『琉歌(りゅうか)詞華集』015
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■     琉歌(りゅうか)詞華集−015 2001/01/24 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  ★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★ ******************************************************* □□■ 白い砂の正月 ■□□ 読者のみなさん、あけましておめでとうございます。1月の24日にも なって何を……、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、 今日は旧正月の元旦です。多くの人が世界標準の新暦で季節を過ご す中、琉球弧でも、本州弧のあちこちでも旧暦で正月を祝う人達が まだいると思います。月と太陽、私たちの生命のリズムに合ってい るのはどちらなのでしょうか。 我が家には、新暦の日付に月の満ち欠けをイラストで描いたカレン ダーと、やはり同様に月を描いた旧暦のカレンダーが今年はそろろ いました。月の満ち欠けで日々を過ごしていた人達の感覚に近づい てみたいと思って、買い求めました。それによれば、今日は新月、 新しい歳の始まりです。 最近古書店で買い求めた、伊波南哲(いば なんてつ)という八重山 諸島出身の詩人で小説家の著作『沖縄風土記』(未来社、1959)をぱ らぱらとめくっていて、印象に残った箇所があります。本書所収「 琉球歳時記」の一月の箇所です。「海岸から運ばれた白砂が、庭や 道に万遍となく敷きつめられ、門松の緑が対照的で、ただそれだけ でも新玉る年の目出度さが感じられる。」沖縄では、正月に家の前 に白い砂を撒いておく習慣があったようです。 12月には次のようにあります。「大晦日には家の煤払いを済ませ、 庭や前の道の清掃をおえると、積み上げた白砂を一面に敷きつめる 。濡れた白砂の感触、海草や蛤や小蟹などが飛び出してくる。門松 の下は盛砂にしておく。白砂青松のめざむるような風景とともに、 夜でも雪明りのように明るい。砂明りというのであろう。今では馬 車が運ぶようになった。」 ご存じのように、沖縄の海岸の白砂はサンゴ礁の粉で、その白さは ヤマトゥの人から見ると、たいへん印象的なものです。その砂が撒 かれた道や庭の白さと、門松の緑のコントラストが目に浮かぶよう で、この文章を読みながら、直接見てもいないのに、うっとりして しまいました。撒きたてですから、磯の香りもしたことでしょう。 「砂明り」というのも印象的な言葉です。大晦日の新月の夜、闇の 中に真っ白な砂が浮かび上がる光景は、幻想的ですらあります。周 囲を美しい海岸に囲まれた沖縄らしい正月の迎え方だと思います。 正月に白砂を撒く習慣について調べてみますと、琉球王府が1719年 に編集した『琉球国由来記』巻1の「王城公事」冒頭には、「元旦 米蒔」として次のようにあります。「元旦、御庭ニ白砂ヲ敷事、米 蒔ト称ス。」砂を撒くことを「米蒔」としています。つまり、白砂 は白米の代わりなのです。石奉行という役職の者が、首里城の中庭 である御庭(ウナー)と、正殿正面に立っている大龍柱のたもとに「 真砂」を撒きます。これが、王府における慶賀の始めだと記されて います。八重山の民家と同じようなことを首里城でもやっていたの です。あるいは、王府の習慣が民間に広がったのかも知れません。 上に続いて、これが始められた理由が述べられています。それによ ると、14世紀の後半現在の浦添に拠点を構えた察度王の時代に中国 から渡ってきたとされるびん人36姓と呼ばれる人たちが決めたこと とあります。そこには『周書』という歴史書から、中国古代におけ る伝説上の帝王のひとりである神農の時に、天から粟が降ってきて、 これを種として植えて、作ったという伝説が引かれています。この 「佳瑞」になぞらえて、朝廷で米を撒くことが始まったと記さ れています。 その「元旦米蒔」の項目の最後には割注(すこし小さな字)で「倭俗 歌ニ、天竺ノ十三姫ノ米ヲ蒔、弥勒ツゝケト米ヲ蒔」とあり、続け て「カカル吉兆ヲ思ヒ合セテ、米マクト云ケルニヤ」と記されてま す。「倭俗歌」というのは、当時の本州弧の歌という意味で、その もっとも古い記録の一つだと思われます。この歌でもやはり米を蒔 くことがうたわれています。つまり、撒かれる白砂は米の比喩なの です。 それでは、次の琉歌を見てください。 ******************************************************** ▼△▼ 霰と米の琉歌 (本文・読み・共通語訳) ▼△▼ ■揚作田節(アギチクテンブシ)  ◎167番   庭のこばの葉に  ニワヌ クバヌ ファニ   さらさらと落てる サラサラトゥ ウティル   あられ米散らす  アラリ クミ チラス   年や世果報    トゥシヤ ユガフ  ○庭の蒲葵の葉に   あられがさらさらと音を立てて降って   まるで米をまき散らしたように見える寒い年は   きっと豊年になる (島袋盛敏・翁長俊郎『評音・評釈琉歌全集』武蔵野書院 1968) ------------------------------------------------------- ▲▽▲ 解説など ▲▽▲ 「揚作田節」について、全集は「豊年満作、御代万歳の祝歌で、曲 も活気に満ち溢れ昇天の勢を思わせる。」と記しています。メロデ ィも目出度いものなのです。 「こば」は檳榔(びんろう)で、ヤシ科の常緑高木。現在の沖縄本島 ではクバといいます。観光店などで売られ、よく知られているのは 、この葉で作ったクバ傘です。そこに「さらさら」と音をたてて降 ってくる霰を「米」ととらえて、その光景が新たな年に豊年をもた らす予兆だとしています。琉歌には雪よりも霰のほうが用例が多い ようです。沖縄には、雪は降らないと言われています。昨年末でし たか、週刊誌が沖縄で雪が降ったというスクープを載せ、テレビで も話題になっていましたが、あれも違ったようです。 ただ、めったに降らないようですが、霰は降ることがあるようです 。琉歌の霰の用例は、一つはそれが降るときの寒さを現し、さらに 男女の関係における心の悲しさを現しています。そして、もうひと つが、ここに示す豊穣をもたらす吉兆としてうたわれているもので す。全集は「冬は冬らしく雪でも降って寒い方が豊年になる」とい う故老の伝えを記していますが、白砂を撒く習慣のことを考えれば 、上の歌も、砂を撒きながらうたったとしても不思議ではありませ ん。同様なかたちで解釈できるうたがいくつかありそうです。 ****************************************************** ▼ ひとこと ▼ 「あけましておめでとう」とあらかじめ祝ってしまう予祝の発想は あまり意識していないだけ、ヤポネシアには根強いもののように思 われます。ということで、ここでも目出度い話題から入りました。 一度、白砂が敷きつめられた沖縄の民家で正月を迎えてみたいもの です。 今回の原稿を書いていて、用例ををたとえばヤマトゥの民謡表現な どにも広げることができれば、一つの独立した論文になりそうな気 がしました。ということで、なかなかさい先よいスタートとなりま した。今年がみなさんにも幸せな年でありますように。このマガジ ンにも、よろしくお付き合い下さい。 ******************************************************* ※※ ご 注 意 ※※ このメールマガジンは、筆者ができうる限りにおいて学問的な厳密 さを前提として記しているつもりですが、メールマガジンという媒 体の性質上、かなり端折って記さざるを得ません。ここでの記述に 興味をお持ちになり、さらに深く追求なさりたい場合は、その方面 の学術書などに直接当たって下さるよう、お願いいたします。 上記の理由で、ここには筆者のオリジナルな考えが記されているこ ともあります。よって、ここから引用される場合は、その旨お記し ください。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ▲電子メールマガジン:「琉歌(りゅうか)詞華集」 ▲まぐまぐID:0000033858 ▲発行人:末次智 ▲E-Mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp ▲Home Page: http://web.kyoto-inet.or.jp/people/suesato/ ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です※ ▲Back Number http://jazz.tegami.com          /backnumber/frame.cgi?id=0000033858       ※上記Webにて閲覧可能です※ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




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