

 「そうか。今日は悪かったね。せっかくの休みの日に、デートは大丈夫?」

 「デートもくそも家の中の溜まってた洗濯モノと掃除、済ませてきました」 
 
 「それはよかった。じゃあ、かんぱい!」 「かんぱい。」
       

 

  第6話 別世界 

     
  同じ炉端焼きでもこうも違うものか。普段、自分達が珠に行く店では、
 当たり前に遭遇する、壁にべたべたと張ってる品書き、もうもうと
 無遠慮に店内に立ち込める煙、馬鹿騒ぎするサラリーマンのグループ、
 従業員や酔客達の大声。
 
  それらが一切ない、まるでホテルのロビーのような店内。
 かすかに聞こえてくるシックな音楽。他の客と顔を指さないように
 上手くしつらえてあるグレーを基調にした内装。
  思いがけず奥行きがあって様々な個室に分かれているようだ。
 何処からか客達のざわめきが時折どこからともなく洩れてくる。

  しかし、店内の煙で涙ぐむような庶民的な店でさえもわれわれは、
 めったに行けないのだからここはまるで別世界。
 一言でいえばすべてが上質で統一っていうやつか。
  時折.ワインクーラーで冷やしたシャンパンとたくさんのグラスを
 よく光らせたステンレスのワゴンで黙々と運ぶ女達。
  スリットが切れ込み大きく背中の開いた派手なドレスを着た女達が
 何人も廊下の奥に向かっていく。パーティでもやっているのだろうか?
  それにしては女達の顔に緊張感が漂い過ぎる。普通の結婚式場の様な
 雰囲気では決してない。いわば、すべてが玄人で統一されている。


  「ジョーさんは、普段からこんな所ばかりなんですか?」

 「ここもたまに使うけども、大体、場所は女達が勝手に設定するからね。 
 僕はただくっついて行くだけよ。 別に何処でもいいんだけどねぇ。
 でもきれいな処に越した事がないし。ところで、T君はいくつなの。」 

 「はい。もうすぐ19になります。」

 「そう若いね。僕は27という事になっているんだけども、本当は
 32なんだ。どうでもいいんだがマネージャーがうるさくてね。
 2つ3つがえらい違いなんだと。 
 僕らのすべては女を喜ばす、その為には、何でもオッケイよ。
 しかし、考えてみれば女というのは変な事を、喜ぶモンだね。
 さっ飲んで飲んで、遠慮せず。T君はまだこの世界に入ってまだ間がない? 
 そう、おれなんか物心がついた時からどっぷりよ。
 
 もともとは北海道で、段々と南下して今はここが気に入ってる。
 将来の事なんか考えた事もないな。
 だって今が将来だもの、過去から見たら。考えた事なんかないな、
 今の事なんか。
 色んな連中と飲むんだけど、どこか気がおけなくてね。
 T君の様な知り合いが欲しかったの。これからもよろしくね。」

「こちらこそ、光栄です。僕でよかったら宜しくお願いします。」


 「あら・ジョーさんめずらしわね。今日は男の子とデート?」

 いつの間にか自分用のブランディグラスを持った、その店のママらしき
 中年の女が現れた。 有無を言わさずジョーのとなりに座り込む。
 年はそこそこにいってるが流石に都会的で華やかな空気を辺りにふりまく。


「今日は、すべてがオフでね。たまには男どおしも良いかなとね。」

「あらそう。もう女には飽きちゃって変な気でも起こしたんじゃないかと
 思って心配したわよ。 いつでもいいから私にも声をかけてね。・・」    
 ブランディを舐めながら、視線までジョーを舐めまわす。
 Tにはまったく目もくれない。女とは欲望に正直だ。
 その内、いくらいても反応を示さないジョーに痺れがきれ

「じゃあ。私はお邪魔のようだから退散するわ。ごゆっくりして下さいね。    
 御用があったらいつでも声を掛けてください。ジョーさん。」

 ジョーの太ももをつねるとそそくさと自分のグラスを持ち奥へと
 引き下がる。まるで自分が、石ころにでもなった気分である。
 しかし相手がジョージだから気にもならない。
 彼が行く所、何処もこんな調子なんだろう。引き立て役になるつもりは
 さらさらないが自分の知らない世界を垣間見れるのが楽しそうだ。

  改めて近くでまじまじとジョーを見るが、やはり尋常ではない美しさだ。
 肌の色が下手をすると、病人のように白く目鼻立ちが、くっきりと整い、
  ハーフのようだが日本的な愁いがあり顔にほとんど贅肉がなく、
 眼を合わすと潤んだ瞳に吸い込まれそうになり思わず反らせて
 しまわずにいられない。
  髪は、軽いリーゼントで厭味がなく、まるで作り物の様な錯覚さえして
 しまうほど自然に様になっている。
  パープルのシルクのオープンシャツに、神秘的なブルーのスーツ。
 その時代にはまだ珍しい、ゴールドのピアスが妖しく光っている。
  何もかもが、華やかで、毒を含んだ独特なオーラを放っている。

  昼の太陽の下では、ありえない人口的な明かりに照らされ、初めて息を
 吹き返す、かつて見たホラー映画を彷彿させるものもあり、心の中で
 思わず微笑んでしまう。しかし、我に返ると、自分がとんでもない田舎者
  か、類人猿にでもなった様なとてつもない気後れで居た堪れなくなり、
 アルコールの杯数ばかりが、進んでいった。


 「Tちゃん、今度の日曜日。空いてる?」

 「僕は何もないですけど、何か?」


 「実はね、今相手している娘なんだけど、ドライブにと言われてるんだ。
 いつも2人だからたまには、誰かも一緒のほうが愉しいかなっと思って。
 Tちゃんさえよければどうだろうか?」

 「僕でよければ良いですよ。でもお邪魔ではないんですか?」

 「もちろん、よかった。約束だよ。運転は大丈夫かな?」 

 「ええ。前はダンプ乗ってたし。」

 「それならオッケイ。」

第7話 上質のドライブ


 次の日曜日までは、あっという間だった。今自分が住んでいる
 オンボロアパートの前まで迎えにきてくれる事になっている。
 しかし、本当にこんな所にまで来てくれるのか?
 掃き溜めに鶴じゃないが、現実の自分の住処に眩し過ぎる人物が
 顔を覗かすというのに実感がわかないし本当にやって来るのか?

 落ち着かないままになるべく若者らしい一般的で当たり障りのない
 さわやかで邪魔にならない服装を選んで通りに出て行きかう車の流れを
 不安げに眺めていた。

 しばらくすると腹に響く低いエンジン音と共に、
 一際派手で真っ赤なスポーツカーが、自分が立っているすぐ前に
 乗り着けた。いやというほどフロントが長く雑誌では見た事があるが
 間近で初めて見るアメ車だ。前面だけで軽四ほどはある。
 オープンにした車内には、それに負けない派手な2人が乗っている。
 運転しているのは原色の似合う若い女で頭部に巻いた車体と揃いの
 スカーフとミラーのサングラスが女優のようだ。華奢なドライブ用の
 皮手袋までが革張りコクピットと同じ素材だ。
 助手席に収まっているジョーさんもベージュのスーツに黒のシャツ。
 ブラウンのサングラスで気だるく微笑んでいる。
 そこだけがスクリーンから抜け出てきたかの様だ。
 自分は中途半端な洒落っ気を出さなくてよかったと胸をなぜ下ろす。
 女性は自分と同じくらいの年恰好だろうか。

  「ごめん 待った?」「そうでもないっす。」            

 男女2人共車から降り、自己紹介が始まる。

 「私、洋子。現在、大学に行ってます。退屈しちゃてジョージに
 付き合ってもらってるのよ。あなたは?」

 「こちら、Bar RUPANのバーテンさんでT君だ。
 さあ、早速行こうか。T君、運転お願いしていいかな?」

 「は、はい。」


 本当はトラックか軽四しか運転した事がなく乗用車なんて馴染みがない。
 ましてこんなロングボディのアメ車などまともに初めて見た位だ。 
 この上運転など、運転席で計器類やレバーなどをみても訳が分からない。
 何とかなるかぁ女の子でも運転してきたんだから。


 「じゃ、行きま〜す。」 「シュッパーツ」


  何のことはない。ただの運転手か。今やっと気が付いた。
 それでも、もの凄いこんな車 見れただけでも価値がある。まして
 運転するなど思いもがけなかった。


「これすごい車ですよね。」 

「パパが買ってくれたの。 私は、どれでもよかったんだけど、
 先が長い方がもしぶつかった時、安全だって。アメ車は頑丈だし。
 それなら1番長いのがいいって言ったらうちに出入りしている
 営業さんがこれ持って来たのよ。 色も可愛いし。パパも洋子に
 よく似合っているって気に入ってくれているし」

「そうなんだぁ・」 

 パパもママも世界の違う人間関係は訳が分からない。どっちにしても
 自分には縁のない世界だから解かったような顔をして聞き流そう。
 水商売に入ってからはそんな処世術には慣れている。
 それにしてもまるで船に乗っている様な乗り心地で、思ったより
 目線が以上に低い。こんな乗り心地といいハンドル周りといい
 今までに経験のない心地よさを味わう。心なしか周りの車が
 何となく避けて行ってくれる。

 自分までがまるで別世界のスターになったような気分になり、
 普通車や、トラックの運ちゃん達の熱い羨望の視線を一身に浴びた。
 考えてみればほんの少し前までは自分はあっち側から眺めていた。
 おんぼろジーゼルトラックに荷物満載にしてクーラーなどなく
 窓を全開にしてタオルを首に巻き気だるい海に向かう国道を
 もくもくと走らせていた。
 ふと見ると真横に発表されたばかりのスポーツカーの助手席で
 派手なサングラスをかけた若い女がシートを少し寝かせて長い足を
 窓から投げ出し、向かい風にはだしの足の裏をあてさせている。
 横からその足の裏を眺めているとあっという間に抜いて行った。
 運転しているのはたぶん自分と同世代の若者だろう。
 うらやましいという感情よりもなぜ同世代でこうも違うのか?と
 単純に疑問に思えたものだ。
 それが今はそっちの立場に何となくいる自分が心地よいと
 いうよりはどうも落ち着かない。
 虚像の今の自分がよく解かっているからか。それとも今なら元の生活に
 いつでも引き返す事ができる自分への自信か。
 しかしこれからこんな世界にもいつの間にか慣れていき段々と
 変化していくであろう将来の自分の未来像への期待と不安が入り混じり
 訳もなくぞくぞくする妙な胸騒ぎをおぼえた。
 それもこれもジョーさんと一緒なのだからと自分を見失ってはいけない。
 一人であれこれと考えている間後ろの2人は無邪気にはしゃいでいた。

 運転にも慣れてきてのどかな海岸線から山岳道路へと流していく。
 坂を上がった所にこじんまりとしたホテルがあり花畑を見ながら
 そこのテラスでお茶の時間にする。
 他愛もない話に打ち興じたが何も頭には入ってこなかった。
 ただ、初めて見る昼間のジョーさんは相変らず悲しいほど美しかった。
 どこにいっても周りに居合わせた若いカップルや家族連れの
 羨望の視線を一身に受ける。
 普通の一般サラリーマンの若者では、どんなに逆立ちしても
 できない経験だった。
 
 その日の夕方までこぎれいなコースをドライブし元のアパートの前で
 降ろしてもらった。後の事までは無理にかかわらない。
 自分の部屋に帰り我に返るとなんだか少し大人に近付いた気がし
 同世代の友人に自慢したいTだった。アダ花の毒牙もいいかと


 それからも何度となくジョージは昼も夜も誘ってくれた。
 まるで兄貴のように、話を聞いてくれたり相談にも乗ってくれた。
 それでもどんなに付き合っても最初のイメージが崩れる事もなく、
 Tにとってはどこまでいっても憧れの対象だった。

 ある夜、Tの働く店にジョージのグループと同じような団体が
 一緒になった。どちらも同じ形で取り巻きの女達と幾人かのホスト達。
 それにしても今夜は女達が異様にハイになっている。

 「ジョーさん、あのグループは?」

 「うん。あそこの彼、テレビや映画で見たことあるだろう。
  今人気急上昇の、東陽一だよ。」


 「あっそうだ! この前もテレビでダンサー達と歌ってました。」

 「今日うちの店でイベントがあってね。事務所を通さずに何人か
 芸能人に来て貰ったんだ。おかげで女達が大ハシャギでね。
 俺達はちょっと癪だけど、その分少し楽できるんだよ。」 

 世間で人気が出るのも無理もない。東陽一、一般人では、
 到底真似のできない華やかさでさすが1流アイドルだ。女達がハイに
 なるのも無理もない。一点の曇りも感じさせない今時の旬の芸能人か・
 
 醒めた目でしばらく観察すると、ジョージはいつもより寛いでいる。
 女達の相手をするのがいつもより楽なんだろう。
 そっちに眼を惹きつけられるから。
 それとなく見比べていると、驚いた事に絶頂の東陽一よりジョージの
 方が魅力的だ。 同じ位のレベル同士だからよく判る。
 知り合いの贔屓目を差し引いてもジョージの方が美しさや魅力で
 勝っている。
 見た目はさほどの差はないが、何気ないしぐさやふとした表情が独特だ。 

  自分には無縁の事ながら少し誇りに思ってしまい
  ジョーに対し改めて確信をもったTだった。


  


 第8話 門出 

「大概に遊んだんだろうね、マスターも。その頃は」

 「そんな事もないよ ただ、ジョーさんの後ろをくっついていただけ
 でも、あの人は大人だったから、僕の前では醜態は見せなかったな・・」

 「アッどうも今晩は、マスターHさん来たよ。」

 「いらっしゃいH君、今日は遅いね。」
 
 ドアを開けこれまた常連のH氏の登場である。8氏のとなりに
 巨体を落ち着ける。いつもどおりに髭にシルバーのペンダント。

 「どうもどうも、夜分遅くにすみません、ダークラムのロックでも
 お願いしょうかな。・・8ちゃんはいつもの飲んでるのね。
 マスターと又悪い相談でもしていたんじゃないの?」

 「何を言ってるんですか、Hさんじゃあるまいし、マスターの昔話を
 聞いてたんですよぉ。」

 「ハイ、おまちどおさん、バカルディどうぞ。えっと
  どこまで話したっけ?」

 「ホストのジョーさんと遊んでいたまでですよ。よっぽどだったんだ
 ろうなぁ。その頃は、今と時代も違うしね。とっかえひっかえでしょ」

 「えっもしかして、ジョー?あのホストのジョーの事かな!」
 
 駆け付けで飲みかけたラムのロックを吹きかけ思わず反応を示すH氏だ。

 「H君、もしかして知ってるのホストのジョーさん?」

 「知ってるも何も、こう見えても私も昔は夜の業界にはどっぷり
 でしたからね。たぶん自分達くらいの世代までのバーテン仲間
 だったら知ってますよ。あのホストのジョーなら。」

 思ってもいなかった展開に顔を見合わせる8氏とマスターだ。
 広いようで意外に狭いのが世の常か。

 「当時なら知らない人はいない、掛け値なしの百戦錬磨の美男ホスト。
 僕は先輩連中から嫌というほど噂は聞いていました。
 なんでも飛びぬけた存在だったらしいがある時から、忽然と
 業界からも世間からも姿を消しいなくなったそうで
 えっどうしたの?ジョーの話が何で又?」

 「マスターが昔かかわったらしいよ。その時のエピソードを
 今、聞いていたんだ。でもそんな有名な人だったんだ。」

 「そう言われたら本当にあの当時の事を思い出すよ。誰が聞いても
 どこへ行ってもえぇ! あのジョーさんかぁと言われるんだもの。
 でも嫉妬も何もない。キツネがライオンと張りようがないからね。
 あの人と並んだらすべてが納得せざるを得ない。何年間かはあの人
 との付き合いは深まったなぁ。
  
 へぇそれにしてもH君までが知っていたとは驚きだ。」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

 「Tちゃん、それはそうとこれからどうするの?先の事とか。」

 「いや、あまり深くは考えた事ないです。どうしたんですかぁ
 ジョーさんこそいきなり あまりらしくないですよ。」


  いつもの様に早番で店がはねた後、ジョージと隠れ家のように
 しているBarのカウンターでいつになく神妙な顔で切り出された。
  もう彼との付き合いも随分経ちこの仕事にも今では大体にこなしていた。 しかし、もうそろそろと自分の将来の身の振り方を、真剣に
 考えねばならない時期に差しかかっていた。 
  ジョージにしても同じ思いだろう。夜の世界も段々と知れば知るほど
 かつての魅力もパワーもなくなってきて全体に醒めてきている。
  
  退屈はしないがとめどない、キリのない繰り返しの日々。
  先行きの見通しなどまったく立たないづくし。
  夜の業界人は所詮、それまでの存在だったというのを痛いほど感じ
  させられる場面が年月と共に増えた。
 
  まだ、明るい時間にお客にならまだ納得もいくが知り合いや
 同級生と久しぶりに顔を合わす機会があると、
 『今、何の仕事か。』と判ると途端に距離を置かれて
 よそよそしく態度が豹変し、別れ際に

 「ちゃんとしたまともな仕事に就けよ」
 と真顔で棄て台詞のように言われたのがショックだ。
 
  その時代はまだ水商売なんかとずいぶん下に見られていた。
 無理もないかもしれない、20台も後半に入ろうというのにみんなは
 それなりにそれぞれ真っ当に歩んでいる時、昼と夜が反対の生活で
 粋がっていても突き詰めて考えれば酔客ばかりを相手にして浮世離れが
 当たり前の世界だから。
  いい顔をしてくれるお客でも昼間に集金やパー券を持っていき
 顔を合わすと別人のように露骨に顔を背けられる。店で話す時は
 ニコニコして人のいいおじさんが早くここから去ってくれと
 言わんばかりの態度をされる。
  段々と真っ当な世間から自分だけが取り残されていくような疎外感を
  感じていた。
  
  派手で浮いた会話や、酒の勢いでその時間だけの盛り上がり。
  ウソか本当か知らぬ話をもっともらしく相槌をうちその場から
  離れるとなんにも残っていないし、まったく自分とは縁のない世界。
  
  その世界にいる女の子連中も何かしらのシミを持った娘しかいない。
  まさかと思うような女が3人の子持ちだったり、ライトの下では
  清純にしか見えない娘がたちの悪いひもがついていたり。
  ある時、地方から流れてきたまだ幼さが残るホステスが平気な顔で
  身体を売っていた。その事より何にも感じていない本人の態度に
  ショックを受けた。

  やっぱりこんな世界は裏の世界でいつまでたっても表舞台には
  這い上がれない。第一、まともな彼女なんかできるはずもない。
  格好のいい見栄えやそれらしい事を言っても所詮酔っ払いの
  機嫌取りをしているだけだ。又、それに群がる女達も訳ありしかいない。

  自覚もなく入ったこの世界だが、蟻地獄に最近になって思えてきた。
 なんだか知らないが開き直るか肩身の狭い思いをするか、何をとっても
 昼間の人間との距離間が気になって仕方がなかった。
 この先もずっとここでやっていくには具体的にどうすべきかを考えると
 スポンサーを見つけ店をもつか借金をして勝負にでるか。
 どっちにしても今のTには賭けてみる気にはならない。かと言って今更、
 昼の仕事に戻るのもなんとなくおっくうだし自信がない。
  ずっとこの世界に染まってからは自分がいびつに変っていってる感じが
 どうしても拭えない。妙な所ばかりが長けて本当はどうしょうもない
 世間知らずのまま日々だけが過ぎていく感じだ。
 こんなままではいけない、そろそろ審判を下さねばと思うが、
 ずるずると流されて行く、そんな思いの頃のTだったから内心ドキッと
 した。


 「ジョーさんはどうするんですか、これから。それとも何か考えている
  事があるんですか?」
 Tの顔をじっと見つめていたジョージだ。ブランディのロックを
 一口あおると、思い切ったように話し始める。

 「それが今世話になっているユキなんだけど、話があるってんだよ。 
 彼女のだんなの会社が、今もこれからも順風満帆でね。ぼくに、店でも
 と前々から言ってるんだが、なんだか気乗りしなくてね。
 そんなこんなでその会社の支社が、イタリアのトリノって港町にあってね。 
 しばらく一緒に行かないかい?と言うんだよ。
 僕を、親戚か何かに仕立てるから、とにかく向こうで
 生活したいらしいんだ。 僕も外国なんか今まで行った事がないし、
 少し外の空気もいいかと思ってるんだ。」 

 「いい話じゃないですか。乗るべきじゃないですか、ジョーさん。」 

 「Tちゃんとはいい付き合いができて、君と一緒にいるとき唯一本当の
 自分に戻れた時間だったから、名残惜しいんだけど。
 ぼくもこの先どうなるかわからないし。」 


 今のように携帯もインターネットもない時代だ。国際電話もまま成らぬ。


 「帰って来ても、あの店であいかわらずバーテンさんを続けていて
 くれればありがたいんだけど、Tちゃんも身の振り方があるだろうしね。
 いつまでもバーテンってわけにもいかないだろうし。・・」 

 「僕は、今の所具体的にまだ何にも考えてないです。将来の事は。」 


 「まだ若いんだから、どうとでも転ぶよ。成るようになれか?
 僕も言われてみれば今まで深く考えた事がなかったなぁ。その時々で、
 相手の喜ぶこと、周りのいいようにと、 まず平和主義だから。
 なるべく争いだけは避けてきたよ。だから大きなトラブルには今まで
 遭遇しなかったな・・・・
  もしかすればTちゃんとは、最後の別れになるかもな。
  乾杯!2人の将来に。」 

 「ハイ。お互いの門出に。僕もいい機会だから、もう少し真剣に
 考えてみます。乾杯!ジョーさんに。」    

 「Tちゃん、がんばれ!」

   夢も、希望も、先の時間でさえまでも有り余っていた若者2人と
 そんな時代の終焉だった。かすかに見え隠れする不安を打ち消すように、
 その夜は、2人盛大に飲み明かした。


   第9話 再会 


  あの時の別離から、20数年経過し、そして2人は再会した。
 何も劇的な再会などではなく、ごく日常のありふれた光景、Barで
 迎えた中年マスターと、訪れた初老の客人の一人として。 

 どちらも互いに年をとり、かつての面影はかすかに残してはいるが、
 当時のほとばしる勢いに溢れた2人の若さは、とうに失われた。
 まだ幼さとたどたどしさを引きづった新米バーテンダーは、これから月日と
 共に、枯れつつある中年マスターにとって変わり、当時の全盛のスター
 をも圧していたかつてのホストbPは見る影も亡い初老の爺さんだ。

 タイムマシンで、もしどちらの姿も瞬時に覗いてこれた者がいたならば
 『年月の流れとはこんなにも残酷なものだろうか』とさぞかし思うだろう。 

溢れんばかりの熱情と好奇心豊かだったその頃のTはジョージとの別離を
 きっかけに“夜の仕事"にも段々と力が入らなくなり、一念決意し
 すっかりと足を洗い、昼間のサラリーマンっというのをしばらく経験した。
 
 しかし、何事も杓子定規な管理社会や上司には右にならえの盾社会には
 どうしても馴染めず 奮起して30歳を機に本当に自分のやりたいような
 ”BarR”をオープンさせた。
 店を開店させてからすでに10数年ほど経過したが、理想と現実のギャップは
 いつまでたっても埋まらずじまいで月日が経つごとにかつての華やかで
 いい時代だった頃をつい振り返ってしまいがちのTだった。

 『ジョーさん、あれからどうしていたんだろうか?
  すっかりとあの頃のオーラが消え失せてしまっている。
 無理もないか。もういい年齢だろうから。歳をとるとみんな変らなくなる
 と言うがなぁ・・
 あの頃のジョーさんを知らない人にはただの爺さんにしか見えないだろうな。

 無理もないか、俺もまだ当時は二十歳ほどだったのがすでに今では40半ばだもの。
 そう思えば世間一般の年齢の爺さんに比べるとまだしゃんとしているし、
 だいいち小奇麗だ。ひねくれ煮しめたような嫌な老人の影は見あらたない
 さすがにどことなく気品があり、改めて見るとさすがに『ホストナンバー1』の
 面影だけは仄かに伺える。 どこかで探してわざわざ訪ねて来たんだろうか。
 偶然ではないだろうし、それにしてもなつかしい。』


 昔話や、他愛のないお互いの近況報告に花が咲き、ふと静かな時間が訪れた。

「すっかり飲んでしまった。こんなにBourbonがすすむのも久しぶりだよ。
 それにしてもあの頃のTちゃんが、こんなに立派な店のマスターで
 やってるなんて。 よかった、よかった。本当にうれしいよ。
 これで何もかも心置きなくといきたい所なんだがなぁ。」
 
 持っていたタンブラーをコースターに返し染まった頬で一息つくと我に
 返った眼をした。

「今時のBarも面白くなくなりました。昔、ジョーさん達と遊んでいた
 頃の、あの空気は跡形もないですね。
 何もかもが小粒で、中途半端になってしまった。世の中全体が若いモンの
 機嫌取りにばかりに成っちまって・・

 あっすみません。 店内でつまらん愚痴は禁句でしたね。 
 つい、気が緩んでしまって。

  ところでジョーさん何かある、どうかしたんですか?」

 飲みかけていたBourbonをゴクリと飲み眼がマジになったジョー。

「実はね、Tちゃん。今まで誰にも言った事がないし、初めての経験なんだよ
 思い切って相談にのってくれるかい? 昔馴染みのよしみで。」

 「何かあると思っていましたよ。僕の方こそ以前は色々と相談にのってくれた
 じゃないですか。 遠慮なんかなしですよ。水臭い、言って下さい。
 今度は僕の番ですよ、ジョーさん。」

 「うれしいねぇ、そう言ってくれるのなら打ち明けるか・・・
  実はね、俺はこの年で生まれて
  初めて本当の恋というものに、悩んでいるんだよ。」 

 「えぇ!」

                    


 
第10話 告白 

   

 「へぇ、突然店に現れたんだ、あのジョーが?」

 「そうなんだよね。びっくりこっきりとはこの事よ。」

 「およそ、はべらせている女どもと遊びに行こうって誘いなんじゃないの?」

 H氏と8氏は飲んでいるドリンクのお代わりを頼み興味しんしんだ。いつの間に
 か 店内は3人だけになっている。 

  注文の飲み物を作りながらT氏の話は続く。
 
「驚いたのは、あれほどの人でも同じに歳をとるんだって事がショックだったな。」
 
 「何を言ってるの、マスター。誰でもそれは平等でしょ」

 「それはそうなんだけど、俺はあのジョーさんには想像できなった。」

 「で、なに?そのおっさん、恋がどうのと今更寝言言ってんの、マスターに
 何か魂胆でもあるんじゃないの。所詮女を食い物に生きてきてんだから
 ホストなんか。そう思わない、Hさん?」

 「8ちゃんらしいコメントだな。本当にしたたかだからなぁあいつら
 でも何かあるのは間違いなさそうね。どうしたのマスター?」

 T氏の眼つきが少しマジになってこれからが話の確信を予測させる。
 自分の飲み物を一口舐めると話の続きを始めた。
 
 
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 百戦錬磨の、かつての夜の世界では、知らない者がいなかった、
 まさに生まれついてのジゴロ。女性にとって天使と悪魔の両面を兼ね備えた、
 伝説のあのジョーさんの口からこんな言葉が出るとは!

 「恋をしているって、ジョーさん。一体?」 

 「T君も知っている通り、この俺はずっとジゴロ。簡単に言えばヒモ。
 金に不自由のない女に絡み付いて今まで生きてきたよ。 
 おかげで、人様以上の贅沢を させてもらってきた。
 それなりの苦労もあったがさしたるトラブルもなく何とかここまでこれたな。

 しかしね、考えてみれば俺は今まで普通に働いた経験がまったくないんだな。

 それは、ホストも仕事だと言えばそうだけど、そんな意識でホストをやった事は
 今までにまったくなくてね。 
 無意識と言おうか、別に今更、格好つけるわけじゃないんだが、周りの
 女達を喜ばすのが俺の生き方と思ってきたんだよ、Tちゃん。

  そんな意識でこれまで女達の世話になりこの年まで生きてきたんだ。 

 それが、もうすぐ60になる。こんなのでいいのか?なんて今までに考えた事も、 なかったよ。その時々で周りが1番いいと思う方法でここまで来たからね。
 
 それでだ。まさかこの俺が、今更、こんな状態になろうとは・・
 思ってもみなかったよ。」

カウンターの上でこぶしを握り締める。見ていられないほど、本人の苦悩が
 伝わってくる。誰かに似ているを思ったが、対談番組にでていたイタリアの
 名優マルチェロマストロヤンニを彷彿とさせる。やはり凡人ではなかった。

 「本当ですね。まだぼくは信じられませんけど・・で、相手はさきほどの?」

 「そう。佳美さんっていってね。 高校で生物を教えている。
 1人娘さんを育てている未亡人だよ。笑っちゃうだろ。このおれが。」  
 
 「それはそうとジョーさんは、今はどうしているんです?」

 
 「あぁ、世話になっている女性がいるよ。かれこれ10年以上になるかな。
 マンションも生活費も一切がっさい彼女におんぶに抱っこだ。・・

 お互い、年だし、もうここまで来たんだから,ジョーの死に水は
 私が取らせてもらうわよ・なんて。
 別に、金にせっぱ詰まった女でもないし。 しかし改めて考えてみるとね。
 俺は本当に、今まで普通に働いた事がない。物心ついたときからこんな暮らし、
 今は、ホストも引退と言う形でとおに第一線をひいたけどね。

 それ以外のいわゆる、労働と呼べるものをした事がないんだ。
 別に、自分が怠け者ではないつもりなんだが。機会を逃したと言うべきかな。

 『あんたは何もしなくていいのよ』とか『そんな事、この私がさせません』 

 俺が何もしないのを、相手が望み、喜ぶのならわざわざ波風立てる必要も
 ないしで、幸か不幸かここまで来たの。

 昔イタリアに住んでいた時も、毎日がほとんどパーティーで、何をしていたかと
 いえば、ピアノを遊びで習い、弾いていた程度かな。
 結局5年ほどで日本に帰って来たんだが・・・

 男としてこれでいいのかと考える時もあったがね。僕には、女を喜ばせる使命感
 みたいなのがあって、今までそれでバランスがとれてきたんだが。 
 ここへ来て状況が一変したんだよな。」  

 マスターもBourbonのロックを舐めながら、深い問題をしばし考えてみた。
     

  

第11話 苦悩


 
本人は幸せな様な、不幸せな様な。世の中、公平な様な不公平な様な。

 しかし、ジョージ本人さんが、人生最後の岐路に立たされ切羽詰った様子は
 切実に伝わってくる。


 「相手の女性とは又どうやって知り合ったんですか?」

 「以前から、スポーツクラブに通っていてね。時間があるから
 ジャグジーなんかもあって気分転換でな。マシンジムと、スイミング、
 サウナで仕上げて、さっぱりと着替えていつもどうり帰るところだったんだが、
 ロビーで目まいをおこしてな。意識がなくなり、気が付いたら病院のベット
 だったんだ。 すると傍に見知らぬ女性が見守ってくれていた。

「あぁ、よかった。気が着かれたんですね。」  「あなたは?」 

それが、スタートだったんだよ。軽い貧血でたいした事はなかった。
 いや、後になって考えたら違う意味で一大事なんだけどね・・・

 そのときの出逢いが今の俺にとってはね。

 彼女の学校の生徒の関係で、水泳教室の手続きにその場に来ていたそうだ。
 偶然居合わせて彼女の車で病院まで送ってくれたらしい。・・・・

それから、何度かお茶に行ったり、食事をしたり。

 知れば知るほど、すばらしい女性なんだ。5年前にご主人をなくされて、
 聡明そうな1人娘さんを女手で育てている。 

 フッフッもちろん、俺が今まで関わってきたの女性たち。それから、今世話を
 していてくれているユキも情の深いいい女だ。 申し分が無い。

 しかしあの佳美さんと,出逢ってから今までの自分とは違ってしまったんだよ。

彼女には、俺の事はほとんど知らないし、言ってはいない。
 根掘り葉掘り利く人でもないしね。

 一応、僕の仕事は、小さな不動産屋か何かで、ほとんど人に任せていると
 思い込んでいる様子だがら、黙ってそうゆう事にしておいたよ。

それにしても、逢っても逢っても逢いたくなるもんだな。

 この前も公園で彼女が持ってきてくれた、ポットに入れた熱い珈琲と
 上品なクッキーでいい時間を過ごしたよ。平和でなんともくつろいだ気分に
 させてくれる。『このまま時間よ止まれ、なんて古い歌を思い出したもんだ
  
 「じゃ、また今度。」  「又ね。」とさらりと別れた。 

 その日の夜に、どうしても又、会いたくなった。居ても立ってもいられなくなる。 考えまいとしても想うは彼女の事ばかり。

 ユキには「ちょっと、散歩にでも行ってくるから。」なんて誤魔化し
 気がついたら彼女のアパートの前に立っていた。

 こんな夜遅く声も掛けられず、部屋の窓の明かりをいつまでも眺めていたよ。
 時間が経つのも忘れて・・
 そんな自分がたまらなく情けなく、意識もしないのに涙が出て止まらない。
 近所の人に見られたら迷惑がかかるからって
 それこそ、物陰に隠れてね。

 行く事も帰る事もできずに、まるで足底が地面に貼り付けられたようで・・・

 どうしようもなく寝静まった街を、家に帰る気もしなく1人歩き回り、
 昼間、彼女と逢った公園で一夜を明かしたよ。」

「・・・・」  

「自分自身の感情に振り回され、持て余しちまう。
 これを“さまよいって人は言うのかね。
 体はどうしょうもなく疲れているんだが、頭の中は常にピンと張り詰めている。

 いい年をして、この俺がどうなっちまったんだ

彼女の事ばかりでいい加減持て余しちまって。T君、笑ってくれよ。
 年甲斐もない馬鹿なやつだと笑ってくれ。その方が気が楽になる。」
             

第12話 憔悴


 さぞかしつらいだろう。年をとると少しは楽になるどころか、反対に
 却って、ダメージは深く大きい。

  「それでユキさんには?」  

  「まだ、あいつはまだ何も知らないはずだ。多分、それがわかった時点で、
 今の我々の生活は跡形もなく終わるだろうな・・
 なにもかもあっさりした奴だから。
 
 別にユキへの愛情が冷めたとか、ユキの事が気に入らないとかではなくて、
 これは、これで別な物だから、出来る事ならこのままで・・・

 そうもいかんだろうな。俺も、この何ヶ月でだいぶやつれた気がするよ。

 もしユキと別れて佳美さんと一緒になったとしても 今までみたいな訳には
 いくまい。 1人娘を抱えたまだ若い公務員の未亡人の、
 こんな歳をとったおじいちゃんが、ヒモになってどうすんだ。

 相手に対する気持ちがあふれていても仕事も住む所も、ないないづくしの
 この先のない、じいさんがどうする訳にもいかんだろう。

 考えてみれば家族と、呼べる人間がこの世に、俺には一人もいないのだよ。

 はるか以前、適当に付き合っていた相手がいてな。

「これからも、あなたからは何も、求めないし期待もしないことにする。
 その代わりって何だけど、一つだけお願いがあるの。 貴方の子種が欲しいの。」・・ 
 それならば、という事があり、本当にそれっきりになっていた。
 
 何年も経ったある朝、ひょっこり訪ねてきた親子がいた。見るからに頭の
 悪そうな中学生ぐらいの娘と、その分の年を重ねたその時の女性。

「この人が貴方のお父さんよ。」

 挨拶もなく、まじまじと何も言わず無遠慮に、俺の顔を覗き込んだあげく

 「アキさぁ。すごいパパって聞いていたんだけどぉ〜。
 あんまり言うもんだから来てやったんだけどぉおお。

 なんだかさえない親父ジャン。いけてねぇの。 もう帰る。」  

 「・・・・」                   

 そそくさと親子で帰って行った。10分もいなかったよ。

 1人残った、俺はぬるくなったブラック珈琲を、一息に飲み干したっけ。」

 「・・・・・」


 「本当にどうしたらいいのかわからないんだよ。ただ、佳美さんと居たいだけ
 なんだ。
  若い時は微笑ましい純愛でこの歳でこの状況なら裏腹になるんだなぁ。」

 

   

第13話 活路



 沈痛な顔で、グラスを傾け、うつむいている斜め横顔が、時折はっと
 するほど、憂いを秘めた美しさだ。若い頃にはなかった哀愁をたたえ
 思わず見とれがちになるが、何も言葉が見つからない。
 しばし、男2人の沈黙が続く。

 どう転んでも今のジョーさんの年にはこれからの苦労は否がおうでも
 避けられないだろう。すねかじりの若者でも、悠悠自適のご隠居でもない。
 ひとつひっくり返れば只の文無しの、何一つ手に入れていない初老の男。
 かつての名声など、なんの足しになろうというのか。

 しかし人生最後で最大の恋を、成就させたい気持ちもよくわかる。

  ここは一つ冷静になったほうがよさそうだ。


「ジョーさん。明日空いてますか?」

「これといって別に何もないが・・・」


「もしよければ一緒に職安に行ってみませんか?慌ててどうこうじゃなくて
 この機会に世の中を少し知っておくのもいいかもしれませんよ。」 

「いいのかい?T君。 そうだなぁ。今まで俺なんかそんな所に行った事も
 なかったしな。自立すれば何か少し先が見えるかもしれないね。
 流石は、マスターだ。苦労人だね。」 


 これまでの話の取りあえずの決着がついた。

 その夜はひとまずのお開きとなった。外は、すでに白じらと夜が明け始め、
 牛乳配達人がカタコトと音を立てていた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
「おはよう。ゆうべは有難う.今日は宜しくね。」  

「おはようございます。ゆうべは眠れました?といっても世間では朝ですがね。」   
 言った本人が久しぶりの早起きで頭の中が、スイミング中である。


「色々とつまらん話を聞いてくれて。おかげで大分に楽になったよ。
 又、色々とお世話になるよ。全部何もかも話して頭の中が、すっきりした。

 履歴書一応書いてきたんだけど、こんな感じでいいかな。」

 手渡された書類を見て、Tの表情が止まる。  

「ジョーさんこれは、ちょっと。」   

 まず、職歴がかつてのホストクラブのみ。本当のことだから仕方がないか。
 趣味がダンス全般、下着収集。
 特技・ピアノ これはまあ、いいか。一番のアウトは写真だ。 

「ジョーさん、この写真は?」 

「あっそれいいだろう。1番良いの探して、古いアルバムから引っ剥がしたの。
 なつかしいだろう。Tちゃんと知り合うもうちょっと前かな。」

「これはいけませんよ。何十年も前の写真なんか。プロマイドじゃないんだから
 今、現在のありのままでないと.・・いいからまず写真取りに行きましょう。」


  世間ずれした中年親父二人の職探しの1日が始まった。

  

 第14話 試練

  夜、10時過ぎの再びのBar”Rの店内。
 普段しなかった行動に、心身共に疲れ切った2人だった。
 年齢から来るやつれが正直に体全体に漂ってる。

 額にはらりと落ちる白髪混じりの前髪を掻き分け、 
 すでにぬるくなったビールと乾き物を口に放り込むジョージ。 

 さてどうしたものかと視線を斜め前方に泳がせるマスター。 

 「仕方がないか。この年令まで何の疑問にも思わず、ここまで来たんだから。
 浦島太郎もいいとこだな。世間の現実は厳しいとは思ってはいたけど
 まさかここまでとはねぇ。」

「えぇでも職安の人間もあんまりですよ。

 『あんた、そんな年まで、何してきたの?とっとと女の所に帰れ。』

 なんて。いくらなんでもひどいじゃないですか。おまけに

 『みんな、お遊びでここに来てるのじゃないんだよ!
 ここは今までもこれからもまじめに生きてきた人の来る所だ』なんて。
 じゃおれたちは一体なんだっての。」

「いやいや、T君。やはりあの職員の考えが世間ではまともなんだよ。
 我々はやっぱり色物なのさ。遊んで遊ばれて食ってきてるんだから。

 世間から、ずうっと、はみ出して生きてきて、困ったから今更一緒に
 しろってのも虫が良すぎるのかもしれない。ありとキリギリスさ。

 それにしても、この年で朝から晩まで働き、一月10万足らず、
 それも丸一日中、外にでて、工事現場の旗振りかスーパーの自転車整理か。
 保険も何もなくて、それが原因でお医者にかかったらたちまち反対に
 何をしてるかわからないし、下手すればお釈迦だな。・・

 弱ったもんだぜ。今はユキから、毎月20万、マンションの家賃や経費も
 別に、全部彼女の口座から落ちている。

 もうそんなにいらないよといっても
 
 『貴方に恥はかかせられないわよ。あなたの恥はわたしの恥でもあるし』

 なんて譲らない。それで今までずっときたからねぇ。すっかり甘えて。
 あまりに差がありすぎてね。このあまりの落差はなんだろうね。」

 
 「うぅ〜ん、やっぱり無理がありますね。ジョーさん?」 

 「僕もね。このまま残った余生はそれなりに平穏にいくものと思っていたよ。
 ここへ来てこんな思いがけないどんでん返しが待っているとはな。

 しかし、簡単に忘れる事も諦める事もおれにはできそうにないんだよ。
 出来る事ばとっくにそうしているよ。ならどうしたらいいのか。
 今まで生きてきてこんな岐路に立たされるなんて想像もしなかった。」


 昨夜もつくづく思ったがこの人は、やはり只者ではない。
 最初、久しぶりに合った時は昔の若い頃のイメージを追いかけてしまい
 気がつかなかったT氏だが、今もジョーは常人にはないオーラを発している。

 但しそれと判る、目のある相手が必要だが。

空になったビールが入っていたグラスをあおり、憔悴した表情だ。

 虚ろに煙草をくゆらす姿は、独特な憂いと凄みの魅力を発している。
 まるでかつて観たフランス映画のワンシーンを思わせた。

「マスター今日はどうもありがとう。そろそろ帰って休むよ。」

 「そうですか。大丈夫ですか?ジョーさん」

「明日から来てくれるかいと、言ってくれている所があるんだよ。
 作業服も貸してくれるらしいから、今日の所は早い目にもう休むよ。」

 「やっぱり行くんですか?スーパーの自転車整理。」

 「乗りかかった船だからね。しばらくやってみるよ、じゃあ。」 

 「おやすみなさい。あまり無理しないでくださいよぉ。」

  ドアを開け外の暗くなった世間に出て行った。

  
 やはりジョーさんは、働くのか?仕方ないにしてもあの人が作業服を
 着て自転車置き場で整理など,想像もできないしさせたくもない。
 しかし、彼の人生だし、そのうちに否が応でも結果が出るだろう。
 胸中で彼の為にどうする事も出来ない自分に歯がゆさを感じる。
 あの年齢からはおそらく無理があるがそれしか今のところ方法はなさそうだ。
 腕を組んで、考えあぐねている所に思わずドアが開いて客人が入ってきた。

   

「こんばんは。」 

 「いらっしゃいませ。 あっ今ジョーさん帰ったところですよ。」


  入れ違いに噂の、佳美さんが入り口に立っていた。
        
           

   


  第15話 女達             

 
 「女1人でいいのかしら。こういう所、私初めてで?」

 「もちろんいいですとも。まぁここにでも架けてください。
 何か飲みやすい物でもお作りしましょうか?。」

 「はい。お願いします。」 

 ロングのシンプルな、カクテルを用意する。

 「どうぞ。」 「はい。ありがとうございます。」 

 清潔感が感じられる妙齢の女性。出された飲み物を2・3口飲み
 心を落ち着けようとしている様子だ。

 佳美の様子を見計らい、しばらく間の後、マスターがきりだした。

 「ジョージさんとは?」 


 「はい。ここ何ヶ月かお付き合いさせてもらってます。

 あの人はとてもやさしくていい方ですね。うちの娘も喜んでいて最近、
 話す事は、ジョーさんの事ばかりで。・・

 主人が突然亡くなってからもう6年経ちます。あっという間でした。
 私は高校の教師をやっています。公務員なものですから生活の方は、
 親子2人やっていくには、なんとか。
 これからの将来の事も色々考えますけども。」

 目の大きい、聡明そうなシャープな印象の美人だ。ジョージさんが
 惚れるのも解る気がする。穏やかな優しそうだが面持ちだが芯に硬質な
 強い物を秘めていて、こうと決めればガンと譲らない意志がありそうに感じる。

   

 「マスターはジョージさんとは長い付き合いなんですね?」

 「そうです。僕がまだ若いときからそれはもう手取り足取り・・
 いや色々ありまして。
 でも、この前は本当に久し振りだったんですよ。」 

 「あの方はとても魅力的な方ですね。今は少しお年ですけど、若い時分の
 華やかな面影を今も垣間見せられていて。 
 大事な人だと思っています。わたし。」

 ほんのり赤みがかった頬を抑え、残っていたカクテルを飲み干した。


 「じゃ、私、明日がありますのでこれで。」 

 「もう帰られるのですか? ありがとうございます。」


 ドアの閉まる音と共にきっぱりと帰っていった。
 ジョージはこれからどうするのだろうか?




   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ジョージ、貴方この頃どうしたの?」

 「別にどうもしないよ。どうして?」


 「なんだか急に陽には焼けてるし、いつもに疲れているようだし
 時々ぼうとしてるしさ。私に何か隠し事なら言っちゃいなさいよ。」 

 「いやぁ。別に。なにも」 


 「第一さ。貴方が陽に焼けてもちっとも似合わないし、
 ましてゴルフやサロンで焼くのと全然違う、いわゆる土方焼けっていうの。

 一体、あなた何をしてるの最近?」 

 「・・・・」


 「私に言えない事?・・・

 こんな事言いたくはないんだけど、ここ何年かあなたの事はすべて面倒を
 みてるしこれからも私はそのつもりよ。 乗っかっちゃた船だからさ。
 自分が好きでしてる事だからね。
 でもあなたに変な隠し事をされるのなら、私も考えるわ。 

 言ってみてよ! 怒らないから。
 私達、少なくても私は、貴方とは愛情だけで結びついてるのよ。
 それ以外には何もないし何もいらないわ。
 でも、もしそれが危うくなるのならわたし考えます。

 ねぇ言ってみてよ。怒らないから。ジョージ?」



  シルクのペイズリー柄のガウン姿で、皮製の鮮やかな色のラブチェアに
 腰をおろし何気なくブランディを傾ける姿で聞いていたジョージだった。

 『いよいよ来たか。』

  胸中が張り裂けそうになる。いつかはユキに切り出さなければとの、
 思いがここ何ヶ月も続いてきたが、いよいよその時が今来たのかと。
 口だけではなく目までも閉じた。

 しばらく相手に黙り込まれ、一人でしゃべりすぎを感じたユキは
 ジョージの沈黙の間に我に返る。
 しかしいつにない今までにないジョージの気配に只事ではない空気を感じていた。 
 
 長い時間、押し黙っていたジョージがようやく口と目を開く。


  「ユキ。落ち着いて聞いてくれるかい?。ここ何ヶ月の事を。」

 


  第16話 破滅

 「えぇ。聞くわ。」

  敷き詰めているペルシャじゅうたんに座りなおし冷静に戻ったユキは、
 長年、互いに連れ添って生きてきた愛人の思いもがけない告白を聞いた。

 淡々と聞いていたが、今までに2人が積み重ねた年月を、一瞬にして破壊する
 には十分すぎる内容だった。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 「えぇ!遂に告白したんですか?」 

 「あぁ。でも、もやもやしたものがなくなって体全体が、本当に軽くなり
 スッキリしたよ。」   

 「それで、どう?」

 「今月中にあのマンションも引き払うし、ユキとはそれまでだな。・・

 長い付き合いだったんが・・いつもの事ながら男女の別れは、切ないもんだね。」


 「よく、ジョ-さんそんな冷静に。そしたら佳美さんと一緒になる?」

 「僕はそのつもりなんだがね。しかし、今度ばかりは、今までとは事情が違うし
 どうだろうか? たぶんオーケーしてくれると思うよ。

 明日は正式にプロポーズするつもりなんだ。 色々世話になったね、T君。


 君とは自分の人生の節目節目にこんな話をする宿命の様な関係かもね。

 よし!今日はシャンパン開けようか、久しぶりに。」 

 「ジョーさん、お金は大丈夫?」 

 「ユキと、懇々と話をして、まとまった金出してもらったよ。

 無一文でこんな爺さんをおっぽり出すのもあいつも目覚めが悪いだろう。」


 やはりジゴロは抜け目がない。


「T君、乾杯!」 「ジョーさんに。」

何時ぞやと同じ光景だが、大分事情が違っているなと2人共感じた夜だった。

 取りあえずの祝杯を挙げる。先行きが不透明なのだけはあの時と同じだった。

 
   

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
 「有難うございました。又よろしくご贔屓に御願いします。」 

 「うん。頂いていくよ。有難う。」  

 地元のかなり大きな老舗宝石店の店主から、最高級のお辞儀で見送られた。
 ジョージは大事に、ラッピングされた指輪を大事に持ち直す。ユキからの
 手切れ金のほとんどをこの指輪に使い果たしていた。支払った残りは
 内ポケットに入れている。長年、何度もそうしてきた事だから、
 余分な事は一切考えていない。考えているのは次の女の事だけだ。

  佳美と待ち合わせている落ち着いた喫茶店へと急ぐ。


 簡単な世間話がすみ、ひと段落ついた後おもむろに切り出した。

「どうぞ。これを受け取ってくれますか?」  

「なんでしょう?」


「私の気持ちなんです。」 

 包みを解いた、佳美の顔色が変わる。

「ジョージさん、これはどういう事何でしょうか?」

「プロポーズと言っては、この年でおはずかしいのですが、その意味で
 受け取って頂けたらうれしい。 私とこれからは、もっと深く付き合って
 もらいたいのです。いえ、付き合ってじゃなく寄り添ってといったほうがいいかな
 いいでしょう、佳美さん。」   

 彼には長年何度も言ってきた台詞であり場面であろう。色よい返事が聞ける
 確信めいたものを感じる。こんな場面に、肝が座り大胆かつ落ち着いてモノが
 言えるのは、彼が歩んできた道が道だからだろうか。

 しばらく高額な宝石を見つめていた佳美。収まっているケースをパタンと閉じ
 はっきりと相手の目を見据えてから話し出した 

「貴方からのお誘いありがたくお受けさせて頂きたいのですが、実は、
 私達親子、近々、田舎に帰るつもりなのです。」 

「えっ。」 

「実家の母の具合が思わしくないのと、あちらで是非にと言ってくれている方が
 いまして。 畑で野菜なんかを作ったりして・・・
 前から決めていた事なんです。 娘もそれを強く望んでいまして。 

 ジョージさんには、本当にお世話になりました。もっと早くこんな事、
 お話しようと思っていたのですがつい言いそびれてしまって。 

 だからこれは私が受け取るわけにはいけません。」

  

 呆気に取られ、言葉が何もでなくなった。
 ただ相手の話を、呆然と聞くしかなかった。
 こんな事、生涯彼にとっては初めてのことだった。

 閉じられたテーブルの指輪が持ち主が定ざまぬまま中央でぽつねんと佇んでいる。 

 
「楽しいお時間を色々と有難うございました。お体を大事になさって下さい。」


 言葉をかける余裕などジョージにはない。

「では、さようなら。お先に失礼します。」 


 席を立ち店から出てゆく佳美を見送る事すらもできず、持ち主のない指輪を、
 ただ呆然と虚ろに見つめている年をとった初老の憔悴したただのヒトだ。
 年月が経ちすぎた元ジゴロ。
 
 しばらく経ち、ふと我に返るとおもむろに指輪を手に取ると、先に出ていった
 女の後を一目散に追いかけた。


「佳美さん待って!」 

 通りを歩いてゆく佳美の後姿に追いつき声をかけ振りかえる佳美の手に、
 持ってきた宝石を握らせ自分の手の平で覆う。道行く人が驚いて避けた。


「佳美さん、これは違う意味でどうしてもあなたに受け取って欲しいんだ。
 私自身にとっては多分貴女との事は最初で最後の恋だったんだ。

 今は見返りも約束も何もいらない。 ただあの時、あの街で、
 この僕がいたという事だけを、貴方の胸の中に受け取って欲しい。
 ただそれだけなんだ。 お願いします。」


 呆気にとられてただ立ち尽くす佳美だったが、純粋な愛情の証を、
 素直に受け取ると、静かにうなづき大事に自分のハンドバックに入れる。 

「もういいんだ。長い間いい夢を見せてくれた。感謝している、有難う。
 幸せになって欲しい。わたしも事もたまには思い出してくれるかい?」
 
 コクンと頷く佳美をその場に残してきっぱりとその場所を立ち去り、
 流しのタクシーを、ひらう。




 時間が経つごとに、熱い感情の余韻が、増していき何処をどう歩いたのか
 気がつくとTのBarのドアーを開いていた佳美だった。 まだ、開店前の
 準備をしていたマスターだったが、ただならぬ気配に気付き、隅の席を促す。  

「まあ、どうぞ。この前のカクテルでも御用意します。」

「ありがとう、ご迷惑をかけます。お願いします。」

 出されたドリンクの、半分以上を一気に飲み干した。

「ちょっと失礼。」 

 奥の手洗いに急ぐ佳美の姿で、すべてを悟ったマスターだった。
    
                      

第17話 歓楽街
 

久し振りの盛り場をひとり虚ろに練り歩くジョージだった。
 これから時間が経過するごとに、賑やかさに加速がつく歓楽街。

 かつて、自分が遊び、慣れ親しんだ街をあてもなくうろつき回り、
 ついさっき、思いがけずに何もかも失ってしまった大きな喪失感を
 懐かしさで紛らわす。

 行き当たりばったりに入った所で軽い腹ごしらえを
 済ませ、気がつくと裏通りにあった小さな場末のスナックの
 カウンターに座っていた。

 色んな事がここ最近に始まり、すべてが終ってしまった自分の今の境遇に、
 まだ実感がついていけず、アルコールの力を借りて冷静に戻りつつある。

 突然に来店した、訳のわからない初老の客にどう接していいものか、
 それまで誰も来ない店内で時間を持て余していた、
 今時の若いホステス2人は、戸惑う気配すら見せずに、
 露骨にめんどくさそうに接する。

 ただ言われるままに無表情で飲み物をジョージの座っている
 カウンターの前に出すだけ出すと煙たそうにさっさと客人から離れる。

 経営者がまだ店に出て来ないのをいい事に、客人から離れるだけ
 離れたカウンターの隅で、これみよがしにただ自分達だけの、
 無駄口を遠慮なしに花を咲かしだす。 

 「お代わり貰おうかな。」 

 「お代わりだってぇお客さん。」 「はい。はい。」


 無機質に最初に指定したのと同じ濃い目のブランデイをジョ-ジの前に
 トンと置くと、そそくさと元の位置に戻る。
 相変わらず自分達だけの馬鹿話でケラケラと笑いあう今時の時間給いくらの
 にわかホステス達だ。



 出されたタンブラーを見つめながら今現在の何もかも失くしてしまった
 自分の境遇を改めて振り返る中年男。
 喪失感が先走るが夢と現実との境目の輪郭が徐々に鮮明になりつつあり
 思いがけず感覚がクリアーになるのが自覚してくる。
 
 中途半端に まだ何かが残っているよりもきれいさっぱりと跡形もなく
 もう何も残されていない方が、自分らしいかと自虐的な酒が進む。 

 何杯かのブランディの力で図らずも何年かぶりで、今まで永く眠っていた
 感覚が段々に戻ってくるようだ。

 魅力的な媚薬を喰らった様な開放感が徐々に体全体を満たしていき、
 かつての名うてのジゴロだった皮膚感覚が,ジョージという男を甦らせる。

かけつけ何杯目かの酒を一気に飲み干すと、万札を何枚かコースターの下に
 置いた。

 「じゃごちそうさん。そろそろ行くよ。」
 
 そそくさと店を出てゆくジョージに拍子抜けする2人だった。

 「お客さん、こんなにたくさん?」 

 「いや、愉しかったよ。」

 捨て台詞を残しさっと店を立ち去る。
 表に出ると一層賑わいを増しこれからが本番と言わんばかりの
 ネオンがきらびやかな夜の歓楽街になっていた。
 見覚えのある路地や、昔からまだ残っている雑居ビル、
 今時の見上げるばかりのホテルや飲食ビル群。

 食べ物の入り混じる匂い。
 酔っ払いの怒濤や女達の嬌声に甘ったるい香水の匂い。
 いかがわしい客引き達や、露天でしたたかに商売を続けている親父達。

 どれをとっても昔に見慣れた自分にとって肌が合う光景ばかりだった。
 懐かしさと儚さと、過ぎ去ってしまった時間が胸に迫りいつの間にか、
 瞳の奥に涙が溜まり、ネオンサインが異様に滲み出して妖しくも幽玄に
 迫って来て恐ろしく美しく感じる

しばらく歩き続け、いつの間にか、かつて慣れ親しみ、
 今はすっかりと名前も建物の表の様子もすっかりと
 変わってしまっている店の前に辿り着いた。


 「又、ここに帰ってきたか。」

 独り言を呟き、緩んだネクタイを改めて締め直す。
 ジャケットを手の平で肩のラインに沿わせ、かつての古巣のドアを開けた。

 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 Bar“Rの店内。カウンター越しのT氏と佳美の2人。

 「佳美さんもジョージさんとの事では色んな葛藤があったんですね。
 そんなにあなたが思いつめていたとは・・・

 ジョーさんも僕もまったく気がつきませんでしたよ。
 でもその方がよかったのかな。」

「最初はいい方だなと思う程度だったんですが、あの方の濡れた瞳の
 奥に潜む魔性のような物にいつの間にか魅せられてしまった・・。      


 このままいってしまったら・・ 

 今ならば、まだ間に合うと、決めました。
 本人には、絶対に悟られないようにしました。・・・
 田舎で畑仕事するのは本当です。この何ヶ月の事はいい思い出でした。

 向こうでジョーさんとマスターの幸せを思って暮らします。」
 
 そう言うと見かけのグラスを一息に飲みほしハンドバックを手にする
 

 「では、お体を大切に。向こうで落ち着いたら手紙でも書きます。」

 「佳美さん!お元気で、幸せになってくださいね。 さようなら。」

 「さようなら。」



  これから永遠に街を去って行く1人の女を見送ったマスターだった。

  いつもの仕事に戻るマスターの背に電話のベルが鳴る。


  第18話 末路

 かつて、いい時代を謳歌した頃は、華やかさの極みだった店内も、
 今ではすっかりと様相が変わってしまい、その頃のかすかな残り香程度を
 残しているだけで、平凡でただの古臭いラウンジに変っていた。

 「お客さんお一人? こちらにどうぞ。」

 戸惑うジョージを迎えた地味な中年のホステスに促され、店内の奥へと進む。

 けっこうな年のママと、ホステス4〜5人が、誰も客のいないカウンターに
 ズラッと座り時間を持て余していた。

 「あら、いらっしゃいませ。」 

 奥まった小さなボックス席に落ち着くと、ママが、1人分のセットを用意して
 、ジョージの隣に座る。

「うちの店、初めてですの?お客さん」 

 「あぁそうだよ。 この店はもう古いのかな?」

 「えぇ、古くてわたしみたいって?失礼ね。 
 私がここを引き継いでからもう8年程かな。
 こう見えてもね、元々ここは全国でも有名なホストクラブだったんですよ。
 昔は色々な有名人、芸能界から政治家までそうそうたるメンバーが
 こぞって訪れたらしいの。

 今では見る影もない、なんて事のないラウンジになってしまったけどね。
 時の流れをつくづく感じちゃうわよね。
 バブルの頃には建物を取り壊す話が あったらしいんだけど 
 昔のここのファンがお金を出し合って、 何とか残したんですって。
 今では買い手なんかとても見つからなくってさ。

 売るに売れなくなって持て余している状態なのよ、ここのオーナー。
 ある人に頼まれて、今は私が引き継いでやってるんだけどね・・・
 見てのとおりで鳴かず飛ばずでさ。

 アッすみません、お客さん。つまらない話で おかわり作ります?」  

 「あぁ 頼むよ。」


 
 そうこうしていると、パラパラッと客が入ってきて、店らしくなってきた。
 ホステスもママもそれぞれ客のもとに散っていき独りになるジョージ。

 遅い時間から賑わう店のようだ。自分のテーブルには誰もいなくなり
 しきりにママが気を使って、そばを通る時に声を掛けてくれる。 

 「ごめんなさい。ほったからしになって。 いつもはこんなんじゃないのに。」

 「いいんだよ。忙しくていいじゃないの。」  

 独りにしておいてくれる方が今は有り難い。

 うつろな目で何となく店内を見渡していると奥の方で見覚えのある今では
 まったく使われてなさそうなステージが設えてある。
 そして、その傍らには古ぼけたピアノが、ぽつんと置いてあった。

 くすぼって長年まともに使われていなかった様子だ。.  

 『まるで俺の分身のようだな』 

 すっかりと忘れていたが、ピアノだけは続けていた時期があった。
 色々な女達が教えたがり、見よう見まねで弾いていたが、
 自分は特別に筋がいいらしい。
 イタリアにしばらく住んだ頃、暇つぶしに本格的に教師について
 習っていた事もある。
 今まで人から何一つ教わった事がない人生だったが、ピアノだけは例外だった。 
 
 しかし、かれこれ10年以上は鍵盤などに触れた事がない。
 久しぶりのアルコールの力も手伝いふとその気になった。 

 「ママ。あそこにあるピアノは?」

 「昔から歴代のオーナーからずっとそこにあるの。ゲンかつぎで、
 調律だけは定期的にキッチリしているんだけど。勿体ないんだけどね。」

 『やはり俺がかつて弾いていた代物だな。』

 「ちょっと少しあれで遊ばしてくれないかい?」

  手にチップを握らせる。

 「いいですよ。少し待ってくれます?」

 女の子を呼び寄せ準備させる。

結構、酒が入っているがその気になると背筋が伸び、しゃんとなる。

「どうぞ。ご用意ができました。」  

   「ありがとう。」

ホステスがジョージのボトルなどのひと揃えを、キャスターの付いた
 ワゴンに移動させ、ピアノの近くに据えた。
 ロックグラスを片手に持ったジョージは、ピアノの前の椅子に構える。

 「ポローン・・・」

 調律の行き届いたピアノに、安心して軽く、スタンダードナンバーの
 ジャズでウォーミングアップを始めた。

突然始まった、ピアノの音色に機嫌よく酔っていた酔客達が気づきだす。

 「今日は珍しく何かのライブ演奏の日かい?」 

 「いや、初めてのお客さんなんですけど、少し弾かれるそうで。」 

 「なんだ、俺達のカラオケができないじゃないか。」

 「いやいや なかなかいいじゃないですか。たまにはしっとりした生演奏も。」   
 「俺のド演歌の伴奏でもお願いしような?」

 客達がざわめき始めるが、玄人以上のジョージのピアノ演奏に、
 店内全体が徐々に引き込まれていく。
 クラシックの様なジャズの様な 彼、独自の即興演奏だ。 

 流れるようなテンポから一転し、スロー、段々とドラマチックに
 変貌を遂げ大きな盛り上がりのうねりを見せていく。 優雅かつ大胆に。

 まるで、彼自身の数奇な人生、生まれついてのジゴロ。
 自分からは望んでもいないのに、稀な生き方を余儀なくされた。

 そんな彼自身 そのものを表現した様な演奏であった。
 合間にブランデイを舐めながら、静かかつ激しく演奏は続いている。

  何時の間にか、店にいる人間全体が聴き入ってしまっていた。・・・

客できているどこかの実業家然とした中年の女性が言い出した。

「ねぇ、ちょっとぉ。 あの人ってもしかしてジョージさんじゃないの?」

「そうだろ。俺も確かそうじゃないかと思ってたんだよ。」 

「やっぱりそぉ 懐かしいわぁ!昔と、全然変わらないじゃない。
 今でも格好好過ぎるわね、あの人。うれしいわ。」

 古株の遊び人達が色めき合いだした。

「私、昔、あの人に憧れてこの道に入ったのよ。そしたら何時の間にか
 いなくなっちゃってさ。 あちこちに大分探した事があるのよ。」 

「俺もそうだ。ジョージの後追いかけて、同じ格好していたっけな。
 中身がまったく違うと馬鹿にされながらね。 はっはっは。」


  隅で携帯をもったどこかのママが、仲間に報せていた。

 「本当なのよ。あのジョージが今ここの店でピアノ弾いてるのよ。
 うそじゃないんだてばぁ! 今からここに来る? 早く早く。」

 「あのジョージだよ。いつも話してただろ。おれがまだ駆け出しの頃、
 何度か見た伝説の男。 そいつが今いるんだよ。すぐ来い。わかったか。」

 思いがけずの大スターの目の前の、ピアノライブに酔いしれ、
 我に返ると仲間内に連絡を取り合いだした。当の本人は,
 まったく気がつかず、ただ目の前の鍵盤のみに集中していた。

 長い曲の合間の区切りに、我に帰り、額からの汗をハンカチで拭うと
 ここで少しの休憩にと、ワゴンに乗ったボトルからブランデイを
 自分のロックグラスに注ぎこむ。 
 煙草に火をつけて こちらからはほの暗い店内を何気なく見回すと、
 何時の間にか,店内が溢れんばかりの満員になっているのに息を呑んだ。 

 「ジョージ!」

 一人の女性の掛け声と共に、店内に響きわたる拍手と歓声が起きた。
 思いがけないギャラリーに驚いていると、昔に見覚えのある女が、
 マイクを片手に駈け寄って来て喋りだした。

「ご来店の皆さん、私達もお客様方も、まるで今宵は神様のご褒美の
  ような幸運に恵まれました。
  あの伝説の、私達みんなの憧れだったジョージさんと思いがけずに
  再会できるなんて。

  わたしは、かつてはここにいる彼に憧れてこの世界に入りました。
  いえ私だけではないでしょう。あの世代の女性みんながそうでした。
  なのに、あなたは何て罪深い人なんでしょうか。
  突然に目の前からいなくなってしまうんですもの。
 
  あれから一体何年経ったでしょうか。 今夜は夢のようです。
  あの時のジョージが今、間近にいるなんて。長い間貴方を待っていました。

  ジョージさん!一言皆さんに御あいさつをお願いします。」


  何が何やら解らなかったが、段々と物事が把握できた。
 店内をみると満員で中に入りきれない客や野次馬達までが、ドアの外に
 まで溢れている。
 見覚えのある、年は取っているが懐かしい顔ぶれが見え隠れしている。

 「皆さん、どうも有難うございます。少し いや大分私も年を
 とりましたが、 ジョージです。 お久し振りです。

 昔のままの、何もかもが、私をこんなに暖かく迎えてくれまして
 こんなうれしい事はない。
 今夜は、感無量です。 かつてのあの頃が今夜は甦ってきました。
 長い間ご無沙汰していましたが今宵はこの私に付き合ってもらいましょう。

 では、ちょっと、メドレーでやろうか?」 

「はい。では、ウナ・セラディ東京から。」

「それがいい。」 

 マイクを持っていたのはかつて一世を風靡した往年の女性歌手だった。
 
 盛大な拍手の後に、今ではお目にかからなくなって久しい大人の
 哀愁感、満載の イントロが始まった。
 それを皮切りに古きよき時代の、大人のムード歌謡のメドレーが続く。


 涙が止まらないママ連中や彼に憧れていたバーテン仲間達が、手を叩いて
 喜んでいる。 いい時代に、漂い、はぐれながらも生き抜いてきた
 夜の世界の仲間達。 それぞれに自分達の人生を、ジョージの生き様に、
 重ね合わせ暫しの、幸福に浸っている。

 連絡を受け駆けつけたマスターのT氏もその渦の中にいた。 


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                     
 
「へぇ・そんな事があったのか。なんだかドラマチックだなぁ。」

「あぁ やっぱりジョージさん最後まで格好よかったよ。」

 カウンター内のT氏の話を聞き入っていたH氏と8氏だ。

「生まれついてのジゴロかぁ。それからどうなったの?マスター。」

「いやね。僕もその時が最後でね。あれからは、それっきりなんだ。」

「又、女に棄てられて行き倒れになり、どうしようもなくなってるんじゃないの。」
 
 シニカルな意見を言いながら酒をあおる8氏。所作投げに佇むH氏。

「でもさぁ そんな人の事だから・・出来れば幸せになっていて欲しいな。」

「でももう今更きついんじゃない、年が年だけに。
 ジゴロの末路は厳しいんじゃないの。それも宿命なのさ。」

「何だか俺、むしょうに悲しくなってきたよ。」


「どうしているんだろうなぁ、ジョージさん。
 元気でいてくれればいいんだがなぁ。」

 H氏の溜め息を最後に、黙りこくってしまう真夜中での3人の店内だった。


 すっかりと夜の闇も深くなり、辺りには人もクルマも気配がほとんど
 感じられなくなった。
 静まり返った街中でひっそりとBAR“Rの店の灯りだけが佇んでいる。 

 イギリス製の独特なグリーンで塗られ、低くてロングボディのクラシックな
 2人乗りのスポーツカーが その店の手前でひそやかに止まった。
 キーを捻ってエンジンを切りドライビンググローブを脱ぐ運転席の女性。
 
  その傍らの助手席には初老の男が座っていた・・・ 終