『琉歌(りゅうか)詞華集』004
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 琉歌(りゅうか)詞華集−004 2000/06/01 (週刊) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ●まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。 ******************************************************* ■■■ 聖なる久高島 ■■■  前回に取り上げた、写真家比嘉康雄さんの訃報についての記事を 沖縄の古本屋で店長をしている友人が送ってくれました。当然のこ とですが、地元では大きく扱われています。サミットの表面的なお 祭(一概に悪いとは思わないのですが)と、比嘉さんの静かなそし て深い仕事が対照をなしているように、私には思われます。  前号を書き終えたあと、通勤帰りにいつも立ち寄る書店で、比嘉 さんの『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(集英社新書)という本 が新刊として平積みされていたので、やはり買ってしまいました。 この本でも比嘉さん作品が少しですが使われています。たとえば、 目次のあと、「序章 久高島の祭祀世界」の扉の写真に写された一 本のクバ(ビロウ、椰子科の常緑高木)の木の写真をご覧になって 下さい。その存在感は圧倒的です。  琉球弧の島々の祭祀をずっと見続けた彼がライフワークとしたの が、久高島の祭祀を記録することでした。その経緯は上記の新書を ご覧になっていただきたいのですが、彼を虜にしたその島は、沖縄 本島南西部に位置する知念半島の先に浮かぶ小さな島です。12年に 一度行われるイザイホーという神事がとくに有名で、30歳から41歳 に達したすべての女性が神になり、家族を守ると信じられていまし た。しかし今は、その祭も途絶えてしまいました。  また、この島は琉球王府にとっても最も聖なる島でした。那覇市 の高台にある首里城から少し北に行ったところに弁ヶ嶽という聖地 があり、王はここからこの久高島を望んでいました。なぜなら、そ こから見るとこの島は太陽が昇る方角に当たるからです。『おもろ さうし』に収められたうたでは「てだがあな(太陽の穴)」と表現 されることのあるこの島は、「てぃだ(太陽)」と表現される王の 聖なる力の源でもあったのです。  前回取り上げた琉歌に出ていた聞得大君もこの島に渡り、その年 にはじめてめて取れた穀物を祝う祭を行っていました。前置きが長 くなりましたが、聞得大君のうたをもう一首紹介します。 ******************************************************** ▼△▼ 再び聞得大君のうた(本文・読み・共通語訳) ▼△▼  ◎聞得大君ぎや   チクヰイ ウフジミジャ   十嶽勝りよわちへ トゥタキ マサイ ユワチ   見れどもあかぬ  ミリドゥム アカヌ   首里の親国    シュウィヌ ウェグニ  □読み人知らず (島袋盛敏・翁長俊郎『評音・評釈琉歌全集』武蔵野書院 1968)  ○聞得大君様が(お祈りなさると)、   首里城内の十のウタキ(聖地)は、   みても飽きないほど立派な   首里親国であることよ。  (今回は、上記『評音・評釈琉歌全集』からの引用ではなく、末   次が訳を施しました。) ------------------------------------------------------- ▲▽▲ 解説など ▲▽▲  「ぎやなし」は敬称の言葉ガナシからの変化で、つまり「聞得大 君様」というほどの意味です。琉球王国の最高の神女である聞得大 君が首里城内にある十の御嶽(ウタキ、聖地)でお祈りすることに より、その霊力で王都首里が立派に存在する様をうたっています。 じつはこのうたは宮廷の祭祀歌謡集である『おもろさうし』巻1-7の 一部が琉歌として独立したものなのです。つまり、聖なるうたの一 部なのです。  琉球諸島の各地には、現在でもウタキと呼ばれる聖地がたくさん あります。その一つを訪れたことがある方なら、「聖なる」場所で ある理由をすぐに分かっていただけると思うのですが……。前回か ら「聖なる」という形容詞を何回か使っていますが、沖縄の聖地で はいわく言い難い雰囲気を感じます。それは、人間を越えた存在を 感じる、と形容すればよいでしょうか。首里城には、王の祭祀にか かわる聖地がいくつもあります。聞得大君は、そこで自身が神とな り、また神との交感を行う聖なる存在です。  各地の数あるウタキの中でも、特別に聖なる場所の一つが王府に とってもっとも聖なる島・久高島のフボーウタキです。首里から見 て太陽が昇る方角にある久高島に、かつて王は渡って太陽を拝んで いたらしいのです。聞得大君も渡って穀物の初穂を噛む儀礼を行っ ていました。現在も、人が住む空間と人以外が住む空間が画然と区 別されている久高島でも、もっとも聖なる場所とされるそのフボー ウタキには、島の女性しか、それも身が汚れていない神になった女 性しか入ることができません。  比嘉さんは、消えようとする島の祭を記録するためにそのような 聖地に入ることを、島の最高神職者の一人である「外間ノロ(神女 の名前)」の補助者的な存在であるウメーギ(掟神)、その役目の 西銘シズさんに認められた、数少ない男性なのです。はじめて渡っ た島で祭祀を見ている最中に、シズさんに「フボー御嶽に入ってい いよ」と言われ、そこで1975年に撮った写真が、上記著書の18、19 頁に載っています。建物が何もない空間と、そこに車座になって座 る白い神衣装を纏った島の女性、比嘉さんのカメラに写されたその 様子は、久高島の聖なる世界をみごとに浮かび上がらせています。 聞得大君も海を渡ってかつては訪れていたであろう聖地の、そのた だならぬ雰囲気を写真に感じることができます。 ******************************************************** ▼ ひとこと ▼  比嘉さんの魂に導かれ、第4回目にして、さらにヘビーな琉球に 踏み込んでしまい、長くなりました。琉歌の世界では、このような うたはむしろ例外です。次回は、聖なる世界から俗世間に戻りたい と思います。  また、読者のお一人から、フッタに記したURLをブラウザに打ち込 むとエラーになると忠告を受けました。最後の「/」が余計でした。 お詫びして、今回訂正させていただきます。ご指摘ありがとうござ いました。 ******************************************************* ※※ 注 意 ※※ このメールマガジンは、筆者ができうる限りにおいて学問的な厳密 さを前提として記しているつもりですが、メールマガジンという媒 体の性質上、かなり端折って記さざるを得ません。もし、ここでの 記述に興味を持ち、さらに深く追求なさりたい場合は、その方面の 学術書などに直接当たって下さるよう、お願いいたします。 上記の理由で、ここには筆者のオリジナルな考えが記されているこ ともあります。よって、ここから引用される場合は、その旨お記し ください。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ▲電子メールマガジン:「琉歌(りゅうか)詞華集」 ▲まぐまぐID:0000033858 ▲発行人:末次智 ▲E-Mail:suetsugu@sg-jc.ac.jp ▲Home Page: http://www.sg-jc.ac.jp/suetsugu/sue-suetsugu.exp.htm ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です※ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




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