『琉歌(りゅうか)詞華集』014
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■     琉歌(りゅうか)詞華集−014 2000/12/28 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  ★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★ ******************************************************* □□■ 伊波普猷と「古琉球」 ■□□ 前号で、『おもろさうし』が岩波文庫に入ったと書きました。これ をはじめて本格的に研究した沖縄の人として、伊波普猷(1876−194 7、さてなんと読むでしょうか?)の名はよく知られています。彼が生 涯をかけて行なった沖縄研究は、なによりも沖縄の人々のためにな されており、それゆえに彼は「沖縄学の父」と呼ばれます。 そのような伊波の代表的な著書を一つ挙げなさいと言われれば、ほ とんどの人が『古琉球』と答えるでしょう。書名は、1609年の薩摩 藩による琉球侵略以前の、つまりヤマト化される前の沖縄を指す言 葉です。1911(明治44)年12月10日に地元沖縄で刊行されたそれは、 以後何度も版を重ね、ヤマトの人々に近代以前の沖縄の姿を伝える 重要な役割を果たしました。私はまず「古琉球」とい名称に魅力を 感じます。伊波は古琉球に固有な沖縄という意味を込めているよう な気がします。 その『古琉球』が、『おもろさうし』と同じ外間守善氏の校訂で、 岩波文庫(960円+税)になりました。平凡社から出た全11巻の『伊波 普猷全集』の第1巻に収められたそれを私は読んだことがあるのです が、文庫になったことが嬉しくて、持ち歩いては時折開いています 。伊波の著書では、他に『沖縄歴史物語』と『沖縄女性史』が平凡 社ライブラリー(各no252と371)に収められていますので、こちらも ぜひどうぞ。伊波の文体は研究の域を超えて、「沖縄学」という思 想のレベルに達していると言われることがあります。 さて、『古琉球』初版本の「自序」には次のようにあります。「オ モロがわかりかけると、今までわからなかった古琉球の有様がほの 見えるような心地がした。私は歴史家でもないのに、オモロの光で 琉球の古代を照らして見た。」つまり、伊波は『おもろさうし』に 収められたうたを通して、古琉球を明らかにしようとしたのです。 本書のあちこちにオモロが引かれています。だから、本書は沖縄学 の古典であると同時に、オモロ研究の古典でもあるのです。 20世紀の前半を生きた伊波が、『おもろさうし』や自著の50年後の このような形での刊行を予想していたでしょうか。20世紀の沖縄、 琉球弧研究はある意味で伊波の仕事を継承深化させたものだといえ るでしょう。では、21世紀の沖縄学はどのようになるのでしょうか 。たとえば環境問題一つを見てもわかるように、来る世紀は地球規 模での思考が求められることは間違いありません。すると、新世紀 の沖縄学は、沖縄の人達のためであると同時に、世界の人達のため であるような探求でなくてはならないはずです。伊波の仕事は、そ のようななかにあっても指針となりうるものだと、私は信じていま す。 ということで、今世紀の最後にだす本号では『古琉球』を取り上げ ようと、この文庫を見てから心に決めていました。オモロは前号で 引きましたので、ここでは、本書に収められ、琉歌研究のやはり古 典的な論文と言える「音楽家の息のかかった琉歌」から、琉歌を一 首引きたいと思います。 ******************************************************** ▼△▼ 伊波の引いた琉歌 (本文・読み・共通語訳) ▼△▼ ◇辺野喜節(ピヌチブシ)  ◎伊集の木の花や    イジュヌキヌ ハナヤ   あんきよらさ咲きゆり アンチュラサ サチュイ   わぬも伊集のごと   ワヌン イジュヌグトゥ   真白咲かな      マシラ サカナ  □読人しらず(ヨミビトゥ シラズ)  ○伊集の木の花は   あんなにきれいに咲いて、とてもみごとである。   私もあの伊集の木の花のように   真白に咲いてみたい。 (島袋盛敏・翁長俊郎『評音・評釈琉歌全集』武蔵野書院 1968) ------------------------------------------------------- ▲▽▲ 解説など ▲▽▲ 上のうたは、いつものように全集から引いたのですが、伊波の論文 では現存最古の琉歌集『琉歌百控 乾柔節流』(1795年成立)から引 いており、表記にいくつか違いがあります。伊波はとくに上記では 「あんきよらさ」と記される箇所が「あが清(きよら)さ」と『琉歌 百控』ではなっていることに注目しています。「あが」あるいは「 あん」は「あんなに」の意味の連体詞です。 「あが」の方は、伊波の時代には沖縄本島北部山原(ヤンバル)の方 言であることから、このうたは本来その地方(辺野喜は現国頭村の字 名です)でうたわれていたものが、「あが」では首里で意味が通じな いため、これをうたった中央の音楽家たちが「すげかえた」として います。たしかに、全集の236番にも類似のうたが「伊集の木節」と して収められており、そこでは「あが」となっています。伊波は、 このうたの歴史的な変遷を見ようとしているのです。 伊集の木はツバキ科の常緑高木で、琉球弧の固有亜種。3月から6月 にかけて白く美しい花を咲かせます。このうたの核心は、なんとい っても伊集の花の美しさに例えられた女性の美しさにあります。関 心のある方は植物辞典で花の写真を見てみてください。「わぬ」は 、「私」です。あとは、それほど難しい言葉は使われていませんの で、全体の意味は明らかだと思います。 全集によれば、このうたには物語が伝えられています。「ある国王 の愛妾が容姿端麗で、国王はその美しい愛妾を此上なく愛して、そ の部屋にのみ通われた。そこで王妃がその美女をうらやましく思っ てこの歌をよだという。」もし、伊波が言うように、このうたがも とは田舎のうたであったなら、このような伝説は中央でうたわれる ようになってからできたものだと考えられます。口頭で伝えられる うたは、うたそのものの魅力により歌い継がれ、伝説を産み出して いきます。 ヤンバルでうたわれていたころ、このうたはどのような物語に包ま れていたのでしょうか。 ****************************************************** ▼ ひとこと ▼ 今日は29日、あと2日で20世紀が終わりを告げます。1959年生まれの 私は、今年41歳。1958年に建った東京タワーとほぼ同じ年齢です。 NHKのプロジェクトXという番組でそのことを知ったとき、私のこれ までの人生が、戦後急速に立ち直った勢いでバブルに突入してしま った日本の年月にほぼ重なることを再自覚しました。 そんななかで、その圧倒的な流れに翻弄されながらも、どこかに違 和感を感じる私に、それとは別の流れがありそうなことを教えてく れたのは、沖縄であったと思います。だから、伊波のように沖縄に ついて考え続けることは、私のようなヤマト人にも21世紀を生きる ヒントを与えてくれると信じています。 それでは、来る年、来る世紀が、みなさんにとってすばらしいもの となるように。みなさん、よいお年を。 ******************************************************* ※※ ご 注 意 ※※ このメールマガジンは、筆者ができうる限りにおいて学問的な厳密 さを前提として記しているつもりですが、メールマガジンという媒 体の性質上、かなり端折って記さざるを得ません。ここでの記述に 興味をお持ちになり、さらに深く追求なさりたい場合は、その方面 の学術書などに直接当たって下さるよう、お願いいたします。 上記の理由で、ここには筆者のオリジナルな考えが記されているこ ともあります。よって、ここから引用される場合は、その旨お記し ください。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ▲電子メールマガジン:「琉歌(りゅうか)詞華集」 ▲まぐまぐID:0000033858 ▲発行人:末次智 ▲E-Mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp ▲Home Page: http://web.kyoto-inet.or.jp/people/suesato/ ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です※ ▲Back Number http://jazz.tegami.com          /backnumber/frame.cgi?id=0000033858       ※上記Webにて閲覧可能です※ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




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