『琉歌(りゅうか)詞華集』013
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■     琉歌(りゅうか)詞華集−013 2000/12/21 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  ★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★ ******************************************************* □□■ 世界遺産と『おもろさうし』 ■□□ さてさて、またまた前号を出してから、一ヶ月以上経ってしまいま した。どうも週に一度の刊行は私の力では無理のようです。それで 、たいへん申し訳ないのですが、最初の予定だった「週刊」から、 「随時」の刊行に変更したいと思います。すでに登録されている皆 さんは「なにをいまさら」とお思いでしょうが。よろしくお願いい たします。 さて、気付けば、今世紀もあとわずか。20世紀最後の今年は、沖縄 でもいろいろなことがありました。サミットも大きなイベントでし たが、11月30日には、首里城を中心とする城(グスク)群が、ユネ スコの世界遺産に登録されました。私には、こちらの方に関心があ ります。 グスク群とは、首里城跡(那覇市)、中城城跡(北中城・中城村)、勝 連城跡(勝連町)、座喜味城跡(読谷村)、今帰仁城跡(今帰仁村)の五 グスクと、独自の自然観に基づく信仰形態を表す斎場御嶽(知念村) 、祭祀(さいし)や信仰にかかわる園比屋武御嶽石門(那覇市)、琉球 の庭園を代表する識名園、第二尚王家の墳墓である玉陵(那覇市)を 加えた九件です。 首里城はともかく、他のグスクはヤマトゥの人たちにはなじみがな いかも知れませんが(グスクの名称をいくつ正確に読めますか?)、 いずれも琉球の歴史と文化を考えるさいに重要な遺跡ばかりです。 琉球文化の研究に携わる者として、登録を喜びたいと思います。沖 縄、琉球の歴史への認識がこれを機会に深まることを願います。 このマガジンで以前にも触れたことのある『おもろさうし』のうた (オモロ)は、首里城を中心としたそのようなグスクでうたわれたと 考えられます。今年、その『おもろさうし』がなんと文庫本になり ました。外間守善校注『おもろさうし』上下2冊(岩波文庫、2000 .03&11、各900円+税)がそれです。沖縄のウタに関心がおありの方 は、ぜひ一度手にとってみてください。『おもろさうし』も世界遺 産に含まれていると、私は勝手に解釈しています。。 そこには、本州弧のウタには見られない表現が展開しています。ヤ マトゥの人たちには琉歌もじゅうぶんに異質でしょうが、オモロは もっと異質です。オモロの言葉は、すでに一八世紀には琉球の人々 にも難解なものとなっていました。マガジンの02号で触れたように 、オモロと琉歌は深く関わっていますが、両者の関係の詳細につい ては諸説があり、はっきりしません。ただ、いずれも沖縄諸島のウ タの流れのなかにあることは確かです。その辺の事情は、下巻の外 間氏による「解説」をご覧下さい。 ということで、今回は特別にその文庫から、たいへんよく知られた オモロを一首引いてみましょう。 ******************************************************** ▼△▼ 太陽賛美のオモロ(本文・共通語訳) ▼△▼ ◇うちいではふへのとりの節  ◎巻07の379番   一 天に鳴響(とよ)む大主(ぬし)       明(あ)けもどろの花(はな)の     咲(さ)い渡(わた)り     あれよ 見(み)れよ     清(きよ)らやよ   又 地(ぢ)天鳴響(とよ)む大主(ぬし)    ○天地に鳴り轟く太陽よ、   明けもどろの花が   咲き渡っていく。   あれ、見ろ。   なんと美しく雄大なことよ (外間守善校注『おもろさうし』岩波文庫、2000年より) ------------------------------------------------------- ▲▽▲ 解説など ▲▽▲ 上のうたは、沖縄本島の南の地域のオモロを収めたという題名が付 いている巻07に収められています。「うちいではふへのとりの節」 というのは、節名と呼ばれ、節つまりメロディを示すもの考えられ ています。しかし、1547首のうち近代までうたい継がれたオモロは 5首だけで、他はメロディが失われています。節名のもとになる言 葉は、他のオモロから取られているのですが、なぜそのような名付 け方をしたのかは明らかではありません。謎です。原文は()内に記 したようにほとんど平仮名です。冒頭の「一」は現在のポピュラー ソングと同様ウタの一番を示し、「又」以下はそのメロディの繰り 返しだと考えられています。上の場合、歌詞としては、02行目から 07行目を二番(08行目)以下に繰り返すと考えられます。 「天に鳴響む大主」では、大主が太陽を擬人的に表現した言葉です 。「明(あ)けもどろの花(はな)」は、明け方に水平線から太陽 が昇る光景を花にたとえた言葉です。「もどろ」は、太陽がゆらゆ らと揺れて見えることを示します。「鳴響(とよ)む」とは、その 壮大な様子を聴覚的にも鳴り響くようだと表現しているのです。沖 縄諸島で、水平線の彼方から太陽が昇る様子を見たことのある方な ら、この表現にリアリティを感じることができるでしょう。 「地(ぢ)天鳴響(とよ)む大主(ぬし)」は「天に鳴響(とよ) む大主(ぬし)」の言い換えです。奄美を含めた琉球諸島の古いウ タには、この繰り返し表現が多用され、これが特徴となっています 。そして、このような表現は、たとえば古事記や日本書紀といった ヤマトゥの古い歴史書に記録されたウタにも共通しており、よって 琉球諸島のシマジマ(村々)につたわるウタは古いウタのかたちを 残していると言われます。オモロはあきらかにその流れのなかにあ ります。 さらに、このような太陽を讃えるウタの背後には、琉球国の太陽と してとらえられる王が居ます。太陽王と呼ばれた、フランス絶対王 政最盛期の国王ルイ14世を持ち出すまでもなく、一般的に王はその 唯一性ゆえに太陽と呼ばれることが多く、琉球の王も例外ではあり ませんでした。オモロでは、王をさす「てだこ」という語は、「太 陽子」と漢字を充てられるように、王は太陽の子でした。上のうた は、表現としては太陽そのものの賛美ですが、王が在席する儀礼の 場でうたわれると、それは王賛美のウタとしてとらえられたにちが いありません。 そして、地方の領主もオモロではやはりテダと呼ばれることがあり ます。このような太陽としてのテダがかがやく場が、グスクでした 。沖縄の歴史書はじつは首里城以外のグスクについてほとんど記し ていません。グスクとは何か。これまでには、おおざっばに言って 聖域であったとする説、ヤマトゥと同じように領主などが住んでい た城であったとする説に分かれますが、両者のどちらかだと言い切 ることはできません。このどちらかは、発掘を中心とした各グスク のこれからの研究によって明らかになっていくものと思われます。 今度の世界遺産への登録が、グスク研究に弾みをつけてくれれば、 と思います。 ****************************************************** ▼ ひとこと ▼ 現在の企画がうまくいったら、来年の4月からは「琉歌詞華集」を 「琉球弧古典詞華集」として発展解消し、『おもろさうし』も含め て取り上げようと考えていたのですが、今のような配信状況では継 続さえ危ぶまれます。情けないことです。でも、細々とでも継続さ せたいと思っておりますので、なにとぞお見捨てなきよう。 前号で取り上げた琉球弧の銭湯について読者の方から情報をいただ きました。そこれつについてもそのうちご報告したいと思います。 20世紀中に、もう01号出したいと思っていますので、ここではとり あえず、「千年に一度のクリスマス」を皆さんがこころ静かに迎え ることができますよう、心からお祈りいたします。 ******************************************************* ※※ ご 注 意 ※※ このメールマガジンは、筆者ができうる限りにおいて学問的な厳密 さを前提として記しているつもりですが、メールマガジンという媒 体の性質上、かなり端折って記さざるを得ません。ここでの記述に 興味をお持ちになり、さらに深く追求なさりたい場合は、その方面 の学術書などに直接当たって下さるよう、お願いいたします。 上記の理由で、ここには筆者のオリジナルな考えが記されているこ ともあります。よって、ここから引用される場合は、その旨お記し ください。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ▲電子メールマガジン:「琉歌(りゅうか)詞華集」 ▲まぐまぐID:0000033858 ▲発行人:末次智 ▲E-Mail:suetsugu@sg-jc.ac.jp ▲Home Page: http://www.sg-jc.ac.jp/suetsugu/sue-suetsugu.exp.htm ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です※ ▲Back Number http://jazz.tegami.com          /backnumber/frame.cgi?id=0000033858       ※上記Webにて閲覧可能です※ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




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