『琉歌(りゅうか)詞華集』009
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 琉歌(りゅうか)詞華集−009 2000/07/06 (週刊) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ →まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。← ******************************************************* □□■ 謎の『おもろさうし』 ■□□ なんとか久しぶりの研究発表を終えました。最近は歳のせいか、ど うも疲れていけません。発表の内容は、18世紀中頃に成立した琉球 王府の文献『琉球国由来記』(1713年成立)から、『おもろさうし 』に収められたうたの実態をすこしでも明らかにしようというもの でした。 うまくいったか、と言われると、どうもそうとは言えません。16世 紀の初めから、17世紀のはじめにまとめられたとされる『おもろさ うし』全22巻については、前にこのマガジンでも触れたことがあり ます。これにはのべ1554首ものうたが収められているのですが、そ の多くがどのような場でうたわれたのか明らかではありません。謎 の歌謡集なのです。だからこそ、魅力があるわけですが。 そこに収められたうたは、基本的には、琉球王国の首都である首里 (城)でうたわれたと考えられるのですが、それでは説明できない うたがたくさんあります。そのなかでも、うたわれた場がわかるも のについて、時期を限定して、うたわれた琉球王府の儀礼を再構成 しようと試みたのですが、文献に現れた言葉を理解できていないの で、うたの場をうまくイメージ化することができませんでした。王 府の文献にある独特の歴史用語を理解できていないせいです。こう いった基礎的な研究がまだまだなされていません。 『おもろさうし』に収められたうたには、日本列島の他のうたには 還元できない特別な形式や語彙があります。このようなうたを、一 つのジャンルの名前として私たちはオモロと呼んでいます。万葉集 のうたをマンヨウとは呼ばないでしょう。両者の命名の事情は異な りますが、オモロはオモロとしか呼びようのないものなのです。王 府もある時期以降そのように認識するようになり、書名に用いたの です。正式には「おもろ御さうし」と記される書名は、オモロとい ううたを集めた、王府の文書(御双紙)という意味です。 この私のつたないメルマガを読んで下さっている皆さんの中には、 ここまで言われれば、『おもろさうし』が、オモロがどのようなも のか知りたくなった方もいらっしゃるでしょう。そこで朗報です。 『おもろさうし』は以前、岩波書店から日本思想大系の一冊として 出ていたのてすが、これは絶版中です。ところが、同じ著者(外間 守善氏校注)の手になる文庫本が、やはり岩波書店から今年の3月に (16日900円外税)出ました。まだ上巻(第12巻まで収録)だけです が、ぜひご覧になって下さい。独自な世界を覗くことができます。 オモロを文庫で読めるなんて、私には隔世の感があります。だから 、これもサミット効果か、なんて言うのは止めときます。 さて、前号に続き、アダンのうたをもうひとつ。 ******************************************************** ▼△▼ 再びアダンの琉歌(本文・読み・共通語訳) ▼△▼ ◆さつく節(サツクブシ)  ◎897番   あだね垣だいんす   アダニガチ デンスィ   御衣かけて引きゆり  ンス カキティ フィチュイ   だいんすもとべらひや デンスィ ムトゥビレヤ   手取て引きゆさ    ティトゥティ フィチュサ  □久米具志川王子朝盈(クミ グシチャア ヲオジ チョオエイ) (島袋盛敏・翁長俊郎『評音・評釈琉歌全集』武蔵野書院 1968)  ○あだね垣でさえ   着物をひっかけて引くのであるから、   げにげに昔の付き合いをした人は   手を取って引くのも、もっともなことだ。 ------------------------------------------------------- ▲▽▲ 解説など ▲▽▲ 作者とされる久米具志川王子朝盈は、第二尚王統第五代尚元王(在 位1556-1572)の長子具志川王子朝通を元祖とする向氏大宗家に、尚 久家から養子として入った、同家第二代具志川王子朝盈のことです 。このうたはよく知られていたらしく、多くの琉歌集に収められて います。 「だいんす」は副助詞の「だもす(−でさえ)」に係助詞の「す」 がついて強調された語です。この場合、三句目の「だいんす」は意 味的には二句目に続いており、音的な切れ目と意味の切れ目がズレ ていると思います。「もとべらひ」は、つきあい、交際などの意味 をもつ「へらい」に「もと(元)」がついた語で、昔なじみ、昔交 際した人。 この歌には物語が伝えられています。夕立のさいに雨宿りしたある 家の大きな門の下に、元の妻が立っていました。男が茶目っ気でそ の女の手を取ったら、女が逃げました。これを見た警官(筑佐事) が男を捕らえて、裁判所(平等所)に訴え、罰しようとするさい、 具志川王子がこのうたを示したら、役人は事の真相を知り、男を放 免したということです。『伊勢物語』などに見られる歌物語です。 琉歌にはこのような物語をともなって伝承されているうたが多くあ るようですが、その実態については明らかではありません。 この場合、アダンが垣をなしていますが、海岸だけでなく、一般の 家屋の垣として使われていたこともあるのでしょうか。私は、その ような例をあまり知りません。でも、アダンは琉球弧に独特な風景 を形作っています。 ****************************************************** ▼ ひとこと ▼ はーっ、なんとかこの号も出せそうです。昨日京都市内では激しい 夕立が降りました。こちらの古都も祇園囃子が聞こえてきて、いよ いよ夏です。 ******************************************************* ※※ ご 注 意 ※※ このメールマガジンは、筆者ができうる限りにおいて学問的な厳密 さを前提として記しているつもりですが、メールマガジンという媒 体の性質上、かなり端折って記さざるを得ません。ここでの記述に 興味をお持ちになり、さらに深く追求なさりたい場合は、その方面 の学術書などに直接当たって下さるよう、お願いいたします。 上記の理由で、ここには筆者のオリジナルな考えが記されているこ ともあります。よって、ここから引用される場合は、その旨お記し ください。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ▲電子メールマガジン:「琉歌(りゅうか)詞華集」 ▲まぐまぐID:0000033858 ▲発行人:末次智 ▲E-Mail:suetsugu@sg-jc.ac.jp ▲Home Page: http://www.sg-jc.ac.jp/suetsugu/sue-suetsugu.exp.htm ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です※ ▲Back Number http://jazz.tegami.com          /backnumber/frame.cgi?id=0000033858       ※上記Webにて閲覧可能です※ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




前ペ−ジに戻る

SuetsuguHOMEに戻る