『琉歌(りゅうか)詞華集』012
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■     琉歌(りゅうか)詞華集−012 2000/11/07 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  ★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★ ******************************************************* □□■ 沖縄の銭湯 ■□□ 11号を出してから、三ヶ月以上が過ぎてしまいました。読者の皆様 には、たいへん失礼いたしました。たまっていた論文などを夏期休 暇中に書き終えてから、メルマガに手をつけようと思っていたので すが、論文もいまだすべて書き終えることができず、メルマガを出 せないままずるずると時間が過ぎていきました。気付くと京都はす でに秋真っ盛り。11号で触れた沖縄サミットの話題などヤマトゥで はまったく聞かれなくなりました。沖縄ではどうなのでしょうか。 さて、夏休み前に購入した写真集をめくっているうちに、ある一枚 の写真に眼がとまりました。写真集は『岡本太郎の沖縄』(NHK出版 )。1959年と1966年に沖縄を訪れた岡本太郎が撮影した写真を集めた 一冊です。1959年の訪問は、このマガジンでも取り上げたことのあ る、岡本のよく知られた一冊『忘れられた日本』(1961)に結実しま す。岡本の視線については、ここでは触れるのを止めておきます。 私の目に留まったのは、入り口にそれぞれ「男湯」と「女湯」と書 かれた板がある建物が写っている1959年の写真(p25)です。そうです 、これは銭湯の写真なのです。巻末の「写真説明」には「当時の銭 湯、宮古島」とあります。ご存じのように山らしい山もない沖縄諸 島では、大きな川もなく生活用水を地下水や雨水に頼ってきました 。だから、北部のダムから水が供給されるようになった今でも、水 は貴重です。 また、暑い沖縄では銭湯で「暖まる」という発想もほとんどないは ずです。さらに、アメリカの文化を受け入れた戦後は、シャワーが 一般の家庭に普及して、湯につかるということがあまりなかったの ではないかと思われます。私の学生時代、沖縄では冬でも暖かいシ ャワーでじゅうぶんでした。バスタブのない住宅もたくさんあるよ うな気がします。私の下宿にもありませんでした。 ところが、私が生活していた那覇市の首里には、私が知る限り二つ の銭湯がありました。なかでも男子寮の近く(新垣ちんすこう本舗 のすぐ近く)にあった(たしか)「若葉湯」という銭湯に何度か行っ たことがあります。本格的な銭湯は私の人生のなかでこれが初めて でしたが、それは、私が「寺内貫太郎一家」などというテレビ番組 で知っているヤマトゥの銭湯とは趣を異にしていました。一番の違 いは、番台が外を向いていたことです。その番台の背後の壁には無 理矢理こじ開けられたいびつな穴がいくつかあり、湯船につかって いるさい、そこから覗く視線と私の視線かちあったことが、少なか らずありました。 京都でもよく銭湯に行くのですが、さまざまな風呂が楽しめる進化 した最近の銭湯はともかく、伝統的な銭湯では番台が脱衣場を向い ています。とうぜん、番台に座る銭湯の方に裸を見せることになり ます。たしか前述のドラマで、銭湯の若い嫁が番台にはじめて立つ ことをテーマにした回があったように記憶します。それは、異性の 裸を当然のように見てしまうことになることへの抵抗と、その克服 というテーマだったように思います。 沖縄諸島の銭湯をすべて確認したわけではないのですが、首里にあ るもう一つの銭湯も番台がやはり外を向いていました。これは、ど うも文化的な問題であるように思います。また、生活用水が貴重な 沖縄諸島に銭湯がどのように、写真集にある宮古島にまで普及した (?)のか。沖縄諸島における銭湯の歴史を調べてみたいと、ずっと思 っています。沖縄の銭湯について記した文献というのを今までに見 たことがありません。読者の方で、もしご存じの方が居ればぜひ教 えて下さい。 銭湯を読んだ琉歌も知りません。ここでは、川での水浴の歌を取り 上げます。よく知られた歌です。 ******************************************************** ▼△▼ 水浴のうた(本文・読み・共通語訳) ▼△▼ ◇相聞歌(吟詠の部)  ◎1041番   源河走川や  ジンカ ハイカワヤ   潮か湯か水か  ウシュカ ユカ ミズィカ   源河めやらべたが ジンカ ミヤラビタガ   おすでどころ  ウスディ ドゥクル  □読人しらず(ヨミビトゥ シラズ)  ○源河走川は   潮であろうか、湯であろうか はたまた水であろうか。   源河の娘たちが、   水浴びをするところである。 (島袋盛敏・翁長俊郎『評音・評釈琉歌全集』武蔵野書院 1968) ------------------------------------------------------- ▲▽▲ 解説など ▲▽▲ 源河走川は、沖縄本島北部の名護市源河にある源河川のこと。「走 川」は流れの速い川の意味で、源河川を讃えた表現です。沖縄諸島 で川(カー)という場合、地下水が湧出する井戸であることが多い のですが、ここでは水が流れる川です。だから「走川」なのだろう 。 二句目に「湯」とあるために、産湯につかる場所とする説もあるそ うですが、単に水浴をする場所でじゅうぶんだと『琉歌全集』はし ています。だが、これにより海の潮水やお湯を浴びることがあった とわかります。ただ私は、潮や湯を浴びる具体的な場を想定するこ とが、ずぐにはできません。 「めやらべ」は「めわらべ(女童)」で、首里、那覇方言で農村の娘 をいう場合に用います。ここでは、沖縄本島北部の名護市(旧羽地 間切)の娘を、王都首里から見てこのように表現しているのでしょ う。 「おすでどころ」の「すで」は、新しい生命が出現する意味の「す でる」という言葉の連体形です。「すでる」は蛇の脱皮や、雛の孵 化などにも用います。ここでは、水浴をすることによって娘たちが 若返る場所といった意味で用いられているのでしょう。源河川の水 を浴びることで、娘たちは若返ったのです。 ヤマトゥでもそうなのですが、とくに沖縄の人々が昔から水に抱く イメージには、特別なものがあるような気がします。これは、沖縄 の銭湯について考えるさいに重要な問題になるような気がします ****************************************************** ▼ ひとこと ▼ 久しぶりだから、というわけでもないのですが、大好きな銭湯につ いて触れているうちに長くなってしまいました。沖縄の銭湯の歴史 について、いつか徹底的に調べてみたいと思います。 京都では、これから銭湯が恋しい季節になります。歩いて、あるい は自転車に乗って、いそいそと銭湯に出かけたくなります。 本文にも書きましたようにまだ書き終えていない論文があり、これ を片づけるまで、毎週出せるかどうか自信がありませんが、これか らも頑張りますので、お見捨てなきよう。 ******************************************************* ※※ ご 注 意 ※※ このメールマガジンは、筆者ができうる限りにおいて学問的な厳密 さを前提として記しているつもりですが、メールマガジンという媒 体の性質上、かなり端折って記さざるを得ません。ここでの記述に 興味をお持ちになり、さらに深く追求なさりたい場合は、その方面 の学術書などに直接当たって下さるよう、お願いいたします。 上記の理由で、ここには筆者のオリジナルな考えが記されているこ ともあります。よって、ここから引用される場合は、その旨お記し ください。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ▲電子メールマガジン:「琉歌(りゅうか)詞華集」 ▲まぐまぐID:0000033858 ▲発行人:末次智 ▲E-Mail:suetsugu@sg-jc.ac.jp ▲Home Page: http://www.sg-jc.ac.jp/suetsugu/sue-suetsugu.exp.htm ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です※ ▲Back Number http://jazz.tegami.com          /backnumber/frame.cgi?id=0000033858       ※上記Webにて閲覧可能です※ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




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