シネマ毒談義   
   ロザリン日誌に戻ります

 


  シネマ毒談議 白鯨編

   
  昨今は、手応えも歯ごたえも無く、おまけに足元が、おぼつかないとでも言いますか、
  なんとも頼りない世の中 でございますな。・・
  
えっ。お前さんは、一体誰だと。いやぁ名乗るほどの者ではございません。
  只の40半ばの普通のおっさん、 和歌山のお
いやんです

  ハイ。休日はパチンコ行ったり、部屋でプラモデルを作ったりが今のあたしのささやかな
  楽しみでして。・・・なにもこんな面白くも何とも無いおっさんに、急になった訳でもありませんよ。
  このあたしにも遠い昔、青春時代ってものがありました。

 
        
あれは森田公一の歌でもあった頃だったかなぁ・・

  夏休みに、北海道なんかを旅行しましてね。やれ、宗谷岬、この向こうは、もう異国なんだとか
 、知床の辺りで 北方領土返せ、とか、色々廻ったもんです。         

  ユースホステルで、若者どうし集まって話し込みました。 
  夜のミーティングなんかで吉田拓郎の『落葉』をみんなで合唱したもんです。

  
 
『しぼったばかりの、夕陽の赤が・・・この国ときたらぁ賭けるものなどないさぁ 
 だから こうしてぇ漂うだけぇ・・』

 
 「おっさんはいやだな。賭けるものぐらい自分で見つけろよ。国のせいにするのじゃなくて。
 これだから中年は いやなんだよ。」 そんな事を思っていました。 
 それが今ではその中年は、はい、このわたしです。なんてうそ みたいな、ばかばかしい話でございまして。 えっ
    前置きはいいから早く次の話へ行けと。 はい、はい。

        なに。映画の案内をこのあたしに・・? 

 弱りましたな、何かありましたかね?ちょっと待ってくださいよ。 えーと、あーと。 
 有りました! 有り ましたとも。遠い昔、このあたしが血沸き肉踊ったのが。 ぜひ皆さんに紹介しましょうか

 それはあたしが、小学生頃でして。淀川おじさんの解説と共に、親父の背中越しに観たもんです。 
  
   そのタイトル、ずばり 『白鯨』。

 有名な小説の映画化でして、子供心に強烈でした。・・

 あたしゃそれを観てからというもの、1週間は夢の中でうなされました。ハイ。
  ある時は、捕鯨船の、高い高い見張り台に上り望遠鏡を覗き込み、
  ある時は、小船に乗りながいながいモリを構え、

  挙句の果てには、白鯨の背中にしがみつく始末でして・・・

 そんな夢ばかり見ていて親に 、叩き起こされました。
 あの映画のインパクトだかコンパクトは、今も忘れられません。
 詳しい細部はもう忘れました。  え、せめて主演の俳優の名前だけでも教えろと。えーと。
 あの『ローマの休日』で、オードリーの相手役だった、
 

 グレゴリアンだか、1粒300メートルのおまけだかの。 

あっそのグレゴリーペック! そのペックだかパックがよく演じるんですよ。
 エイハブ船長を。ただの復讐を超えて、執念の鬼となって何処までも白鯨を追いかけてゆく。 
 ある時は、凪いだ海でもって苛つき、ある時は、嵐の中、もう沈没寸前だというのにもかかわらず
 
 「 前進あるのみ 」と、 暴風雨の中、帆を揚げろと無茶を言う。・・・

目的は、白鯨ひとつだ!なんて格好よかったな。あのエイハブ。手応えどころか、自分の命、
 乗り合わせた乗組員 全員の命まで巻き添えにしてまでも、ただ白鯨だけに挑んでいく。
 そんな男の生き方に幼少のあたしは、心底し びれました。・・・

  なんだか、わたし、こんな話をしているうち、遠い昔を思い出してしまいましたよ。 

いつからあたしはこんな、気の抜けたまるで蓑虫の抜け殻みたいなおっさんになったのかしらん。
 自分から何かを追いかけることも、賭けてみる事も、何ひとつ見い出そうともなくて。 ぼんやりと
 、何かかすかな変化を待っているだけ。  

   気がつけば 只、日々の暮らしに流されるばかりで。 

まるで映画のラストの、海に漂っている白鯨にボロボロに壊された捕鯨船の残骸の木片のような、
 今の自分はまさしくそれで、 何も勝負する前からまるっきりガラクタ状態・・・

 なんだか、今までの自分の人生で、色々な大事な事、かけがえの無い物、死守しなければならない物・・・。

 あたしゃそれらの大事な何かを見失っていたようです。案外身近にあるのかも知れませんなぁ。


 これからですかな、わたしの本当の人生は。 
 又あの頃のあたしにもう1度戻って、ひとつやってみますか。本番の 人生を!

    手始めに、捕鯨船のプラモデルでも探してみようっと。

                心のモリを、研ぎ澄ますボストンシェーカー船長だす。
  



   シネマ毒談議 オールドボーイ編


 韓国映画にはまだまだ不慣れだが、さすがに独特な物がありなかなか興味深いモノが在る。
 今までにも何本か観たが、どれもメリハリの激しさが印象深かった。

 今回の『オールドボーイ』は事前に友人に原作にあたるアニメ本を借りて読んでいた。
 10何冊になる長い話だが面白く一気に読んでしまった。

 話の詳細はほとんど忘れてしまったが、ストーリーの意外性や、リアル感、スピード感は
 つい引き込まれるのに値する物があった。

 色々なエピソードが複雑に絡まっていて、クライマックスに向かい一気に、ヤマ場を迎えていくのだが、
 これなら、1時間番組で、半年間放送したら面白いテレビドラマになるんじゃないかと、素人考えで
 思ったものだ。 それを2時間のストーリーにまとめ上げるのも、苦労だったろうと想像出来る。

 職人芸として何かの枠組み、あえて規制をつくってしまった方がやり易いと言おうか逆に、
 燃えて仕事ができてしまったりする。あの長い話を2時間少しにまとめてしまうのも凄いが、
 又違った切り口で、訴えてしまう、お隣韓国映画人のパワーの凄さを感じてしまった。

 元の日本版『オールドボーイ』は、感覚としては主人公を中心として、ハードボイルド的、
 たとえればかつてジャックニコルソンが演じた「チャイナタウン」を、彷彿とさせる、
 全体に激しさを抑えた狂気の印象を私は受けた。無理もない身に憶えがなく15年間も幽閉された
 男の物語なのだから。窓もないラブホテルに3日も居れば誰でもがおかしくなるだろう。
 1一人部屋で、黙々と体を鍛えるのも、デニーロ的だ 
 開放されてからも淡々と自分探しも含め、対決相手に徐々に迫っていく過程も、
 もどかしいくらい内省的に感じだが、それも作者の意図のようだ。。

 ひるがえって韓国版は、驚くほど対照的だ。感情のほとばしり、場面、場面の強烈なインパクト、
 スクリーンからこれでもかと溢れ出るほどの、シーンの連続だ。あきらかに、日本的ではない。
 同じアジア人でも肉食人種と雑食人種の違い、焼肉とすき焼きほどの違いがある。
 ストレートにしつこい位に、これでもかとばかり人間愛を訴える韓国と、何でも斜に構え行き着く所は、
 ナルシズムと全体を丸く収めようとする少し引き気味の日本との対比が、後味として深く感じられた。

 どちらがどうとは好みの問題になるが、韓国の気性の激しさやインパクトの強さと、
 日本的な押さえ気味な内に秘めた強さ情熱が上手く溶け合ったモノが・・

 
 ここまで考えてきて、どちらものいいとこどりのこの発想がいかにも日本的かと
 我に返ったボストンシェーカー

  



   シネマ毒談議モンスター編

 最近久々に、凄い映画を観てしまった。文学や音楽、絵画、アート等、ある一線を超えた作品に
 出くわしてしまうと、よかった、面白かっただけでは済まされないものがある。 自分自身の精神性の
 どこかに突き刺さってしまい、普通の日常生活にしばらく戻れなく、常に心の中のどこかに巣食って
 しまっているを感じてしまう。それの何がいい何処がいいかの説明で、
 具体的にうまく言い表わせられないもどかしさを感じつつも誰かに言わずにおれない日々が
 しばらく続く経験が誰にでもあろう。
 しかしそれを聞かされた相手からは 『そんなにも』という醒めた顔をされ悔しいやら
、歯がゆいやらの自分独り浮いていまう、そんな経験は誰しもあると思う。

  今回、又同じ思いをするだろうと思いつつあえて私はみんなに訴えたかった。

 シャーリーズセロンの『モンスター』だ。衝撃を受けた。
 色々な人達の映画人の感想、批評、評価、もずいぶんあるだろう。
 ストーリー、脚本、監督、しかし、私は主役のセロンだけにとてつもない衝撃を受けた。
 こんな衝撃は、若き日のマーロンブランドの演技以来だ。 

 『波止場』 『欲望という名の電車』そして『ラストタンゴインパリ』等のときの。

 セロンは普通にいい感じの今1番のっている美人女優で、今までにも何本か観てきたし、どれも
 申し分なく美貌もスタイルも抜群。 しかし左程それ以上とは思わなかったしそれ以下とも思わなかった。
 しかし今回、それを覆し、本物の、遥か普通を超えたもの凄い役者であることを実感させられてしまったのだ。監 監督やプロディース、そんな裏方なんかどうでもいいぐらい彼女自身に魅入ってしまった。
  
  たて続けに2度も観てしまった。

 物語の詳細はこの場では省かせてもらうが、簡単に言えば、ハイウェイで行きずりの客をひらう娼婦が、
 4人の客、男を殺人してしまうシンプルなストーリー。
 これは実話で最近本国のアメリカでは初めての女性死刑囚と色々話題になったそうだ。
 そうなってしまった背景には色々な、ドラマがあって服役してからも生臭い人間や金が絡
 み
2転3転があったらしい。 

  そしてこれがドキュメンタリーになり、本人や関係者達のインタビュー、裁判風景などが
 克明に記されているビデオが発表されている。 実は事前にそれを見ていた。

 すべてが本物であるだけに、インパクトはもちろん、色々と考えさせられたものだが、
 本人のアイリーンの狂気と平静な時の様子などから、決して常軌を逸したサイコキックな人間が
 ただ快楽殺人を重ねた単純なものではなく、現代の深い不幸や病理の積み重ねがもたらせた犯行。
 極端に言えば誰がそこに陥ってもおかしくない、どうにも救いようも施しようもなく、
 重く深く考えさせられる事件、ドキュメンタリーだった。

 しばらく経ち映画化され、主役はセロン。そしてオスカーを得たらしい。
 はげしく体重を増やしての役作りに挑んだらしい。 ぼつぼつと情報が入ってくるが、
 所詮美人女優の役作りだ。どんなに汚れ役をしてもやっぱり綺麗と言われたいと、
 いやなナルシズムをなんとなく感じてしまうのは今までによくあった。 
 凄い役者であると見せたい気持はわかるが過剰な演技で一気に醒めてしまったりとか・・・

 変装やパロディとは違うはずだ。 今回は仰天した。

 本当に何もかも当人そのものになりきり、もしかして本人がやってるのではと錯覚させられるほどだった。
 事前に本物を見ていたからリアル感がある。 いつものセロン本人を完全に消し去り、
 元はどんな人だったのか記憶からなくなるほどだった。
 容姿、しぐさ、話し方、態度、何所をとっても本物のアイリーンそのものだった。
 今までのまるでゴールドの女神のような黄金色のオーラを放つ存在からもうこれ以上落ちる所はない
 ほどまでに追い込まれ、汚れきり崩れ果てた娼婦役に文字通りの体を張ったすべてが完成された演技に
 感動の声も出ずただただ魅入ってしまうだけだった。
 アメリカというプロ意識のレベルの高さに、ただ脱帽するしかない。

 例えれば日本で同程度のインパクトを考えるとすると、観月アヅサ辺りが、体重を20キロ増やし
 カレー事件の林真澄を演じ切るくらいか。
 容姿はもちろんの事、和歌山弁丸出しでジャージで水を撒き、本人そのものになりきるほどの
 衝撃かもしれない。
 
 やはり日本ではありえないだろう。
    
セロンの足の爪でも切らせて欲しいボストンシェーカー

  




  以前或る所から頼まれブルースをテーマにしたシネマのコラムを書いた事がある。張り切って作ったものだが
  勝手に変更、しかも私にとって大事な箇所を何箇所も変えてあったので不快な思い出がある。
  しかしそのコラムは自分自身が気に入り、原稿は捨ててしまったが思い出しながら綴ってみようと思う。

シネマ毒談議 ブルースを感じさせるシネマ


 『転機はソコまで来ている、俺の転機は ・・・。』  サムクック


 そもそもブルースとは黒人達、奴隷として否応なくアメリカに引っ張ってこられた人達が生み出した音楽。
 納得のいかない過酷な労働の日々をなんとか乗り切るため自然発生したようだ。  
 
  『生まれついての定めとはいえ余りにもキツイ毎日だぜ。しかしこんな事ぐらいでへこたれるかってんだ。
  俺達にはブラザー達がついている。 さあ明日もみんながんばろうぜ。』 

 元来、根アカで陽気な彼らは、自分達の労働歌、景気づけ音楽をと、もともとの野性の血が
 産みだす独自なリズム感と欧米の洗練された音楽とを自分たちで融合させ、
 独特な世界を生み出していったのだろう。 

そんな音楽 『ブルース』 を感じさせるシネマでまず思い浮かべるのは 『暴力脱獄』だ。
 直接的には関係ないかもしれないがそのスピリット的なものはぴったり通じる気が私にはする。

主人公ルークは何度も何度も脱獄を企てそのたびに袋叩きに合いひどい目にあわされる。
 もうあきらめたか、もう堪忍したろう、それでもめげずに再度、次の脱獄を試みる。

 遂に慕われていた囚人仲間達からも完全に見放され、看守達から徹底的にリンチを受け虐めぬかれる。
 身も心もズタズタにされ魂を抜かれたようになり、もう今度ばかりは再起不能だろう。
 
「やっぱりこんな奴は最初から負け犬だったんだ。いっときでも期待した俺達を裏切りやがって。」 

 みんなからはこずかれ、仲間外れにされ、看守達からはパシリの下僕扱いをうける。
  又それに自ら甘んじてしまう。

やがて誰もがバカにして相手にもしなくなり完全にあきらめきったように見えた頃、再び実行する。
周到に計画しみんなを煙に巻き、たった一人で涼しい顔で、当たり前のように決行する  ・・
 
 

 ラストはいよいよ追い詰められ、誰もいない古ぼけた薄暗い教会の中で見えぬ神に向かって問いかける。 

『あんたは本当に存在するのかい?』

 その直後、取り囲まれた銃弾の一発で、致命傷を負い、笑った顔で死んでゆく。

  何度見直しても私のブルース心と反逆心を刺激してくれるシネマだ。
           
            クールルークに憧れるボストンシェーカー




   
 シネマ毒談議 ハスラー編


 
若かりし頃のポールニューマンの魅力全開の作品だ。向こうっ気ばかりの先走る売り出し中のハスラーが、
 本物のプロ達の手にかかり、身も心もずたずたにのされ、最後には本当の愛情を示してくれていた恋人の
 サラまでも自らの熱情から死なせてしまう。  再度、すべてを賭け最後の勝負に討って出る
 ポールニューマン演じるファーストエディ。いつまでも男心をくすぐられるシネマだ。


 もうすぐ長い歴史をつんだ築映の映画館が終焉を迎えるらしい。昔はこの辺にはいくつモノ映画館が
 ひしめいていたものだが、それが最後のひとつもなくなり、ついに一軒もなくなってしまう。
 子供の頃から当たり前にあったものがどんどん街からなくなってゆく。
 時代の流れとは言えこんなに何もかもなくなってしまっていいものかと改めて思う。

 バブル以降いい事なし、極端に言えば明治維新以来、衰退づくしのいい事なしづくめのこの街。

 近畿のおまけなどと言われられ続け薄笑いと共に地元民が1番納得してしまう街。
 町おこしなどと聞こえのいい大義名分を掲げ、何一つの成果も貢献もないまま、
 かすかに期待していた事すら何時の間にか忘れ去れ、やっぱりそんなものかと変な納得すらしてしまう街。

 
 ラストのシーンが好きで、ビデオテープが伸びきってしまうほど何度も繰り返し観たものだ。荒削りの
 エディがその世界を牛耳っている黒幕と組み大きな舞台へと踊り出ようとするが、最初から、ただ上手く
 利用され、所詮使い捨てにされるだけの事と見抜いていた恋人のサラは、エディが勝負に没頭している
 留守中のホテルの部屋でその黒幕とトラブって事故死してしまう。 

本当に大事にしなければならない物を失ってしまったエディは最後の勝負をボロボロにされた黒幕達に挑む。・・・

 勝負の決着がつき、執拗に自分の取り分を迫る黒幕達に囲まれたエディは1人黒幕のボスに訴える。

 「自分の取り分だと?まだ俺のマネージャーのつもりかい。いいか、サラは俺達が殺したようなモンだろう。
 あいつは俺達みたいなつまらない欲に固まった奴等の為に死ぬ事なんかなかったんだ。
 サラは自分の命と引き換えに俺に教えてくれたんだよ。なにが一番大事かをな。
 今お前に金を渡したらサラの死が無駄になっちまう。

 お前は今までに、自分から本当の勝負に出た事なんかあるのかい?他人を利用するか
 その陰に廻って自分は安全な所で高みの見物を極め込んでいるだけじゃないか。
 他人のふんどしばかりあてにしやがって。意気地のない野郎だぜ。
 男だったら正々堂々と自分から勝負にでたらどうなんだい。お前になんかにびた一文払う金はねぇ。
 どうしても奪いたかったら俺を殺して持っていくんだな。 
 だがなこれだけは聴いとけよ。俺を殺した後にバラバラにして跡形もなくしておくんだな。
 そうしないと必ず生き返ってお前に復讐してやる。今度はお前の息の根を完全に止めてやる。

  さあ好きにすればいい。サラの為にも俺の為にもな。」

 この台詞を思い出すと未だボランティア気分で町おこしだと寝言を言っているしたり顔の奴等に聞かせたい。

    ミネソタハッツもいい味出してるよ。玉突きをした事がないボストンシェーカー