オ・キ・ナ・ワ

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  その1
  珍し
くたて込んだ店内だった。 夜のまだ早い時間。 カウンター、テーブル席、
    共にほぼ客達で 埋まっている。  何時にな
くせわしなく働くマスターだ。 
      「マスターの働いてる姿なんて久しぶりに見たよ。」  
   常連客達が笑いながらひやかす。
      「珠にこんな時もなかったらね。」  グラスを磨き次のドリンクを作りながら、
   それとなく上機嫌でかわす。 カ
ップル、女性同士、サラリーマングループ、
    それぞれの客層で活気があり、いいざわめきが、店内全体を包んでいた。
  
     そのざわめきのホンのわずかな隙間に入口のドアーが開いた。

 
          「いらっしゃいませ。」
  
   すかさず声をかける。どんな忙しい時でも入口に立つ客人には注意を
    はらうマスターだ。 
    入口で入りかけてためらっている客に
 
   「どうぞ、どうぞ、奥のほうの席ひとつ空いてますよ。」
      奥から2番めのカウンター席が一つ空いていた。
   
    「いいのかな。」 「どうぞどうぞ」
  
   客達でごった返す店内を、掻き分け空いている席に客人は落ち着いた。
   左右の客は新しく加わった客の為、少し席をずらす。
  どんなに忙しくとも新しい客の注文をまず聞くのがマスターの習慣だ。


     小さいグラスに入った水を差し出し注文を聞く。 
    「どうぞ、なにか?」   「そうだなぁ冷酒もらおうか。」 
   「申し訳ありません。うちは日本酒扱ってないんでよ。」  
     「えぇ!・・。」


   その客の目付きが瞬時に変わった。その時になって、初めて気がついた。
  
    凶暴な野生動物を思わせる、人の心を一瞬にして、凍りつかせてしまう
   眼力、後から滲み出るふてぶてしいさをかいま見せる様子や仕草。
    取り立てて派手な所はひとつもないが、長年、アウトロー世界の中で
  しぶとく生き残ってきた、その筋の人間独特のオーラを放ち、その辺の
   にわかチンピラが決して真似の出来ない抜き差しならぬ、言葉ひとつで
  ガラっと豹変する重い緊張感を持続できる、昨日、今日の若い者が、
  何人いてもまったく頼りのかけらにもならないのを実感させられる筋金入り
  の、50前後の極道者だった。 1瞬でそれを気づかされた。
   短く刈った頭に長めのもみ上げまでが威圧感を与え、クロっぽいポロ
  セーターにパープルの透かしが不気味さを増している。
   
  こんな時に厄介な客を入れてしまった。まったく気づかなかった。
   慌ただしさで、知らずに入れてしまった。静かな冷静な時なら,丁重に
 、お断りしているはずだ。 後悔しても仕方がない。成るようになれ。か・・
 
    心の中ですばやく軌道修正をし、気持ちを取り直す。


  「それなら、じゃあビールでいいか。」 「はい、すみません。」
  生ビールのサーバーでグラスを液体で満たしながら、全体の客の顔色をそれと
  なくうかがう。 別に誰も今のところ誰も気にしては居ない様子。
  
   よかった。どうかこのままで、店内の空気が変わらず過ぎていって欲しい。
   心中で願いながら、そのヤクザ者に ビールを差し出す。
  「あぁ」なげやり気なあいづちと共に、差し出されたビールを一気に飲み干す
   と 間髪をあけずに、


   「あぁ、にいちゃんうまいわぁ。 今度はヘネコくれや。」


    ヘネコとはヘネシーというブランディの銘柄だ。
  
   「すみません。 うちはヘネシーは今、扱ってないんですぅ。
   他のブランディ でもいいですかね?
    
   「そうかい。ええよ、兄ちゃんにまかすわ。ロックでな。」   
    「はい。」 
     
    今のところは店内の雰囲気は変わらない。
   他の客達は自分達で和んでいる。このまま当り障りなくいけばいいが・・・
  
  おっと、となりにいつものヒロシ君が居た。 彼はまったく正反対の若者だ。 
 
   20代半ばの今時のノンキな男の子。 何か気に入ってくれて、ほぼ毎日     の様に顔を出してくれている。 学校を卒業してからイタリアンレストラン
   で暫くバイトをしていたが、最近転々とバイト先が変わっている様だ。
 
   そんな事でと説教じみた事を言うのも野暮だし、それより彼、独特の
   穏やかな人柄の良さがあり、せっかく気に入って来てくれているの
   だから居心地よく迎えてあげようと、いつもさりげなく気を使っている
   マスターだった。
         
        そのヒロシ君の隣に、・・・まさか。  
          


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 その2
   おっさん、カランだりしないだろうか?  
  ヒロシ君にいやな思いはさせたくない。 極道者がすっかり身に付いた
   中肉中背の男。やはり左手の小指がない。
  手の甲にご丁寧にタランチュラの刺青まで入っている。
   目立たぬ格好をしているがそれとなく見ていると滲み出る荒れた生活を
   重ねてきた風情がある。

「どうぞ」
   言われたとおりブランディのオンザロックスをだす。火に油を注ぐ思いだ。  


  

  「ありがとう。マスターもう帰るわ」  「あっこっちも」

   「ごちそうさまでした」 案の定、他の客がひきだした。

「ありがとうございました。」


  他の客達がほとんど帰ってしまい結局その2人と何人かだけが残った。

   草食動物達だけで、平和に過ごしていた所に、突然、のっそりと肉食獣が

   1頭現れたようなものか。

  『人生こんなもんか。』いつもの心の中の独り言を呟く。
 
   「飲み屋に来る客なんてね、来たい時に来て、帰りたい時、帰ってしまう。
   ただそれだけよ。そのわがまま代として飲み代を置いて帰るんだ。

だから,我々バーテンダーは自分の私情を店内に持ちこんだりしない方がいい
  いやむしろ絶対持ち込んだりしたらいけないよ、ここでの事はすべて幻想と
  割り切って、自分自身のリアルな事は、プライベートだけにすべきなんだ。」
 
   最近になって見習いだった頃に先輩に教わった事葉が甦ってくる。
  お互いまだまだ若かったが、あの頃の話が今になって真実味を帯びる。

  ダスターでカウンターとテーブルを拭き、客が残していったグラス類を片付け、   たんねんに洗う。

  洗い物は元々嫌いではない。案外楽しく気持ちのいいもんだ。むしろ他の客が
   居ない方がありがたい、こんな夜は。・・・


  これからの夜に備えて気分を変えようか。 客人達も今のところおとなしく
   飲んでいる。


 「うぅんなかなかうまいなぁ。このブランディ。やっぱり身のまわりは何でも
   イイモンに限るのぉ。おぉにいちゃん一人かい?」 「はい。」


     ヒロシ君が応える。「 あんた、まだ若いね。24てか。いいのう、若いのは。   オンナいや、彼女は?」


  ロックグラスを手に和みだした。 となりのヒロシ君に何か話し掛けている。
  彼はいつも通りのマイペースだ。暫くそっとしておこうか。

 
 「僕、今彼女いないんです。一人の方が気が楽だし、えっ名前はヒロシいいます。   こうやってマッタリと時間を過ごすのが好きなんですよ。」  


  「マッタリもハッタリもないけどな。そうかい、わしもな。あんた
ぐらいの時、
    もう随分昔になるがな。 たいがい粋がってたな、あの頃。・・・
  
今とは時代も何もかも変わってしまったけどなぁ。何かこう手応えちゅうか
   ガムシャラちゅうか、何にしろヤタケタな時代やったよ。
  おもろい事も随分あったな。 それも又ずいぶん昔の事になるがな。 
    しかし後から考えてみたら案外なんでもうまい具合にツジツマが合う
  と言うか治まるとこに治まるもんやのう・・・

    それは、そうと、まじめそうやなぁ、ヒロシ君は?」


  「そうでもないですよ。僕こう見えて結構ワルなんですよ。夜中、遊び歩い
   たりして。 えぇ兄弟は姉が一人います。もう嫁に行きましたけど、
   昔から口うるさくて、子供の時分から口では負けるでしょ。
 
  『これはだめ、もっとしっかりしなさい。男らしくしろ』とか。
   1度「男らしくってどうすればいいの?男らしいって何?」
  聞いた事がありました。そしたら、「チンチン付いてるあんたが考えろ。」     って。これだから女ってやりにくいですよね。」


 「そうだよな。確かにやりにくいよな女ってシロモノは。永遠のテーマよ、
 男にとって。 ヒロシ君、でもな。身内は大事にしろよ。
  いざっとなったら身内だぞ。兄弟だの兄貴だの普段ナンボ言ってても
 やっぱり血を分けた本当の実の身内が頼りになる。きれい事を言っても所詮
  他人は他人だ。実の身内にはかなわねぇよ。
 生きるも死ぬもここ一番という時は・・・え、なに、少し話しがオーバー
  過ぎる、そんな大層な?
 そうだな。すまん、すまん。
 
 兎に角な、気に掛けてくれる親御さんがいるっちゅうのはありがたい話だぞ。
  ・・ん・何?俺か。とっくにもうな。誰もな。ええのや、これで俺みたい
 なのが近くにおったら周りが迷惑するだけや。生涯孤独な1匹狼がええんや、
  群れて何かするのは性に合わん、弱虫のする事や。
    本当に強い奴ちゅうのは一人で何でも勝負するもんや。 
 
  大体他人をあてにするからあかんのや。本当にやる時は、一人に限るで。
   高倉健も鶴田浩二も1匹狼やからええねん。 
  あれがな、色々なしがらみに守られ、がんじがらめになっとったら何も絵に
   ならんわい。 えっ!僕そんなの知らない。何処の誰? ・・そやな。
 そら無理もないわな。世代のギヤップちゅうのんは仕方がないもんやからのう。  ほな、ヒロシ君にちょっとさわりだけ教えたる。
  にいやん、いや大将、 じゃなくて、マスターか、「男の誓い」入れてんか。 
   えぇない?なら「唐獅子牡丹」でええよ。なに、それもない・
 
 なんでやねん! なに,カラオケがない?そうか。何でも何にもない店やのう。
  そういや、さっきからマイクない思っとったんや。
 せっかくヒロシ君にこれから“男“を教えたろう思ったのに。まあ、ええわ、
  マスターおかわり、もらおうか。」

    
   店内は何時の間にかマスターを含め3人だけになっていやに静かだ。
      これからが本当のBAR時間の始まりの予感を感じさせる。         

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    その3
    


     ヒロシくんのBOURBOUNと渡世者のブランディをだす。


   「僕もこう見えてもがんばっているんですよ。でもなぜかみんなが認めて
   くれないんです。さっきも少し言いましたけど僕も男らしく強くなりたい。
    出来る事ならけんかのひとつも負けたくないし仕事も遊び、何でも
   いいから、みんなから1目置かれるようにと思ってます。
    だからと言って、弱いものは弱い。       


    いつもここ一番気弱になるのはどうしたらいいんですか?」
   真剣な顔になって隣の”男”に聞いた。黙って聞いていた口が開く。


  「よぉ聞いた。えらい。聞くは1時の恥じ、知らぬは1生の恥言うてな。
    ヒロシ君の潔さに顔立ててキッチリわしが教えたる。ええか、ヒロシ君。
  よう、聞くんやで。男たるものはな、生まれた時からショーブや。判るか?」      
    「ショーブ?ですか。」           


     「そう そう、加太にある遊歩道が付いた・見頃はたしか5月の・・・

  違う。何言うとんねん。それは菖蒲や。花の。 わしがさっきから言うてん
  のは勝負。 勝ち負けや。  


   男と生まれた時からすでに始まってるんや。色々細かい事があるけどな。

  結局、男はそこに突き当たる。」
 
   「男は突き当たるんですか? それでどうなるんですかね?」


  「なにぃ?それでどうなんの・・ なにを野暮な事聞いてるんや!
    勝たんかい! とにかく勝つんや。負けたら男やない。
  男やったら絶対に負けたらあかんぞ。なにがあってもどんな事があってもな。

   
   何?勝ってどうすんの?  野暮な事聞くなぁ、この子は。
  次の勝負に行くに決まってるやないけ。そこで又、男の勝負が始まるんや。
   逃げたらあかんで。よう聞いとくんやで。ここで逃げたら男やないで。

  歯を食いしばって勝負に出るンや。死に物狂いでな。
     それでな、なんとか、かろうじて勝つやろ、とりあえず。
   又な、今度の相手は手ごわい、・・・え?、これはいつまで続く?
  こんな状態はどこまで行く・・・これはいつまでもつづくんや。
      男の道は険しいからのぅ。ゴク!」
  飲みかけていたブランディを飲み干すと力が入った手でグラスをカウンター
   に音を立てて置いた。
 
   それまでじっと
黙って聞いていたヒロシが突然しゃべりだした。


  「僕、よくよく考えてみたら、元々勝ったり負けたりするのって僕の個性
  じゃないって言うか、キャラじゃない。 あんまり好きやないんです。
   どっちか言うたらだめなんです。 子供の時からそうなんです。
  トランプでも、人生ゲームでも、かけっこもそうでした。

  誰かと何かを争って自分と優劣をとりきめるなんか。僕にはむいていない。
   それよりも、その日1日、1日みんなが和めてだれもがもっと幸せに
  それぞれが、本当に望む事が出来たらもっといいのになぁと思いたいんです。
 
   今まで、人を傷つけてきて何か良い事がありましたか?
  人を泣かせたり迷惑をかけてうれしい、面白かったですか?
   人を傷つけて自分の傷が治りましたか?
   どうも僕は、納得いかないなぁ。マスターおかわり。」

    

やれ、やれ。今日は又変な夜になってきたもんだ。
  でも案外この2人、ある意味話がはずんでいるようだ。そっとしておいて、
  しばらく様子を見たほうが面白そうだ。今宵の成果は別の意味でありそうだ。
   もう少し焚き付けてやっても良しか。


  「どうぞ。ヒロシ君、今日なかなか調子いいじゃない。
     こちらお代わりいいかが?」
  「おぅわしも、もう1杯貰おうか。ちょぅと、その前にシッコーユーヨ。」
  
    素直に笑えないギャグを残し、小ぶりのボストンバッグを持ち上機嫌で
  トイレにたつヤクザ者。
   いつになく元気なヒロシ君。
  
  「マスター。今度僕が書いたイラスト見てもらえませんか?
  原付で少し足を伸ばして秋の花をスケッチして来たんです。自分流にアレンジ
   したポスターカラーで仕上げました。 少し時間がかかったけど結構気に
  入ってるんです。もしマスターさえよろしければ?」

  「へぇヒロシくんは本当に繊細だね。僕でよければ喜んで見せてもらうし、
   何だったら店に飾らせてもらってもいいよ。」
 
  「本当ですか。うれしいなぁ、それならもう1度じっくり仕上げようかな。」


  「それより、大丈夫?隣の人。」
  「ハイ、なんだか知らないけど僕とはタイプが違うみたいですね。
   組の人でしょうか? なんだか気の毒そうなおじさんですね。」
  「ヒロシ君、こわくないの?」
  「僕はタイプの違う人は全然こわくないんです。 なぜか。」 
  「そんなもんかね。」  
  「案外いい人かもしれませんし。」


   
    夜も更けてきていい時間になってきている。中年男がトイレから帰ってきた。
   少し時間がかかっている。 酔いも程よくまわり気分も落ち着いた頃か。


  「あぁさっぱりした。今日は不思議な1日、久しぶりな気分だな。
   マスターも1杯飲んでくれよ。高い酒おごらせてくれ。 ヒロシ君も1緒や。
  今日はわしに任せてじゃんじゃんいってくれ。・・・
 
  いやな、俺は物心ついた時から極道者よ。きっかけはもう忘れたけど、
   たぶんケンカの仕返しをしてくれた、あの時の兄貴の恩返しからか・・・
  今さらこの道入ったきっかけなんかどうでもいいか。過ぎた事なんだから。
   しかしな、この年になるとこれから先の事より今までの事を思う時間が多く
  なっての。 さっき言ってた帳尻って言う奴・・・

  今頃になって響いてくるのよ帳尻が・・誤解されたら困るけど、弱気になっ
   たんと違うで。 そらな、わし等の世界は世間様、一般とは違う。
  普通にはいかん。当たり前の話や。それなりのスジってもんが付いて回る
   からの。
    白いもんでもむりやり黒にねじ込んでくる世界やからの。
 
   そやけどな、なにも弱いもんや困っている人をただ踏みにじりたくて
    こんな世界にわしも入ったんやないで。 どっちかと言うとまるっきり
   正反対や。 それこそ健さんや鶴田さんの世界にずぅと憧れてたんや。
 
   判ってはいるけど何でもきれいにいかんのが何処の世界も1緒の事や。
    えげつない事も平気な顔でしてきたで。塀の向こうも自分から入った
   事もあるよ。 むしろハクがつくからのぉこの世界。 せやけどな、
    えぇ事もしてきたで。少なくともわしはそう信じてやってきた。」


     とつとつと語りだしたなこの親父。 何かさっきまでと様子が違う気が
   するのはヒロシ君も1緒か。無表情に黙って聞いているヒロシ君。


  「僕よりはるかに人生の先輩だし、お父さんくらいでしょ。おそらく。
   僕みたいなのがこんな事を聞くのも何なんですが、今、幸せですか?
   アーユーハッピー」

  「ちょっとヒロシ君、そんな事こちらに失礼やで。」


  「いや、マスターえぇねん。この子はな、素直で正直なんでええわ。
   新鮮や、わしの廻りにはおらんタイプや。普通やったらしゃらくさい事
  ぬかすなと一喝するとこやけど、この子に言われたらなんか知らんけど
   スーで聞けるわ。 何?今、幸せか、てかい。何かな。ウン10年前
  おやじと盃交わした時以来の気持ちになってきたよ。」


   何の事やら。ヒロシ君のBOURBONを作りながらマスターも段々と
  リラックスしてきた。


   「お客さん、なんか顔の感じが変わってきましたね。」
  
  「そうか、判るか。今、自分でも不思議なくらい清々しい気持ちなんや。
   今日もあれこれあってな。今これからもあるんやけど、今まで何かずぅと
  胸にあった迷いちゅうか、しこりがやっとが取れた気分やで。・・
 
  いやな、わしもこの先、何年生きていけるかわからんしでや、
   どっち道、何百年も生きられへん、何百年どころか明日の命もわからん
   この家業や。・・・
  それやったら残ったわしのこの命、ちょっとは、ましに使こたろかい思うての。
   今、さっき決心ついたとこなんや。」 

   ぷるる、ぷるる、その客の携帯が鳴りすこし間を置き相手に話し掛ける

  


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その4

  
  「おぉそうか。ええわ、ご苦労さん、それで ・・・入ってこいや、
   ええねん。ええから気にせんと入ってこいや。」プツン

   マスターちょっとうちの若いの来るけど気にせんといてや。」
  「いいですけど・・・」
   ヒロシ君は淡々と飲んでいる。珠に遠くを見るようなまなざしをし
  本当に穏やかな男だ。


   カラン・カランドアに取り付けられた鐘が鳴り勢いよく入口のドアが
  開く。

   片目をタオルで抑えた若者が入ってきた。タオルから血が滲んでいる。
  「オジキ、ええんですか?こんなとこで。」
   
   坊主頭の2人目のヤクザ者登場。 なにやらひと悶着あった様子だ。


  「すんまへんなマスター。こいつにも同じの作ってんか。ごくろうやったな
  シゲ。 まぁ、お前も酒でも飲んで落ち着け。」
   着たばかりの若い極道モンに同じのを出し様子を見るマスター。
   そのまま格闘技に出れそうな顔も体格も”武器”か”凶器”を思わす
  風体の若いモン。
   鬼瓦を思わせる顔の額が、少し腫れている。たいした事でもなさそうた。
  「お疲れやったな。まずはカンパイ。」 
「すんません。いただきます。」

    ・・・「グビッ。うまいわぁほっとしますな。それにしても、
  オジキ後どれくらいわしらこんな事せなあかんのか知らんけど、今日の所は
   まずこれで一安心ですわ。 これ先に渡しときます。」
  カウンターの下から小ぶりのボストンバックを中年ヤクザに渡す。
    「おっごくろうさんやな。」


  「すみません、僕、何もよく知らんと安易にこちらに幸せですか?なんて、
  調子に乗って・・ 許してください。いつも僕お酒入ったら失敗してしまう
   んです。・・・
   でも、決して悪気はないんです。自分が何かこう気分がよくなってきたら、
  廻りの人達も、もっと幸せならいいのにと、気を使うと言うか必要以上に
   気になってしまうんですよ。 だから気にせんといてくださいね。」
  赤い顔をしたヒロシ君が話し掛ける。

 
   来たばかりのシゲが、忙しなく一気に2杯目の水割りを飲み干すと
  音を立ててグラスを置き席を立つと額を抑えていたタオルをヒロシ君に投げ
  つけ一気に捲くし立てた。

   「なにをごちゃごちゃぬかしトンねん、このぼけが! このオジキ誰やと
  思てんのや。向こう行かんといてまうぞ。コラッ」
   鬼瓦のようなのが、本当のに鬼瓦に変身した。こんな姿を見せられたら、
  どんな奴でも、ビビッテしまうだろう。
  
   「シゲっ!黙まっとらんかい。 静かにせぇ。ここはな、カタギの人の
  店やど。迷惑掛けるような事すな。 ヒロシ君すまんな。気にせんといてや。
   ちょっとワシらの事で色々遭ってな。 こいつ今、気ぃたっとんねん。
  別に悪人やないよって仲ようしたってや。シゲ、あやまれ。」
  
  「すんません。ヒロシさん。許してください。謝ります。」
 
  「良いんです。僕の方こそ調子に乗って。 シゲさんですか?よろしく
   僕ヒロシいいます。おいくつですか?」
  「わい、今年で24なります。」 「シゲさん、僕も一緒や。同窓生やな。」
    「そうか。お前らは同窓生か。乾杯せんかい。」 
  「始めましてシゲです。」 「ヒロシですよろしく。」
    カチーン。2人は仲良く乾杯をする。


  「マスターそろそろ看板にせんかい? もし何やったらワシここから全部
  もたせてもらうし。 表の電気もう消せへんか?」
  
  ぼちぼち時間だしマスターも、そろそろと、思っていた。
  それにこんな時おとなしい普通の客が紛れ込んだら誤解を招く。
  「じゃあ表の電気消しますわ。」 「それがええわ、たのむで。」

   店内だけの灯りになりこれである意味落ち着ける。 
  3人はなぜかそれぞれに和みだした。 しかし相手2人はヤクザ者だ。
   完全には気を許せない。 話の流れでどう転ぶかわからないのがそっちの
  人達だ。 暫く1時間ほどおとなしく経過した頃だった。
    待ちかねた様にシゲが切り出す。


   「じゃオジキ、そろそろブツ持って仕事いきましょか?」
    
  「ブツはもうないぞ。シゲ。」「えぇ〜!・・オジキ、どういう事ですか?」
   
                厳ついシゲの顔色が、一変した。             


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   その5

   「ホンマにブツもオブツもないぞ。」 
  「なにをオジキ、冗談言うてますのん、はよ行って仕事済ませましょな。」
   「いや、ないったらないねん。ほんまにないねん。さっきな、お前来る
   前になトイレ行った時、全部流してしもたったんや。あぁすっとしたわ。」
  「オジキ、あほな事ばっかりいうてたらあきまへんで。今日ノンがこの何年間
   で一番の大きなヤマやったよってわしちょっと揉めたんでッせ。ほんで
   この眼腫れてまんねん。 その代わり相手ボコボコにしたったけどな。
   『じゃかわしワイこのガキ。オジキの言う事、聞いとったら間違いないん
  じゃこのボケ!』言うてヤキいれてきたんですけどそれって間違いでしたか?」


   オジキは、グラスに入ったロックを一ッ気に飲み干し、溜め息を、一息
   つくと、悟ったような顔つきで話し出した。
 
  「シゲ、お前にも今まで、いろいろと世話になったな。 お前の事はずっと
   自分の息子みたいに思ってきたよ。初めてうちの組に来た時もこいつは
  見所がある、1本気な男で、信用できるとオヤジと眼かけてきたつもりや。
   
   若いときの自分見てるみたいに思ってきたよ。・・でもな、長い事この
  世界にいるとな。色々と考える事あってな。 お前も、知ってるやろうけど
   フに落ちん事ばっかりやろ。 こんな事でええんかい。 ちがうやろ。
  何でみんなだまっとンねん。とな、今までそんな思いばっかりや。
 
   健さんや鶴田さんなんか何処にもおらへん。 金子信夫か、成田三樹夫
  ばっかりやろ。ええとこ辰夫やろ。わしあいつどうも前からすかんねん。
   特にこの何年間はそんな思いに拍車がかかってしもた。俺もおかしい思い
  ながら来たけどそんな事も今度はシゲ、お前にまでバトンタッチや。
   
   そんな事でええわけない。 いつまでたっても善くならへんでぇ。
  この世界におって良くしていこういうもの矛盾した話やけどな。それでないと
   長い事この世界で生きてきたわしの顔が立たんのじゃい!
  
   誰に向かっての顔やないで。ワシ自身に対してや。この金の事でもそうや。
   シャブやろ。そらええ金儲けやで。あんな、白い粉細かく分けてやな、
   こっちからあっちへ持って行くだけで考えてみたらぼろい儲け話やで。 
   そらな、わしらにもシノギちゅうもんがあるから、きれい事ばっかり言う
   てられん。なんか食いプチが要るのは判ってる。
     そやけどな。それがシャブてか?それでメシ食えてか?
  
   シゃブはな、人間、骨抜きのぼろぼろにしてしまうで。人も国も。
   笑い事やあらへんど、本人も周りもみんなをまとめて不幸にしてしまう。
   しまいに国単位で、カスカスのホケホケにしてしもてや。
      そんな事がわしらの生きる道やったんか 
    女はまだましや。
   アホなおっさんとヌケたおなごとのかけあわしだけやからの。
   どっちもどっちでまだ救いはある。馬鹿とアホの絡み合いや。なんや云う
   ても人類最古の商売やし。 ・・・そやけどやっぱりシャブはあかん。
    シャブシャブはうまいけどな。」


   真っ赤な顔をして黙って聞いていたシゲだったが、口火を切る。
 
   「オジキ、ヤキまわったんですか? もう年で弱気になったんちゃい
   まっか?今頃になってそんな臆病風にビビッテしもたんでっか?・・・ 
  
   これからやないですか?  わしら一旗もふた旗も挙げるのは。
    あきまへんで。情けない。   第一みんなに示しが付きまへんがな。
   もっとがんばってこれからも男磨いていこやないですか。
    弱気になったらあきまへんで、オジキ。」

   「シゲもうそんなんはええねん。 ワシはなお前の倍ほど生きてきてる。
   お前の両親がええ事してる時から、こんな暮らし、同じ事ばあ〜っかり
    やってきてんねん、アホみたいに。 
 
    しかしな、ええ夢見ても朝起きたらちびってばっかりの繰り返しや。 
   なんとかなる。 いつかやったる、そうずっと自分に言い聞かしてきた
    その結果が、今のこのワイの姿なんや。シゲ!お前も今、目覚ませ。
  
    その為にワシが、これから男ハッたる言うてんねん!」

      「これから?オジキどうするつもり,なにをする気ですか?」
  


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    その6 
                      

  


    静かだがすべてをフッキってしまった表情のオジキと青筋を立て慌てて
  いるシゲが対照的だ。まだ信じられないシゲはオジキの真意を追求する。

  「これから一体なにをするつもりなんですか? カタギになるんですか?
   今更無理ですよ。 余計危ない事に成りますよ。」

  「アホッ誰がカタギに成る言うた? マタギにしてもごめんやで。
  ワシは死ぬまで渡世人や。ただし、アホな上の顔色ばっかり気にして
   犬みたいにお伺い立てたり、みすみす泣き見る人間判っておとしめたり、
  もうそんなクズみたいな情けないヤクザもんとは金輪際おさらばするんや。


  これからは自分が納得いく本当の任侠の世界の博徒を目指す。・・
   シゲ!お前はな、その金有るやろ。まとまった金額や。それだけあったら
  ちょっとした巻き返しができる。お前それ持ってこれからオキナワヘ行け。
   あそこならワシらの顔ささん筈や。 もしめんどくさかったら那覇の
  大内の親分さんトコ行ったら安生してくれるけどそんな事せんでも心もち
   ひとつでお前やったらすぐカタギになれる。
  
   向こうでな、ダイビングだかマリンコングやのさわやかな潮風の似合う
   まっとうな仕事をせえ。 なに?背中にモンモン残ってる?裸になったら
  これから差し障りある?お前まだ途中やろ。まだ、ほとんど白黒の工事中の
   やりかけで、ほとんど南米の地上絵みたいなもんやないけ。
  その辺アレンジしてもろてな、今時のなんちゅうんや?タットウか
   タツノオトシゴか・・
  ええからうまいことして誤魔化してもらえ。可愛い今風の図案あるんと
   ちゃうか。今時の彫り士は器用やからのう。言うとくけど古臭いのは
  やめとけよ。さわやかでみずみずしいお魚ちゃんかイルカやオルカの図案
   や色々あるんとちゃうか。
  
  とにかくな、シゲ!向こうでヤクザのアクをきれいさっぱりと落とせ。
   カタギの男として一から真っ当に出直すんや。今やったらまだ間に合う。
  後の事は何にも心配すな。 わしがキッチリけじめ取ったる。」


  シゲの顔つきも変わってきている。ケンのある所がとれ真っ当な何かに打ち
   こんでいるスポーツ選手を思わせる顔つきに変わってきた。

  「オジキいや、山村さんはこれからホンマにどうするつもりなんですか?」
 
   「フフいつかこんな時もいつか来ると思ってな。ダイナマイトと手榴弾
  ワシ持ってんねん。色々と段取り考えてな。さっき決心ついたとこや。
  トイレで流したシャブな、あれ浜田組に襲撃されて奪われた事にしてな、
  シゲ、お前あいつらに生コン詰めにされたことにワシしとくからな。
   築港の海の底にいった、そのつもりでな。」
 
  「そら、山村さんよろしいけど、わし、ビミョーにかっこ悪いでんな。」
  
  「お前の気持ちもわかるけどそうしといた方が丸くおさまるネン。
  そやからな前からうるさい浜田んとこに悪い事すべてなすりつけたんねん。
  あいつらお前も知ってるやろうけどエゲツナイヤろ。 渡世人としての
   義理も人情もまったくないのは差し引いたっても極道モン、人間として
   の風上にも置けん。関係のない堅気の人達にも迷惑ばっかりかけよる。
  わしが言うんやからまちがいないわい。
   あいつら跡形もないくらいに木っ端微塵につぶしたんねん。
  今までに貯めこんだあるだけの爆弾持っていくわ。
   わし一人で十分や。 こんな仕事がワシにはうってつけや。」
 
  「山村さん、そら無茶苦茶や。こんな無茶な話今まで聞いたことないわ。
  ほな山村さん、死ぬ気でッか?」
  「あほ。死んだら元も子もないやないか。今更、死ぬのが怖くない言うたら
  うそになる。若い時より今のほうがよっぽど怖いのが本音や。こんな事は
   年とったから薄まるモンでもない。 むしろ却って怖くなる。

   死ぬのが怖いのは今までで今が絶頂や。そやから今やるんや。
  命がそんなに軽いモンでもないのが熟視できてる今やから意味があんねん。
  
  ふと、さっき気付いたけどここ何年間か無意識にワシは死に場所を探して
   彷徨っていたのかも知れんな。」


  ただの酒の勢いでもなさそうだ。 男2人、飲むほどに冷静になり
   落ち着いている。しばし時間が流れ嵐の前の静けさを感じたときだった。


  「あのう、何か僕にお手伝いさせてもらえませんか?」            
 
  


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     その7
                   
 

  唐突にヒロシ君が切り出した。
      「・・・!」「・・・・?」
 「僕、山村さんや、シゲさん、皆さんのお役に立てそうなんです。」
  「ヒロシ君何をいいだすんや。あんたが考える事やないよ。」
  「素人さんを巻き込むつもりはないな。」
  思わずほくそ笑むオジキ。

    

 「訳のわからんことに首突っ込まん方がいいよ。 堅気のわれわれは。」
  マスターも思わず口をはさむ。これまでの話だけでもわれわれ一般人には
  インパクトがきついがここでヒロシ君の登場はあまりにも意外すぎる。
  
  「僕の話だけでも聞いてもらえませんか?」


   「一体、どういう事かな?」
   ヒロシ君のあまりの勢いに耳をかす事にする1同。
  
  「いや、実は僕、今まで誰にも言ったことないんだけど、火薬や爆弾に
  ちょっとくわしいんです。子供の時からなんだか興味があって今もずっと
   勉強しているんです。友達と情報交換したりして色んなキットも持ってます。       
   だから、こんな時にこそみんなのお役に立てそうなんです。
  多分山村さんの持っている程度ならちょっとした仕込みさえ上手くやれば
   少々のものなら跡形もないぐらい吹っ飛ばせますよ。 3階建てのビル
  程度なら楽勝かな。ぜひ!やりましょうよ。
  僕にお手伝いさせてください。必ず、みんなの期待にこたえて見せます。」

  「ヒロシ君、自分で何を言ってるのかわかってるの? ヤクザやさん同士の
   トラブルよ。それも半端じゃなく。」
 
  「今まで、隣ですべてのお話を聞かせてもらって事情は全部わかってます。
  だからこそ言ってるんですよ。実はこんな機会にめぐり合えて信じられない
   くらい幸せを感じているんです。僕の人生の転機を感じるんです。
      今こそやりましょう。   僕にやらせてください。」


   1同静まって聞いている。みんながみんな戸惑っている。
   ヒロシ君だけがハイになって何時になくはしゃいでいる。
  
   じぃっとヒロシくんの目を見つめていた山村はシゲに向き直る。
 
  「とにかくもう時間がない。シゲお前はそれ持って早く逃げろ。オキナワやで。
  どんな手段使ってでもでもいいからそこまで行け。 泳いででも行け。
   ワシも後から追いかける。そやけどあてにはすんな。
  お前はそれで向こういったら堅気になってまともになって目一杯働け。
  ええか!
  くさった事はもう考えるなよ。2度とヤクザにはなるな。判ったらもう行け。」

  「オジキ、わし、オジキの心よう判りました。とにかく行きます。
  行ってオジキの来てくれるの何時までも待ってます。だから・・・
    だからくれぐれも生きていてくださいね。俺は行きますよ。」

  肝の据わった顔でボストンバッグを持ってシゲは出て行った。
  おそらく約束どおりオキナワで堅気になれるだろう。シゲならできるはずだ。


    残った男2人。マスター一人。薄暗い店内で具体的な話がはじまっていた。・・・

                      


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    最終回


   時は流れた。どれくらいかと言えば生まれたての赤子が大学生活を
  終える程度。1口に20年以上と言っても自分1人ではまだ何も出来ない
   小さな命が一通り自力で出来る力が備わるまでの時間。
   だから値打ちはある。 それくらい時間の経過した舞台はオキナワ。

  南国特有の青い空に南風。開放感に満ち溢れている広い海にヤシの木群。
   ここでは少々の事も許してしまえるおおらかさがある。
  若者達で賑わうビーチ。 風にそよぐサトウキビ畑。眩しく照り返す日差し。

  過去の数々の悲しい出来事や重苦しい人間関係もコントラストのはっきりと
   した光と影、そしてスコール、漂う甘い南風、年に何度かの激しい風雨。
  それらのゆったりとしたリズムによって何もかも風化させてくれるやさしさ
   がここにはある。

  メインの人気スポットから少しはずれ落ち着いた大人のリゾートを思わせる、
   かつてこの国がまだ残り少ないプライドというものをかろうじてまだ
  保っていた頃、各国の要人を招きサミットを開いたというリゾートホテルの
   野外テラスだった。午前から午後に差し掛かるその日1日の可能性を秘めた
  心地よい時間。 宿泊客達のバイキング形式の朝食時間が済み遅くまで
   和んでいた客達もそろそろと引き上げだし、それを待っていた従業員達が
  後かた付けをはじめている。その光景をとっても都会のせわしなさはまるで
   なく、やはりみんなが南国独特の穏やかな働きぶりだった。
  そこを任されているフロアーマネージャーも地元の男であろう。一応、
   ホテルマンだが南国の人間の素朴さが滲み出ている。各従業員達に指示を
  与えているが、鼻歌や口笛が何処からか常に聞こえのどかなムードが
   そのロケーションにマッチしていた。


  そのトロピカルな空気の中にまったくそぐわない1テーブルがあった。


   中年男と若い男2人。『お客様早くそこをそろそろ片付けさせて下さい。』
  と気軽に言えない空気が漂っている。見るからに内地からきた渡世人達だ。


  「オジキ、やっぱりいいもんですな、オキナワは。 浮世のゴタゴタが
  うその様でッせ。」  
  「ほんまですわ。老後はここがうってつけですね。」
     「そうだな。」
  よく手入れされたガーデニングを見るともなく見ている初老の男。
   見るからにの押し出しはないが長年培ってきたであろう抑えた貫禄で
  鈍いオ−ラを放ち一緒にいる血気盛んな若者2人を圧倒し、しきりに気を
   使わせている。
      よほどのその世界の実力者だろうかと想像させられる。


  「今回突然オジキが一緒に来てくれはる言わはったんで驚きましたわ。
   これくらいの仕事やったら、おれらだけで十分やのに。」
  「そうですわ。向こうさんもえらい気ィつこてはりましたな。オジキ、
   何かここオキナワに他に用事でもあるんとちゃいますか?」
  「いや何もない。ただゆっくりしたかっただけよ。」

  浮世離れした3人の男がその世界の空気を放っているが南風に吹かれ
   緩和されている。ここが都会の一角なら違ったものになろう。 
  ホテル専属のガーデニングの庭師達が水をやったり枝を手入れしたりと
   のんびりした光景だ。麦藁帽子を被りタオルで顔を覆い軍手をはめ
   強い陽射しから守っている。流れる汗を流し賢明に仕事をしている。
    こちらも中年男1人・若者2人。

  年かさが若者達に指示し和やかな仕事風景だ・・・
  
  なにげなくそれを眺めていた中年のヤクザモンの目が一瞬鋭い視線に変わる。


  「おい、お前ら、これでどっか気晴らしでも行ってこいや。」
    分厚いクロコの札入れをテーブルにほうる。 

  「オジキ、どうしたんですか?何か、わたしら気にでも障ったんでっか」

   
  「何もない。ワシちょっと1人でこの辺散歩するよって、夕方ロビーでな。」


   プイッと立ち上がり1人、海にむかう遊歩道の入口へと歩く。

   「すんまへん。ほなわしらこれで。」「オジキ失礼します。」
    ピリピリする若者2人はホッとした顔でホテルの館内へと歩く。
 
  「ようわからんな。オジキは。」
   「そやな、あの人は昔から何考えてるかわかりにくい人やな。
  まっおれら、夕方までビーチへ行って女の子の水着でも見てようや。」
   「それがええわ。」・・・

   
  麻の濃いベージュのスーツを着込み手ぶらで遊歩道を進む中年ヤクザ。
   濃いミラーのサングラスが強烈な陽ざしを跳ね返す。
  もくもくと作業を続けてる中年庭師に近づくとしばらく横顔を凝視し、
   スッとそばに近よると、汗ばんだたくましい肩に手を掛ける。
  フイを突かれた庭師は思わず声をかける。 

  「お客さん申し訳ありません。この時間どうしても手をかけんとだめでして、
  もう少しお待ちいただけますか?」 
    中年男が2人、正面から向き合う形になった。


  「シゲさん。久しぶり、おれだよ。」サングラスを取りヒロシは顔を見せる。
  20年以上経ち、陽に焼けすっかり南国に染まりたくましくなっているシゲ。
   
 
  「あの時の、ヒロシ君かい?・・こいつはおどろいたな。 久しぶりだなぁ。
   よくわかったな。何で又こんな所に?」
   
  持っていたクワを置き、近くにいる同僚の若者に目で合図をし向こうに
   いかす。玉のように労働で流れ出た汗をタオルでぬぐい改めて信じられない
  来訪者と向き合うシゲだった。
   長い時間の経過と共にすっかりと変わってしまったヒロシだが一瞬、
   あの時の面影を垣間見せる。

  「判ってくれたかい、シゲさん。遭えてうれしいよ。色々と事情があってな。
   あの時の山村さんの事がきっかけで、この道に入ってどっぷりよ。
   人生って判らんもんだな。今じゃ悪名が広がってしまって泣く子も黙る
    この世界ではちょっとした顔になってしもた。
  
  え、あぁ山村さんは死んでしもた。あの時俺が止めるのも聞かずに体中に
   ダイナマイト巻きつけてな・・エェ死に様やった。わからんもんや。
  何も知らん弱虫だったこのおれが今いっぱしのこれやもの。」
  
   自分のほほを人差し指でなぞる。

 
  「そうか。ほんまにわからんもんや。俺と入れ違いになったんやな。
   山村さんには本当にお世話になった。言葉では言いあらわせんくらいや。
  あの人のおかげで今こうやって堅気で真っ当な生活させてもらっている。
   ずっと待ってたけどそんな気がしていたんや。
  あの人の事は1日とて忘れた事はなかったよ。」
  
  「あの時な、時間も余りなかったけど相手の組事務所飛ばしたったんや。
   ホンマに跡形もなくとはあの事やで。気持ちよかったわ。あの店のマスター
  おったやろ。何に火がついたんか、自分も連れて行け言い出してな。
   止めるの難儀したんやで。フ・フ、フ」

  「 そうかそうか。積もる話もあるしでな。しばらくこっちいるんやろ?
  今晩うまいオキナワ料理食べながら泡盛でも飲もか。
    そういやヒロシ君バーボン強かったな」


  「そやな。ほなフロントに言うて夕方にでも出直すわ。それでいいやろ。」
  「たのしみや。今夜は久しぶりに旨い酒飲めそうやな。」
    「じゃ後で。」「じゃあな。」


  2人は懐かしい再会の後再びの再会の約束をし左右に分かれる。
   晴れ晴れとしたすがすがしい顔のヒロシだ。もうこれで心残りはない。
  
  『あの時の山村さんが言っていた帳尻が合うとはこのことだったのか。』

   まっすぐと海岸線に向かって1人進む。


  ・・・緑に揺れる遊歩道を1人歩く。夏の陽射しに熱帯の植物群がたくましい。  
  まばらな人影を徐々に抜けると
      まぶしすぎるオ・キ・ナ・ワ・の海岸線に出た。
   
  白くキラキラと輝く星の砂と照りつける太陽。風に揺れる鮮やかなパラソル。
   真っ青なプライベートビーチには人っ子一人いない。
  
  満足げな表情のヒロシの麻のジャケットの下の素肌には大量の爆弾が
  仕込まれていた。 手には最後の一本の煙草とライター
     「これでええんや。これでのう。」
   
       独り言を呟いたヒロシに南風があいずちをうつ。


                        完